第90話 風呂場と修羅場って発音が似てる気がする
女装男子が二人って、キャラ被り激し過ぎない?
いや、複数のギャルゲが交錯するこの世界で、いつかはこんな状況になるんじゃないかなーと思ってはいたけどさ?
「聞いていますのアーサー‼」
「はい……」
俺の頭上にテレサの雷が落ちた。その姿は義父によく似ている。
──現在俺は正座中である。生まれたままの姿で。お毛々の生え揃っていない我がムスコも丸出しである。せめてタオルの一枚ぐらいは欲しいのだが、背後に鬼気を燻らせ仁王立ちするテレサもまたすっぽんぽんな為、「タオルください」とは言いにくい。
浴室に敷き詰められたタイルは硬く、冷たく。痺れてきた足も相まって限界が近い。
「あのー、テレサさん? そんな恰好だと湯冷めして風邪引いちゃうよ? そろそろ切り上げて熱ぅい⁉」
「……これで湯冷めの心配は無くなりましたわね。はぁ、全然反省の色が見られませんね」
テレサが睨むと周囲を青い焔が囲み、身体は冷えるどころかサウナも斯くや、全身汗が吹き出してきた。
「アーサー、アーサー? あなたのその真っ直ぐな性格は美徳でしてよ? その優しい、真っ直ぐな性根に救われる人も少なくありません。現に私がそうですし。ただ、どうしてそう思い込みが激しいんですか⁉ こうと決めたら一人で突っ走ってしまう癖も治りませんし‼ 見なさい、イルルカを‼」
浴室は声がよく反響し、テレサの怒声が幾重も響き耳朶を震わせた。……これ外には聞こえてないよね?
令嬢にあるまじき、唾を飛ばす勢いで怒るテレサが湯船に浸かるイルルカを指さした。
当の彼──いや彼女は体育座りをして口元までお湯につかりぶくぶくと泡を吐いていた。その目には普段の生気は見えない。
「あの、イルルカさん? 大丈夫かい?」
「ぶくぶくぶくぶく……」
「あぁ、可哀想なイルルカ! まさかアーサーにずっと男だと思われていたなんて!」
「げふうっ!」
テレサは頭に手を遣りくらりと身体を傾がせ、舞台女優のように大袈裟にショックを現した。
成人女性を男と間違えていた──。その、何ら嘘も誇張もない指摘に俺は胸元を押さえる。言葉のナイフが容赦なく俺を突き刺したのだ。
「どうして、どうしてアーサーはイルルカを男だと思ったんですの?」
……ほんと、どうしてだろうねー?
イルルカとの出会いは、テレサのお付きだと紹介されたのが始まりだ。
彼女は平時から分厚い
俺がイルルカを男だと思ったのは剣の手合わせをした時だ。
その腕前は凄まじく、剣だけで勝てないと判断した俺は魔法を交えてようやく勝利を掴んだものだ。手合わせの際に見せた彼女の、狂気すら見える嬉々とした表情から「男なんだなぁ」と思ったような気がする。うん……。
しかしイルルカは一度女性だと認識してしまえば、なるほど、単なるイケメンさんではなくヅカ系の絶世の美女にしか見えない。
彼女の身体は決して肉付きが良いとは言えないが、無駄な脂肪が一切廃されたソレはモデルとしても十分やっていけるほど美し──って熱ぅい⁉
「目がいやらしいです‼」
「ひどい! テレサが見ろって言ったのに!」
「言いました! 言いましたけどエッチな目で見て良いとは言ってません!」
「元から! 元からです‼」
「ならそんなエッチな目は抉ってしまいなさい! 全部私が面倒を看てあげますから‼」
「テレサさんちょっと黒いの漏れてるよおぉぉぉ⁉」
婚約者の黒い願望を垣間見て俺は絶叫した。
「もう許してテレサちゃん! なんでも、なんでもしますから!」
「アーサー! 今必要なのは私のご機嫌取りではなく反省です! すぐ相手の望むことをしようとして、その場を切り抜けようとするのは悪い癖ですよ‼ その提案は非常に、非常にっ魅力的ですがっ‼ あなたがきちっと反省するまで、私許しませんからねっ!」
つんと、言い終えテレサは顔を背けた。
身から出た錆とはいえ、彼女の機嫌はしばらく治りそうもなかった。とほほ。
◇◇◇
「あの、イルルカさん? 大丈夫かい?」
テレジアがアーサーへ説教をかましている一方、シャルロットは気まずい思いをしていた。
何せ目の前で美女が大層落ち込んでいるからだ。
(え、この人を男だと思ってたの? ……大丈夫かな僕の婚約者殿は)
目の肥えたシャルロットから見ても、イルルカは美しかった。
確かに、身体つきは女らしいとは言えないが、それでもこの人物を男だと思うのは認知に異常があるとしか思えない。
(……あれ? でも彼、僕のことは女だと、知ってた?)
シャルロットは自分の身体を見下ろす。第二次性徴を迎えていない未成熟な少女の肉体は、イルルカ以上に性の判別に苦しむだろう。その上シャルロットは男のフリをしていたのだ。イルルカよりも女だと断じるのは難しいはずだ。
だのにアーサーはシャルロットを女だと疑ってなかった。
それはアーサーが”剣バラ”でシャルロットを知っていたからに他ならない。アーサーはゲーム内の出来事を知っている。だから知識を重要視する。だが、それこそがテレジアが指摘するアーサーの思い込みの強さ、悪癖であった。
しかし、そんな事を知る由もないシャルロットとしては純粋な疑問として湧き上がったのだ。
(僕のフリが下手だった? いや、これでも八年間騙し続けてきたんだ。演技には自信がある。何だろう……。彼、何か秘密がある……?)
”診眼”を持たぬシャルロットではあったが、別の角度からアーサーの秘密に迫っていた。
そんな彼女の耳に泡が弾ける音がする。
「ぶくぶくぶく……」
──そうだ。今は彼女をどうにかしないと。
何で今日会ったばかりの僕が──などと思わない辺り、シャルロットの善良さが伺える。
しかしどうしたものか……。
シャルロットも自分の顔立ちには自信があった。特に相手が女性なら、自分が少し甘い顔をすればコロリと落ちたものだが。今はその、女たらしの技術が役に立つとは思えなかった。
(えぇ? どうすればいいの……?)
シャルロットは途方に暮れてしまう。
──アーサーが自分を男だと思っていた。
その事実はイルルカには想像以上にショックだった。
なにせ彼女はこの一年、アーサーと親睦を深めようと様々な接触をしてきた。
朝食を食べ終えたら剣に誘い、昼食を食べ終えたら剣に誘い、小腹が空いてきたら剣に誘う。それがちっとも効力を発揮していなかったのだから。
それは困る。アーサーとの仲が進展しないのはイルルカにとって死活問題であった。
だってアーサーは──。
ここ一年の出来事の物思いに耽るイルルカの耳に、少女の必死な声が飛び込んできた。
「イルルカさん! 僕に剣を教えてくれ!」
「ぶくぶくぶくぶく──……は」
「あなたはかの高名な『黒豹』なんだろう? 僕に剣を教えてください!」
二人は一回り以上の年が離れている。敬語を使うのは当然に思えるが、公爵家子息たるシャルロットと流浪の民たるイルルカでは年齢以上に身分の壁は大きい。
それが分からぬシャルロットでは無かろう。故に彼女が頭を下げるというのは想像するよりも意味合いが大きい。
だが──。
「嫌です」
「なっ⁉ ど、どうして?」
「私にメリットがありませんので」
イルルカはすげなく断った。彼女は非情なまで合理主義者だ。その合理を崩すのは、自分より強い相手のみである。
シャルロットは無視されなかった事に胸を撫で下ろすも、頑なに拒絶するイルルカ相手に二の句が告げなかった。
シャルロットは悩む。
彼女は言った。「メリットが無い」と。言い返せばメリットを提示すれば考えても良い、ということだ。
「お給金は──」
「結構です。既に十二分に頂いてます」
「えと、その、うん……」
バッサリである。イルルカの太刀筋を思わせる切り捨てっぷりで。
代わりに今度はシャルロットが酷く落ち込んだ。
……シャルロットの言動は、どうしてそこに至ったのかはイルルカには不明だが、その意図──自分を励まそうという気遣いは感じられた。
合理主義のイルルカにとってそれは有難がるものでもなく、かと言って面倒に思うものでもなく。
故にどうして無関係なシャルロットが、こんなに自分を励まそうとしたのかを疑問に思った。
その疑問は自然と口を吐いて出た。
「どうして私に剣を教わろうと思ったのです?」
「僕は、……強くなりたいんだ。今日、アーサーに負けて悔しかった。侵入者を相手に上手く活躍できなくて、悔しかったんだっ。僕はっ、子供の頃から剣を振るっていたのに、剣しか無いのに!」
段々と悔しさを思い出して、シャルロットの言葉に熱が篭る。
「だから! 僕は強くなりたい! 強くなってもう一度アーサーと戦って! 彼を負かしたいんだ!」
「……」
少女の純粋なまでの熱量を、今の自分は持っているだろうか? イルルカは自問する。
アーサーと手合わせを続けて、負け続けて、「負けても仕方ない」なんて気持ちが芽生えたのは何時だろうか?
そう思ったらイルルカにはシャルロットがとても眩しく見えて。
「いいでしょう。稽古をつけてあげます」
「え? い、いいの⁉ あ、じゃぁ幾らぐらい払えば──」
「結構です。忘れていた気持ちを思い出させてくれた。そのお礼だと思ってください」
「?」
微笑むイルルカに、シャルロットは頭上で疑問符を浮かべた。
「シャルロット様──いえ、シャルロット。私の修行は厳しいですよ? そして決してノーと言わない。それが守れるのであれば、私の剣を教えましょう」
「はい、
これが我が弟子か──。そう思えば、イルルカは目の前の少女に奇妙な愛着が湧くのを感じた。
「シャルロット。打倒ニブニブチンチンです。えいえいおー」
「ち、チン──⁉」
「何を赤くなっているんです。ちゃんと復唱しなさい。打倒! ニブニブチンチン!」
「だ、打倒! にぶにぶちん……」
「声が小さい! もう一度、ハッキリと!」
「ひぇ!」
有無を言わさぬ剣の師に、シャルロットは早速後悔したのだった。
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