第89話 俺の目は節穴だった

 かぽーん──という擬音を考えた人物は偉大である。

 よくもまぁ浴室で、桶の転がる音で風呂を連想させようなどと考えたものだ。

 なんて詮無いことを考えている俺は今、生まれたままの姿で浴槽に漬かっている。

 襲撃犯の撃退で汗をかいていたから風呂に入りたかったのは山々で、この流れは渡りに船とも言えなくもないのだが。

 ──いかん。単に待っているだけなのに余計なことを考えてしまう。

 いや、だってそうだろう⁉ 女の子とお風呂! お風呂だよ⁉

 しかもテレサもシャルロットもとびきりの美少女で、俺に好意的とくりゃ否が応でも昂るってのが健全な青少年の反応ってもんだろ⁉

 贅沢を言うなら彼女らが第二次性徴を迎えていないということだろうか。

 二人とももつるーんでぺたーんなため、おっぱい星人の俺としては残念でしかたない。そして本編で一足先に彼女らの成長した姿を知っている俺としては「もう少し頑張りましょう」のハンコを送りたい。

 失礼に過ぎる空想に浸っていると、背後の扉がガララと遂に開かれた。お楽しみは最後に取っておく派の俺としては敢えて扉に背を向けていたのだが。背後から姦しい声が聞こえる。

「て、テレジア……。本当に入るのかい……?」

「ここまで来てまだ言ってますの? 男性に扮していた割に女々しいですわよシャルロット!」

「め、女々しいとは聞き捨てならないね! ──い、いいい良いとも! たかが裸を見せるぐらい、何てこと無いさ!」

 キタ────────────────ッ‼

 脳内で、かつての一躍ネットを席巻した猫が踊り出した。

(落ち着け……! がっつくのは紳士の振る舞いじゃぁない! ゆっくりとだ、何でもないようにゆっくりと振り向くんだアーサー‼)

 心臓は早鐘を打ち喉から飛び出てしまいそうだ。顔が赤いのは──のぼせているという事にしておこう。

「ごめんなさいアーサー、お待たせしてしまって。シャルロットがぐずるんですもの」

「な、違ッ⁉ 普通は躊躇するものだろう⁉ テレジア! 君には淑女としての恥じらいはないのかい⁉」

 振り向いた俺の目に飛び込んできたのは──天使だ。穢れを知らぬ無垢な天使。

 自然、俺は拍手をしていた。

「おぉ……、ブラボー……!」

「あ、アーサー? 泣いてますの……?」

「うわぁ……」

 指摘され始めて頬を伝う水滴に気付いた。

 二人は身体をタオルで隠してはいるものの、薄い布切れでは、彼女らの肉体の質感を隠すことなど出来ない。

 まずテレサ。均整美という言葉がこれほど似あうものを、俺は他に知らない。

 確かに未成熟な身体は凹凸は少なく、肉付きも薄い。女としての魅力は無いに等しいが、そも精巧な西洋人形の如き可憐な少女である。そんな娘が、若干の恥じらいと共に裸体を晒しているという事実だけでご飯三杯はイケる!

 そしてシャルロット。男して、剣士として生きてきた彼女の身体は、言ってしまえば年相応の少女のものでは無かった。脂肪の代わりに無駄のない筋肉が付いている様子は古代ギリシャの彫刻を連想させた。当のシャルロットは、そんな女らしさとは縁遠い自分の肉体を恥じているのだろう。シャルロットの全身は桜色に染まっており、それがまた男の劣情を掻き立てる。

 ……誰だおっぱいが無くて残念だって言ったヤツ! 俺がぶっ飛ばしてやるよ‼

 少女二人は未だ滂沱し拍手を送る俺を無視することにしたらしい。

「うわぁ……。これ全部お湯なのかい? さすが王族は贅沢だなぁ」

「ふふ、それがねシャルロット。実はうちの領都でも今お風呂がブームなんですのよ?」

「えぇ⁉ それは、平民がってことかい? 確かにヴァニラは水量だけで言うなら豊富だろうけど、相応の水を沸かすには手間もお金も掛かるだろう?」

「それは、ねぇ。あの人が解決してしまいましたの。まったく……、自分が毎日お風呂に入りたいからって、技術革新を起こす人がありますか」

 テレサは呆れたような感心したような溜め息を吐く。

 話題に自分が挙がったことで、俺の意識はようやく天国から現実へと戻って来た。いや、戻ってきても天国なんだけどさ。

「いやさ、熱や運動のエネルギーを魔力に変換して魔石に貯め込むことが出来るなら、逆もまた当然出来るだろう?」

「その、えねるぎぃ? という考えがまず常人じゃないのですけれど」

「……強いだけじゃないんだね、君は」

 テレサは指先でお湯の温度を確かめると、身体にタオルを巻いたまま浴槽に身体を沈めた。対してシャルロットはおっかなびっくりといった様子で、指先をお湯に付けた。

 前世の日本と違い乾燥気味のユークリッド王国では、身体の汚れを落とすのに濡れたタオルで拭くだけで十分である。そのため風呂へ入る文化が発達していなかった。

 そもテレサの言った通り、相応の水を確保し沸かすというのは結構なコストが掛かる。故に余裕のある酔狂な人物でも無い限り、好んで風呂に入ろうとはしない。

 そんな現状、前世日本人の俺に我慢できると思うか。いや、出来ない。

 俺は一年前から市場に有り余る魔石を用いて水を沸かす魔導具を発明してもらい、めでたく毎日風呂に入ることが出来るようになったのだ。閑話。

 そんなことより、だ。まーたシャルロットがネガネガした気配を放っている。

「まー人には得手不得手がありますからねー」

「……君に苦手なことなんてあるのかい?」

「それが聞いてくださるシャルロット? アーサーったら馬に乗れないのよ?」

「……」

「えぇ⁉ それは、意外だねぇ……」

 そうして彼女らは俺を挟むように腰を下ろし、これが正に両手に花というヤツか。

 テレサなんかは「不要に男へ肌を晒すな」と貴族の淑女としての教育を受けているだろうに、思ったより恥ずかしがっていなさそうなのは、まだ性に目覚めていないからだろう。

 ……てか違うんですよ⁉ 何故か俺が乗ると馬が怯えて一歩も動かなくなるだけで! 断じて俺が馬に乗れないって訳じゃ無いんだからな!

 なんだかなー。カレード・ナイトになってからというもの、馬ばかりか犬猫にも避けられてるしなー。同じ神気持ちのテレサは平気なのに。不公平じゃない?

「その、余計なお世話じゃなければだけど。僕が教えようか、乗馬?」

「……オネガイシマス」

「っ! あ、あぁ! 任せてくれ!」

 原因が俺の神気にあるというなら、人に教わってどうにかなるものでも無さそうだが。今のシャルロットに必要なのは自信だろう。自己肯定出来るほどの。

 であればシャルロットの振り絞った勇気を断ることなんて、どうして出来ようか。

「まぁアーサーったら! 私が教えると言った時には女子供に教わるなんて出来ない、なんて格好つけた癖して、どうしてシャルロットのはすんなり受けますの⁉」

「えぇい! この話題止め! 止め止め‼ テレサ、何か話がしたいからこんな強引に誘ったんじゃないか? まずそれを話そうよ」

「え、えぇと、話? お話ですか。そ、そうですわね……」

 今度はテレサの嫉妬メーターがぐんぐんと上昇する気配を察知し、俺は無理やりに話題を打ち切る。

 逆にどうしてこんな真似をしたのか問い詰めると、テレサの翠の目が泳いだ。

 そりゃぁさっきの彼女は明らかに暴走してたからなー。特に話とかはないんだろう。

「そ、そんなことよりイルルカはまだですの⁉」

 誤魔化すようにテレサは扉へ向けて声を放った。

 というかイルルカも入るの……? まぁ、なんだかんだ彼は俺たちのお目付け役だし。一緒に入った方が効率的なのも分かるけど、俺以外の男に二人の裸見せるのはなんだかなー。

 そんなことを頭の隅で考えていると、「し、少々お待ち下さい」というイルルカの声が響いた。

 声に釣られて顔を上げる。磨りガラスの扉の向こう、彼の褐色の肌が動いているのがよく見えた。

 そうして扉越し、衣擦れの音がやけに響いて──おや? 何故俺の鼓動は早鐘を打ち始めたのか?

「し、失礼します」

 少々緊張気味のイルルカが浴室へ入ってきた。身体にバスタオルを巻き付けて、その隙間から見える褐色の肌はハッキリと分かるほどに赤くなっていた。

 ……いや待て。どうしてバスタオルを巻き付ける必要性がある。

 俺の心臓は痛いほどに早鐘を打ち、まるで警鐘を鳴らしているようであった。

「アーサー?」

 細い、戦士の肉体には見えぬ、しかして黒豹などと呼ばれ、らしいしなやかな身体である。

 何より恥ずかしそうに体を隠すバスタオル越しでも分かる胸元の膨らみ──ふくらみ?

「は──────────?」

 息をするのも忘れてイルルカを、穴が開くほどに見る。

 イルルカは恥ずかしそうに、俺の視線から逃れんが為か素早く湯舟に浸かった。湯舟にバスタオルを浸けるのはマナー違反だとか、入る前には身体を洗って欲しいとか、まぁ言いたいことは幾つもあるが。

「……は⁉ つ、つつつ付いてない⁉ いや付いてる⁉ 付いて、は⁉ え、えええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ⁉」


 俺は一年もの間、とんでもない勘違いをし続けていたらしい。

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