第88話 自分を愛してあげて
その際に俺一人に向かって義父は「今日はこれ以上余計なことをするな」と強く念命じてきた。更にはイルルカを付ける念の押しようである。まったく、信用が辛いよトホホ。
そんなこんなで、俺たち三人はそれぞれの客室へ戻ろうとしている最中なのだが。
「……」
「……」
──沈黙が辛い!
開くはずのない宝物庫が開いてたりだとか、侵入経路はどうしただとかで、まぁ覚悟していた俺と違いテレサとシャルロットは王族の中に犯人がいると聞いて大層ショックを受けた。
中でもシャルロットは望まない婚約もさせられて、すっかり憔悴しきっていた。とても見ていられない。
……義父には余計なことはするなと言われてるけど、これぐらいはいいよね?
「シャルロット、少し話さないか」
「……?」
「シャルロット」
「あ、ああ。なんだい?」
こんな彼女は放っておけない。
声を掛けるもシャルロットの反応は鈍く、自分に向けられたものだと気付いていないようだ。
改めてもう一度名前を呼ぶと、ようやく話し掛けられていたことに気付いたようだ。
「少し話そう」
「……すまない。今は──」
「いいからっ」
俺はシャルロットの手を取った。
強引だったか? ええい、ままよ! 放置が出来ないなら行動するしかないのだ。
「ちょ、ちょっとアーサー! 何を」
「ごめんテレサ! イルルカも! 少しだけ待っててくれっ」
「っもう! 相変わらず勝手なんだから! イルルカっ、
当然付いて来ようとするテレサとイルルカを制する。
テレサは不承不承ながら俺の意図を汲んでくれ、尚も引っ付いて来そうなイルルカを必死に押し留めてくれた。
まったく、俺には勿体ないほどの婚約者である。
俺はシャルロットを連れ近くの使われていない客室へ入る。
「っ、何のつもりだよ!」
ようやくしてシャルロットは握られていた手を振り解いた。
彼女の目には困惑と敵意が浮かんでいた。うん、無気力よりはよっぽどいい。
さて、勢いに任せて連れてきたは良いが、なんと切り出したものか。
──シャルロットを励ましたい。言葉にすればそれだけだが、それがなんと難しいことか。
「あー、その。……ちょっと外の空気を吸わないか?」
閉め切った空き部屋の空気は篭っており、丁度バルコニーが見えた俺は指をさしてそう言った。
彼女の返事を待たずに、バルコニーへ通じる扉の内鍵を開け外へ出る。夜風が若干冷たかったが、なんだ、色々なことがあり過ぎて頭を冷ますには丁度良い。
背後から「勝手な
「……それで、話って何」
憮然とした様子を隠さず、シャルロットの方から口を開いた。
「婚約者を心配するのは当然だろ」
「……婚約者か。ハハ」
自虐の笑みを浮かべるシャルロット。
彼女の悩みを解決したいというなら、避けて通れぬ話題だろう。
シャルロットが今回の婚約に対してどのような感情を抱いているのか。俺は一挙手一投足も見逃さぬつもりで彼女を見た。
自虐、自嘲、自責──そして諦観。そのどれものようでどれとも違うような、笑みを浮かべていた。いや、している者も見る者も、誰一人とて幸せを感じないそれを笑顔と呼んで良いのか。……違うだろ。
「……僕の人生に意味なんて無かったってことか」
ポツリ、と。聞き逃してしまいそうな声量でシャルロットは心情を吐いた。
ここで「え、今何か言った?」と言えば全てのフラグを粉々に出来るだろう。
しかし今必要なのはフラグクラッシュ能力ではない。一級フラグ建築士どころか特級フラグ建築士に成るんだ、成れアーサー‼
俺は言葉を遮るような真似はせず、しかして聞く姿勢は崩さないでいるとシャルロットは一度だけこちらを見、更に続けた。
「だってそうだろう? 僕は必死に男だと認められるように頑張って来たんだ! だけど結局、父上が求めていたのは女としての僕だ……。これが道化じゃなければ何だって言うのさ……」
「……」
シャルロットは今まで男であろうとしてきた。それが突然、女としての役割を求められて、今までの全てが否定されたと感じてしまったのだろう
そんなことはないと否定するのは簡単だ。そして口だけだと言われるのも想像に難くない。
んあー……。なんて言ったもんかねー……。
俺は後頭部を掻きながら言葉を選び、結局いつも通り思ったこと感じたことを素直に伝えることしか出来なかった。
「あー、そのだな。誤解されないように言っておきたいんだが、まず俺はお前を慰めたいと思っている」
「ハ──」
シャルロットが強い嘲りを見せる。
それでも俺は怯まずに続ける。
「シャルロット。伝えるってのは、言葉にするってのは大事だ。お前を知りたい。だから聞くんだ。シャルロット、お前はどうして男であろうとしたんだ?」
「どうしてって、それは──。……何で君にそんな事を言わなきゃならない」
シャルロットは口を開きかけては噤み、憎まれ口を叩いた。
そりゃぁ彼女にとって深い部分に触れようとしているのだ。今日会ったばかりの、それも好感を抱いていない俺にどうして胸襟を開けよう?
しかし俺は図々しくも更にシャルロットの心に一歩踏み込む。
「何を言おうと絶対に笑わない。俺はシャルロットの味方だ」
「うっ……!」
近づいた分シャルロットは仰け反り遠ざかろうとするも、俺はその手を掴みソレを許さなかった。
ややあって戸惑いがちに口を開く。
「僕は──僕は認められたかったんだ。父上に、皆に」
「男であることが認められることに繋がるのか?」
分かりきった些細なことでも確認の意味を込めて、一つ一つ問い返す。
「君には分からないか。シャルティエ家は力を尊ぶ男性社会だ。女というだけでその地位は低い。父上が妻を娶っていないのがその証拠だ。まして僕は末子だ。掛けられる期待は薄い。だから、だからっ、僕は皆に認められるよう男として努力を続けてきたんだ──!」
思いの丈を吐き出して、彼女は荒い呼吸を繰り返す。
……本当にそうか?
シャルロットの努力を疑った訳ではない。男でなければ認められないという、シャルロットの中の前提を疑問視したのだ。
一聞して彼女の言い分は筋が通っている。いや、辻褄が合っていると言うべきか。
俺には「男でなければ認められない」という結論を出力するために、それまでの過程を無理に合わせているように感じた。
或いは”剣バラ”というギャルゲが現実になってしまった支障──「シャルロット・フォン・シャルティエは男装ヒロインである」というゲームの設定を無理くり現実に擦り合わせた結果による歪みなのかもしれない。
……まぁその仮説が合ってるかどうかはさておき。現実、今、目の前でシャルロットが苦しんでいる事実だけは確かだった。
──ここが剣ヶ峰だと、俺は覚悟を決めた。
今にも壊れてしまいそうなシャルロットへ、慎重に言葉を掛ける。
「なぁシャルロット。君はお父さんさ好きなんだな」
「……当たり前だろ。父を尊敬しない子がどこにいる」
そんな事を当然に考えるシャルロットは愛されてきた証拠だろう。
俺は手を握っていたのを良いことに、更にぎゅっと強く手を握った。シャルロットの肩がビクリと跳ねる。
「ならきっとゲラルト閣下も──お父上もシャルロットのことを大切に思ってるんだろうな」
俺の言葉はその実、シャルロットに問うてるのではない。ただ彼女自身が自問するように、気付きを促しているだけだ。
「っ、……正直分からないんだ。父上は確かに僕を大事に思ってくれているんだろうさ。だけど、父上がいつも僕に求めているのは女としての幸せで……」
ほら! そこ! そこだよシャルロットくん!
別に閣下は君に男になれなんて言ってないでしょ! そんな無理して男の真似なんてしなくても君は大切に思われてるんだって気付いてー‼
内心の叫びは、決して形にはしない。何故なら彼女自身が気付くのが重要だからだ。
……いや。或いはシャルロットが頑なに男であろうとするのは、もしかしたらだが、
何せ男であることは、彼女を成す重要なステータスなのだから。
俺は切り口を変えた。
「思うんだがシャルロット。君は性というものに自分を置き過ぎているんじゃないか?」
「……?」
何を言われているか分からないと、シャルロットはその美貌を不思議そうな表情へ変えた。
まー前世の概念だからなー。それすらも近年ようやく認められてきたっていうか。
この中世めいた世界では絶対に認められていないだろうその概念を、俺は語りかける。
「えーとだな、世の中にはクエスチョニングって人もいてだな」
「クエス──?」
「世の中には男だけど男性が好き、女だけど女性が好きって人もいるのは知ってるか?」
「……うん。父上の軍にも、そういう人は何人かいたよ」
あ、やっぱり? 男所帯だとそういうの多いのかしらん。うーむ?
素朴な疑問は置いておき、俺は話を続ける。
「あーそうそう。それでだな、時には身体と心の性が一致しない人もいたり、中には自分の性が分からないって人もいるんだ」
そこまで話すとシャルロットは目に見えて衝撃を受け、非道く狼狽えた。
「う、嘘だ! そんなの聞いたことがないっ」
──攻めどころである。俺は次々と言葉を雪崩打った。
「いや、ほんとほんと。そっちは異民族との戦い続きで知らんかもしれんけどさ、医学の進んでるヴァニラじゃ常識──って訳でもないが、そういう事実がきちんと認められてるんだって! だからシャルロットが女だとか男だとか、あんまし重要じゃないんだって、うん!」
「重要じゃないって、君ね……」
いやま、うん。俺も途中から何言ってるか分かんないからね。
随分と失礼な言い分になってしまったが、シャルロットは激することもなく只々呆れた顔を向けてきた。
そうしておずおずと。
「……ほんとう、なの?」
「ほんとほんと、本当だって! 嘘だったら俺のチンチン切ってもいいし!」
「チン──っ⁉ ばッ、なななな何を言い出すんだ君はっ⁉」
俺の軽口にシャルロットは顔を真っ赤にした。何を想像したのだろうか、いやさナニか、ははは。
……寒いオヤジギャグは置いといて。
シャルロットは大分心に余裕が出てきたようだ。だけど良い機会だ。この際彼女が抱えている不安を一切取り除いてしまおう。
「そうそう。ちょっと考えすぎなんだって? シャルロットはもう少しさ、自分のことを認めて、大事にしてやってくれよ」
軽い口調でそう言うと、重い心内が返ってきた。
「……だけど僕は、自分が好きじゃないんだ」
……まぁ、さっきの遣り取りだけで全部解決していたら良かったんだけども、そうはいかんわな。
「嫌いなのか? そんなイケメンなのに」
「こ、これはっ。……うん、嫌いだよ。だって女に見られるだろ?」
「俺は好きだよ。シャルロット」
「あ、ふぇ⁉」
問題の原因は彼女の自己肯定感の低さにあると感じた俺は、兎に角彼女を肯定することにした。
「可愛い──いや、キレイかな? そのダイヤの様な眼も、長いまつ毛も。黄金を連想させる髪も。ぷっくり瑞々しいその唇なんかキスしてやりたいね!」
「あわ、あわわわわわっ⁉ ばっ──君はバカなのか⁉ き、きききキスしたいだなんて! ばか、バカバカバカ‼」
「この掌の剣ダコだってシャルロットの努力した証だと思うと愛しさが溢れるね!」
「うわー‼ バカバカ止めて離して! エッチ! すかぽんたん!」
言って俺はシャルロットの白い手に不似合いな剣ダコに指を這わせ、撫でた。まるで愛撫と見紛う動きに、シャルロットは気の毒なほどに顔を赤くして、俺を振りほどこうと腕を振り回す。
……だが逃さん!
俺は殊更顔を引き締め、真っ直ぐにシャルロットを見詰めた。
「シャルロット」
「は、はひ」
俺の真剣な様子に呑まれた彼女は、抵抗を止めて正面から視線を受け止めた。
「お前さんが自分を愛せないっていうならさ、俺がお前を愛するよ。愛し続ける。いつかお前が胸を張って自分が好きだって言えるまで愛し続けてやるさ」
「っ~~~⁉」
「ふふん、俺を舐めるなよ? お前が俺とおんなじ墓に入るまでには絶対に自分を好きだって言わせてやるからな」
そう言い切って、俺は途端に恥ずかしさに襲われた。
時間差で汗が吹き出、顔面に血が集まってくる。
そんな俺を見てシャルロットは、一瞬きょとんとして、次いで火が付いたように笑った。
「……ふ、フフ、アハハハハハハ! なんだよ、なんだよそれ! ほんと、君って勝手なヤツなんだなフフフ! でも、……ありがとう」
怒ったような口調が照れ隠しなのはバレバレだった。
「……なんだいその笑みは。僕が感謝するのがそんなに意外かい」
「いんや。やっぱり笑ってた方が可愛いなって」
「っ⁉ バカ! 君ってほんとバカ‼」
「くふふ。罵倒の語彙が少ないところも可愛いよな。育ちの良さが隠しきれないっていうか」
「っっっ‼ し、仕方ないだろ! ……じゃぁ君が教えてくれよ」
「うーん、そうだなぁ。俺だったら「この変態下心丸出しスケベ野郎!」とか言うかな?」
「そ、そそそんな汚い言葉使えるわけないだろう⁉ …………君に向かって」
恥ずかしさの余り俯き、髪から垣間見える真っ赤な耳がシャルロットがどんな表情をしているか雄弁に物語っていた。
あー、やべー。なんか愛しさ大爆発って感じで。
憑き物が落ちたシャルロットの魅力は、テレサに負けていない。魅力の方向性はまったく違うんだけどさ。
「まぁさ、シャルロット。俺が言いたいのは、だシャルロット。お前さんが悩んでいたら俺も悲しいし、力に成りたいって思うよ。婚約者なんだぜ? 苦しみや悲しみは支え合って、楽しみは分かち合おうぜ」
「こんやく──っ⁉ ……うん、そうだよね。婚約者なんだもんね僕たちっ」
男だ女だに縛られなくなったシャルロットの口調は、作り物めいた王子様然としたものではなく、ただ年相応の、これまた少年だとか少女だとかからも解き放たれた実に魅力的なものだった。
いやー有意義な時間だった。
シャルロットの心に巣食ってた悩みも解決出来たし、仲もグンと深まったしで万々歳だねぇ!
──だから浮かれていた俺は完全に失念していた。
「……随分と長い少しでしたのね。楽しげな声がこちらにまで聞こえてきましたわ」
「げげぇー⁉ テレサ」
扉を開けると、全身で不機嫌オーラを発するもう一人の婚約者を。
時計のないこの世界、時間の感覚の便りは己のみだ。
楽しい時間はあっと言う間だが、その逆は長く感じるのは万国共通らしい。
五分か十分か。俺とシャルロットが話し合っていた正確な時間は分からない。
だがテレサには大層長かったようだ。
「げぇじゃありません! アーサー! あなたって人は、もう、もうっ! シャルロット、あなたも同罪なんですからね!」
「えぇ⁉ 僕まで⁉ とばっちりだよ⁉」
「だまらっしゃい! えぇ、アーサーおめでとう。新しい婚約者さんとも仲良くなれたようねっ。シャルロット、肩の荷が下りたようなスッキリした顔をなさっていますわ。良かったですわねっ!」
テレサの嫉妬が爆発している。もしかしなくても、俺に自分以外の婚約者が出来たというのは彼女の中で大きなストレスになっていたのかもしれない。
俺はもう平謝りするしかないが、テレサの機嫌は治らない。何でもすると言ってもお冠のままだ。
プリプリと。怒りが限界に達したテレサはとんでもないことを口にした。
「こうなっては、仕方ありません! アーサー‼ シャルロット‼ お風呂に入りますわよ‼」
は? 風呂? 一緒に? …………待って⁉ どうしてそうなるのっ⁉
前後の繋がりが全く分からず、俺は悲鳴をあげた。
「アーサーが教えてくれたのでしょう! は、裸の付き合い、というの? 良い機会です。一度きっちりと話し合う必要がありますね! シャルロットっ、あなたもですからね‼」
「だから何で僕まで⁉」
前世の余計な知識を教えるんじゃなかったと俺の後悔を他所にテレサの暴走は止まらない。
どこにそんな力が、という感じで俺とシャルロットはテレサに引き摺られてゆくのだった。
やべぇ──。何がやばいって、少し楽しく思っている自分がいるのがやばいわ。
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