第86話 寝耳に水は拷問ではないのか

 銃口からは未だ紫煙がくゆっている。

「……やり過ぎたか?」

 ──やり過ぎたな、うん。

 俺は自問を自己完結し、頬を伝う汗を拭った。

 今眼前には真っ二つに割れた雲海があった。モーセもびっくりである。

 サタナエルは毒使いだったらしく、多種多様な毒を、これまた多彩な技で繰り出してきた。

 麻痺毒や催眠毒、神経毒などを霧状や液、弾丸に変えて果ては毒で分身を作る有様である。

 ルキフェルの元へ逃げてくれる気配もなく、これが時間稼ぎならサタナエルは十分勝負に勝っていることになる。

 ──焦りがあったのだろう。

 神格が上回っている俺にサタナエルの毒は効かなかったが、大勢の分身からあちらこちらから毒をぶっ掛けられて、いい加減鬱陶しくなった俺は一度に薙ぎ払う決意をした。

 その結果がこの有様である。

「……やり過ぎたよなぁ」

 後頭部を掻きながら、もう一度目の前の光景を見る。

 俺が魔力をたらふく注ぎ込んだ光線はサタナエル諸共雲海を薙ぎ払い、すっかり見晴らしをよくさせていた。

 幸いここは空の上。人的および物的被害は一切無い。……地上で撃っていたらと考えると冷や汗が流れる。

 サタナエルはどうなったのだろう? 直撃の瞬間、脱したようにも見えたが。自身の放った光線の威力にビビり追跡するという目的を忘れてしまった。

 仕方ない。撃退出来ただけでも良しとしよう。

 気持ちを切り替えて俺は城へと舞い戻った。

 以前テレサに見付かった時のようなヘマはもうしない。細心の注意を払いながら宛てがわれた客室の窓から城内へと戻る。……よし、誰にも見られていないな。

 変身を解き客室を出て、テレサに向けて『囁きウィスパー』を発動する。

(あー、テレサさんテレサさん? 聞こえていましたら返事をしてくださいどうぞー。……ダメか)

 通常時の『囁きウィスパー』の射程は、せいぜい一〇メートルほどである。

 侍女長ヘレンの『念話テレパス』に比べれば射程は味噌糞である。俺は『囁きウィスパー』でテレサに語り掛けながら、その足を宝物庫へと向けた。

 ──城内は静寂を取り戻していた。しかし所々に戦闘の跡が見受けられ、また時折通路の端々に未だ片付けられていない遺体が転がっている。

 宝物庫へ近づくにつれ、静寂は喧騒に取って代わられていく。

 忙しなく兵士らが戦後の処理に追われているのを横目に、ついにテレサが『囁きウィスパー』に応えた。

(……ーサー⁉ アーサー⁉ 今まで何をしていたんです⁉)

 彼女の声の大きさに思わず耳を覆うも、脳内に直接語り掛ける『囁きウィスパー』に意味は成さず。

 俺はちょっとだけ眉根に皺を作りながら答えた。

(あー、それも含めてお互い何があったか話し合いたいんだけど。今どこ? もうすぐ近くにいると思うんだけど)

(……そう。お話したいことは一杯ありますが、まずは合流してからですね。もう私達がこの場に居る意味は無いと、丁度宝物庫を出たところで──あ)

 宝物庫を出たというテレサ。対して俺はそこへ向かっている訳で、必然顔を合わせることになった。

「やーやーテレサ──ぐえ」

「もう! またどこかへ行ってしまわれて! もう、もうっ!」

 遠目から見ても、彼女の不機嫌が分かった。

 俺はそれに気付かないフリをしてお気楽に手を上げたところで、テレサが突撃してきた。

 と言っても体重の軽い彼女を受け止めるのは容易い。今はテレサの方が背丈があるにしても、だ。

 悲しいことに俺の胸の中──という訳にもいかず。抱きついてきたテレサの対応に窮していると、「……心配していましたのよ?」との呟きと共に見てしまった彼女の儚げな表情。

 気付けば俺は、左の腕を彼女の腰に回し右の手を彼女の顎に添え──。

「……んん、こほん!」

 突き刺さるような視線を感じた。

 ──シャルロットだ。いや、ばかりか周囲の兵士も作業の手を止めこちらを注目していた。

 俺たちは弾かれたように離れた。

「……仲がいいのは結構だけどさ、今はそんなことしてる場合じゃないんじゃないかな?」

 おっしゃる通りで。主に俺に注がれるシャルロットのジト目から逃れるように、俺はテレサへと向き直った。

「そ、それで。こっちは何かあったのか?」

「えぇ。……ここでは少し。シャルロット、あなたにも関係ありますのよ」

 まだ少し顔の赤いテレサが周囲を見やり、声のトーンを落として答えた。

 そうして蚊帳の外に置かれていたシャルロットが、急に話を振られたことでびっくりしていた。


◇◇◇


 どこへ連れてゆかれるのだろうと、テレサの先導に従って付いて行った先は、あろうことか義父ムスタファの客室であった。

「来たか」

 義父は俺とテレサ、そしてシャルロットの姿を確認すると鷹揚に頷き、俺たち三人以外の人間を全て下がらせた。

 ついさっき襲撃されたというのに無防備が過ぎないか? そう、困惑する俺以上に強い戸惑いを見せるのはシャルロットだった。自分がここに呼ばれた理由が分からないのだろう。

「三人とも、まずはご苦労だった。アーサー、きちんと守れたみたいだな」

「あー、まぁ、その」

 風格を伴った義父の労いに、俺は曖昧に頷く。

 仕方なかったとはいえ、サタナエルの相手をするのにテレサらから目を離していたからだ。

 そんな俺の心を見透かしたように、義父の目が細められる。

 忘れがちだが、義父もテレサ同様に”診眼”持ちなのだ。一体どれだけ内心を見抜かれているか、考えるだけでも恐ろしい。

「それとシャルロット。君も突然のことだったろうが、応じてくれて感謝する」

「いえ、僕は──。……騎士として当然のことをしたまでです」

 義父は俺に向けた厳しさを潜めさせ、シャルロットに優しく語り掛ける。と言っても鉄面皮な義父の変化に、シャルロットが気付けたかは不明である。俺だって家族付き合いしてなければ義父の機微なんて分かりやしないし。

 シャルロットは一瞬苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、すぐさま真面目な顔を作った。

「さて──何から話したことか」

 本当に珍しいことに、迅速果断を是とする義父が口籠った。

 助け船を出したのは意外にもシャルロットだ。

 騎士として貴族としての仮面を被り直したシャルロットが、決然と口を開いた。

「でしたらテレンス卿。僕が呼ばれた理由を教えていただきたい」

「うむ。そうか、そうだな……」

 だのに義父の歯切れは悪い。本当に珍しい。

 そうして義父は諦めにもにた溜息を吐いた。

「シャルロット、まず君に言っておくべきことがある。本来ならこの場にはゲラルトも居たはずなのだ。つまりだ、今から話すことは既に君のお父上にも話が通っていると、そのことを念頭に聞いて欲しい」

 中々に本題を切り出してこない。

 十二分以上の念の入れように、知らず俺まで生唾を飲み込んでしまう。

 そして義父は衝撃的な事実を告げた。

「──君とアーサーの婚約が決まった」

 ……は? 今なんて?

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