第78話 一難去って二難去って

 ゲラルトと凡そ二〇十メートルの間隔を開けて向かい合う。

 弓をメインに扱うには近く、かと言って一息で間を詰めるには遠い。しかし互いに身体強化を施した肉体で突撃をすれば瞬きの間に失せる、そんな距離だ。

(二呼吸、ってところか……)

 魔法は誰が使っても同じ威力、効果は発揮する。では身体強化は?

 身体強化もまた例に漏れない。誰が使おうが、同じ係数が掛かる。

 ──そう、係数である。元の身体能力に同じ倍率が掛かるのだ。

 言い換えれば元から優れた身体能力を有していれば、その強化の幅は大きい。

 ゲラルトは甲冑フルプレートを着ているも、彼はその重さをまるでえ感じさせなかった。アーサーと元々の身体能力を比較すれば、当然の如くゲラルトに軍配が上がるだろう。

 この限られた空間である練兵場。円形故に上手く動けば壁に追い詰められることは無いだろうが、元々の肉体性能差を鑑みれば逃げ切ることは難しいだろう。

 そうして掴まるまでに二呼吸だと、アーサーは断じた。

 今回はシャルロットとの決闘の時のような審判役は居ない。

 故に分かり易い始まりの合図も無かった。

(……くっそ、キリがないな)

 互いに相手と見合ったまま、一分か? はたまた十分か? 時間の感覚が馬鹿になるほどの緊迫した空気に包まれたまま、アーサーは動くに動けなかった。

 ゲラルトも同様であった。

 普段の粗野な態度から猪武者を連想させるが、こと戦闘に関しては彼は非道く冷徹であった。

(おいおい、マジかこのガキ……)

 甲冑の下、ゲラルトの肌を冷たい汗が流れた。

 十メートルほどの距離、彼は二歩で詰め寄る自信がある。だがその一歩目で、あの弓が火を吹くのは火を見るより明らかであった。

 娘との決闘を見てゲラルトはアーサーを「剣も使える魔法使い」と断じた。

 珍しくはあるが、剣と魔法、両方を巧みに使う者もいる。その大抵は剣か魔法か、どちらか片方に寄っているものだが、アーサーは魔法寄りの剣士だと感じた。

 ただの魔法使いであれば距離を詰めるのがセオリーなのだが、アーサーの馬鹿に出来ぬ剣の腕がゲラルトに二の足を踏ませた。

 何せ一人前の騎士を打ち負かすシャルロットと、曲がりなりにも打ち合えるのだ。しかも明らかに手を抜いた上で、だ。

(……マジで全属性使えるのか?)

 ムスタファからの話によればアーサーという少年は基本四属性、複合四属性全てを使えるというではないか。そんな人物、歴史を紐解いても聞いたことがない。

 ばかりか、回復魔法などの特級分類の魔法まで使えるとなれば魔法の申し子と呼べるだろう。

 シャルロットの決闘時、宮廷魔術師の爺さんヘルヘイムが興奮していたのも頷ける。

 そして、アーサーを厄介たらしめる最大の要因が、先程投げ渡したクロスボウだ。

 ゲラルトは「失敗した」と内心舌打ちをする。

 既に一射目のボルトが装填されたクロスボウは、まず間違いなく、自分が動き出した瞬間に射たれるだろう。

 既に自領で北方民族相手に弩兵を導入しているゲラルトは、クロスボウの性能を熟知している。

 彼からすれば撃ち出された矢の速さ、威力は脅威ではない。避けるも容易く、斬り払うどころか掴み取る自信さえ在る。

 問題は──。

(魔法を付与された場合だな。かーっ、面倒くせぇ‼)

 ムスタファの話が事実だとすればアーサーが付与出来る魔法の数は、多い。

 歴戦の戦士であるゲラルトはどんな魔法でも即応する自信があるが、それでも厄介な事には変わり無い。

(先手は確実に取られるな。さて小僧はどうでる? まず間合いを取るか、魔法を、矢を射つか──?)

 視線は油断なく相手を捉えたまま、ゲラルトはあらゆる戦況を想定し──。


 ──何を合図にしたのかは解らない。はたまた全くの偶然だったのかもしれない。


 だが、二人は確かに同時に動いた。

 アーサーは大きく後方へ跳び、ゲラルトは盾を構えたままで全力の突進を敢行した。

 やはり元の身体差は大きい。互いに身体強化を施していようも、アーサーのステップよりゲラルトの突進の方が速い!

「おおぉぉぉぉぉぉっ‼」

 咆哮をあげながら猪突するゲラルト。その瞳は狂気と冷静を綯い交ぜに有している。

 そうして先手は矢張り、アーサーのクロスボウだ。放たれた矢は魔力を含んでおり、何らかの魔法が付与されている。

 ──躱すか落とすか。果たしてゲラルトの脳は、混乱した。

 射線が、明らかに外れているのだ。丁度自分の足元に刺さる軌道を描いていた。

 見極め違えたか? いや──。

 逡巡を振り切りゲラルトは猛追する。

 アーサーは未だ滞空しており、丁度彼の着地と同時に距離を詰められる──筈だった。

詠響エコー泥沼スワンプ』!」

「うおっ⁉」

 アーサーの声が響くと同時に、身体が傾いだ。

 見る必要は無い。泥沼と化した地面に足首が取られたのだと、ゲラルトは経験から判断した。

 てっきり攻撃魔法が付与されるものだと思っていたが、初手から搦め手とは厭らしい子供だ。

「この程度‼」

 スピードを主軸にした戦術を駆使するイルルカであれば、この時点で彼の戦力は大幅に減る。

 だがゲラルトが泥を跳ねのけ、その速度を僅かに落とすに留めた。

 距離も半ばまで詰め寄ったところで、アーサーが第二の魔法を放った。

「『氷嵐アイストーネード』‼」

「な⁉ 足が⁉」

 前方から猛烈な寒波が吹雪く。

 ゲラルトの甲冑には耐魔属性が付与されている強力な魔導具だ。故に『氷嵐アイストーネード』自体からはそれほどのダメージを齎せられてはいない。

 だが、水を多分に含んだ泥土が、ゲラルトの足ごと見るまに凍りついてゆくではないか。

 土魔法使いは風魔法を使えない──当然水と風の複合属性である氷魔法など、以ての他である。常識の埒外である戦術であるが故に、ゲラルトの心理的盲点を突いた。

 完全に足の止まったゲラルトにアーサーは容赦なく追撃を入れる。

「『岩弾ストーンバレット』!」

 初級魔法とて侮るなかれ。魔物を屠るには時に不十分ではあるが、人一人を殺すだけならば初級魔法は十分な威力を持っていた。

(さすがに殺しちゃうとマズいしなー……。見たところあの甲冑は随分良いものそうだし、『岩弾ストーンバレット』なら骨折程度で済むだろ……)

 十分安全なマージンを取りアーサーは容赦なく『岩弾ストーンバレット』を雨あられと浴びせる。

「ぬうぅ! 小癪!」

 足の自由が利かないというのに、ゲラルトは木盾と木剣を巧みに使い降り注ぐ全ての岩塊を叩き落す。

 アーサーの理想とする展開──相手の優位を潰し己の優位を押し付ける展開がそこにはあった。

 この一方的な展開になれば、アーサーは負けない自信があった。その慢心は油断を招いた。

「舐めるなガキがあぁぁぁぁぁ!」

「うぇ⁉」

 ゲラルトが猛り吠え、木剣を地面に叩き付ける。

 既に足場は柔い泥ではなく硬い氷と化しており、ゲラルトの一撃は両の脚を拘束していた氷を叩き割った。

「ぬぅああぁぁぁぁぁっ‼」

 そして自由を取り戻したゲラルトは獣の如き咆哮を上げ、足場の氷を踏み砕きながらアーサーへと迫る。

 既にアーサーの魔法の発射間隔を覚えたゲラルトは、致命傷となる岩塊のみを的確に叩きダメージ覚悟で突っ込んで来る。

 アーサーもまた距離を取ろう魔法を放ちながら後退する。矢をつがえる暇などない。

 矢張りというか、身体能力の面ではゲラルトに分があり徐々に距離を詰められる。

「っ! 『鉄壁アイアンウォール』!」

「おぉっ⁉」

 背後に練兵場の壁が迫ったところで、アーサーが魔法を唱えると二人をわかつように金属の壁が迫り上がった。

 ゲラルトは正面から打ち破ろうとして──この手にあるのが愛剣ではなく訓練用の木剣である事実に舌打ちした。

 となるとゲラルトの取れる選択肢は迂回するか、はたまた飛び越えるかだが。

 逡巡する間もなく、ゲラルトの足元の地面が大きく膨らんだ。

 彼は頭で考えるよりも早く、その場を跳び離れた。すると間をおかず鋭い木の根が現れ、鞭のようにしなりゲラルトを拘束せんと襲いかかった。

「がはは! 面白ぇガキだ!」

 互いの視界は金属の壁に遮られている。

 だが、木の根はゲラルトの位置を正確に把握し空を裂きながら襲い掛かってくる。

 これはアーサーが『探知サーチ』を併用しているからこその技で、出来ればアーサーとしても使いたくはない手だ。何せ魔法のリソースは二つしかなく、『身体強化』を切る必要があるからだ。

 壁を背にしたアーサーは今や、年相応身体能力しか有していない少年でしかない。

 その事実がバレる前に、今一度主導権を握り直したい。

 だが、最初こそ木の根から逃げたゲラルトだが、今の彼は両の盾と剣を巧み使い襲い来る根を打ち払っている。

 どころかゲラルトは壁を避けるように大きく迂回しながら、再度間合いを詰めようとしてきている。

 アーサーは脳裏で『探知サーチ』と『根縛バインドロット』を維持しながらクロスボウに矢をつがえた。

(射線が通った瞬間に射つ……!)

 出来れば魔法の一つでも付与したいところだが、既に魔法のリソースはいっぱいである。

 そしてクロスボウを構えアーサーはその瞬間を待つ。

 脳内の光点の動きをつぶさに観ながら──射った。

 急造の鉄壁の端を擦るかのような、正にギリギリの射角である。ゲラルトからすれば横合いから突如矢が現れた様に見える──筈だった。

「っ⁉」

 ──射線が通った瞬間に。考える事は同じだった。

 迂回を果たしたゲラルトがアーサーの姿を捉えると、彼は即座に木盾を投げ飛ばした。

(やばっ⁉)

 強化されたゲラルトの膂力で投げられた盾は、下手すれば人の胴を真っ二つにするほどの威力を持っているのでは? そんな考えが浮かんでしまう程に、空気を裂く轟音が聞こえる。

 対して強化をしていないアーサーの目は捉えるのに時間を有し、理解と反応に遅れ、最早避けるだけの猶予は無かった。

「っぅ!『鉄皮アイアンスキン』‼」

 唱えた瞬間アーサーの目の前で火花が散った。

 脳が揺さぶられ危うく意識が飛かける。

 だが、ギリギリで間に合った。

 ガギンと、本来人が発さない甲高い音を響かせ盾が弾かれる。

「もらったあぁぁ‼」

 その致命的なまでのスキを、歴戦の勇士は見逃さなかった。

 放たれた一射を掻い潜りアーサーの目の前に迫ったゲラルトは、その木剣を容赦なく振り下ろそうとして──。

「父上! 右!」

「っ⁉」

 娘の声にゲラルトは釣られて顔を向けるが、しかし──。

「あ……?」

 ──何も無かった。

 てっきり小癪な小僧アーサーが何某か手を打ったのかと思えば、何も。

 ただ、見守る観客の中にシャルロットの姿が見えた。

 ──『囁きウィスパー』。対象だけに声を聞かせる魔法である。娘と思った声こそが、アーサーの手であった。

 今度致命的なスキを晒したのはゲラルトの方だ。

 視線を外したそのスキに、アーサーはゲラルトの懐へ入り込み最大の魔法を唱える。

 最早殺すとか否かは考えない。

「しまっ──」

「『炸雷撃ショットガンボルト』‼」

「がはぁぁぁっ⁉」

 甲冑に手を添え、アーサーは己の最大の威力を持つ魔法を放つ。

 金属製の甲冑を貫通し、ゲラルトの肉が焼ける臭いが立ち込める。

 そして断末魔の如き苦悶の声をあげ、王国一の騎士はついに膝を折った。

「はぁ……、はぁ……」

 紙一重の勝利を前にアーサーは勝利の余韻など感じる余裕はない。

 ただ倒れ伏したゲラルトが死んでないかだけが心配で。

 八歳児が王国最強の騎士を打ち倒したという事実に、練兵場は奇妙な沈黙に包まれていた。

 その時だ。


 ──夜の王城に静寂を切り裂くけたたましい警鐘が鳴り響いたのは。

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