第77話 続・決闘

 ──は? 何と言ったんだこのおっさんは?

 ……いや、本当はちゃんと聞こえていたのだが、脳が言葉の理解を拒んだのだ。

 木剣を担いだままゲラルトは髭面をニヤリと歪め、俺の耳元で囁いた。

「アーサーつったか。気付いてるんだろ? 今回の決闘が、お前さんの有用さを示すデ、デモ──えーなんだ」

「デモンストレーション?」

「そう、それだ!」

 シャルロットにすら聞こえぬよう小さな声で、俺の指摘にゲラルトは大きく頷いた。

 はー? 何の為に?

 俺はシャルロットを見る。痛みはすっかり引いたか、その端正な顔は只々俺たちの遣り取りを不思議そうに見ている。

「で、だ。シャルロットとりあってるお前さんを見てりゃ強いのは分かるんだが、あのムスタファがそうまで自慢する程とは思えねぇ。手加減してたんだろ、ん?」

「いやまぁ……」

 シャルロットを前に答えにくい事を、ズケズケ踏み込んで来る熊さんだ。

 彼の指摘は事実であり、否でもある。限られた手札の中では、かなり本気で戦ったつもりだし、剣の腕では負けているのも事実であった。

 ……まぁ、手札を縛っている時点で本気ではないと言われればそうだけども。

「ほれ」

「って、うわ!」

 投げ渡されたソレを反射的に受け取ると、愛用のクロスボウだった。

 その時点で、義父が茶番に噛んでいるのが確定した。

 俺は義父にジト目を送るも、あの人は鷹揚に頷くばかりで。え、その頷きは何を意味してるんですか?

「そいつを作ってくれたのもお前さんなんだってな。いやぁ、助かるわ。北方連中、馬の上から弓を射りやがって、俺たちの射程外から一方的に攻撃してやがってきてな」

 ゲラルトが忌々し気に吐くそれは、弓騎兵というヤツだろう。

 馬の加速力を加えることで弓の射程、威力を上乗せする厄介な兵である。仮に王国と北方騎馬民族の弓の性能が同じだとしても、弓騎兵であれば射程外から一方的に攻撃を加え、更に離脱することも容易い。

「だがコイツのおかげで随分と楽になった。アイツら、自分のお株を奪われて顔を真っ赤にしてたぜ? がはは!」

「はぁ……」

 お株を奪ったということは弩騎兵でも運用し始めたのだろうか?

 弓騎兵と弩騎兵は似て非なる者であろう。……まぁ専門家じゃないのでどう違うのかはよく分からんけど、発想と着眼点は流石だよなぁ。これが前線で戦い続けている将軍か。

 というか大分元の話から逸れている。

 ゲラルト気が逸れている今の内、そっと距離を取ろうと試みたが──出来ない……!

「じゃ、るか」

「うっ」

 俺の浅知恵などお見通しだと、素振りを見せた瞬間木剣の切っ先が鼻先に突きつけられる。

「お待ちください父上! 私はまだ戦えます!」

「はぁ、あんまし失望させんな。決着はついた。それに、怪我が癒やしたのは誰だ? それで剣を振るうって? は、笑わせんな」

「で、ですが王国最強の騎士たる父上が相手をする程の者では……」

 そう言って俺に向けたシャルロットの目には嫉妬とも憐憫ともつかぬ色が見えた。

 えー……? 王国一強い人とか相手にしたくないんだけど?

 内心戦いたくない俺はシャルロットを応援していると、深い溜め息が耳に届いた。ゲラルトの、目に見えた大きな失望だった。

「実際に剣を交えてもまだ実力差が理解出来てないのか? これが実戦だったらお前はとっくに殺されてるぞ。いや、殺されるならマシだ。……この意味ぐらいは、さすがに分かるよなぁ?」

 父親から容赦のない鬼気を浴びせられ、シャルロットは己を掻き抱いて震えた。想像したのだろう。敗残兵の、男と女の扱いの違いを。

 幾ら自分を男だと嘯いたところで、シャルロットの身体はどうあっても女性なのだ。それを理解しているからこその恐怖であり、またそこで男だと声高に言えないのが彼女の限界なんだろう。

 ……なんだか腹が立ってきたぞ。

 結局シャルロットがどう動くかなんて、親連中にはお見通しで、更には結末までも解っていたようだ。貴族らしいと言えばそうだろうが、彼女の決意はどうなる?

 そう、一度考え始めたらふつふつと怒りが湧き出、気付けば俺の口は勝手に言葉を紡いでいた。

「シャルロット様、下がっていてください」

「なっ⁉ いいや分かっていないね君は! 父上の強さを! 伊達にあの人は北方の雄などと呼ばれていないっ。あの人が出た戦は未だ無敗! 常勝を体現した存在なんだっ!」

 俺がやる気を見せるとシャルロットは悲痛な声をあげた。

 それは紛れもなく俺を心配してのことだろう。

 なんだかんだ優しいんだよなぁ……と、俺の口元に笑みが浮かぶ。

 俺は受け取ったクロスボウを指先でくるりと弄び、シャルロットを安心させるためにあらん限りの微笑みを向けた。

「いやま、ちょっと君の純情を弄んだ悪い大人にお灸を据えてやらないとね」

「っ、……う、うん」

 そう言うとシャルロットは意外にも素直に頷き、練兵場の隅へと移動した。

 俺はというとゲラルトへ向き直り、彼が意地の悪い笑みを浮かべているもので眉を潜めてしまう。

「あぁ、ムスタファのヤロウが言った通りだわ。くくっ……!」

「はぁ……、ちなみに義父ちちはなんと?」

「がはは! とんでもないだってな!」

「うへ……」

 解せん。俺が誑した相手と言えばテレサとアカネさんぐらいじゃないか? アオイちゃんはイルルカに夢中だし、ノエルは何か知らん間に惚れられてたけど──って待てよ? さっきの俺の行動に何処に要素があるというのだ?

 先程この場に居たのは俺とゲラルトと、そしてシャルロットである。シャルロットが女であるのはシャルティエ家の秘中の秘であろうに、言うならと言うべきだ。

 ……嫌な予感がする。

「おっと、お喋りはこのぐらいにしておくか。いい加減俺もお前さんの強さを目の当たりにしてウズウズしてたところだ」

 言ってゲラルトは木盾と木剣を構え、その構えはシャルロットと全く同じであった。発する圧は比べ物にならないが。

 気圧されそうになるの腹に力を込め堪らえ、アーサーもまた、木剣と愛用のクロスボウを構えた。


 ◇◇◇


 アーサーとシャルロットの決着はあっという間であった。

 武術の心得がないノエルの目には終始シャルロットが優勢に見えたのだが、アーサーが魔法を使い始めた途端、二手三手でシャルロットに致命打を与えてしまった。

 だらりと、不自然に垂れ下がる腕はどこをどう痛めたのか、ノエルは想像するだけで痛々しく顔を顰めてしまう。

 そしてアーサーが回復魔法を使ったことで、ほっと胸を撫で下ろす。

 周囲の者は敗者へ情けを掛けるとは惰弱だとか、心無い者もいるがノエルの目には純粋な優しさにしか見えなかった。

 勝負の始まる前、テレジアはしきりに「大丈夫」だと言っていたがこのことか。

 ……そうまで信頼出来るというのが、羨ましくもあり妬ましくもあった。

 この胸中に芽生えた、アーサーへの想いの正体をノエルは知っていた。

 だが、同時に叶わぬことも知っている。

 故にこそ、秘しておこうと決心していたのに彼と出会った瞬間、その決心は早くも揺らぎそうになった。まったく、自分の甘さに嫌になる。

 実際のアーサーは、写真という精巧な画よりも精悍で何倍も魅力的に見えた。

 また夜会の最中、常にテレジアを気遣う素振りを見せていて、彼女が手紙に自慢を連ねるのも理解出来る。

 ノエルは初恋と共に、同時に嫉妬という感情を知った。

 甘く、心地よくも苦しい恋と違い嫉妬は只々、どろりと重く苦しいだけで。

(こんな気持ちになるぐらいなら、恋なんて知りたくなかったわ……)

 ノエルはぎゅっと胸元で拳を握った。

 そうして微かに息を吐き平静を取り戻すと、妹のような少女へ向き直る。

「良かったわねテレジア。アーサー様が勝ったみたいで──テレジア?」

「……」

 テレジアは喜ぶどころか、練兵場を睨んでいる。

 何だろうと彼女の視線の先を追うと、練兵場の中央、アーサーとゲラルトが話し合っているが、……様子がおかしい。

 決着がついたというのに、誰も戻ってくる気配がない。

 観客席からではその内容までは聞こえない。

 だがゲラルトが木剣を構え、またアーサーも距離をとって木剣とクロスボウを構えたところで、ノエルとて何が始まるか理解した。

 ゲラルトは王国一と名高い騎士、幾度も北方からの侵略者を撃退し続けている生きた伝説である。

 ──止めないと!

 その思いがノエルを突き動かし、彼女は我を忘れて客席から飛び出そうとする。

 しかし彼女を止めたのは誰あろう、アーサーの婚約者ではないか。

「大丈夫ですよお姉さま」

「何を言っているのテレジア!? 相手はあのゲラルト様よ⁉ あなたはアーサー様が心配じゃないの⁉」

「えぇ、心配といえば心配ですけど。……やり過ぎないか」

 そしてテレジアは耳を疑う言葉を言い放った。まるでアーサーが勝つのを信じて疑っていない。

 そんなテレジアにノエルは、信じられないという感情よりも、強い嫉妬を覚えたのだった。

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