第74話 ノエル

 ”剣バラ”の四人いる攻略可能ヒロインの一人、ノエル・フォン・ノクタヴィア。

 彼女は箱入り令嬢であり、性格は温和で清廉潔白で、学院では淑女の中の淑女として女生徒から「お姉さま」と慕われるキャラクターである。

 また、能力面に於いても成績は学年トップ。剣の腕前も騎士顔負けで魔法も扱えるとなれば非の打ち所がない。

 一見して欠点など無さそうなノエルだが潔癖とも呼べる公明正大さだろう。

 それ故にノエルは、ユークリッド王国の建国──救国の聖女を裏切りその犠牲によって成り立った事実を知った時、己の価値観が崩れてゆくのを感じた。

 果たして今まで信じてきた世界は、優しさは真実なのだろうか? 生まれた疑念が、彼女の”呪い”を萌芽させた。

 血迷う、なんて言葉があるように、人は時として愚かさに手を染めることがある。

 ──”罪の種ギルティ・シード”。ノエルの”呪い”はそんな愚かさを助長する悪魔の囁きにも似た能力だった。

 ”罪の種ギルティ・シード”人の心の奥底に潜む悪意を、ちょっとだけ助長する。それだけ聞けば大した事は無いが、”罪の種ギルティ・シード”は完全に能力の管轄外であった。

 ”呪い”が開花したノエルの周囲の人間は誰某と関わらず”罪の種ギルティ・シード”が植えられ、更に厄介なのは第三者へ感染するところだろう。

 おそらくノエルの、人間は信じるに足るか否かという潜在意識が多分に反映されたこの”呪い”、すぐに効果が現れる訳ではない。

 少しずつ、少しずつ。岩に水が染み入るように月日を掛けて、ノエルを中心に周囲の人間は人格を改悪されていった。

 男たちからは劣情の目を向けられ、女たちからは嫉妬と敵意の視線に晒され。

 ──あぁ、やっぱり。人間なんてこんなものかと、ノエルの心は冷めてゆく。

 一方で、箱入りとして育てられた彼女の精神は柔く、ノエル自身知らない内に限界を迎えようとしていた。

 そんな中、彼女の支えとなっていたのは主人公である。

 純朴な主人公には”罪の種ギルティ・シード”の影響を受けぬ唯一の人物であった。

 悪意の無い人間なんてほんとにいるのか、と。甚だ疑問だが、作劇上の都合というヤツなのだろうが、ちょっと無理が過ぎるのではないか?

 ……まぁそんなこんながノエルルートの概要な訳で。ノエルの”剣バラ”ヒロインの中での危険度は二番目と言ったところか。一番はメインヒロインの王女なんだけども。 


◇◇◇


 非公式な夜会だという話だった。

 小さな晩餐会と聞いていた。

 だが、大広間に入ると溢れんばかりの人と贅を尽くされた料理の数々が、狭しと並んでいるではないか。

 ほれ見たことかと、アーサーは王族と庶民との間の、隔絶した価値観を感じた。

 まぁ正式な夜会であれば入場の順だとか席順だとか、一つ一つに細かい決まりがあったりす訳で。そのようなものが見られない今回の夜会は、そういう意味で非公式になるのだろうか。

 立食形式のパーティーは、そこかしこのテーブルに人が集まり歓談に興じている。

 その誰もが高価な衣服に身を包み、また誰も目が笑っていない。

(うわ、どこもかしこも腹の探り合いをして。やだねー貴族って奴は)

 大広間への扉を潜った瞬間、中を見たアーサーの感想がソレだった。

 そのアーサーだが、今はテレジアと一緒に壁の花になっている。いや、花はテレジアだけでアーサーは壁の染みといったところか。

 参加している人間は大人ばかりで、ムスタファは広間へ着いてすぐ、ピエールを伴ってどこかへ行ってしまった。去り際に「余計なことはするな」という強い視線を感じたのは、多分気のせいでは無い。

 ちらりと、そのムスタファを伺い見る。

 彼はピエールと、更に別の男性二人と何事か話している。その内一人は冠を頂き、この国のトップであるのが容易く分かった。

「……テレサは何か食べたいものとかある?」

「……ねぇアーサー」

「どうかしたの?」

 手持ち無沙汰になったところで、アーサーはテレジアへ話し掛けた。

 ムスタファもまさか、夜会に出席させて何も食べるなとは言うまい。

 見るからに高級食材をふんだんに使った料理である。興味があるのも確かだが、それ以上に先程から様子のおかしいテレジアとの間にある沈黙に耐えかねての発言であった。

 そのテレジアが、意を決したように口を開いた。

 アーサーは彼女を安心させてやるよう、努めて優しく答える。

「その、例えば──例えばですよ? 今、アーサーの目の前に、あなたに好意を抱く素敵な女性が現れたらどうします?」

「……」

 質問の意図が解りかねる等ととぼけられれば良かったのだが、アーサーはテレジアの指す女性が誰か解ってしまった。

(ノエルかー……。いや綺麗な娘だと思うよ? イコール好きかって言うとそうじゃないし、だからって嫌いって訳でもないし……)

 何とも答えにくい質問である。

 故にアーサーは真っ直ぐにテレサを見詰め、素直な気持ちを吐露することにした。

「……そうだな。テレサが言う素敵と俺が考える素敵が同じとは限らないだろ? テレサの言う素敵な女性ってのが、俺の琴線に触れるかっていうと、そうとは限らないだろ?」

「それはっ! ……その、私よりも綺麗で私よりも優しくて。私よりも才能に溢れている、……本当に素敵な女性ですの!」

 そう、悲し気に苦し気に。言いたいくはないと心情を吐露するテレジアを見れば、彼女がノエルにかなりの劣等感を抱いているのが解った。

 ノエルはゲーム内では欠点らしい欠点の無い才女であった。おそらくこの世界でも、そう変わらないのだろう。

 一方テレジアは、凡才である。少なくとも彼女自身はそう思い込んでいる。

 確かに、貴族の資質だけを見れば若干頼り無さが否めないが、アーサーはテレサのそんな甘さが好きだった。

 テレサが自分に自信がない理由。それは幼少の時から、ムスタファの愛を信じられて居なかったことが大きいのだろう。

 俺はテレサを安心させるべく、彼女の指先を、掌を、そっと包んだ。

「あ……」

「というか、だ。少なくとも今、目の前に、俺に好意を抱く素敵な少女がいるわけで。これ以上望むのはバチが当たるってもんでしょ」

「も、もうっ! 何を言ってますのアーサーはっ」

 ぷいっと、テレサはそっぽを向いてしまった。

 嫌がってる訳ではあるまい、彼女は手を振りほどこうとはしない。何より髪の隙間からは真っ赤になった耳が覗いていた。

 心地よい沈黙が二人の間に流れる。

「──御機嫌ようテレジア」

「の、ノエルお姉さまっ」

 俺とテレサは弾かれたように距離を取った。

 緩いカールの掛かったプラチナブロンドの美少女、ノエルが少し困った風に微笑んでいた。

「もう、テレジアったら。そんな驚いてはしたないわよ? アーサー様も、御機嫌よう」

「……御機嫌ようノエル様」

 つい先程話題に上げていた──明確に名前を出したわけではないが──人物の登場に、落ち着くのに一呼吸を要した。

 今のノエルは、会った時の緊張した様子は微塵も見えない。

「お姉さま……、どうか、なさいましたか?」

 テレサの指先が、僅かに俺の袖を摘んだ。

「寂しいことを言わないで可愛いテレジア。先程はあまりお話出来なかったじゃない。お手紙をくれたでしょう? ふふ、とても面白い内容が沢山でお話がしたかったの───あっ!」

 そう言ってノエルは手紙を取り出した。

 その際に一緒になって、別の何かが床へ落ちた。

「あ、あのアーサー様⁉ わ、私が拾いますので──!」

「あぁ、いいんですよ。こういう些事を綺麗な女性にやらせる訳には……って写真?」

「あぁ、うぅ……!」

 もう一枚の正体は、俺とテレサが仲睦まじく寄り添い合っている写真だった。

 手紙と一緒にノエルへ手渡すと、彼女はまたも顔を真っ赤に俯いてしまった。

 写真のちょっとくたびれ具合に、察した俺は何とも微妙な顔をしていたことだろう。

 くいと袖を引かれて、見ればテレサが不安げな顔をしているではないか。

 大丈夫だよと微笑みを返そうとして──。

「おぉ、そこに居るのは我が麗しのテレジアではないか!」

 ──五月蝿いのがやって来た。

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