第73話 知らないところでフラグが立つのは勘弁してください……

 今夜王城で夜会が行われることは、王都に来るまでの馬車の中で義父ちちから聞かされていた。

 と言っても貴族子息の社交界デビューデビュタントは基本十歳になってからであり、今夜のは非公式な小さな晩餐会的なものらしい。

 しかし王家が主催の時点で小さいと言うのも怪しいものだ。彼ら基準の質素は公爵家から見ても十分豪華の域である。

「……あのテレサさん? そろそろ離して頂けませんか?」

「つーん」

 王城前でテレサに捕まった後、俺は彼女に散々おもちゃにされて、夜会が開始するとなってようやく解放された。

 すぐさまに男の格好に戻ると、間髪入れずにテレサが入って来た。

 そして今の今まで、逃さないとばかりに腕を絡ませられている。

 今はまだ身内の目しか無いからいいが、そろそろ城内食堂に着く。ぼちぼち余所の人と遭遇してもおかしくないだろうに。俺の言葉にテレサは唇を尖らせるばかりで、どころか腕の力は一層込められた。

 参った俺は先導する公爵に視線を送るも、義父はたしなめるどころかさも当然と言った風である。

 ……もしかして、俺の知らない所で何かしらの計画が動いてたりする?

 俺は困り果て再度テレサを見ると、じっと俺を見ていた彼女の視線とかち合った。

 テレサはしばし瞬き、ハッとして「私、怒っています」とそっぽを向いて頬を膨らませた。うーん可愛い。

 そんな折である。

「おや、その背筋はムスタファかい?」

 聞いたことのない、男の声が背後から響く。というか筋肉で人を判断すな。

 声の方へ振り向くと若い、気品に溢れる成人男性が腕を広げていた。大仰な所作、身なりからして高位の貴族であるのは推測に容易い。また、連れ立った妙齢の女性と少女もそうだろう。

 ……誰だ? その正体は義父の返事ですぐに判明した。

「ノクタヴィアか」

「悲しいね。そんな他人行儀余に呼ぶことないじゃないか。僕と君の仲だろ?」

 ノクタヴィア家当主──ピエール・フォン・ノクタヴィアは馴れ馴れしく義父の肩に腕を回した。

 鉄面皮の義父にしては珍しく、そして分かり易く嫌そうに顔を顰めた。しかし回した腕を振りほどこうとはしない。

 イケメンではあるのだが、どこか軽薄そうな印象を受けたが、その感覚は正しかったようだ。

(どういった仲なんだ?)

 馬車の中で、王家と三公爵家のゲームとは異なる生の知識を聞いた。

 当主は代々宰相を務める関係上、ノクタヴィアは領地を持てどもその本拠は王都に在る。

 故に王家との繋がりが深いそうな。

(隣の女性がノクタヴィア夫人かな? てーことはこっちの彼女は、もしかして──)

 父の足に隠れるようにしている少女へ目を向ける。

 ゲームのスチルには存在しない故に確定は出来ないがおそらく、幼少のノエル・フォン・ノクタヴィアであろう。

 ”剣バラ”のヒロインの一人である彼女の容姿は、当然優れていた。

 テレサが完璧な人形の如き美しさを持つ少女なら、ノエルは花を擬人化したような、見る人にそんな印象を与える柔和な美少女であった。

「お久しぶりです。ノエルお姉さま──えっ?」

 彼女と交流を持つテレジアが一歩踏み出し、見事なカーテシーを披露して──固まった。

 固まった、そうとしか表現の出来ぬ一連の動作。テレジアは腰を中途半端に折った体勢でノエルをじっと見詰めていた。見れば彼女の翠眼が淡く輝き、”診眼”を使っているのが解る。

 まずいと思った俺は組んだままの腕の、肘でテレサの脇腹を小突いた。

「テレサっ」

「は……! っ、申し訳ありません。ピエール様、モニカ様も、お久しぶりでございます」

「やぁテレジア。日に日に美しくなって、ナタリアの若い頃を見ているようだ」

「まぁ、あなたったら。お久しぶりですねテレジア。また一段と素敵な淑女レディに近付きましたね」

 ノエルの姉と言われても信じてしまうぐらいに、若々しく美しいノクタヴィア婦人。ノエルとは実によく似た容姿を持ち、確かな血の繋がりを感じる。

 亡き母に似ていると言われ、テレジアは恥ずかしく思いつつも嬉し気に微笑んだ。その横顔に先程の動揺は見られない。

(……何を見たんだ?)

 テレサが視たのは、まず間違いなくノエルの内面だろう。

 ノエルは”剣バラ”の攻略可能ヒロインである。そしてシャルロットと違い、彼女のストーリーは深く”呪い”に関わっている。

 嫌なシナリオが脳内に展開され背中を一条、嫌な汗が流れた。

 そんな俺を知ってか、テレジアは顔だけをこちらへ向け、俺にしか聞こえないだろう声量で小さく零した。

「……違うんですの」

「テレサ?」

「……アーサーのばかっ」

 意味が分からない。何が違うのか、何故罵倒されたのか?

 分かるのは、絡んだ腕に一層の力が込められたことぐらいか。

 ちょっとした理不尽な仕打ちに世の儚さを感じる。

「ほらノエル。あなたも挨拶なさい」

「は、はいお母様っ」

 母親モニカに促され、ピエールの背からしずしずとノエルが姿を見せる。

「お久しぶりですムスタファ様、テレジア。……初めましてアーサー様っ」

 うん、…………うん?

 ノエルはテレンス父娘には実に優雅に挨拶をこなした一方、俺に対してはどこかぎこちない。

 ともすれば初めての相手に緊張しているだけにも見えるが。……気のせいかな? 俺の名前を呼ぶ声が上擦っていたような……?

 不思議に思ってノエルを見れば、正面から視線が絡んだ瞬間、今度は見間違えようもなく彼女の顔は真っ赤になった。そしてまた父親の背に隠れてしまった。

 その反応に「まさか」と、先ほどとは違う嫌な汗が流れた。

(いや、だって初対面だよ? そんな、ねぇ……?)

 あってはならぬと、俺は自然と湧き出る恐ろしい想像を自ら否定した。

「ハッハッハ。ムスタファ、そこの少年の紹介はしてくれないのかい?」

「ふん、白々しい。分かっているだろう? 手紙で言った、テレジアの婚約者、アーサーだ」

「アーサーです。この度はピエール様、モニカ様、ノエル様に拝謁出来、恐悦の至りに存じます」

 この一年間みっちり叩き込まれた貴族式の作法を以て礼をすると、ノクタヴィア夫妻は僅かに目を丸くした。

「ムスタファから予め聞いていたがね。いや、一年余りでここまで仕込めるものだね」

 軽薄そうに見えるが、ピエールは間違いなく王国を牛耳る大貴族である。

 貴族特有のナチュラルな平民への見下しを僅かに感じ、俺は顔を見られないよう更に深く腰を折った。

「そうかそうか、君がアーサーか。会いたかったよ」

「は? いえ、あの……?」

 ピエールの手が自然と肩に置かれる。その予想外の行動に貴族として振る舞いが剥がれ素の反応をしてしまう。

 何より肩に置かれた手の力の強さよ。指が肉に食い込んでて痛いんですけど?

 ギリギリと、肩が悲鳴を上げるも相手は大貴族。抗議の声も挙げられず、出来ることと言えば痛みを表に出さぬよう表情筋に力を込めることだけだった。

「ハッハッハ。いや実はね、娘が送られて来た画を見た時からいたく君を気に入っていてね、一度その面を拝みたかったんだよ」

 ──頭上から注がれるピールの声に、俺は既視感デジャヴュを覚えた。

「お父様っ……! な、何を仰るんですかっ!」

 ノエルが慌てて父のズボンを引っ張るもピエールは止まらない。

 上擦ったノエルの声に、釣られて顔を上げると彼女の視線とかち合った。瞬間、彼女は茹でダコの様に顔を赤くし、俺は手遅れなのを悟った。

 ……え? 何で? どこでフラグが立ったの?

 愛娘を誑かされた父の取る行動は、貴族も平民も変わらないらしい。

「今夜はちょうどいい機会だ。ぜひ君とは色々と語らいたいね、色々と」

「はは……、お手柔らかに頼みます……」

 夜会が始まってすらいないというのに、早くも俺の胃は悲鳴をあげていた。

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