第56話 後味が悪い

 そもアーサーは戦闘の本質は嫌がらせだと考えている。

 相手の土俵には立たず、長所を発揮させず、可能であれば一方的な攻撃を加え、勝利を手にする。

 命の遣り取りで、正々堂々だとか全力をぶつけ合うだとか、はたはた馬鹿らしいと。

 そんな戦闘哲学を持っているアーサーが「全部出し切れ」と言い放ったのだ。

 彼の怒りがどれほどのものか、これだけで推し量れるというものだ。

(いやはや全く、これほど力の差があるとは……)

 以前アーサーの実力を目にしてボーゼスは、正面から勝てないまでも負けない自信があった。

 だがフタを開けて見ればどうだ?

 勝負の体にすらならないではないか。

 もし二人のステータスを数値として可視化出来たのなら、両者の差はそれほどないだろう。どころか強力な魔物の、長所だけを移植しているボーゼスの方が遥かに軍配が上がる。

 故にボーゼスの判断はあながち間違いではない。

 誤算があったとすればアーサーの魔法の幅広さであろうか。

 魔法開発は日進月歩であり、またイタチごっこでもある。

 ある魔法使いが新魔法を発明したとしても、別の魔法使いが対応する魔法を発明する。

 故に世に存在する全ての魔法には対になる抗魔法が存在している。尤も、対抗策があるとして、それを行えるかは別問題だが。

 ボーゼスは魔法使いではない。魔物使いである。そして魔物使いの強さは、使役する魔物に大きく左右される。彼自身少々火魔法と、特殊な魔法の一部を使える才能を有していても、それは変わりない。

 ボーゼスは魔物使いの使役者こそが貧弱であるという弱点を、魔物の移植という外法で補うことに成功した。

 そうして魔物使いの頂点に立ったと自負していたのだが──。

「どうした? もう終わりかよ、『岩弾ファイアボール』」

(っ! また⁉)

 怒気を孕んだ冷たい、冷たい声が響く。

 アーサーが唱えたのは確実に『火球ファイアボール』のはずなのに、飛来したのは岩の弾丸であった。

 混乱する脳が一瞬の空白を生み、ボーゼスの対処が遅れる。

 あわやという所で『岩弾ストーンバレット』を防ぎ、息つく暇もなく岩の礫が降り注ぐ。

「『岩弾ファイアボール』」

(っ、どのようなカラクリかは解りませんが、どうやら彼は詠唱したものとは別の魔法を発動出来るみたいです、ねっ‼)

 一方的に岩の礫を浴びせられて、やはり距離を取るのは悪手と断じボーゼスは二度目の接近を試みる。

 散弾の如き礫を躱し、躱し、防ぎ──。

 あと一足という間合いになった時点でボーゼスは背の蛇を繰り毒霧を吐かせる。

 毒々しい色をした紫の霧は拡散されることなく、水路に充満し視界を奪うほどに濃密であった。しかもこの毒霧は一息吸えば肺が爛れ呼吸もままならぬほどに強い。詠唱を必要とする魔法使いにとってこれは致命的なものである。

 追撃とばかりにボーゼスは下級火魔法を放つ。 

「喰らいなさい! 『火球ファイアボール』!」

「──『『火球ファイアボール』』」 

 互いに見えぬ視界の中、相手目掛け火球を放つ。いや、ボーゼスの蛇の瞳は霧の向こうにアーサーを捉えていた。しかし十中八九、アーサーの方も自分を捉えている事だろう。視界が見えぬ現況の、有利不利は互いにない。

 それを理解した上で『火球ファイアボール』が衝突し爆ぜた瞬間を狙い、ボーゼスはボーゼスは脚に、腕に、更なる力を込め、弓の如く引き絞られた筋肉を解き放ち──驚愕に目を見開いた。

「な──馬鹿な⁉」

 何度目の驚きであろう。

 魔法の威力は誰が使っても変らない。それはこの世界の常識である。

 故に同属性同等級の魔法が打つかれば衝撃と共に弾け飛ぶ、魔法を少しでも齧っている人間であれば誰でも解る。そう、常識なのだ。

 だのにアーサーの放った『火球ファイアボール』はボーゼスのモノを一方的に貫き、ボーゼスに襲いかかった。

 既に全力で駆け出したボーゼスに避ける術はなく、彼はこれをどうにか防ぐことに成功するも、次に、灼熱の如き激痛を胸に覚えた。

 見ればアーサーが短剣を深々と、この胸に突き立てているではないか。

 アーサーもまた『火球ファイアボール』を放つと、その後を追うように駆け出していた。『火球ファイアボール』の衝突後にトドメを刺す──その考えは奇しくもボーゼスと同じものであった。

 違うのはもたらされる結果を知っていたか、いないかだけだ。

 己が考えと異なる未来が弾き出された結果──。

 計算がバッチリと噛み合い寸分違わぬ結果──。

 その一瞬、スキとも呼べぬ空白の差が勝負の明暗を分けた。

 激痛がボーゼスの思考を現実へと引き戻す。彼が殺人熊キラーベアの腕を振るうよりも早く、アーサーは突き立てた短剣をそのまま振り下ろした。

 胸を、胴を、腹を。縦一文字に割かれるボーゼス。

 そも最初の一突きで心臓を刺し貫かれていたのだ。開きの如き割かれた傷口からは激しく血が吹き出、臓物はまろび出、終にボーゼスは膝を折った。

 


 アーサーは二つの魔法を同時行使出来るという己が特殊体質を理解した時から、如何にこれを活用するか。突き詰め至ったのが以下の戦術である。

 遠く、媒介を介し任意のタイミングで魔法を発動出来る詠響エコー

 発声とは別の、念じた魔法を発動する詐唱スキャム

 詠唱と思念の二つ、同じ魔法を発動して威力を底上げする多重唱ラップ

 そして通常の詠唱と合わせて四つを駆使し虚実を交える事で相手の思考をドツボに嵌める戦術スタイルこそが、アーサーの本気であった。

 ボーゼスの『火球ファイアボール』を貫通したのも、アーサーが多重唱で発動したからだ。

 この戦術スタイルだが、相手が歴戦の戦士であればあるほどに、。何せ彼らは、魔法を発動した瞬間、考えるよりも早く身体が最適の行動を取るのが身についている。それは本来、戦士であれば正しい。

 しかし結果が別の魔法であればどうだ? 最適解は反転し、最悪の結果を招く。

 傑物であればその不利を跳ね除け立ち直れようものの、誘導された思考、行動を読むことは容易く、そこに悪辣な一手を加える。全力を出させず相手を叩き潰す、アーサーの思想の本懐であった。

 全属性を満遍なく使える対応力。

 異世界譲りの柔軟な発想力。

 何より、魔法そのものの応用力。

 これこそがかつてB級ソロにまで登り詰めたイルルカを以てして、本気のアーサーには勝てないと言わしめた理由であった。



「ふ、ふふふ……。そう、ですか。ここが私の終着点ですか……。暗く、惨めでケホ、……私に相応しい。そう、思いませんか?」

「──」

 汚泥に塗れながらも、ボーゼスは何とか上体を起こす。

 傷口からは夥しい量の血がダクダクと流れ出て、刻々とボーゼスの命の火を奪っていった。

 致命傷だろうに未だ死んでいないのは、とりこんだ魔物の生命力のおかげだろうか?

 兎も角、希代の魔物使いの命は正に尽きようとしていた。

 しかし、何があるか分からないのが世の常である。

 その万一を断たんと、アーサーはボーゼスの額にクロスボウを向ける。

 突き付けられた先端を、ボーゼスは見えているのかいないのか、濁った瞳を気怠げに向けた。

 キリキリと指先に力を込め、引き金を引かんとした今、ボーゼスが口を開く。

「……申し訳ありません。お名前を伺っても?」

「はぁ? ……そんなもん、とっくに報べは付いてるだろ?」

 今更何をと、アーサーは戸惑いとも呆れともつかぬ表情を浮かべる。

 ボーゼスの真意が読めず、引き金に掛かっていた指が止まってしまう。

 男は口元を緩め──緩めたのか? 最早彼に表情を変える力すら無く、ただアーサーの目にはそのように映った。

「……いえ、ね。君の口から、ゲホゲホ! ……ぜひ聞きたいんですよ」

 何を、全く。

 耳を傾けるな。

 さっさと殺せ。

 そう、己の内側から殺意が語り掛けてくるも、一方で己の甘さが死にゆく人のささやかな願いぐらい聞いてやっても良いではないかと叫ぶ。

「……アーサーだ」

「ようやく、話す気になってくれましたか、……えぇ」

 ただそれだけのことで、何故かボーゼスは嬉し気に笑った。

「アーサー、君。君は何故、こんな、命を掛けてまで戦っているのですか。私は──」

「……」

 息も絶え絶えの喋りは聞き取りづらく、時折血混じりの咳を挟みながらそれでも、ボーゼスは語る。

「私は人間が嫌いです……。容易に嘘を吐き、容易く裏切る人間が。それに比べて魔物はいい。彼らは本能のみに従い正直に生きている」

「……あんたは魔物に成りたかったのか?」

「まさか。あのような醜いゲホ、知性の欠片もない魔物になどは、……成りたくありませんよ」

 矛盾を覚えアーサーは眉を潜める。

 ならこの男は何をしたかったのだ?

 何が、彼を命を賭けるまで駆り立てたのだ?

 その答えが、男の口から語られる。

「アーサー君……。君に信念はありますか? 譲れない、何か一つが、ありますか? その信念の有無こそがゴホゴホッ! ……人と魔物の違いだと、私は考えています」

 人間嫌いの魔物使い。

 魔物を従え憧れるも、魔物には成りたくないという人間嫌い。

 そこから導き出されるのは──。

「俺は──俺は幸福のために戦っている。俺の幸福とは平和だ。大切な人と、穏やかな日常を、楽しく過ごす平和。それを守る為に命張ってんだよ。その為なら世界だって何だって救ってやる」

 死にゆく人間の願いである。

 普段なら小っ恥ずかしくて言えない、己が内をアーサーは曝け出した。

 満足したのか意外だったのか、ボーゼスは血に塗れた口に笑みを浮かべる。

「く、ふふ……。まさか、まさか! 世界を救う偉業すらついでですか。えぇ、私が勝てる道理はありませんでしたねゴホッ! ゴホッゴホッ!」

「……なぁ、あんた。人間が嫌いなんだろう? なんでこんな死ぬまで律儀に付き合ってんのさ」

「──えぇ、そうです、嫌いですとも。嘘が、裏切りが。だからこそ、私だけは裏切るまいと誓ったのです。えぇ、自分で立てた誓いすら守れないなら、それこそ魔物と変わりない」

 それこそが私の信念、譲れない一つだと。男は言った。

 一体男は、何を裏切らずに済んで、命を落とすことになったのだろう?

 男を憎い気持ちはある。だが殺意は、最初ほどの火勢を保てなかった。

 気付けばアーサーはクロスボウを下ろしていて、気付けば、ああ無意識のうちに。

 言葉を紡いでいた。

「……そうか、あんた。……人間に期待していたんだな」

「────?」

「そうだろう? あんたほどの人間が、その力があれば何処でも、それこそ魔物の国でも興せただろうに。それでも嫌いだっていう人間の社会と関わりを持ち続けたのは、多分、心のどこかで人間に期待してたんだろうさ」

 年端も行かぬ少年の指摘にボーゼスの目から鱗が落ちた。

 そして男は狂ったように笑い始める。

「お、おい?」

「く、くははははは! ま、まさか! そうですか私が! は、はははゴホ! ゴホゴホゲホッ! く、くふふふ。……あぁ、そう、そうか。そうだったんですか。いやはや、人間の心なんて解らないと思っていたが、まさか自分の心すら解らないなんて! いえ、人間だからでしょうか、くふふ……!」

「っ、あんた……」

「ボーゼスです」

「……?」

「……ボーゼス、です。私の名前、ボーゼス。……ぜひ覚えておいて欲しいのです」

「…………」

 アーサーが返答に窮していると、ボーゼスと名乗った魔物使いは少し寂しそうに微笑んだ。

「く、くふふ……。いやぁまさか。人生とは分からぬものですね。君のような少年に出会えるなんて。神は残酷なのか、お優しいのか……。叶うならもっと早く君に──」

「おい、ボーゼス──」

 ボーゼスの呟きは徐々に小さくなり、最後の方は掠れて聞き取れやしなかった。

 その蚊の鳴くような声すら聞こえなくなってアーサーが名前を呼んだその時には、ボーゼスは既に事切れていた。

 僅かばかしの未練を感じさせるものであったが、その表情は満足げで穏やかなものでだった。

 対照的に、見下すアーサーの顔は晴れない。

 彼は何かを堪えるように強く目を瞑り、天上を向いて誰へとも分からぬ罵声を吐く。

「……クソったれめ。だから話したくなんてなかったんだよ」

 アーサーは手を翳し魔法を唱えると、ボーゼスの遺体が火に包まれた。

 悪臭ですっかり馬鹿になっていた鼻に、肉の焼ける異臭がこびり付く。

 胸中に言いようのないシコリを残す、なんとも後味の悪い勝利であった。


◇◇◇


「く。ツいているな。まさか労せず目的が果たせるなんて」

 アーサーの去った後、ボーゼスの遺体が残された下水道。

 異様に長い手足を持つ長身痩躯の男。

【暗夜の狂】が幹部【八怪童】が一人、グールである。

 グールはボーゼスに近付くと、容赦なくその腕を毟った。

 そしてその腕を──躊躇なく喰った。

「んむ? もう少し生の方が好みだが、まぁいい。を残すのは人道に反するからな」

 ──バリボリムシャ。

 焼け焦げて炭になったそれを、グールは遠慮なく貪る。

 そうして男は一言呟いた。

「美味い」

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