第55話 争いは同レベルの者でしか起こらない

 挨拶代わりの一射目は、ボーゼスに難なく躱された。

 この一発で仕留めきれるとは、まさかアーサーも思っていない。彼は油断なくボーゼスを見据えてクロスボウに二射目をセットする。

「会いたかったよクソッタレめ」

 矢の代わり、殺意に万感の思いを込めて飛ばすも、ボーゼスはさして気にした風もなく「ふぅむ」と顎を撫でていた。

「こうしてお話するのは初めてですかな? 初めまして、私は──おっと」

 鷹揚な態度を崩さぬボーゼス。その憎たらしい顔面に、アーサーは二射目を放つ。

 これまたボーゼスは首を動かすだけで躱した。

「ふむ? 話をする気は無いと?」

「──当たり前だ」

 我慢の限界だと、アーサー全身から怒気が発せられる。

 童子とは思えぬ濃密な殺意に、自然ボーゼスは身構えた。

「話? 何を話す? 命乞いでもするつもりか?」

「随分と苛立っているご様子。それともそちらの方が本性で?」

 ボーゼスの言動をアーサーは鼻で笑った。

「本性もクソもあるか。人間誰だって様々な側面を持ってるってだけだろ。これもまた俺だ」

「ほう、その年で随分と達観していらっしゃる。しかし恋人が手を血で汚すのは割り切れませんか?」

「──死ね。ただ死ね」

 怒りは判断を鈍らせる。

 ボーゼスは敢えてアーサーの逆鱗に触れた。

 その効果は覿面であり殺気は最早猛毒と化し、戦士ならぬ只人であれば立っていることすら叶わないだろう。

 アーサーの怒気が爆発した瞬間、ボーゼスは大地を蹴った。

 彼の脚はケンタロスのソレで、その爆発力たるや、ぬかるみなど物ともせずにアーサーへと肉薄する。

 この暗い下水道、それを可能にしているのがもう一つ、蛇の目であった。光ではなく熱でモノを捉えることの出来るボーゼスの目は、闇の中にあって真価を発揮する。

「『土壁アースウォール』」

 アーサーの発した魔法をハッキリと聞き、あと十メートルという所でボーゼスは僅かに速度を落とした。

「っ!」

 細長く、狭い空間である。『土壁アースウォール』を作れば両社の視界はまるっと遮られる。仕切り直すには良い選択である。

 しかしボーゼスの予想に反して、轟音は背後から響いた。

(なに⁉)

土壁アースウォール』はボーゼスの背後、汚水を掻き分け迫り上がっていた。

 どのようにして自分の背後に? ──おそらくは最初の矢だ。自分が水路を介して領都のあちこちで魔物を召喚したように、少年は矢を介して『土壁アースウォール』を発動したのだろう。

 何のために? ──退路を断つため、であろうか? それにしては……。

 手段は分かれど目的が分からない。

 攻めるか引くか、逡巡は瞬きであった。あったが、しかし僅かにして確かな隙がボーゼスに生まれた。そしてボーゼスの耳に俄かに信じがたい言葉が聞こえた。

「『土壁アースウォール』」

 まさかの、再びの『土壁アースウォール』である。

 様子を見る為に速度を落としたのが仇となり、今度こそ『土壁アースウォール』は両者を別った。

「む、これは……」

 戸惑いを顕わにボーゼスが前後を見やると、すっかり土壁に囲われてしまった。

 この分厚い土塁は炎熱や衝撃には強いものの、耐久性自体はそれほどではない。移植した殺人熊キラーベアの腕であれば崩すことは容易い。

 ボーゼスにはアーサーの狙いが分からず、何よりそれが不気味であった。しかしどのような思惑があろうと諸共破壊すれば良いのだとばかりに殺人熊キラーベアの腕を土塁に叩きつけようとして。

 土壁の向こう、アーサーのくぐもった声を、しかしハッキリと耳にした。

「『詠響エコー炎嵐ファイアストーム』」

「なっ⁉」

 瞬間アーサーが放った二射目の矢が輝き、周囲全てを薙ぎ払うような激しい熱波が吹き荒れた。

 熱波がボーゼスの肌を、肺を、容赦なく炙ってゆく。

 土塁の向こう、くぐもった悲鳴を聞きながら、のたうつ光点を見るアーサーの目は恐ろしく冷たい。蒸発した汚水の、得も言えぬほどの悪臭が充満するがアーサーの眉はピクリとも動かない。

 ──土壁の一部が弾け飛んだ。

「ぐがああぁぁぁっ!」

 土壁に穿たれた穴からボーゼスが飛び出して来た。全身の肌という肌は焼け爛れ、酷い有様だった。

(居ない⁉ 何処へ⁉)

 灼熱地獄から脱したボーゼスは、姿の見えぬアーサーを探そうと全身の知覚を総動員して──理解するよりも早く激痛が襲ってきた。

 反射的に顔を向ければアーサーは死角、自らが作った土壁の傍らに身をかがめていた。そうしてボーゼスが飛び出してきた瞬間、アーサーはまず男本来持つ人間の腕、その一つを斬り飛ばした。

 まるでアーサーの動きはボーゼスが何処から現れるか察知していたかのようで。

「ぐぅっ⁉ ──はあぁ!」

 しかしこれはチャンスでもある。

 イカサメとクピドと化したバッソンとの戦闘を見る限り、アーサー少年の最も警戒すべきはその魔法であると、ボーゼスは断じていた。

 確かに、子供にしては体捌きも卓越しているが、それを為すには『身体強化』が必須である。

 この世界、一人の人間が同時に行使出来る魔法は一つ限りである。

 七歳に過ぎぬアーサーがボーゼスに対抗するには『身体強化』を行使する必要があり、また彼の強力な魔法を使うには『身体強化』を解除しなければならない。

 故に魔法使いに対しては、一も二もなく接近戦が定石なのだ。

 ボーゼスは一組の殺人熊キラーベアの腕と背中の蛇──猛毒大蛇ポイズンヒュージボアを操り三方向からの同時攻撃を仕掛ける。

 ──そして、ボーゼスの常識が崩れた。

「『岩弾ストーンバレット』」

「な────っ⁉」

 対してアーサーの取った行動は──一歩前に踏み込んでは一つの腕をかし、一つの腕を短剣でいなし、頭上から襲い来る大蛇の頭に岩の塊を打ち込んだ。

(バ──ッ⁉ 『身体強化』と切り替えてはいない⁉ 二つ、二つの魔法を同時に使っているのですかっ⁉)

 どんなに歴史を紐解いて見ても、神代の英雄と呼ばれた魔法使いであろうと、二種類の魔法を同時に使ったなどという話は聞いたことがない。

 とするとアーサー少年は、歴史上初めて魔法の同時行使をした人物となる。

 以前テレジアも驚いていた時があった。その時のアーサーは解答を持っていなかったが、今なら分かる。

 アーサーには今世と前世の、二つの魂がある。故に二つ、二つの魔法までなら同時行使出来ると、三つ以上は出来ないと、頭ではなく心が理解していた。証明は出来ないが確証はあった。

 アーサーはこの事実を、最大限に活用していた。

「くうっ! 『召喚サモンローパー‼」

 動揺がミスを生むのをボーゼスは重々理解している。

 落ち着きを取り戻す為、一旦距離を取ろうと試みるボーゼス。

 馬の脚がぬかるみをものともせずに蹴り飛ばし後退しつつ、魔物を召喚する。

 現れたのは沢山の目玉が埋め込まれた蠢く肉腫──ローパーである。ローパーの肉から触手が放たれる。

 アーサーは後退したボーゼスに矢を打ち込みながら、淡々と魔法を詠む。

「『氷嵐アイストーネード』」

 先の『炎嵐ファイアストーム』で熱せられていた空間が、今度は真逆、寒波が吹き荒れる空間となった。

 アーサーに迫っていた触手はみるみるその勢いを失い、アーサーに届くだろうという眼前で完全に凍りつき、ガラガラと瓦解した。

 最早ボーゼスに驚きはない。ただ目の前の、子供の形をした化け物を打倒すべく全力を尽くすのみであった。

 見れば彼の爛れた肌は艶を取り戻し、潰された猛毒大蛇ポイズンヒュージボアの頭も元に戻っていた。男はトロールの回復力も有していたのだ。

「流石ですね! 『召喚サモンマンティコア』『召喚サモンタウロス』『召喚サモンタランテラ』‼」

 出し惜しみは出来ぬとボーゼスは虎の子全てを切った。

 現れたるは人面獅子躯、サソリの尻尾の魔物。牛面人身、巨大な戦斧を持った二足の怪物。胴に不気味な人の顔の文様を持った巨大な蜘蛛。

 ただでさえ狭い地下水路が更に狭くなる。

 だがアーサーに焦りは無い。どころか不気味なほどに落ち着いている。

「っ、やりなさい‼」

 ボーゼスの号令と共に、三体が襲いかかる。

 マンティコアは壁を天井を、物ともせずに駆け回り。

 タウロスは戦斧を担ぎ、恐ろしい足音と共に巨体が迫る。

 タランテラはその場から動かずに大量の蜘蛛糸を吐き出した。

 迫る蜘蛛糸にアーサーは避ける素振りすら見せず魔法を紡ぐ。

「『鉄壁アースウォール』」

「そう何度も同じ手をっ! やりなさい‼」

 蜘蛛糸が到達するより早く、壁が世界をわかった。

 また火で炙られたら堪らぬとボーゼスが声を張り上げタウロスに命じる。牛面人身の怪物の筋肉がミチミチと唸りをあげ、担いた戦斧を振り下ろし──ガキンと──激しい金属音と火花を散らすも虚しく阻まれた。

「なっ……⁉ 馬鹿な⁉ これは『鉄壁アイアンウォール』⁉」

 確かに、ボーゼスが聞いたのは『土壁アースウォール』だった筈だ。だが、現実、目の前に現れたのは分厚い金属の壁で。

 その謎を解明する暇はなかった。

 ──くぐもった、心胆寒からしめる、天使のソプラノが響く。

「『詠響エコー炎嵐ファイアストーム』」

 密閉された空間に熱風が荒ぶ。

 完全に遮断された空間が、『炎嵐ファイアストーム』の威力を何倍にも跳ね上げていた。

「ぐ、ぬうぅぅぅぅ‼」

 肺を焼かれる痛みがぶり返し、ボーゼスは悲鳴を堪え灼熱が去るのを只々じっと絶えた。

 一分か、十分か。はたまた十秒にも過ぎぬ時間だったのかもしれない。

 ただ耐える時間は長くも短くも感じ、正確な時間は解らない。

 解るのは折角切った虎の子が、何の成果も上げずに真っ黒な死体となったという事だ。

 呆然とするボーゼスの耳に艶やかな音色が響く。

「遠慮するなよ魔物使い。全部出せ。全部出せばいい。出し切って──そして死ね」

 冷たいながらも全身から怒気を発する少年を見、ボーゼスは己が頬が引き攣るのを感じた。

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