第53話 因縁と呼ぶには浅く、しかし──

 アーサーは領都で発生した魔物を順調に屠っていた。

 しかし『探知サーチ』に映る光点は一向に減る気配がない。

(……明らかにおかしいぞ? この不自然な魔物の発生は、十中八九召喚によるものだろうが。通常魔法や能力の有効範囲は術者を起点としている。こんな、領都のあちこちで魔物が発生するのは何かカラクリがある筈だ……)

 魔物を狩る傍ら、アーサーは思考する。

 彼にはこの謎に対する解を既に持っていた。

 確かに、魔法とは術者を起点として発動するものである。だが、アーサーがクロスボウを用いるように──何らかの媒介を以てすれば発動地点を変える事が出来る。

 この領都を襲っている未曾有の魔物の群れも、その様にして発生させられているのだろう。

 問題は、何を媒介にすればこの広い領都全体で魔物を発生させられるか、だ。

 その謎を解明すべく、アーサーは街全体を俯瞰する為に一番高い建物──半壊した教会の鐘つき堂の屋根の上からヴァニラを見下ろしていた。

「アーサーくん!」

「……アカネさん」

「もう! そっちの名前で呼んじゃダメだってば!」

 そんな彼の元に、クピドを調伏して回っているカレード・スカーレット──とオマケ──が飛んできた。

 スカーレットは本名を呼ばれて、慌てて周囲を確認する。こんな場所に人なんて来ないだろうとアーサーは苦笑したが、彼女らしいちょっと抜けた所作にささくれ立っていた心が僅かに凪いだ。

 では何と呼べば良いのか。アーサーはちょっとだけ照れたように続ける。

「あー、スカーレット、さん? その、クピドの相手をしてくれてるんだね。ありがとう」

「ふぇ⁉ いえいえいえ、そんな! とうぜん、当然のことですから‼」

 何故に敬語なのだろうか。

 素直に感謝の気持ちを述べるとスカーレットは真っ赤な顔をブンブンと横に振った。

「こっちもさ、クピドに対応出来るのがテレサしかいなくて困っていたんだよ」

「ふぇ⁉」

「オイ、何だっテ⁉ クピドをどうしたっテ⁉」

 アーサーとしては何気ない一言であったのだが、両者の反応は劇的で。

 スカーレットは自分だけがクピドに対処出来る存在だ聞かされていたので、まさか自分以外の者がとショックを受けていた。

 だが、ミヒャエルの反応はそれ以上だ。

 しかしアーサーは納得した。彼らはテレジアの青い焔が全てを焼き尽くす性質を有していることを知らないのだ。

 それを知っているアーサーとしてはクピドの絶対的な防御とテレジアの青い焔。矛盾で云えば矛が勝ったというだけであったのだが。

 いやしかし、それでもミヒャエルの動揺は異常である。

「オイオイオイ⁉ どういうコトだヨ説明しろヨ!」

「へ、へぇ~。そうなんだ……、テレジアさんが……。私要らなかったのかな……」

「いやいや! アカネさんが居てくれてすっごく助かってるから⁉ テレサじゃクピドを倒すことは出来ても、元の人間に戻せないからさ! その点アカネさんはクピドを浄化出来るだろう? それだけでもすっごく大助かりだって‼」

「そ、そうかな? えへへ……」

「オイ無視すんナ!」

 ミヒャエルの短い前足が、てしてしとアーサーの顔を打つ。

 アーサーは鬱陶しさに全振りした攻撃を引き剥がし、目に見えて気落ちするスカーレットを敢えて本名で呼んで励ます。

 完全、とまではいかないがスカーレットは若干持ち堪え直して、はにかんでみせた。

 ”診眼”を持たぬアーサーに、スカーレットの内心は視えない。しかし推し量ることは出来る。クピドの相手は自分にしか出来ない、という事実は彼女にとって大きな部分を占めていたようだ。

 彼女の気持ちを紛らわせるため、アーサーはわざとらしくも話題を変えた。

「えーと、実はさ、ちょっと困ってるんだ。スカーレット、さんにちょっと聞きたいんだけど?」

「ふぇ? な、何かな? 私がアーサーくんに出来ることなんて、あるのかな」

「オイ! 無視す──」

っさいわ‼ 今時間無いの切羽詰まってんの! 大事なコト聞いてんだから邪魔すんな‼」

「オ、オウ……。スマネェ……」

 アーサーの剣幕にミヒャエルはつい謝ってしまう。

 スカーレットの中でのアーサーとは、常に年齢に似合わぬ落ち着きを纏っている少年であった。その彼が、こうも取り乱すなんて。

 驚くだとか幻滅するだとかが普通の反応なのかもしれない。だがスカーレットは嬉しかった。彼も同じ人間なのだと解って、不謹慎ながら嬉しさを覚えた。

「それでスカーレットさん」

「うん! 何でも聞いて!」

「う、うん?」

(……なんで機嫌が戻ってるんだ、分からん)

 まだ麦が実ってすらいない、秋というには早すぎる時期だが、アーサーは乙女心の理解を放棄した。

「それでなんだけど、領都のどこにでも有るものって、何かない?」

「え、えと? ナゾナゾ、かな?」

「いや違うんだ。今発生している魔物なんだけど、何かを介して領都全域で湧いているんだ。その何かが、領都全域にある何かが分からないんだけど、分かる?」

「えぇー……?」

「何でもいいんだ。取っ掛かりでも。何か、そうだな、繋がっているものだと尚いいかな」

「繋がってる……? えと、道とか、水路とか? なんて……」

 瞬間、アーサーの脳裏にある記憶がフラッシュバックした。

 フードの男を追っていた、その先にある場所。

 イカサメとの戦闘ですっかり埋もれてしまっていたが。

 アーサーは慌てて眼下のヴァニラを見る。そこには縦横に張り巡らされた運河が──。

(あ、あああぁぁぁぁぁぁ‼ 俺は馬鹿か⁉ なんでこんな簡単なコトに気付かないんだ⁉)

 なまじ『探知サーチ』なんて便利に頼っていた弊害であろう。

 文字通り、アーサーはしか見ていなかったようだ。

探知サーチ』は脳内に地図を描き、対象を光点として見る魔法だ。この地図というのが使用者の想像に依るもので、アーサーは常に上空から鳥瞰した街並みを描いていた。

 だからこそ、街の地下に巡らされているであろう地下水道の反応は一切拾えていなかった。

 アーサーは『探知サーチ』の範囲を更に拡げた。そうしてその意識を地表ではなく、足元──地下へ地下へと伸ばして──ようやく見つけた。

 無茶をした代償は激しい頭痛となってアーサーに現れた。

「アーサーくん大丈夫⁉」

「あ、あぁ。……うん、大丈夫」

 慣れない事をしたためだろう、その痛みは激しく、アーサは膝をついた。

 心配したスカーレットに身体を起こされるも、すぐには力が入らず成されるがままになってしまう。

「全然大丈夫に見えないよ! ど、どうしよう……」

 ふわりと、鼻腔を甘い香りがくすぐる。

 こんな時でも男というヤツは。己の節操の無さにアーサーは苦笑を浮かべて、どうにか自分の足で立つ。

「……うん、本当に大丈夫だよ。ありがとう、アカネさん」

「えと、役に立てたのかな?」

「もちろん! カレーの時だってそうだろ? アカネさんにはいつも助けてもらってるよ」

 ──そんな風に感謝を言われるなんて思ってなくて。

 アカネは何故だか涙が出そうになった。この涙に理由をつけようと思えばつけられるのだろう。普通の少女が突然得た力で無理をして戦ってきたとか、その緊張が解けたとか。はたまた特別だと思っていた力が他の人でも出来たとか。色々、色々とつけられるだろうが。

 そんな事は無粋だろう?

 アカネは目元を擦り、零れそうになった涙を堪える。

 そうして「私の方こそありがとうだよ」と伝えようと思った。思ったのだが。

「それじゃアカネさん、もう行かなきゃ! ほんとにありがとうね!」

「え、アーサーくん⁉ って名前名前‼ ──もうっ」

 言いたいことだけ言って、アーサーは既に街の方へと跳躍していってしまった。

 遠ざかる彼の背中を見て──一瞬だけ呆気にとられてしまったが──アカネは自分の頬をペシペシと叩いて気合を入れ直す。

「うん、よしっ! 私たちも頑張らなきゃ、ねミッくん! ……ミッくん?」

 返事の無い相方を見れば、ミヒャエルはくるくると空中を廻っているではないか。

(……テレサとか言ったカ。俺様達のチカラを介さないでクピドを退治出来るなんて、マサカ神格を得たのカ⁉ ……ハッ、それこそマサカだゼ)

 ミヒャエルは公爵邸方面を睨む。

 言われてみればスカーレットと回って来た場所に、あの辺りは含まれていなかった。

「ど、どうしたのミッくん?」

「いや、何でもネェ。アイツの言う通り、余裕ぶってる時間はネェみたいだゼ。クピドの反応は減ってきたガ、魔物の数は減ってネェんだからナ──ってオイ、何笑ってんダ?」

「大丈夫だよミッくん。アーサーくんが居るんだもん。何とかなるよ」

 そう言ってスカーレットが笑顔を見せる。

 その、盲信とも取れる彼女の言動にミヒャエルは何とも言えず、ただ「……行くゾ」と促すことしか出来なかった。


◇◇◇


「公爵様! 水路の地図はありませんか⁉」

「突然戻って来たと思ったら何事かね」

 次々に訪れる避難民。その中に怪我人は少なくなく、公爵邸は野戦病院の様相を呈していた。

 幸い、テレンス家はその成り立ち故薬の類は存分に保管されていた。だがそれ以外の、包帯や食事などの物資は不足していた。

 使用人らは上に下にと忙しなく働き、無事な避難民も協力しているようだが尚人手が足りているとは言い難かった。

 そんな彼らを尻目に、アーサーは執務室へ飛び込みムスタファへ尋ねた。

「えぇ、それなんですが公爵様──」

 魔物は召喚によってほぼ無限に湧き出ること。その召喚の媒介に領都の水路が利用されていること。術者は地下水道に潜んでいる可能性が高いことを告げる。

「少し待ちたまえ」

 ムスタファの判断は早く、使用人に目的の物を取りに行かせた。

「──これが現在確認されているヴァニラの水路だ」

 ムスタファが羊皮紙を机の上に広げる。

「水路は兎も角、地下水道となるとな。住人が増えるにつれ拡張をしていったせいで最早迷路だよ。全貌を把握している者となると一人もいないだろう」

「いえ、これが欲しかったんです。ありがとうございます!」

 沢山ある地図の内の地下水道が描かれた地図。

 ムスタファの言う通りあらゆる線が交錯する様は迷路というか迷宮というか。

 一見してどこがどう繋がっているか解りはしない。だが有ると無いとでは天地の差だ。

 地図を受け取るとアーサーは来た時と同様に飛び出そうとするが、その背に公爵の言葉が投げられた。

 普段と違う呼び方に足が止まる。

 何でしょうと振り返ると、ムスタファは声を掛けた癖に何か言いあぐねるような、言葉を選ぶような素振りを見せてからややあって口を開いた。

「……既に幾つかの避難所からは残念な報せが届いている。頼む身ではあるが、急いでくれと言わざるを得ない。それと、だ。……気を付けたまえよ」

 この一ヶ月間、婿殿婿殿と。公爵から使用人、果ては街の住人にまで言われていた。

 だが今の公爵の言葉は娘婿へではなく、テレジアへと向けている愛情と同じものを不器用ながらも確かに感じた。

 驚きを覚えつつも、だからアーサーも。

「なーに、安心してください。ちょっくら行って、とっちめてやるだけです。この街に馬鹿な真似をしたことを後悔させてやりますよ。必ずね」

 ごく自然に、息子として応えたのだった。

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