第51話 それぞれの戦場②

「お姉ちゃん! ボク達も早く避難しないと!」

 ところ変わってカンバラ商会。

 だがところ変われど、状況にさしたる違いはない。

 窓の外からは絶え間ない戦闘音が響き、ここもいつ戦火に巻き込まれるか分からない。

 周囲の住人はとっくに避難を完了させていた。

 カンバラ家の避難が遅れているのは、病に伏せる母親がいるからだ。

 今、父イッシキが母アヤの元へ向かっている。準備が整えばすぐに避難に移るだろう。

(おいアカネ! こりゃやべぇゼ⁉ 街に大量のクピドが発生してやがル!)

 普段、ミヒャエルの姿は一般人には見えない。見えるのは、聞こえるのはアカネただ一人だ。

「お姉ちゃんってば!」

 最近、姉はこうして虚空を見詰めてぼーっとする事がある。ただ呆けているのとは違い、何かと交信しているような──。

 それがアオイの不安を無性に煽った。

 妹の言葉が聞こえているのかいないのか、アカネは頷きアオイに向き直る。

 アオイがホッとしたのも束の間、姉が放った言葉は信じられぬものだった。

「……アオイ、ごめんね。お姉ちゃんやることが出来たの」

「え? な、なに言ってるの⁉ 逃げる以上に今、大事なことなんてないでしょう⁉」

 妹の言う事は尤もである。魔物に抗う力を持たぬ一般人が出来ることがあるとするなら、精々が邪魔にならぬよう避難することだ。

 だが、アカネは力を手に入れてしまった。それもアカネにしか出来ないことがある、重要な力だ。

 ミヒャエルからは極力、力を隠すように言われている。それは正体がバレた際、自分の周囲の人間が狙われてしまうからだ。

 だが、黙っているのもそろそろ限界なのかもしれない。

 特に妹のアオイには、小さくない負担を掛けている。自分がカレード・スカーレットとして活動する必要がある時、店番を彼女一人に任せてしまっているのだから。

 アオイもアオイで姉が何か隠し事をしているのは、薄々察している。それを聞かれたくないというのも。

 平時であれば、見て見ぬふりでも良かったかもしれない。だが今は緊急時である。

(アカネ!)

 ミヒャエルの焦燥が否応もなく伝わってきて、知らずアカネも焦ってしまう。

 姉妹が互いに限界を悟り、どちらが口火を切るか? そんな空気が充満する部屋に、第三者の声が響く。

「──アカネ」

「お母さん……」

 イッシキに支えられながら母のアヤが姿を見せた。痩せ細った手足、けた頬。寝室からの僅かな移動でさえ、アヤの息を上がらせていた。

 ただの一目で患っていることが解るアヤの出で立ち。美しさに陰りは見えるものの、その美貌はアカネとアオイに存分に受け継がれていることが解る。

 彼女は漂う不穏な空気を感じ取ると、自分の足で立ち二人の間に割って入った。

「お母さんからも何とか言ってよ! お姉ちゃんが変なこと言うの!」

「そう……」

 アヤはアオイの頭を撫でる。肉のあまりない、骨と皮ばかりのゴツゴツとした感触が感じられるがその手付きはとても優しかった。

「どういうつもりなのアカネ? あなたみたいな子供が一人、どうしたところで役んは立てないのではないの?」

「そう、だけど……!」

 ──違うんだよお母さん!

 アカネは叫びたくなるのをぐっと堪えて訴える。

「だけどっ! 今、私がやらなくちゃいけないの!」

 声が振るえているのが、自分でも分かった。

 十歳を過ぎて、最近ではカレーなんか作って商会に貢献して、少しは大人に近付いた──つもりだった。

 だけど私は、家族の説得一つ出来ず、意見とも取れぬ我儘を喚き散らすことしか出来ない。

 ああ──。アーサーくんならどうするだろう、と。五つ下の少年を想起する。きっと彼は、今も飛び出して爽快と見知らぬ人を助けているだろう、なんて想像するのは容易く、きっと現実の彼もそう想像と変わらない筈だ。

 アカネは決意を以て母親を見る。

 稚拙な言葉しか紡げないなら、と言わんばかりに全身から覚悟を漲らせて。

「そう……、分かったわ。気を付けていってらっしゃい」

 アヤがゆっくりと、しかしハッキリと頷きを返した。

 その事実に驚いたのはアカネだけではない。

「何言ってるのお母さん⁉ お父さんも、何とか言ってよ!」

「あはは。アカネもお母さんに似て頑固なところがあるからなぁ」

「笑い事じゃないでしょ!」

「……はい、すいません」

 アオイは頼りにならない父を一喝するも、曖昧な笑みを浮かべるばかりで彼は味方する気はないようだ。

 もう一度姉を見る。

 その眼からは気弱で、お人好しな普段の姉からは想像もつかない覚悟が見て取れた。

「っ~~~‼ お姉ちゃんのバカ! っ、死んだら絶対に許さないんだから! ……行こうお父さんお母さん」

「ちょっ! 待ちなさいアオイ! ……気を付けてなアカネ」

「アカネ。何をするつもりかは分からないけど、自分で決めたのなら頑張ってやり遂げなさい」

「……っ! うん!」

 憮然とした様子でアオイは一人で行ってしまう。

 最後に、父と母はアカネと短い一言を交わしてアオイの後を追った。

 その、短い遣り取りの中でも、アカネは家族との確かな愛情を感じて視界が滲んでしまう。

「……オイ。ぼちぼち急がねぇとヤベェゼ?」

「う、うん。分かった」

 家族と分かれたアカネは早速人気の少ない路地裏へと入る。

 そも魔物らに襲われているヴァニラは混乱の渦中にあり、少女一人に注目する人は居なかった。

「とにかく、まずはクピドだ! 魔物の方は普通の人間でも対処出来んだロ!」

「うんっ、そうだね!」

 ミヒャエルの言葉に頷くと、アカネの身体は光の粒子に包まれる。

 そうして彼女は着慣れた魔法少女の衣装に着替えると、宝杖ロッドを片手に勢いよく宙へと舞い上がった。

 カレード・スカーレットにはアーサーが使う『探知サーチ』のような便利な能力は無い。だが性力エロースを感じ取れるミヒャエルは、クピドの場所を正確に理解していた。

「チッ! 随分時間をムダにしちまっタ……!」

「ご、ごめんねミッくん?」

「イヤ、協力してもらってる身で失言だったナ……。そんなことよりアカネ! まずはあそこダ!」

「教会が⁉ っ、酷い……!」

 眼下にヴァニラを一望して、ミヒャエルは大きな建物を指した。

 国教に制定されている星辰教せいしんきょうの教会である。カンバラ家は熱心な信者という訳ではないが、喜捨もしていれば月に一度くらいの頻度で説法を聞きに行ったりもしている。

 領都では公爵邸の次に豪勢な教会には、天窓を兼ねた雄大なステンドグラスがある。よく晴れた日には色とりどりの採光が床を鮮やかに染め上げる様は、アカネの心に深く印象付けられていた。

 その荘厳にして優美なステンドグラスは見るも無残に割れており、もう一つの教会の象徴とも言える鐘付き堂も半壊していた。

 瓦礫に塗れた教会を、どうしてか一度は避難した人々が我先にと逃げ出しているではないか。

 まさか、と。避難民の中からクピドが現れたのだと察したスカーレットは顔を青くした。

「急がないと!」

 ステンドグラスの割れた箇所から教会内部へと飛び込む。

 クピドは──いた!

 逃げ惑う人混みの、不自然に開けた空間。その中央でクピドは既に何名かの逃げ遅れた住人を手に掛けていた。

「っ!」

 力任せに引き千切られた、無残な遺体はなるべく視界に収めないようにしながら、スカーレットは背に人々を守るよう降り立つ。

「罪なき人々の、愛と希望を守る戦士! 愛天使メタトロンカレード・スカーレット! ここに参上です!」

 そしてポーズを決め口上を述べると、シンと、彼女の声は協会に響き渡った。

(うぅ、恥ずかしい! 口と身体が勝手に動くの~!)

「覚悟しなさいクピド! 私が相手です! たぁ~!」

 彼女の内心とは裏腹に口はアカネらしからぬ言葉を紡ぐ。

 そしてちょっと気の抜ける掛け声と共に彼女が大地を蹴ると、間延びした口調からは考えられぬ速度でクピドに突っ込んだ。

「はあっ‼」

 勢いを殺さずそのままに拳を振るう。クピドの身体がくの字に折れ、ビリヤードの如く今度はクピドが凄まじい速度で吹っ飛んだ。教会の壁を壊してもまだ止まらず、裏手の墓地の墓石を幾つか破壊してようやくその勢いを失った。

 やり過ぎたかもしれないと冷や汗を流すスカーレットにミヒャエルが叫ぶ。

「今ダ、スカーレット‼」

「う、うん! カレード・ブルーム・バスター! たあぁぁ──!」

 宝杖ロッドの先端の宝石ピンクダイヤが光り輝く。

 スカーレットが宝杖ロッドを振るうと七条の光線がクピドを貫いた。

「GUAaaa……!」

 短い悲鳴を上げて倒れ伏すクピド。その表情は憑き物が落ちたかのように晴れやかだ。

 バッソンのように変異したクピドでも無い限り、通常のクピドでは今のスカーレットには相手にもならない。

「ふぅ」

「あ、あの。貴女様は一体──?」

「スカーレット! 悠長にしている時間は無ぇゼ! まだ大量にクピドが残っていル!」

「うん!」

 恐る恐る神父がスカーレットに声を掛けるも、引き止める間も無く少女は宙へ舞い上がった。

「ごめんなさい神父様! 次のところへ行かなくちゃ!」

 そう言葉を残して、スカーレットは流星となって次なるクピドの元へと翔び立った。

 ──次? 次と、彼女は言ったか。

 突如人が変わったかのように暴れだした男。正気の感じられぬ瞳に人間以上の力。男から発せられる邪悪な気配に神父は、単なる恐慌ではないと分かった。

 その男は今、少女に倒された。身体には傷一つどころか、清浄な気さえ感じられた。

 そうして次に半壊した教会の、象徴であったステンドグラスを見た。今は割れて、無残なことになってしまって、神父を陰鬱な気分にさせた。

 神と天の御遣いが描かれていた、本当に美しいステンドグラスだったのだ──と思い返し、神父はハッと空を見上げた。

「……天使? ……天使様?」

 何気なく零した呟きは殊の外、彼の心にすんなりと入ってきた。

 彼の頬を一筋の涙が伝った。

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