第50話 それぞれの戦場①

 ──忌々しい子供だ。

 それがセバスの、アーサーへの偽らざる感情であった。

 ──先代の頃からテレンス家に仕えているセバスからすれば、幼少を知るムスタファは息子のようなもので、最愛の妻を亡くした彼の内心を慮ればこそ、セバスは注意こそしなかった。彼を癒やすのには時が必要だと考えたのだが、今思えば間違いだった。

 ムスタファは積極的に娘と関わろうとせず、衣食住は不便させずとも当時のテレジアは半ば育児放棄されているとも云えた。そんな彼女を育ててきたのは、テレンス家の従者である。

 ムスタファが息子ならテレジアは孫娘である。仕える主人に不敬であるかもしれないが、セバスはそう思っていた。

 怒気を発するセバスに、テレジアは困ったように声を掛ける。

「セバス、いつかの主人にそのような感情を抱くのはやめなさい」

「…………は」

 答えるまでに随分時間が掛かる。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。こうしてテレジアに庇われるのも、セバスは気に入らなかった。

 自分の言葉が家老にまるで響いていない現実に、テレジアは少し悲しくなった。

 このままではアーサーとセバスの仲に決定的なヒビが入ってしまう。それは困る。

 懸念を払拭する為にも、テレジアは言葉を続ける。

「私、ちゃんと分かっていますのよ? クピドを倒すという事が何を意味するのか」

「────は?」

 セバスは言葉の意味を理解するのに時間を有した。

「お嬢様っ、いやそれは……!」

「人を殺すのでしょう? 覚悟はとうに出来ています」

 そう云う七歳の少女の横顔は、正しく貴族の表情をしていた。

 彼女の成長を嬉しく思う反面、そんな悲壮な覚悟とは縁遠い生活をして欲しかった──。セバスの願いは叶わないようだ。

 そんなセバスをじっと、テレジアの双眸が──心の奥底まで覗き込むような翠眼が見詰めていた。

「セバス、人殺しの覚悟ではありません。先祖代々の土地を、民を、守るための覚悟です」

 まるで考えを読まれたようなテレジアの答え。テレジアの眼──”診眼”を持つその意味を思い出してセバスは息を呑んだ。

「もう、二人して。私を子供扱いするんですもの。私を誰だと思っているんですの? ムスタファ・フォン・テレンスの娘、テレジア・フォン・テレンスです」

 翠の瞳に金糸持つ美しい少女は、己の覚悟を静かに、しかして確固たる意志で吐露する。

 テレジアの覚悟にセバスは鼻白んだ。そして「二人」という部分に、自分と誰が一緒くたにされたのかを理解して苦い表情を浮かべた。

 そうしてもう一度、テレジアは厳かに言う。

「子ども扱いは、止して」

「……我が不明をお許しください、テレジアお嬢様」

「えぇ、許します」

 その尊大な物言いは、実に父親を彷彿させるものだった。

「ねぇ聞いてセバス。アーサーの苦悩を、優しさを、私は知っています。あなたには分からなくても、私にはちゃんと分かるんですよ?」

 どこか誇らしげに、頬を染めて云うテレジアの姿は妖精のようだ。

 だが、その内容がアーサーであることにセバスは何とも言えぬ感情を覚える。

「頼ってくれて嬉しいんです。あの、一見して何でも出来るように見えるあの人が、私を頼ってくれたんですの。あの人はあの人にしか出来ないことをするように、私も私にしか出来ないことをするつもりです」

 気付けば公爵邸は目と鼻の先である。

 到着すればこんな悠長な話し合いは、する暇は無いだろう。

 それまでに後悔が無いよう、テレジアは思いの丈を吐く。きちんと、尊敬するセバスに、アーサーを分かってもらえるよう。

「あの人が剣を振るうというなら、私はあの人の眼になります。だってアーサーったら、一人で何でも出来ますって顔して視野が狭いんですもの」

 それは短いながらもアーサーと一緒に過ごした、テレジアの感じたことだった。

 彼は確かに万能とも呼べる才能がある。知識や物事の造詣も深く、頭の回転も早い。

 ──だがその思考は近眼的である。

 眼の前のトラブルを、悪事を、解決していけば良い結果になる。まるでそんな考えで、進んで厄介ごとに関わっている。テレジアの眼にはそう映った。

 勿論、物事はそんな簡単なものではない。目の前のトラブルを解決した結果、より厄介なトラブルを引き起こすなんてしょっちゅうである。アーサーなら、そのもまた力業で解決してしまうのかもしれないが、トラブルなんて少ないに越したことはないのだ。

「だから私があの人の──アーサーの目になるんです。そう、決めました。今日決めました」

「お嬢様……」

 親はなくとも子は育つというが。

 セバスはずっとテレジアを見守ってきたという自負があった。彼女に知らぬことなど無いと思っていた。

 だが、どうだ? 今の、貴族として振る舞う彼女テレジアを自分は知っていたか? 愛する男の為ならば、悲壮な覚悟も辞さない彼女テレジアを見たことがあるか?

 ──素晴らしい成長である。

 ……全く、認めたくないが。それもこれも、あの少年の所為おかげなのだろう。

 セバス脳裏に侍女長ヘレンのニヤケ顔が思い出される。

(愛、か。愛は斯様にも人を成長させる、か……)

 セバスは急に自分が年老いた気がした。

 同年代の者と比べてもまだまだ若い自負を持っているものの、それはそれとして老いを強く感じた。

 そうして公爵邸へとたどり着く。

 所狭しと領民が溢れ、ケガを負っている者も少なくない。

 領都で一番の贅をあしらわれて建てられたテレンス邸は今、怒声と怒号が飛び交う野戦病院の様相を醸し出していた。

 ──ここが自分の戦場である、と。テレジアは改めて気を引き締め直す。

 だがその前に、最後に一言。

「ですから、ねセバス? 私の愛するひとを、そんなに毛嫌いしないで」

「…………………………努力はします」

 セバスは返答に多大な努力を有した。

 そんな、祖父ほどに離れた大の大人の意地がおかしくて、テレジアはクスリと笑う。

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