第49話 ままならぬ異世界生活

(馬鹿者が!)

 アーサーは頭を押さると同時、テレジアもまた耳を塞いでいる。

 しかし二人の行動は直接脳内に語り掛ける『念話テレパス』には何の意味ももたらさなかった。

(己の立場も理解せず猪の如く飛び出すとはどういう了見だ!)

 尚もムスタファの声は脳内にガンガンと語り掛けてくる。

 公爵の言う事も分からないでも無いが、今は少し余裕を取り戻したとはいえ、最早領都は戦場と化したのだ。

 敵を前にスキを晒したくは無いのだが──。

「で、でもお父様! アーサーが駆け付けなければ、こちらの方々は──!」

(ふん、既に手は打ってあったわ)

 珍しくテレジアがムスタファに反論するも、公爵は憮然とした返事を寄越した。

 ──その時、アーサーらの頭上を一条の光線が奔り、遠くにあった魔物の集団に着弾した。その後も光線は連続で、公爵邸から射出されている。

 アーサーの魔法のような、激しい爆発は起こらない。だが『探知サーチ』に反映されている魔物の光点が、光線が放たれる度に一つ、また一つと確実に減ってゆく。

「お嬢様! ご自身の立場を考えてくださいませ! まったく……、誰に似たものですか」

「申し訳ありません婿殿、遅くなりました。」

 光線の正体を解析する前に、気付けばセバスとイルルカが隣にやって来ていた。

 彼らは執事服と騎士服サーコートという、屋敷の出で立ちと変わり無かったが纏う空気が戦士のソレであった。

 イルルカとは何度か剣を交えているが、家老のセバスが戦えるなど聞いたこともない。だが戦えるのかどうか、そんな疑念は一片たりとも浮かばなかった。

 モノクルの向こう、まだ見えぬ魔物を見据えるセバスの眼は猛禽を思わせた。

(……そういや公爵様は人材狂いで有名だったな。そんな人が抱えている執事だものな。只者なわけないわな)

 頭上を飛び交う光線も、この『念話テレパス』にしてもそうだ。

 まったくあの人は、どれだけの才能を抱え込んでいるのか。

 知らずアーサーは苦笑を浮かべていた。何せ自分も、その抱え込まれた側だからだ。

念話テレパス』越しに公爵の深い溜め息が聞こえた。

(……してしまったものは仕方ない。人の生死いきしにが懸かっているだ。ここからの勝手は許さん。──いいな?)

 反論は許さんとの力強い口調だった。

(──よろしい。では方針を伝える。我が私兵は既に魔物の殲滅と住民の誘導に出ている。婿殿、魔物の位置が分かり殲滅力も高い君はこのまま遊撃に回りなさい。物陰──特に公爵邸から斜線の通らない場所に居る魔物を積極的に狩って欲しい。そしてテレジア、お前はこちらへ戻ってきなさい)

 光線が頭上を奔る。……なるほど、公爵の指示は尤もであった。

 そも彼の指示はアーサーが考えていたことと然程違いがない。故に彼はすんなりと納得したのだが、……テレジアは怒りとも悲しみともつかぬ気を滾らせていた。

(……テレジア。お前が努力を怠っていないことを私は知っている。──が、人にはそれぞれ領分がある。分と言い換えても良い。その人間に、その人間にしか出来ないことをやるべきだと、私は考えている)

念話テレパス』越しの公爵も、どこか苦々しさが感じられる。

 以前のムスタファであれば、テレジアの心情など汲み取らずにただ命令をくだしていただろうに。アーサーが功罪を噛み締めた。

 反論か納得か。テレジアが口を開きかけたその時、イルルカの戦場に相応しい鋭い声が響いた。

「待ってください。……何か来ます」

 ……はて? 近寄ってくる光点に魔物のモノは見られないが、それがアーサーに油断を招いた。

 散兵した公爵の私兵が、魔物の殲滅と避難の誘導をしているのだろう。近くの住民は皆公爵邸を目指して、幾つかの集団が通りに姿を現した。

 その一つ、勝手の違う集団がいた。 

「あれは──クピド!」

「ほう。あれがそうですか」

 叫び声を上げ逃げ惑う人々。

 魔物に追われているのかと思ったが、それも違うようだ。

 彼らの表情は切羽詰まっており、その理由は自分らを襲っているのが魔物ではなく、一見して人間と同じクピドに襲われているからだった。

 クピドの手と口は既に赤く染まっており、その意味を理解したテレジアが悲痛な叫びを上げた。

「早く助けないと‼」

「GURAAAAA──────!」

「ふん。攻撃が効かぬなどと報告ではあったが、それは交戦者が未熟だったからでは? お嬢様、この爺が見事あの狼藉者を成敗して見せましょう」

 チクリと嫌味を零すのを忘れず、セバスが駆け出す。見事な練度の身体強化を施したその速度は、一発の弾丸を連想させた。

 クピドの爪が集団最高峰に届くかというあわや!

「ふんっ!」

 横合いから、セバスの拳がクピドの腹に深々突き刺さった。

「ぬ?」

 家屋にどデカい穴を開けながら吹き飛ぶクピド。セバスは感触のおかしさに首を傾げた。

 もうもうと土煙が立ち込め、瓦礫の中から無傷のクピドが飛び出す。

「GUAAAAA──────!」

 セバスにも劣らぬ速度で肉薄したクピドは、腕を振るった。だが高い身体能力に任せただけの暴力がセバスに届くことは無く、彼はそれを容易く弾いパリィして、無防備になった顔面に拳を叩き込んだ。

「う、むむ⁉ 面妖な……!」

 セバスの拳はクピドの顔面の、直撃するというスレスレで目に見えない力で弾かれた。

「失礼します」

 動揺するセバスの横から更にイルルカが三日月刀シミターをクピドの首筋に振るったが、それすらもセバスの拳動揺に寸前で弾かれてしまう。

 てかイルルカさんや、普通に殺すつもりだったよね?

「く、ぬぅ⁉」

「これは、どうしたものでしょうか?」

 その後も二人は何度も拳と剣を振るうも、同じ結果に終わった。

(やっぱアカネさん──スカーレットじゃないと駄目かよ。厄介過ぎるだろ!)

「二人共、退いてくれ! 『根縛バインドロット』!」

 攻撃が駄目なら──。

 中級木魔法を唱えたアーサーの足元から、石畳を砕きながら太い木の根がうねりを上げながらクピドへ猛襲する。

 そうしてクピドの、全身を守る不可思議な力ごと拘束を試みる。

「GUU⁉ GUAAA……!」

 脱出を試みようとクピドは暴れるが、根はビクともしない。締め上げるも矢張り目に見えないチカラに阻まれて、クピドの抵抗を完全にゼロにすることは出来ない。

 しかし無力化自体には成功した。

「はー、どうしたもんかねー……」

 こうしている間にも被害は拡大しているのだ。クピド一匹にかまけている暇はない。だが同時に、放置出来る問題でもないのは確かだ。

「──いえ、どうかなさいましたか? ──なんですと⁉ 避難民の中に⁉」

 どうやらまた碌でもない問題が発生しやがったらしい。『念話テレパス』を受け取ったセバスが愕然としている。

「どうしましたセバス殿?」

「う、ぬぅ。それが避難した十人の中からクピドが発生したらしい。幸い現場に残っていた者で対処出来たが、同様のことが起こるのは明白」

 実に悩ましいと男三人が頭を突き合わせていると、テレジアが名案が浮かんだとパッと表情を明るくした。

「それでしたら! 私の炎なら退治出来るのではありませんか⁉」

「っ⁉ 待てテレサ──‼」

「お嬢様ッ‼」

 イカサメとの戦いからテレジアは成長している。集中から発動まで淀みなく素早い、実戦でも十分通用する『火球ファイアボール』であった。

 それ故に止める間も無く、青い『火球ファイアボール』は根ごとクピドを飲み込み──。

「GUOooo……」

 テレジアの想像は当たった。

 外部からの如何なる影響も弾く絶対的な防御能力を有するクピドも、テレジアの覚醒した、テレジアの望むモノを全て焼き尽くす青い焔に焼かれて苦しげに呻き始めた。

 そうして木の根ともども炭と化したクピドの遺体が出来上がった。

「やりましたアーサー! 私でも役に立てるんです!」

 無邪気に喜ぶ彼女に、俺は──。

「──あぁ、よくやった」

 セバスが俺を信じられないものを見る目で見、次に憎悪の表情を浮かべた。

 そんな彼を無視して俺はテレサを力いっぱい抱きしめた。

「あ、アーサー⁉」

 案の定彼女は強く戸惑う。……判断力が戻らない内に丸め込まなければ。

「テレサ、ありがとう。テレサが居なければクピドは倒せなかったよ」

 俺の言葉にテレサは少し恥ずかしげに、嬉しそうに笑った。俺はだけど、と言葉を続ける。

「テレサは公爵邸に戻ってくれ」

「っ、……今の私では、まだ足りないんですの?」

「違う。公爵様も言っていただろう? クピドを退治する、それは俺にも出来ない、テレサにしか出来ないことなんだ。今、公爵邸では避難した住民の中からクピドが発生して混乱している。これを収められるのは、テレサしか居ないんだ」

「それがアーサーの求めることですの? アーサーの役に立てますの?」

 不安そうなテレジアの声。

 俺は彼女の不安を和らげるように、自分を誤魔化すように、一層強くテレジアを抱いた。

「──あぁ」

「っ、……分かりましたわ」

 敬愛する父の言葉を理解し、愛する男に頼られて。

 テレジアは眩いばかりの笑みを浮かべた。

 ……直視するには、眩しすぎる。

「セバスさん。テレサをよろしくお願いします」

「言われずとも。……貴様にお嬢様は任せられん」

 公爵邸への道中の守りをセバスに頼むと、彼はゴミを見る目を向けてきた。

 その通りだ。今はテレジアの笑みよりも、侮蔑の方が心地良いほどだ。

「大丈夫ですよ、アーサー。私、頑張りますから、あなたも頑張ってくださいね」

「……うん」

 上手く笑えただろうか?

 俺の胸中を知らぬ彼女が、傷を更に抉る。胸中を悟られぬよう、俺は笑い返したつもりだ。

 一瞬、テレサは残念そうな笑みを浮かべると、セバスを引き連れて屋敷へ戻っていた。

 二人の背中を見送り、俺は己の頬を叩く。

 センチメンタリズムに浸っている暇は無いのだ。

「──すまんイルルカ。俺ももう行くよ」

「ご武運を」

 言ってくれたイルルカの顔も見ず、俺は身体強化を施し屋根へと跳躍する。

 そして脳内地図を頼りに目につく魔物を片っ端から殲滅していった。

「っ、うあ、あああああぁぁぁぁぁぁっ! クソッ、クソクソッ!」

 半ば自棄糞気味に魔法を叩き込む。

 近くにいた人間を巻き込まないだけの冷静さはまだ残っていた。

 その冷静の残滓すら、今は煩わしい。

「クソがッ! クソったれめ‼」

 一体誰への怒りか。クピドか? 不甲斐ない自分か? はたまた現況を引き起こした犯人か?

 それすら解らず、アーサーは魔物を殲滅してゆく。

 これだけの才能があっても、世の中はちっとも思い通りにならない。

 アーサーは無力を呪った。



 ──テレジアが、……テレサが人を殺してしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る