第48話 領都、火に燃ゆ

「何が起きた⁉」

 爆発音を耳にしたムスタファが誰ともなく叫ぶ。

 間を置かずしてセバスが執務室へ飛び込んできた。

「旦那様、非常事態です! 街中に魔物が現れました!」

「なんだと……⁉」

 窓に近づいたムスタファが城下を見下ろすと、街の至るところから黒煙が上がっている。

「現在詳細な点は調査中ですが、目撃者からは尋常ではない数の魔物があちらこちらから突然湧いて出てきたとの報告を受けています」

 ムスタファは顎を撫でた。

 先程は突然のことに取り乱してしまったが、トップが冷静さを欠くことは本来あってはいけない。

 そうしてムスタファはセバスへ指示を出す。

侍女長ヘレンを呼べ」

「は」

 ヘレンは『念話テレパス』という非常に珍しいスキルを持っている。

 自分ばかりか、自分を中心に周囲の人物を互いに思念で会話出来るようにする能力である。

 呼び出してから程なく、ヘレンはやって来た。

「失礼します」

「構わん。緊急時だ」

 入ってすぐカーテシーをしようとするヘレンを手で制し、ムスタファは本題に入った。

「今から言う言葉を屋敷内の皆に伝えろ」

「かしこまりました」

(ヘレンです。今から旦那様のお言葉を伝えます──)

 瞑目し、ヘレンは能力を発動する。『念話テレパス』自体珍しいスキルだが、そればかりかヘレンは同時に接続出来る人数、念話が可能な範囲も優れていた。

 ──最大接続数一〇〇人、交信可能距離は一キロにも及んだ。

 ヘレンが『念話テレパス』で命令を伝えている間、ふとムスタファは気になった。

「ところで、テレジアと婿殿はどこにいる?」

「……アーサー様でしたら──」

 セバスが嫌そうな顔で答えようとする。

 何もそこまで毛嫌いしなくてもと思ったその時、ムスタファの耳に再びの爆発音が届く。

「今度は何だ!」

 振動で震える窓へ張り付くと、公爵邸の前の大通りで幾つもの魔法の花火が上がっているのが見える。そして魔物の群れと魔法が渦巻くそこで、躍るように大立ち回りをするアーサーの姿を見た。

「えぇ、あちらに。テレジア様共々止める間もなく向かわれましたわ」

 伝達を終えたヘレンが窓ガラスに指を這わせて、「愛ですね」なんて嬉しそうに呟く。ムスタファとセバスが大きく目を見開いた。

「あの馬鹿義息子むすこを呼び戻せ!」

 ムスタファが珍しく怒りに肩を震わせながら怒鳴った。


 ◇◇◇


 突然現れた魔物。これが街の外からというなら幾らか心構えをする時間もあったろうが、此度は街中に、突然現れたのだから彼らのショックは大変なものだった。

 右往左往する民衆。「どうするんだ!」と叫ぶ者。とりあえず逃げ出す者。家族や友人の安否を確認しようとする者。様々であった。

 兎角一言、言えるのは混沌とも言うべき混乱がそこにはあった。

 比較的冷静な男らは手に鍬や鎌を持ち女子供を逃がそうとし、女らはその場に残るという父に泣き喚く子供を抱いて避難しようとした。

 そうして大通り、避難先を求め彷徨う一団があった。

「おい、何処へ行けばいいんだよ⁉」

「分っかんねぇよ!」

「教会はどうだ⁉ あそこの建物なら頑丈に出来てるだろ⁉」

「ダメだ! さっき耳に挟んだだが協会で暴動が起きたらしい」

「暴動だって⁉ こんな時に何考えてんだ⁉」

 現況を確かめようと互い声を掛け合うも、錯そうする情報が一層場を混乱させる。

 何が正しくて、何を判断にすれば良いのか?

 そうこう迷っている内に、誰かが悲鳴を上げた

「魔物よ!」

 釣られて全員が声の指す方向を見ると、通りの奥、魔物の群れが土埃を上げ迫って来ているのが見えた。

 しんと、誰もが静まり返る。

「お、おい。逃げねぇと……!」

「そ、そうだ! 逃げないと!」

「逃げないと‼」

 一人が恐怖に引き攣った声を上げると、それはさざなみの如く恐怖と共に伝播した。

 何処へ? その問いの答えは語らずとも皆が一致していた。

 兎も角、魔物の遠いところ──つまりは迫り来る反対の方角である。

 幸運にも魔物の集団とは未だ距離があり、一刻も早く魔物から逃げたいという心理から足の速い者が集団の先頭を引っ張っていた。

 言い返せば必然、足の遅い者──女子供が集団最後方を形作ることとなった。

「はぁ、はぁ!」

 緊張と恐怖が、彼らから恐ろしい程の速度で体力を奪ってゆく。

 誰もが息を荒げ、誰もが余裕が無かった。

「──あ」

「キャシー⁉」

 集団の後方も後方、一組の母娘の子供が気が急くあまり足をもつれさせてしまう。

「うぅ……、お母さん……」

「大丈夫⁉ さぁ、立って!」

「痛いよぅ……、足が痛いの……!」

 母親は慌てて足を止め、娘を叱咤する。しかし少女はベソをかくばかりで立ち上がろうとしない。

 倒れ方がよく無かったのであろう、見れば少女は足首は赤く腫れ上がっていた。

「おいアンタ! なに止まってんだ! もう魔物がそこに──‼」

「で、でもキャシーが、娘がっ!」

 母娘に気付いた男性が近づいてくる。

 何をグダグダと──! 激昂しそうになった男は、母親の腕に小さな赤子が抱かれているのを見てしまい、冷や水を被せられる。

「ちぃっ!」

「あ、あの!」

「いいから! さっさと走れ!」

 青年は母親の代わりに少女を抱きかかえ、母親共々走り出す。

「お、おじさん! 来てるよ!」

「おじさんじゃねぇ! お兄さんだ!」

 ──いやもうおじさんなのか。

 子供一人抱えたくらいであっという間に息があがるのだから。

 自分では若いつもりだったんだがなぁ……。

 振り返る余裕なんて無い。ただ抱えた少女キャシーの、自分の襟を掴む手が痛いほど握られて、先を行く母親の「キャシー!」という悲痛な叫びに男は運命を悟った。

 ──せめて子供だけでも! と。そう願い、青年の頭脳はかつて無いほどの回転を見せるも、「これが走馬灯か」なんて役に立たない感想が思い浮かぶだけで。

 いよいよ魔物の息遣いが背中に迫ってきた。

「チ、クショ……!」

 キャシーは目を瞑り、青年が運命を呪った瞬間である。


 ──運命とは、そう呪ったものでもないらしい。


 舞い降りた一迅の颶風が、二人に伸びていた魔の手を蹴散らす。

「お待たせ」

「──え?」

 何が起きたか分からないという青年。ポカンとするジェシー。

 アーサーは二人を安心させるように微笑む。その、性別を問わず魅了する微笑みに二人の頬が朱に染まった。

「あ、あの魔物がまだ──!」

 直近の魔物は蹴散らしたとはいえ、依然魔物は大群を成している。

 第二陣とも言うべき集団──ゴブリン兵らがアーサーに躍りかかった。

「──『泥沼スワンプ』」

 振り返らず、魔法を発動するアーサー。

 直後魔物らの足元が一瞬でぬかるみに代わる。先頭の魔物らが足を取られてた為、止まれぬ後続が次々に玉突き事故を起こす。大群の足が完全に止まった。

 続けて魔法を放つ。

「『土壁アースウォール』」

 瞬間迫り上がった土壁が大群の四方をが取り囲み──。

「『炎嵐ファイアストーム』」

 土壁を駆け上がると、大群目掛けて魔法を叩き込み──。

「『嵐風ストーム』」

 トドメとばかりにガンガンと燃料さんそを送り込むとただの『炎嵐ファイアストーム』以上の勢いで炎が燃え上がった。

 人々には土壁の中で何が起きているのか分からなかった。ただ土壁の上から大量の火の粉が舞っているのだけが見え、しばらくしてボロリと崩れ去った土壁の向こうには大量の魔物の亡骸と、ガラス状に成った輝きを放つ石畳があった。

「すげぇ……」

 それを一番間近で見ていた男は、無意識に呟いていて、キャシーも無言でコクコクと頷くばかりだった。

 ──逃げ惑う民衆を間一髪で救う。そんな英雄的行動をして少年は何でもないようにやって来て大きく声を張り上げた。

「皆さん! このまま公爵邸へと向かってください! 今公爵邸は避難所として開放されています」

 ざわめきが、人々の間に広がる。

 アーサーはわざとらしく大仰な動作で、一度クロスボウを天へ掲げ、優雅さすら感じるゆっくりとした所作で通りの奥へとクロスボウを一矢射ち込んだ。

「この道は魔物一匹通しませんので。安心してください」

 そう言って大通りの向こう、新たに現れた魔物の集団に放った矢が吸い込まれると直後その集団に落雷が落ちた。

 最早民衆は絶句するしかない。こんな誰とも解らぬ子供が、と思わないでもないが、今しがたまざまざ見せられた実力であればもしかすると──。

 中々動こうとしない人々に、アーサーは眉を八の字にしてしまう。

 そんな中、彼の名前を呼ぶ声が響く。

「アーサー! また一人で先走って!」

「ごめんごめん。こうでもしないと間に合わなくてさ」

「……テレジア様?」

 民衆を掻き分け、息せき切って現れたのは誰あろう、領主の娘、公爵令嬢テレジア・フォン・テレンスその人であった。

「テレジア様?」「公爵令嬢?」「もしかして、婿殿?」

 テレジアの姿を見てようやく、人々の中でアーサーがテレンス家の婿だと結びついたようだ。

 今だ戸惑いの大きい民衆に、テレジアは語り掛ける。

「皆さん! テレンス家が嫡子、テレジア・フォン・テレンスですわ。ここにいるアーサーが今言った通り、我がテレンス邸は現在避難所として開放されております。慌てる必要はありませんわ。決して慌てず、だけど急いで、皆さん協力して公爵邸へと向かってください。──さぁ!」

 テレジアが堂々と言うと困惑は収まり、人々は言われた通り規律を持って公爵邸へ進みだした。ケガをした者、年老いた者。そう言った助けを必要とする者には若者らが積極的に手を貸して、実に美しい光景であった。

「助かったよテレサ。君が来てくれて良かった」

「もうっ、アーサーったら」

 普段から良政を引いているムスタファの信頼もあるのだろうが、公爵令嬢という肩書きは伊達ではない。アーサーはそのことを強く実感した。

 アーサーに褒められて満更でもないテレジア。

 そう、綺麗に纏まりそうになったのだが──。


(──何を勝手しているか馬鹿共が!)


「うえぇ⁉」

「お父様⁉」

 ──雷も斯くやという怒声が脳内に響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る