第47話 追い詰められた悪党が博打に出るのは様式美

「どうなっている⁉」

[ボッタクル商会]商会長エロスキー・ボッタクルは自分の城でもある商会本部で頭を掻きむしっていた。ただでさえ薄い頭髪だというのに、ストレスから抜けた毛がごっそりと、男の指にこびりついていた。

 今、この場にいるのはエロスキーと、彼に雇われている魔物使いボーゼスと暗殺者のミドリの三人であった。

 エロスキーの血眼は机の上の紙に注がれている。

 紙面には[ボッタクル商会]の経営する、主に裏取引を行っていたダミー商会の一覧が載っているのだが、その八割がたが荒々しい筆跡でバッテンを書かれている。

「何故こうも簡単に摘発される⁉ 内部の情報が漏れたのか⁉」

 いや、漏れているのだ。エロスキーは認めがたい事実を認め、歯ぎしりをする。

 既に公権の手は[ボッタクル商会]のすぐ側まで迫っており、逃れるには最早トカゲの尻尾どころか己が肉を削がなければ間に合わない。いや、それをしても逃れられるかどうか──。

 更には内部に確実に居る裏切り者も処断せねばならない。

 運良く公権の手から逃れられたとしても、裏切り者がいるままでは何時になっても枕を高くして眠ることが出来ない。

「クソが! 誰が、誰が情報を売りやがったのだ!」

 エロスキーの、最早正気も僅かしかない血眼がボーゼスとミドリに向けられた。

 このままでは自分も裏切り者認定にされかねない。

 ボーゼスは「ふむ」と考え込み、同僚に話を振る。

「そうですね。……ミドリは心当たりはありませんか?」

「はぁ? ……そうねぇ、残念だけど心当たりは──」

「ふぅむ? おかしいですね。あなたは何度か、公爵家の人間と顔を合わせているではないですか。それでも心当たりが無いと?」

「なんだと⁉ 本当かボーゼス⁉」

 突如として水を向けられたミドリが──内心はどうあれ──不満を顕わにした。

 肩を竦めるミドリの言葉を遮り、ボーゼスは言葉を被せた。その内容に、ミドリの眉が僅かに跳ねる。

「こいつが! こいつが裏切ったのか⁉ クソが! 拾ってやった恩を仇で返しやがって‼」

「そうよぉボーゼス。冗談にしては質が悪いわぁ? どうして私が──」

「あぁ、いえいえ。ミドリが裏切り者だと思っている訳ではありませんよ。ただ、あなたが、本物のミドリかどうかを疑っているんです」

「──」

 無表情になるミドリ。言葉の意味が分からないとエロスキー。

 ボーゼスのフードの下で、何かが蠢く。キチキチと、小さな鳴き声を上げてフードから現れたのは一匹の蜘蛛であった。

 ──絹糸蜘蛛シルクスパイダー。戦闘力の一切を持たず、人間に有益な糸を提供する事で生存を図る魔物である。

 キチキチと、絹糸蜘蛛シルクスパイダーはボーゼスの身体を這い、彼の掲げた腕の先まで登った。そんな魔物を彼は愛おしそうに見詰める。

「いえね、先日テレンス家の少年に尾行されてしまったのですけどね。彼を巻く為に私は大事な子供の一人を捧げる羽目になってしまいました。その時、あなたもその場所にいましたよね」

「あれは──」

「諜報のスペシャリストと言えど、殺気の無い気配を感じることは出来ませんでしたか? 怪しいと思った私はその日からあなたに絹糸蜘蛛シルクスパイダーの子供を潜ませていたんですよ、ミドリ。いえ、【無謀のジェリー】とお呼びした方がよろしいでしょうか?」

 ミドリの反論の暇を与えず、ボーゼスは予め決まっていたかのように言葉を断じる。

 ミドリ、否ジェリーは観念して大きく溜め息を吐いた。その顔に焦りは見られない。

「そう? バレていたのねぇ。でも勘違いしないでぇ? 【暗夜の狂】はあなた達と敵対したい訳じゃ──」

「ボーゼス、殺せ! ワシのミドリを殺したコイツを殺せ!」

「──分かりました」

「ちょっとぉ⁉ 少しぐらい聞く耳持たないってワケぇ⁉」

「何をおっしゃいます。ミドリを殺して成り代わっていた時点で、腹に一物を抱えている何よりの証拠ではありませんか」

「ふ、ふふ! それもそうよねぇ!」

 弾かれたようにジェリーへ肉薄するボーゼス。

 魔物使いらしからぬその速さにジェリーは目を丸くするも、彼女は一切攻撃を避けようとせず、ボーゼスの一撃をその身に受けた。

 とぷん、と。ボーゼスの拳がジェリーの腹に呑み込まれる。

「ふ、ふふ。ならこんな事しても無駄だっていうのも知ってるでしょぉ?」

「えぇ。ですから毒をプレゼント差し上げようかと思いましてね」

「な──⁉」

 初めてジェリーの顔が歪む。

 見れば己が腹が呑み込んだのはボーゼスの腕には鱗がびっしりと生えていた。

 慌ててジェリーが腕を振るう。ステップで躱したボーゼスに届くことはなく、ただ彼のフードを剥ぎ取るに終わった。

「っ⁉ あなた、その身体は⁉」

「美しいと思いませんか? 魔物などと人間から下に見られる彼らですが、その多くは人間より優れた身体能力を有しています。そんな彼らから優れた点を学びたいと」

「……【暗夜の狂ウチ】にも、あなたみたいにイカれた考えの男がいるわよぉ?」

「ほう、それはそれは。ぜひ一度会ってお話してみたいものです」

 フードの下から現れたボーゼスの身体。

 人間の四肢に加え、肩口からは熊の腕が、背中からは蛇が生えていた。腰から下に関しては既に人間のモノではなく、馬の如き逆関節の脚で起立し、腰から八本の蜘蛛の脚が生えているではないか。

 ジェリーが呑み込んだ腕だと思っていたのは、蛇の頭だったのだ。

 その蛇が、まるで自分を主張するかのようにウネりチロチロと赤い舌を出した。

「くっ……!」

「ふぅむ? 殺人熊キラーベアですら即死させる毒なのですが、物理だけではなく毒にも耐性がありましたか? いや、【暗夜の狂】幹部とて所詮スライムと甘く見てましたが、流石ですね」

「何を悠長に話しておるか! さっさと殺さんか!」

 ジェリーの視界が歪み身体が傾ぐ 当のボーゼスが賞賛をするぐらいには相当強力な毒をお見舞いされたようだ。

 態勢悪しと見てジェリーは逃げの一手に打って出る。その背中に鎌首をもたげた蛇の頭が襲い掛かるも、ジェリーは閉じた扉の、その僅かな隙間から粘体となって脱出する。

 目標を失った蛇の頭はそのまま扉を破壊するに至った。

 そうして蛇は舌をチロチロとさせながら部屋の外、左右を見るもジェリーの姿は既に見失っていた。

「ふぅむ、逃げましたか」

「クソっ! クソっ! ワシを利用していやがったのか⁉ 馬鹿にしやがって! ワシを誰だと思っている⁉ 大商会、ボッタクル商会のトップだぞ⁉」

 悔しそうに地団駄を踏むエロスキー。

 その商会を大きくしたのも先代に依る功績が大きかろうに。ボーゼスは余計な口は開かず、主の癇癪が収まるのを待つ。

 ただ嵐が過ぎ去るのを待っていたのだが、今回は様子が違ったようだ。

(ふむ?)

 金で掻き集めた周囲の美術品に当たり散らしてもエロスキーの怒りは収まるどころか増しに増し、頭の血管が切れるのではないかと思うぐらい蝦蟇の如き顔を真っ赤にしていた。

 不機嫌の絶頂にある彼に、更なる凶報が届く。

「エロスキー様──ひっ!」

「何だ貴様は‼」

 壊れた扉を跨ぎ、恐る恐ると部屋の様子を伺った兵士がボーゼスの身体を見て恐怖に顔を歪める。

 彼がフードで身体を隠すと兵士はあからさまに胸を撫で下ろした。

「は、ハッ! 申し訳ありません! ですが火急の件があります。商会に憲兵どもが尋ねてきたのですが抜き打ち監査をするなどと言い張って、追い返しますか?」

「なんだと⁉」

「……不味いですね。このタイミングで監査ということは、十中八九既に証拠を持っているのでしょう」

 商会の方針には基本不介入を貫くボーゼスだが、流石に眉を顰めた。

 エロスキーが泡を飛ばし散らす。

「ボーゼス! なんとかしろ!」

「なんとか、とおっしゃいましても。……交渉でどうにかなりませんかねぇ」

「ええい、四の五の言うな! こういう時のために高い金を払って貴様雇っているのだ!」

 無茶難題を軽く言っていくれる。

 むしろエロスキーの領分では? 賄賂で何とかならないのかと提案するも一蹴されてしまう。

 そして金の話になると、雇われているだけのボーゼスの立場は弱い。

「荒っぽくなるがよろしいので? かなりの数の人死にが出ますが構いませんか?」

「構わん! 有象無象の命など、ワシの栄達に比べればゴミ同然よ!」

 念を押して聞くボーゼスの問い掛けも、エロスキーは深く考えていないのか一も二もなく了承する。

「……分かりました」

 フードの下、何とも例え難い表情のボーゼスが頷いた。

 部屋を退出しようとする際、報告に来た兵士とすれ違う。ボーゼスを見る目は化け物を見るソレであった。

「何をしている! 貴様も行かんか!」

「は、ハッ!」

 立ち竦む兵士にエロスキーが怒鳴る。苛立ちをぶつけられた兵士は萎縮しながら、ボーゼスの二、三歩後ろをついていった。

 背後から哄笑が聞こえる。

「ふはははは! そうだ、そうだっ! ワシのものにならないものに価値などないわ! 全てぶち壊してしまえ!」

 机の上には三本もの【ブルーブラッド】の空き瓶が転がっており、吠えるエロスキーの瞳は狂気に染まっていた。

「……やれやれ。金額に釣られてとんだ契約をしてしまいましたね」

 玄関へ向かうボーゼス。

 ホールには既に沢山の憲兵で溢れていた。

「む? エロスキー殿はどうしたのだ? 貴殿は──」

 その内一人、報告の兵士が戻ってきた事に気付いた憲兵がボーゼスに喋りかける。

 ──彼の命はそこで尽きた。

「なっ⁉ 貴様──」

 フードの下からうねる蛇の鎌首が憲兵の頭を呑み込んだ。そのまま宙吊りにされた憲兵は手足をジタバタと暴れさせること数瞬、すぐにピクリとも動かなくなった。

 ──ボーゼスは止まらない。

 サーベルを抜き放とうとする憲兵らの間を、馬の速度で駆け抜ける。そうして通りざま、手頃な憲兵の胴を八つの蜘蛛の脚が貫いた。即死である。

「ひっ」

 瞬きの間に、十人もの仲間が殺され恐怖に駆られた一人が逃げ出そうとするも、そんな彼を凄まじい速度で伸びてきた蛇が絞め付け上げる。ゴキバキグシャと全身の骨が砕ける音がして、彼は物言わぬ肉塊になった。

 残った三人の憲兵らは既に絶望の表情を浮かべている。

「えぇ、えぇ。こうなっては仕方ありません。折角です。派手にやりましょうじゃありませんか」

 人を殺したことに対してボーゼスは何の感慨もない。

 それよりもこれから起こる事を想像して、彼の口調には僅かな喜色が滲んでいた。


◇◇◇


 ──その日は領都ヴァニラの歴史の中で、最悪の日となった。

 何の前触れなく突然に、街のあちらこちらで魔物が同時発生したのだ。

「グギャギャギャ!」

「ブフゥ!」

 ゴブリンからオーク。果てはリザードマンまで多様な魔物が、まるで生えてきたように領都内に現れた。

「きゃぁっ! 助けて!」

「おいっ、何だよこれ⁉ 何なんだよこれ⁉」

 抗する力のない民衆は逃げ惑う以外の術を持たない。

 悪いことにパニックになった集団は我先に逃げんと押し合いへし合い、その中で運悪く圧死する者も少なくなかった。

 番兵が落ち着くように言う声は、民衆の悲鳴にて搔き消される。いや、聞こえたとして、一体誰が言う事を聞いただろうか。

 しかしてこれはまだ序章に過ぎなかった。

 幸いにも魔物の少ない区画は比較的冷静で、兵士らが手際よく民を避難させることが出来たのだが──。

「おい、大丈夫かあんた……?」

「u、uu……」

 避難先の教会にて。

 一人の青年が、震えて己が身を掻き抱く男に声を掛けた。

 震える男の来ている者は粗末で、男の出を雄弁に語っていた。そんな男を差別することなく、心配する青年は心根が優しいのだろう。

 尋常ではなく震える男に、青年が触れようとした次の瞬間──。

「Gu、GUAAaaaa──────!」

「う、うわあぁぁっ⁉」

 ──男が青年に襲い掛かった。

 真っ赤な目、定まらぬ視点。明らかに正気を失った様子に青年は腰を抜かしてしまう。

 男はそんな青年に覆い被さり、首筋に噛み付いた。首筋から噴水のように赤い液体が噴き出す。

 クピド化しないまでも【ブルーブラッド】を服用していたが者が、恐怖に依ってクピドと化してしまったのだ。

「きゃあああぁぁぁぁぁぁ──────っ⁉」

「GUAAAAAA──────!」

 異変に気付いた女性が悲鳴を上げると、パニックは一瞬で伝播した。

 安全だったハズの避難所が一気に修羅場と化し、ここでも逃げ惑う民衆の手に依って圧死する者が出た。

 これと似たような出来事が、ヴァニラのあちこちで起きた。

 避難先すら、いや隣人すらいつ化け物に代わるか分からない。疑心暗鬼が蔓延し化け物が闊歩し、正しくヴァニラは阿鼻叫喚の地獄絵図と化したのだ。

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