第46話 いわゆるデート回

「行きますよアーサー!」

 そう言って我が家のお嬢様は機嫌よく俺の手を取った。

 時刻は協会の鐘が二つ鳴った昼前、俺たちはテレンス邸を徒歩で後にした。

 常であれば必ずお付きのイルルカも居るものの、今日は完全に二人きりだ。二人きりの筈なんだけどなぁ……。

(こちら黒豹、目標は丁度屋敷を出たところだ)

(こちら白鯨、了解。距離を保ったまま尾行を続けなさい)

(黒豹、了解)

 俺はというと、飛び交う『念話テレパス』に気が散ってしょうがない。

「どうしましたのアーサー?」

「ん、いんやー……」

 不思議そうに見つめて来るテレジア。

 吸い込まれそうになる翠眼をまん丸にして、普段よりもおめかしをした彼女は本当に可愛らしい。こうして、意味もなく頭を撫でてしまうぐらいには。

「あ、あわわわわ……! な、なんですのアーサー! 女性の髪を急に触るなんて、失礼ですよ!」

 そう言う割にテレサは気持ち良さそうに目を細めて、こてんと、その小さな頭を俺の胸に預けてきた。ふわりと、花の香りが鼻腔をくすぐる。

(こちら黒豹、対象Bは対象Aに対してナデナデを敢行しています)

(な──ナデナデだとぉ⁉)

「もうっ! し、仕方のない人ですねアーサーは。……いいですか? こんな真似、他の女性にしてはいけませんよ? 嫌われてしまいますからね?」

「おや、テレサは俺が他の女の子から好かれてもいいんだな」

「っ! もう、もうっ! 本当に意地悪な人! ばかっ、ばかばかばかアーサー! ……そんな意地悪されても嬉しいと感じてしまうんだから、好きになるって本当厄介ですのね」

(こちら黒豹、対象Bと対象Aは人目を憚らずイチャイチャしています。……いいなぁ)

(い──イチャイチャだとおぉぉぉぉぉっ⁉ あんの若造がああぁぁぁぁぁッ‼)

 ……だーかーらー! 『念話テレパス』がうるさくてテレサの可愛さが堪能できねえええぇぇぇぇぇ‼

 もう解っていると思うが、コードネーム黒豹とやらはイルルカであり、白鯨の方はセバスである。褐色肌のイルルカが黒豹なのは、うん、分かるんだが。セバスが白鯨とは何のこっちゃ? 後ろにピチっと撫でた白髪ぐらいしか白要素が無いが。

 というかイルルカも剣にしか興味ありませんみたいな顔して人並みの欲望があるんだなー。オジサンは安心したよ。

 兎角この二人が主になって俺たちを尾行しているのは確かなのだが、なにも監視しているのこの二人で全員ではない。

「ねぇアーサー見て見て! 可愛らしいアクセサリーがいっぱいですよ!」

 アオイちゃんに度々市場案内されること幾星霜──というのは大袈裟に過ぎるが。世情に疎い公爵令嬢はもういない。

 慣れた足取りで露天商が不規則に並ぶ通りを睦まじく歩いていると、テレサは一つの店の前で足を止めた。品揃えを前に、美しい翠の瞳をキラキラと輝かせている。

 どうやら手作りらしきアクセサリーを販売している店だった。

「これ、お姉さんが作ったんです?」

「そうだよ婿殿! どうだい一つ? テレジア様に買っておやりよ。男の甲斐性の見せ所だよ!」

 テレサが公爵令嬢なのは、ヴァニラの住民であれば周知の事実である。普段、外行の恰好──平民に扮している時は気付かれないことも多いが、今日のおめかしバッチリの状態ではバレバレである。

(俺もすっかり婿扱いだし……)

 なんだか外堀を埋められている気がするが、一々訂正はしない。俺とてテレサは憎からず思っているし、その、責任はきちんと取るつもりである。

 ただ成人──十八歳になるまでは自由に動ける身でいたいのだ。

 それはこの世界で現状、複数のギャルゲーが観測されているからだ。……最悪、と言っていいのか分からないが、平和を守るためにはテレサ以外の女性ヒロインに手を出す必要がある。その際、婚約者がある身だと不都合が生じるからだ。

 なんで七歳の身空で国や世界の命運を背負わにゃならんのだ。知らなければ、すっとぼけて生きていられたのに、なまじ結末を、そして攻略法を知っているが故見過ごす真似が出来なかった。

 俺はテレサを横目で見る。

 彼女はうんうんと唸りながら、一つ一つアクセサリーを吟味している。その一生懸命で小動物を思わせる姿は、実に微笑ましい。

 そうして彼女越し、通りの奥へと目を向ける。俺と目が合った人物が、慌てて物陰へと隠れた。あれは、メイドのメアリーか。

 そのまま視線をつつっと横へ向ければ、また別の人物が白々しく、建物に寄りかかりながら新聞を広げていた。庭師のヘンリーまで来ているのか。

 この様子じゃ一体何人いて来ているものか、分かったもんじゃない。

 まさか屋敷の住人全員じゃないよな。ハハ、まさか、ね。

 俺はテレサへ視線を戻そうとして、直ぐ背後の人物に気付いた。一見どこにでもいるような妙齢の女性だが、その伸びた背筋。隠せぬ気品。俺が振り向く素振りを見せると彼女は平然と、しかして巧みに人混みへと紛れていった。

 ……侍女長、お前もか。


◇◇◇


 気を取り直して。

「う~ん」

「気に入ったのが無い?」

「おおっと婿殿? そいつぁ聞き捨てならないねぇ。師匠に比べたらまだ未熟な腕前だけど、ここに並んでる作品はどれもこれもアタシの自信作さ!」

「そうなんですアーサー。逆ですわ。どれもこれも素敵な品でして決められませんの」

 テレサの言葉にお姉さんは照れたように笑った。俺はほっこりした。テレサがこっそりと俺の足を踏んだ。俺は心で泣いた。

「……アーサーが決めてください」

「俺?」

「そうですの。アーサーが、私に、一番似合うと思う一品を選んでください」

 ──それでアーサーがどれだけ私を想っているか分かりますから、と。

 テレサはニコリと笑った。やだ怖い。

「ははは! こりゃぁ下手なところ見せられないねぇ婿殿!」

 くそう他人事だと思って。

 お姉さんは快活に笑った。笑う度に豊満な胸が揺れて俺の瞳も僅かに上下に揺れた。テレサの鋭い蹴りが飛んできた! 俺が僅かに足をズラすとテレサの蹴りは空を切った! フハハハハ! 同じ攻撃が二度通用すると熱ぅい⁉

 ちょ、ちょいテレサさん⁉ 焔が漏れちゃってますけど⁉ え、分かってる? わざとじゃないって? ……お灸にしては熱すぎるんですけど。

「はいはい。イチャイチャするのも結構だけど、早よ決めておくれ」

 流石に店の前で騒ぎ過ぎたか、呆れ顔のお姉さん。

 彼女に急かされたから、という訳ではないが俺はささっと一品を決めた。

「じゃぁこれを」

 テレサが悩んでいる間、俺自身いいなと思っていた物を指差す。

「おっ⁉ ペアリングたぁ、かーっ⁉ ちょいと婿殿、色男が過ぎるんじゃないかい⁉」

 うるさいよ。囃し立てるお姉さんを無視しペアリングを手に取る。

 シルバーとピンクゴールド色の二つの輪っかが交差している──クロッシングタイプの──宝石のついていないシンプルな指輪だ

 子供用では無いので俺たちの指では、当然ブカブカである。ふむ。

「ねぇお姉さん。リングの内側に名前を掘れたりしない?」

「そこまでするかい⁉ ……いやま、ほんと。婿殿、ほんとに七歳?」

「出来るの? 出来ないの?」

 可愛らしいアクセサリーを作るのだ。恋バナとか好物なんだろうが、んもー一々茶化すような反応をするお姉さんに俺の対応も雑になってゆく。

 無視して再度聞くと彼女は出来ると自信満々に答えた。そして指輪とは別に工賃が掛かるがいいのか、と尋ねてきた。提示された金額は、結構な値段がする指輪本体と比べれば雀の涙ほどであり俺は了承した。

「そ、そのアーサー? いいんですの?」

「あー、平気平気。テレサの護衛兼教育者としてそれなりに貰ってるから」

 庶民の金銭感覚を覚えたテレサが遠慮がちに口を開く。

 指輪は二つで中銀貨四枚(四十万円)。平民の月々の収入を考えれば、給料三ヶ月というヤツを遥かに越えている訳で。

 俺が平然と答えを返すと、お姉さんが恨めしそうな目線を向けていた。

「はぁー……。それで、どうするのさ? お互いの名前を彫ればいいのかい?」

「それでお願いします。一つはアーサー。もう一つはテレジアと」

 そのように頼むと彼女は何ら道具を用意することもなく、素手のまま指輪を握り締めた。

 掌に魔力が集まるのが感じ取れた。

 握り込んだ指の隙間から、僅かに光が漏れ出る。

「へぇ、金魔法ですか」

「そうさ。珍しいだろ? といっても、彫金師やってるヤツらは大抵使えるけどね」

 金属性は火と土の複合属性であり、火と土の適正が無いと使えない属性である。不思議なもので複合属性を使えるからといって土台となる基本属性──例えば氷は水と風の複合属性であるが──得意とは限らない。

 ものの十秒もしないで、お姉さんは掌を開いて指輪を見せてきた。

「ほら、出来たよ」

 指輪を受け取り内側を眺める。確かに「Arther」「Theresia」との文字が刻み込まれていた。

「お姉さん、そのネックレスチェーンも貰える?」

「いいよいいよ! その指輪に比べたら安いもんさ。オマケしてあげるよ」

 お、ラッキー。

 そりゃ一般的な成人男性よりかなり多くの給金を貰ってるとはいえ、出費は少ないほうがいいからなー。

 何に使うか、察してニンマリと笑顔を浮かべるお姉さんからチェーンを受け取ると、俺は改まってテレサに向き直った。

「テレサ」

「は、はい」

 その、俺の、常ならぬ気配を感じたのか、テレサが緊張気味に答える。

 ……あー、参ったなー。こういうのは幾つになっても慣れないっていうか、いや今の俺は七歳だったわハハハ。

 内心で一人、ノリツッコミをしているところを考えるに俺もそれなりに緊張しているらしい。こらそこ、お姉さん。ニヤニヤしない。

「あー、その。今の俺達は正式な婚約者ってわけじゃないわけで、その。だからって君を大事に思っていないわけでもなくてむしろ大事には思ってるんですよ?」

「……はひ」

 ぐあああぁぁぁぁぁ⁉ 俺の口は何を言ってるんだ⁉ 今すぐ閉じたい! この、口を‼

 しっかしそういう訳にも行かんでしょ。

 世のお父様お母様方はこの緊張を皆さん越えられているのかと思うと、頭が下がりますねハイ。

 いかん。思考が散乱してる。自分の鼓動がうるさい。

 テレサの顔もまた、熟した林檎のように赤いというのに。彼女はその潤んだ瞳で、逸らさず真っ直ぐに、俺を見つめ返していた。

「えー、まだ若い身ですので今後どのようにお気持ちが変わらないとも言えないと思うんですよ? だから、その、正式に婚約を結ぶのは早いと思うんですけど」

「……」

 あーやばいやばい! 心臓が爆発する! 最早自分が何を口走っているのかも分からない。

 そんな俺を、テレサは黙ったまま待ってくれていた。

 お姉さんは焦れったそうに、しかしてハラハラ見守っているし。気付けば周囲の人も足を止めて固唾を飲んで推移を見守っていた。

 でも今の俺に、気付ける余裕なんて無くて。

 俺は一度深呼吸をして、覚悟を決めた。

「──成人してから、あらためてこの指輪を受け取って欲しい。それまで気持ちが変らなければ、お守り代わりとして指輪を持っていて貰いたいんだ」

 言って「Arther」と刻まれた方の指輪をテレサへ手渡す。

 受け取った彼女は、それはそれは大事そうに胸元で握り締め、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「──アーサー。私の気持ちは変わりませんわ。ですから、えぇ。ちょっぴり残念ですけど、お守りとして受け取っておきます」

 ──仕方のない人。そう言って微笑む彼女に、見惚れてしまった。

「ふふ。アーサー、あなたの手で着けてくださいます?」

「う、うん」

 テレサは金糸の如き髪を寄せてうなじを露わにする。

 俺は自分の名前が刻まれた指輪にチェーンを通して、彼女の首へ──。


「やらせんわああああぁぁぁぁぁぁぁ‼」

「うわぁっ⁉」

「きゃっ⁉」

 俺とテレサの間をチョップが空を切った。

「こんのマセガキが! 儂の目が黒い内は、お嬢様に不逞の輩を近づけさせるものかっ‼」

「せ、セバス⁉ どうしてここに⁉」

 突如現れた──と思っているテレサ──家老にテレサは目を白黒させている。

 彼は怒り心頭といった様子で、普段の冷静さをかなぐり捨てている。

 いや、怒りたいのはこっちんだんですけど? お?

 今世でこれほどの怒りを感じたのは初めてかもしれない。

 いい加減このオジサマにも灸を据えてやらにゃあかん、と考えている俺の顔面にセバスの拳が振るわれた。

 ガギン、と。鈍い音が響き渡る。

「何をしているのですかセバス殿⁉ 我々見守り隊はお二人の初デートの甘酸っぱい様子を遠くから──!」

「止めるなイルルカ! 儂はどう合っても此奴に一撃を食らわせとんならんのだ!」

 当たる寸前、横合いから伸びて出た鞘付きの剣がセバスの拳を受け止める。

 騎士服サーコートの麗人、イルルカが飛び出して来たのだ。

「セバス様が乱心されたぞ! 総員確保! 確保ーっ!」

「うえぇ⁉」

「な、なんですの⁉」

 潜んでいた侍女長の叫びと共に、俺が思っていた以上にワラワラと現れるテレンス家のメイド隊。

「や、やめんか! えぇい、離せ! 離せ──────!」

 数とは即ち暴力である。

 セバスは成す術なく簀巻きにされ、あっという間に連行されていった。

 その一連の騒ぎを、俺とテレサはポカンと見詰めるしか無かった。

 残った侍女長がコホンと一つ咳払いをし、スカートを摘み優雅なカーテシーをしてみせる。

「さ。テレジア様、アーサー様。気にせず続きを──」

「出来るか‼」

 ツッコミが虚しく空に響く。



 俺は知らなかったのだ。

 この騒がしくも穏やかな日が、嵐の前の静けさだったなんて。

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