第45話 落着よ、お前はどこにいる
人目を避けるのは、アーサーにとってそう難しいことでは無かった。
彼には気配を希薄にする『
そうしてカンバラ宅の二階テラスからアカネの自室へ潜入を果たす。
ヒロインの中でも一番に女性らしいアカネの部屋は、以外にも簡素であった。
(そりゃそうか。現代と違って物が溢れてる訳でもないし、生活に余裕がある訳でもないしな)
「オイ、何ジロジロ見てんダ。さっさとアカネを運んでやレ」
「あ、あぁ。悪い」
ミヒャエルの指摘に居心地の悪さを覚えたアーサーはそそくさとアカネのベッドへ向かった。
(うっ……!)
簡素な部屋? とんでもない。
アカネの部屋に入った瞬間、僅かに感じた甘い匂い。
その濃縮バージョンが目の前のベッドからもわんと立ち込めていた。
背中にミヒャエルの刺すような視線を感じ、アーサーは誤魔化すように咳払いをしてアカネをベッドへ横たえた。
彼女の服装は、普通の町娘の恰好に戻っている。
運んでいる途中、変身が解けたのだ。
ううんと呻き声をあげたアカネの服が若干乱れ、鎖骨が顕わになる。
目は自然とそこへ吸い寄せられ、一条の汗が珠肌を滑る様の艶めかしいことよ。
どうして一々、彼女の仕草はエロいのか。それはアカネがギャルゲのヒロインの中で、ラッキースケベ担当だからだ。
色気を振りまくアカネをなるべく見ないように、そっと布団を掛けてやる。
それだけをするのに、ひどく労力を使った気がした。
「さて──」
「あン?」
「いや、これでさようならって訳にもいかんだろ? お前さんが何者なのか、何が目的なのか。どうしてアカネさんがこんな事に巻き込まれているのか、話してもらおうか」
「どうしてオマエなんかに──」
「あぁ、知る権利なんかは無いかもしれない。義務もな。だけどアカネさんが巻き込まれた、この一点だけでお前を見過ごす訳にゃいかないんだよ」
じっと、ミヒャエルなる獣を見詰める。
しばし無言の、目線だけの攻防が行われて、ややあってミヒャエルは観念したように息を吐いた。
そうして彼(彼女?)の言う事に耳を傾ける。
カレード星のこと、ミヒャエルのこと。裏切り者ルキフェルと
それらを聞き終えて俺は矢張りと内心溜め息を吐く。
(こりゃ絶対[金カフェ]関係じゃない、別のギャルゲだな。出てくる単語が地球のものと一致し過ぎる。ミヒャエルはミカエルでルキフェルってのはルシフェル、或いはルシファーと呼ばれる堕天使だろ? クピドはキューピッドの訛りか?
統一された設定、世界観にアーサーは確信を持っていた。
アーサーが恐れていた、新しいギャルゲの登場である。それはいい。いや良くないけど、無くなれと念じたところで変わりないのだから諦めるしかない。問題は──。
(俺がこのギャルゲを知らないってことだ。は? マジ? そんなことある?)
アーサーは前世の記憶を引っ張り出し、俗に云う異世界転生モノと呼ばれる作品を思い返す。
……いや、よくあるシチュエーションだわ。ゲームの中のイベントと内容が変わって知識が役に立たないのなんて。
「オイ、何黙りこくってやがるんダ」
「あー、すまん」
「……チッ。調子の狂うヤロウだゼ」
淫獣改めミヒャエルが怪訝な目を向けて来る。
俺はまず気になった点を尋ねる。
「なぁミヒャエル。そのルキフェルって奴はヴァニラにいるのか?」
「正直なトコロ分からネェ。ただ確かに、所々でアイツの気配は感じるんダ」
「……分かった。俺の方も公爵様に掛け合ってみるよ」
「いいのかヨ?」
「もちろんだ。領都を荒らすんじゃ他人事じゃないからな」
「すまネェ──ってオイ。何笑ってんダ、あ?」
器用に二本足で立ち、頭を下げるウサギだかタヌキだかパンダだか分からない、ミヒャエル。
何もそんな彼が滑稽で笑ったんじゃない。
「いや。こりゃ確かに、調子が狂うと思ってな」
「ハッ! 違ぇネェ!」
◇◇◇
翌、テレサの刺すような視線で背中をハリネズミにしながら俺は公爵の元へ向かった。
昨日の──ジェリーとミヒャエルから得た情報──報告をする為だ。
「遅かったな」
政務室に入って開口一番、ムスタファ公爵に嫌味を言われて俺は何とも曖昧な笑みを浮かべる。
彼の不機嫌は報告の遅れ、ではなくテレサを蔑ろにしている──ように見える──からだ。
出鼻を折られたが気を取り直して、昨日あった収穫を公爵に話す。勿論、ジェリーと行った取引──【暗夜の狂】のボス、ヴァミリオとの接触──や、巷を騒がしている正義の味方の正体は伏せてだが。
「ふむ。カレード・スカーレットとクピド、か」
報告を聞いてムスタファはその無表情を僅かに顰めた。
ムスタファは引き出しを漁り始め、そしてテーブルの上に青い煌めく粉が入った瓶を置いた。
「これは?」
「【ブルーブラッド】と呼ばれる、最近市場で流れている麻薬だ」
ムスタファが麻薬と口にした時、その響きに忌々しさが籠っていたのは聞き間違いではないだろう。俺もまた、苦々しい表情をしているだろう。
「そのスカーレット何某がクピド化した人間を浄化すると悪心が消える、だったか? 信じがたいが現在、そうと思しき人間が大量に留置所に居る。そして彼らは非常に強力的でね、聞けば快く情報を喋ってくれたよ。その共通点がコレだ」
俺はしげしげと【ブルーブラッド】なる麻薬を見詰めた。
自然界では滅多にお目に掛かれない煌めく蒼は、何とも不気味な印象を受ける。経口か注射か、方法は不明だがこれを体内に摂取しようなどと云う気は微塵もおきない。麻薬に手を出す時点で、人格かはたまた状況かが碌でもないことになっているだろう。
「分析してみたところほぼコカインであることが判明した。ほぼ、というのは一つだけ、不明な成分が入っているからだ」
(なるほどなー。多分だけどこの【ブルーブラッド】に人間をクピド化させる成分が入っているんだろう。ミヒャエルが感じるルキフェルの僅かな気配ってのが、その不明な成分だとしたら辻褄が合う)
一つの謎、が解けはしたがそれが意味するのは元凶たるルキフェルがヴァニラにはいない可能性が高いということだ。喜んでいいやら悪いやら。
「ということは公爵様? 次は【ブルーブラッド】の流通経路を探るんですね?」
「いや、その点なら大丈夫だ」
うん? 大丈夫だという公爵が、珍しく無表情を崩し何とも言えない表情を浮かべている。
「実はだ。昨日有力なタレコミがあった。麻薬の販路から取引方法まで、実に詳細で正確な情報だ」
喜ばしいことである。だのに公爵の顔は晴れない。
「分からんかね? この情報をもたらしたのが改心した、否させられた犯罪者からだからだよ。現在彼らの情報を元に番兵ならずテレンス家の私兵も使って徹底的な調査を行っている。早晩、報告がもたらされるだろう」
ははぁん、なるほど。公爵様は元犯罪者という点が気に食わないのか。
んまぁ気持ちは分かる。だけど罪を憎んで人を憎まずって言葉があるように、罪を犯した人間を絶対に許さない、ってのも社会としては不健全なんだろうなー。
そんな事、分からない人じゃないと思うけど。よっぽどの罪を犯した人物なのか? いや、有力な情報を持ってきたっていうなら、そうなんだろう。そりゃちょっと、思うところはあるわな。
「まー、公爵様。前向きに考えましょう。悪人が減って、善人が得するんです。ウィンウィンですよ」
「う、む。そうだな、婿殿の言う通りだ」
公爵はらしく清濁を飲み込むと、椅子に深く座り直し長い息を吐いた。
「どうあれ事態は動くだろう。既に幾つかの商会が摘発されている。尤も、全て
うんうん。この調子で[ボッタクル商会]の悪事の動かぬ証拠が出てきてくれれば、[金カフェ]の最大の懸念が潰せる訳で、御の字である。
いやまぁ[金カフェ]本編が始まる前に元凶を取っ払っちゃうのも、ちょっともにょるけど。
俺が[金カフェ]の主人公である
──使える! と内心ガッツポーズをする俺に公爵が声を掛けてきた。
「そこで、だ。婿殿に頼みたいことがある」
「はい? 頼み、ですか?」
「うむ。君にしか出来ない非常に重要なことだよ」
今日一番鬼気迫るムスタファ公爵に、俺は無意識に唾を飲み込んだ。
そうして彼は勿体ぶるように一拍置いて、厳かに口を開いた。
「──デートをしなさい」
「はぇ?」
デート? 誰が、誰と?
俺のぽえっとした表情に公爵は呆れとも怒りとも付かぬ口調で続ける。
「わざとかね? いいか。明日、テレサと、一日中ラブラブなデートをしてきなさいと言っているのだ」
「はぁ」
ラブラブて、あんた。全く公爵に似つかわしく無い単語が口から飛び出してきた。
すると見計らったかのようにギギギと、背後から鈍い音を立てながら扉の開く音が聞こえる。
ビクっと肩を跳ねさせて、ゆっくりと振り返ればそこには──扉との僅かな隙間、恨めしそうに覗き込むテレサの顔があった。怖っ!
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