第39話 蠢く悪意

「クソったれめ!」

 薄暗い路地裏。

 その男は溜まった鬱憤を乞食へとぶつけた。容赦も遠慮もない蹴りであった。

 蹴られた乞食は痩せ細った身体をくの字にして、その少ない胃の腑の中身をぶちまけた。

 乞食が何かをした訳ではない。ただ目に付いたから、という理由だけで男に蹴られたのだ。

 周囲にいた乞食仲間は助けるどころか、矛先がこちらに向くのを恐れて蜘蛛の子のように散っていった。

「落ち着けよバッソン」

「これが落ち着いてられるか、あぁ⁉」

 男の背後に控えていた小男──ギラルが男を諫める。と言っても本気で諫める気はなく、そういう体を取っているだけだ。

 男の正体は先程猫の手亭でアーサーに絡んでいた、バッソンその人であった。

 乞食には抵抗する気力も体力も無いのだろう。それを良いことにバッソンは何度も、何度も。容赦のない暴力を乞食に浴びせるていると、僅かにしていた身じろぎすらしなくなって、乞食は天に召された。

 人一人が死ぬなど、貧民街ではさして珍しくもない。それが乞食ともなれば、気にする人間は皆無であった。

 バッソンのささくれ立った気は未だ収まらないようで。周囲を見回し新しい生贄を探す。

「あのガキゃぁ! よりにもよってミドリの前で恥かかせやがって! しまいには客だと? フザけんなッ!」

(やれやれ……、そのガキに治してもらったのも覚えてねぇのかねコイツは)

 あれは俺の女だ、と。感情のままに周囲の物に八つ当たりするバッソンをギラルは冷めた目で見ていた。

 歯牙にも掛けられていない現実を前に、何が自分の女か。ギラルは無意識にし浮かべてしまった冷笑を、口元を抑えて隠した。

 単純なのは操り易くて助かるが、こうも脳味噌が筋肉で出来ていると流石に辟易する。

(しっかし回復魔法たぁ、教会の関係者か? そんなヤツが何でミドリと……)

 荒れるバッソンを無視してギラルは考える。

 ミドリはヴァニラの闇ギルド幹部であり、ここいら一帯を取り仕切っている女だ。

 そんなミドリと個人的な用件とは、普通のことではない。

(へへ、こりゃぁ教会を強請るいいネタが出来たかもしれねぇな)

 ギラルが内心皮算用を弾いていると不意に背後から声を掛けられた。

「ふぅむ、随分と荒れておいでですね」

「っ、なんだテメぇ!?」

 バッソンとギラルは弾かれたように振り返る。

 こう見えてバッソンはC級冒険者崩れである。冒険者をやっていた当時から素行に問題があり、最終的にギルド関係者に手を出して除名された経緯を持つ。

 対するギラルは単なるゴロツキである。だが自分は多少頭がキレると自負しており、現に腕っぷししか無いバッソンやその他脳筋どもを良いように使って甘い蜜を吸ってきた。

 そんな荒くれ者らの中を頭一つで乗り切ってきた、 だからだろうか。

 危険に対しては人一倍敏感であった。

(こいつぁヤベェ……!)

 目の前の、フードの男──無論、ボーゼスである──は濃い死臭の匂い放っている。

 どれだけの人間を殺めただろうか、想像するだに同じ闇に生きるギラルですら額に脂汗が浮かんだ。

 バッソンに気付かれぬよう、一歩下がる。

 いつでも逃げ出せるようにと考えてのことだったが、そんなギラルを、ボーゼスはフードの下に隠れていた蛇の如き目線で射抜く。

「っ」

 ただそれだけのことで、ギラルは動くことが出来なくなってしまった。

 明確になった狩る者狩られる者の立場に、ギラルは息をするのも苦しいというのに。

「おうおうおう! なんとか言ったらどうだ、あぁ!?」

 脳筋とは斯くも恐ろしく、頼りになるものだ。

 ギラルはかつてない程にバッソンを応援した。最早自分らの命運はバッソンに委ねられたのだから。

 しかし、バッソンに凄まれたところでボーゼスは滔々と語り出す。

「いえ、ね。気になって私、グール殿に尋ねたんですよ。【ブルーブラッド】の本当の効果を。そうしたら彼、眠れる才能を起こす秘薬だ、などと言うじゃありませんか。ならば、と思ったのですが。やはりそんな怪しげなもの、可愛い我が子ペットに、保証もなく使うのは気が引けるでしょう?」

「あぁ……? 何言ってんだテメェ? ヤクでもキメてんのか?」

 聞かせるでもなく、ただ一方的に話すフードの男にギラルは例えようのない恐ろしさを覚える。

 何故ならボーゼスの行為は、自分たちを一個の生命と見ていないことの現れだったからだ。

 顔を引き攣らせるギラルと対照的に、ボーゼスは優しく微笑む。

「えぇ、ですからあなた方の様な生きのイイ人間を探していたんですよ」

「はぁ!? 何をぐむっ────!?」

「お、俺は関係無ぐえっ────!?」」

 何だ、と思う暇も無かった。

 突如フードの下から伸びてきた腕が、バッソンとギラルの首を鷲掴むとそのまま二人を宙吊りにした。

 細身の男の、一体どこにそのような力が在るのか。いや、よくよく見ればその腕は、毛むくじゃらの熊のような、明らかに人間のモノではない腕だった。

 ボーゼスは獣人だったのだろうか? いや、不思議なこといフードの男は熊の如き腕と、自分のものと思しき人間の腕を持っていた。

 そうして熊の腕で大の男二人を宙吊りにしている一方、残った人間の腕でゆったりと、懐から瓶を取り出した。

 青い、煌めく粉が入った瓶だ。

 朦朧とする意識の中、それを見た瞬間ギラルの脳内で最大限の警鐘が鳴り響く。

「あがっ⁉」

「おぶぇ⁉」

 だが抵抗虚しく、空気を求めて喘ぐ男らの口に青い粉──【ブルーブラッド】は

容赦なくぶちまけられた。

 瞬間今までに感じた事のない熱が身体の奥底から込み上げてきた。

(あ、ぐうぅぅっ⁉ 熱ぃ! 何だこれ⁉)

「ふぅむ? どうやら個体差が激しいようですね」

 ボーゼスが何事かを呟いているが、ギラルの耳は意味のある言葉として捉えられなかった。

 ただ熱──そうとしか表現出来ないエネルギーが下腹から込み上げてきて、それを堪えるのに一杯々々だった。

 ただ──。

「──ほほう、これはこれは」

 男の関心の声が聞こえる。

 やけに耳に付いたソレに釣られて顔を上げると、自分同様に苦しむバッソンが見えた。いや、呻いているのは確かだが、その表情はどこか恍惚として見える。

「うがああああぁぁぁぁぁぁ────‼」

 咆哮と共に、自分の胸を掻き毟るバッソン。

 毟り取られた、血が肉が、周囲にへばり付く様子を目にしたギラルは胃の腑の中身をそのままぶち撒けた。ツンとした独特の刺激臭が目と鼻を刺す。

 既に致死量の血肉がバラ撒かれたというのに、奇妙なことに一向に勢いが収まる気配が無い。

 その答えはバッソンの胸肉が毟られるとほとんど同時に傷口が塞がっているからだ。次々溢れる新たな肉は、鈍い鉛色をしていて蠢きながら傷口へたむろする、その様はバッソンとは別の生き物のようで。生理的嫌悪を催すその光景がまた、ギラルの恐怖を煽った。

 そして溢れ出した鉛色の肉は遂にバッソンの全身を覆い尽くしてしまう。

 ──そして異形の人型が現れた。

 先程までバッソンだったものは彼より一回りも二回りも大きい。鉛色の肉の動きは未だ収まっておらず、異形の人型の表面は常に波打っていた。

「ふぅむ? 才能、というよりも願望を顕在化する性質でしょうか? この男の場合はさしずめより大きく、より強くといったところですかね」

 ボーゼスはバッソンの変化を冷静に観察し、そう判断を下した。

 彼の蛇の如き目がギラルを見下す。

「君の方はというと、はて? こう見えて意外に意思が強いのでしょうか? はたまた、既に才能も枯れ果てている、と」

 そのような事を宣う男に、ギラルは敵わないまでも文句の一つぐらい言いたかった。

 だが、内から湧き上がるこの熱が、己を喰わんとしているのを本能的に理解していたギラルは気を割くことが出来なかった。

 もう一度、バッソンだった肉人形を見る。

(嫌だ、あぁ、嫌だ……!)

 自分が悪人であることは百も承知である。当然、碌な死に方をしないことも分かっていた。

 だけど、これはあんまりではないか?

 死ぬにしてもせめて人間として死にたい。そう願うことも、悪党には許されないのか?

(助けてくれ……)

 涙が溢れる。

(誰でもいい、助けてくれ……!)

 全く、厚かましい、虫のいい願いだと分かっている。

 だがギラルはこの状況を打破してくれる誰かに願わずには居られなかった。



 ──果たして、小悪党の願いは届いた。



「ふむ、相変わらずお早い到着ですね」

 完全な変態を終えたバッソンだったモノは暴れるのを止めて、どころか呆けたまま動かない。

 そしてボーゼスの興味は最早バッソンから、天から舞い降りてくる者へと映っていた。

「そこまでです!」

 澱んだ空気を切り裂くような、澄んだ声が響き渡る。

(だ、誰だ?)

 ギラルは気力を振り絞り顔を上げる。

 彼の瞳に映ったのは──。

「罪なき人々の、愛と希望を守る戦士! 愛天使メタトロンカレード・スカーレット! ここに参上です!」

 そんな口上とポーズを決めて現れたのは。

 ──紛れもない天使であった。

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