第38話 蜘蛛糸に縋る

(何が目的だ?)

 領都ヴァニラに【八怪童】が二人いるという事実。

 それもジェリーとグールという、諜報や工作に長けた二人がである。

 その点から【暗夜の狂】の目的を探ろうとするアーサーだが。

(ダメだ……。情報が足りない)

【暗夜の狂】が水面下で蠢いているという事実以上のことは分からなかった。ただ、碌でもないのだけは確かだろう。

 当初想定した流れと大分変わってしまったが、有意義な会合ではあった。

「……私からもいいかしらぁ」

「えーと、なんだ?」

「最近話題になっているは、坊やの知り合い?」

「へ?」

 何だか意図の読めない会話に、アーサーの頭上に疑問符が浮かぶ。

「あらぁ、知らないの? 正義の味方って噂になってるわよぉ。どこからともなく現れて、悪人をやっつけていくっていう」

「いや……、初耳だけど」

「ダメねぇ。もっときちっと耳を澄ましておきなさいな」

 呆れた表情のジェリー。だが双眸だけはアーサーの一挙手一投足を見逃すまいと

鋭く光っていた。

 彼のとぼけた様子に、嘘は吐いてないと判断したジェリーは言葉を続けた。

「仕方のない子ね。ついでだから教えてあげるけど、不思議な話でねぇ? その正義の味方っていうのにやられちゃうと改心しちゃうって話よぉ」

「はぁ……?」

「私も最初報告を受けた時、おんなじ気持ちだったわぁ。でもね、事実なのよ。まったく……」

 ジェリーの言葉の端々に苛立ちが滲み出ている。

 どうやら正義の味方とやらは、ジェリーらにとって不都合な存在らしい。

 敵の敵は味方、などと安易に考えるつもりはないが、それをハッキリさせる為にも一度接触する必要がありそうだ。

(やれやれ。一難去って──ってか? 平穏はまだまだ先だな)

「本当に知らなさそうねぇ? ふぅん? もし興味があるんなら留置所へでも行きなさい。改心したたちがいっぱいいるわよぉ」

「マジですか……」

 一つ肩の荷が降りたかと思えば、二つぐらい新しい荷が乗っかってくるような状況に、アーサーも辟易した。

 かと言って見なかったことにする選択肢は無い。そのせいで対応が遅れ、退っ引きならない──【カオスローズ】で言えば邪神降臨のような──状況になってしまったら目も当てられないからだ。

「あらぁ、帰るのかしら?」

「あぁ。ジェリーのおかげで大分状況が掴めてきたからね。ありがとう。」

「そう……? 大した情報も渡していない気もするけどね」

 そうだろうとも。事実として互いに提示した情報の──真贋は置いておいて──多さ、重要性を考えればジェリーの側が貰いすぎている。

 彼女としても教えるつもりのなかったグールという手札を切ってしまったが、それを加味してもお釣りが出るほどだ。

 それ故にジェリーの機嫌は良い。懐から──文字通りのである──取り出した新たなるワインを開けると、グラスに波々注いでいた。

 そうして彼女の興味はアルコールに映ってしまったようで、アーサーが退出しようとしても一瞥すらくれることは無かった。

 ドアノブに手を掛けて、ふとアーサーの脳裏を疑問が過ぎり、彼はそのまま言葉にする。 

「なぁ、俺達は共犯者みかたってことでいいのかな?」

 その言葉にジェリーは鼻で笑う。

「私達はぁ、人類救済を謳う【暗夜の狂】よぉ?」

 敵も味方もあったものじゃない、と。彼女はグラスを傾けた。 

 はぐらかされてしまった気がするが、多分「自分たちのスタンスはこれからも変わらない」と言いたいのだろう。うーん、厄介な。

 現状【八怪童】で話が通じそうなのが、現状ジェリーと【機人エメト】ぐらいだからなー。あ、【不壊の空海】もワンチャン話が通じるか? 空海だけは【八怪童】で唯一、本気で人類救済に取り組んでいるからだ。でもなー、人類救済を本気でやろうとしているマジモンでもあるからなー……。

 ……どうにか彼女ぐらいは味方に引き込んでおきたいんだが。

 そこでアーサーは一計を案じた。

「そうだジェリー。正義の味方の対価って訳じゃないが俺からも一つだけ忠告しておくよ」

「なにかしらぁ?」

「グールには気を付けろよ」

「……」

 ──不和という名の石を投じる。

 ジェリーはあからさまに不機嫌になった。

 そりゃそうだろう。ジェリーと共に【スクール】時代を過ごしたロアとグール、ロッテはある意味幼馴染である。不遇な下っ端時代を共にした仲間である。

 それを外様であるアーサーなんかに、どうして疑われねばならないのだ。彼女の不機嫌の理由はそんなところだ。

 ジェリーの機微を察したアーサーは「失敗した」と顔を歪める。

(ええい、ままよ! なるようになれ!)

「グールの能力は、言うまでもなく知ってるだろう? アイツにとっては自分以外の人間は全てでしかないんだ」

 それはヴァミリオルートのこと。

 己の野心──全人類を統べる──を遂に剥き出しにしたグールは、手始めにジェリーを。身近で、警戒心も薄く、有用な能力を持っていたからだ。

 こと戦闘面に置いてジェリーは【八怪童】の中でも下から数えた方が早い。

 しかし物理攻撃の完全無効化と変装・潜入能力。そしてスライムの一片でもあれば復活出来る再生能力は、便利という他ない。

 事実ジェリーと他の【八怪童】の面々を取り込んだグールはヴァミリオルートでラスボスとして立ち塞がった。

 その、巨大にして無謀なる野心を、今のグールが持っていないと断じれる材料を、アーサーは持っていない。

「……そう。それじゃ、食べられないように気をつけなさいね坊や」

 対してジェリーは、感情の読めぬ声を返した。

 よほど気に触ったのだろう。ジェリーはアーサーに背中を向けて、また酌へと戻る。

 その姿を最後に、アーサーは部屋を後にした。


◇◇◇


「待って」

 背後から蝶番の軋む音がして、私はつい声を上げてしまった。

 私は振り返らない。だが、足音が止まったことから、まだそこに居てくれているのだろう。

「どうしたんだ?」

「っ、ロアは──」

 私が二の句を告げずにいると、坊やの方が言葉を紡いだ。

 変声期を迎えていない坊やの高い、少年とも少女ともつかぬ声は正に「神様の贈り物」と言うに相応しいだろう。

 ……アイツとは全く似ても似つかない。なのに。

 ──心配そうな声色だった。

 味方ではないと言ったばかりの私を案じるなんて、お人好しが過ぎるだろう? そんな心根が、アイツを思い出させたのだろう。それはいい。それはいいのだ。

 ──どうしてロアは私を連れて行ってくれなかったの?

 こんな、血迷ったことを、坊やに聞こうなんて思ったのだろう。

 坊やが、あんまりにも何でも知っているかのように振る舞うものだから。アイツを思い出させるような振る舞いをするから。こんな、こんな馬鹿なことを聞いてしまいそうになってしまったのだ。

 そう心にケリをつけて、ジェリーは「何でもないわ」と言おうとした。言おうとしたのに。

 ──言うまでもなく。彼は最初から分かっていた様に答えを続けた。



「んー、今俺が、テレサを連れてきてないのと同じかな」



 少年は事も無げに言った。

「どういう……?」

 つい、振り返ってしまう。

 坊やは実に不思議そうに首を傾げていた。全く。憎たらしいほどに可愛らしい仕草だ。

「えーと、だからさ。大事な人だからこそ、連れて行けないこともあるだろう? 【暗夜の狂】を抜けるってのはそういうことだろ」

「そ、れは──────」

 考えたこともない視点だった。

 アイツに置いていかれた現実を認めたくなかった。怒りを、憎しみを正当化して、平静を保っていた。それがまさか。

(本当、なの?)

 それを答えられる人物はここにはいない。

 彼を失った時憎悪に縋ったように、また自分に都合のいい答えに縋ろうとしているだけなのかもしれない。それでも──。

「……ぁ」

「あーだからさ。その、ロアと出会ったら、話し合ってみてくれよ。半殺しにしても構わないからさ」

 何故かアーサーの方が、気まずげに目を背けていた。

「……ふ、ふふ。何よ、それ」

 ジェリーは口元を抑えて笑った。

 憑き物の落ちたその表情は、ギャルゲのヒロインに相応しい、見惚れるほどの微笑みだった。

(いや、今ロアを失うと痛いんだよなー)

 アーサーが気まずそうにした理由。何もジェリーを案じてのことだけではない。

 ロアを失ってしまうと邪神への対抗手段が失くなってしまう。その事態を恐れたのだ。

(まぁ、今言ったのは本当のことだけどさ)

 事実としてロアは、ジェリーを大切に思っていた。

 思っていたからこそ【暗夜の狂】を抜ける暴挙に、彼女を巻き込むまいと考えてヴィオナと共に逃亡したのだ。

 その事実を知るアーサーから見れば、今の怒りに囚われたジェリーは見ていられなかった。

 余計な一言だったかと心配したが。

(いやまー、言っといて良かったよ。うん)

 今のジェリーを見れば、失敗だったなんて、とても思えない。


◇◇◇


 今度こそ一人になってジェリーは呟く。

「大事だから、か……」

 残された部屋はやけに広く感じ、階下の喧騒が微かに聞こえるだけだった。

 なんとも不思議な少年である。才能は言うに及ばず、頭のキレも到底子供のものとは思えない。かと思えば、不釣り合いなほどに平和ボケした一面を見せる。

 そのせいか、つい口にしなくても良いことまで口にしてしまった。

(坊やの言う通りなら、どれだけ救われるのかしら、ね……)

 ワインの入ったグラスを軽く揺する。曲面のガラスに、歪んだ自分が映っていた。

 波紋はグラスという小さな世界でだけ存在して、縁に打つかってはまた中心へ戻ろうとする。決して世界からははみ出なかった。

 しばしその様を見ていたジェリーだが、クスと笑って残りのワインを一息に煽る

「ま、そうねぇ。坊やの言う通り、ロアのやつ。今度会ったら半殺しで済ませてあげましょうかねぇ」

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