第37話 蜘蛛糸を渡る③
「……何が望みなのかしらぁ?」
ジェリーが今一度腰を下ろす。
対話の姿勢を見せてくれる彼女に、俺はほっと胸を撫で下ろした。
俺があからさまに安心した様子を見せると、癪に障ったジェリーにぎろりと睨まれてしまう。
「勘違いしないで。協力するかどうかは、坊やの望みを聞いてからよぉ。主導権はあくまで私」
──いい? 威圧的なジェリーの瞳が物語っていた。
気付けばテーブルの上にあったジェリーの腕が、溶け落ちていた。
丸テーブルの淵から、彼女の腕を模していた粘液が滝のように零れてゆく。その先に目を向ければ彼女の脚が目に入り、その両足も溶け崩れ床にスライムのプールを作っていた。
プールは明確な意思の元、俺の膝下まで覆い拘束していた。
俺は緊張を飲み込み、敢えてひょうきんに振る舞う。肩を竦めるだけの俺を見て、ジェリーの眉が怪訝に歪んだ。
「そんな事をしても逃げないし、嘘も言わないよ。俺はジェリーの信頼も欲しいからね」
「っ……! いいかしら坊やぁ。忘れているようだけど、私達は敵同士なのよぉ? 信頼なんて甘っちょろいこと言ってると、いつか足元を掬われるわよぉ?」
「いや、信頼することと敵対することは相反しないだろう? 敵であろうと信頼できる相手は出来るだろうし、その逆も言えるだろ」
俺を拘束するスライム体が震え、ジェリーの動揺が如実に見て取れた。
彼女の言葉は信頼していた味方──ロアに裏切られた過去に依るものだと、俺は理解している。ずるいと言わば言え。この不利を打破する為なら、使えるものはなんでも使ってやる。
「……それでぇ? まずアナタの望みを聞かせなさい」
元より対等な立場では無いのだ。
ジェリーが一方的に情報を得ようとするのは当然で、彼女を諫める材料を、俺はまだ提示出来ていない。
膝下までを包んでいたスライムがその存在を誇示するかのように蠢動し、股上まで這いあがってきた。未だ油断をしてよい状況では無いのを、否応もなく思い出させられる。
俺はまたも単刀直入に切り込んだ。
「ヴァミリオに手紙を渡して欲しい」
「……手紙?」
「あぁ、今すぐって訳じゃないけど。俺が望んだタイミング、俺の言葉を、ヴァミリオに伝えたい」
「手紙を渡す? それだけぇ?」
俺は頷き、ジェリーの視線を真正面から受け止める。
ジェリーは考え込む。黙した彼女の中でどのような計算が行われたのか、それは分からない。
「……渡すだけよぉ? それでボスがどういう判断を下すかまでは、保証しないわぁ」
「十分だよ」
俺は最大の成果を得られたことに内心ガッツポーズする。
ヴァミリオは【カオスローズ】のボス役でもあるが攻略可能ヒロインでもあるのだ。そして彼女の攻略の鍵を、俺は知っている。
鍵を手に入れた時こそ、ヴァミリオ引いては【暗夜の狂】を手中に収める時となるだろう。
小躍りしたくなる成果だ。そんな内心を誤魔化すように、努めて顔に力を入れる。ジェリーが変な視線を寄越してきた。
「……それでぇ? 協力してあげてもいいけどぉ、アナタはロアの何を知ってるのぉ?」
──情報次第だと。ジェリーはねっとりと喋った。
攻略可能ヒロインである彼女にとって──。いや、この言い方は下品だろう。
彼の情報ならどんな些細なことでも知ろうという姿勢。今は憎悪に囚われているが、結局はその感情の大きさ故である。
俺は小さく息を吐いて、気を引き締め直す。
「まず先に言っておく。ロアの居場所は知らない」
「そうねぇ。探していると言っていたものねぇ」
ジェリーは神経質そうに指先で机を叩いて、苛立ちを露わにした。
「俺が提供出来る情報っていうのは、ロアと共に逃げ出した少女のことだ」
──指先が、止まった。
「少女の個体名は【V07S】──アンタらのボス、ヴァミリオのクローン体だ」
「っ⁉」
「っと。疑問や質問があるだろうが、そういうのは最後に頼む。今は俺の話を聞いてくれ」
「……」
再び腰の浮き掛けたジェリーを、俺は先んじて牽制する。
ジェリーは不満を覚えたもののそれを押し殺して、俺の言う通りにしてくれた。
「【V07S】──ロアがヴィオナと名付けた少女はヴァミリオのクローンな訳だが、一体何の為に? ヴァミリオは自分のクローンを生み出したのか、幹部らにも秘匿しているのは何故か?」
俺はジェリーの反応をつぶさに観察しながら、話を進める。
「名前から分かる通り、ヴィオナは七番目のクローンだ。その作り出された理由──存在意義なんだけど、彼女らは死ぬ為に作られたんだ」
「は──?」
言っている意味が分からない、いや理解したくないと言った風に呆けるジェリー。
疑問を挟みそうになった彼女を、再度椅子に座るよう促す。
「いいか? ヴァミリオは本物の化け物だ。八〇〇〇年を生きる不老不死の怪物だ。そんな彼女の本当の願いは、自己の消滅なんだ。死ねない身体の、死に方を、彼女は自分のクローン体で試しているんだ」
一体目のクローン【V01S】は斬首した時点で死んだ。失敗である。
二体目【V02S】は焼却炉に放り込んだところ、四十三時間生存した後死亡した。失敗である。
【V03S】、水中で三分間生存の後死亡。失敗。
【V04S】、真空空間下で十分弱の生存、死亡。失敗。
【V05S】、三六〇時間に及ぶ魔法攻撃に耐えるも後に衰弱、死亡失敗。
【V06S】、度重なる死亡実験に耐え兼ね発狂。成功に最も近いと思われたが、自ら生存の意思を放棄。その瞬間、肉体の自壊を確認。失敗。
【V08S】、成長不良。失敗。破棄。
【V09S】、成長不良。失敗。破棄。
【V10S】、成長不良。失敗。破棄。
──【
他Sシリーズの実験にも耐え、自我崩壊の兆候も無し。
更なる実験が予定されるも【全なる獣ロア】によって奪われる。
現在、07の居場所は不明である。
また、以降のSシリーズの成長不良は07の生存と因果関係があるとみられる。
07の発見次第、残り実験を消化する予定だが、それまでは【V計画】は当面凍結する。
「っ‼ ぁ────‼ ………………続けて」
信じ難い説明を受けたジェリーの怒りは一瞬で頂点に達したが、彼女は多大な理性を以てその激情をどうにか抑え込むことに成功した。だが、その理性と感情はギリギリの所で保たれているのだろう。彼女の己を掻き抱くその腕に、己の指先が深く食い込んでいた。
俺はジェリーの理性の強さに感心し、約束を守ってくれる彼女に深く感謝した。
「許せなかったたのはロアも同じなんだろう。彼は【V07S】──ヴィオナを救い出して、【暗夜の狂】を抜けたんだ」
今更思うのだが、地の文が──その時の登場人物の心情が解るというのチートにも程があるだろう。
ロアとジェリー、それとグールとロッテの四名は【スクール】と呼ばれる【暗夜の狂】の育成機関の出だ。
孤児なのか、はたまた誘拐されてきた子供なのかは不明だが。兎も角、物心のついていない子供らを集めて、後に【暗夜の狂】の構成員となるべく洗脳教育を施される。
教育などというが、その内容は苛烈そのもので、一言で表すなら蟲毒だ。
そんな【スクール】を生き延びた人材は、当然エリートである。しかしエリートと言えど、時点では代替の効く、人的資源でしかない。
そこから唯一無二の幹部に成るには、【暗夜の狂】の人体改造の施術を受け、更には適応しなければならない。失敗すればよくて末端構成員のまま、悪くて廃棄である。
そんな改造・実験の果ての、最大の成功作が主人公【全なる獣ロア】なのだが。とりあえず今は置いておこう。
非道な実験を繰り返す【暗夜の狂】だが、それでも、ロアやジェリーにとっては故郷で、家族には変わりなく。そういう思いが根底にあるからこそ、彼らは人類救済などというおためごかしの元、活動しているのだ。
……自分の知らない、隠された組織の一面を知らされてジェリーはどう思ったのだろうか?
まず浮かぶのは疑念だろう。俺の如き子供が、如何に幹部すら知らぬ組織の内情を知っているのだろうか? という疑念。
次に情報の精査を行うだろう。嘘か真か。ならば何処までが真実であるか。
しばし無言のまま時が流れる。
瞑目したジェリーの、考えが纏まるまで辛抱強く待っていると、ややあって彼女は口を開いた。
「……質問があるわぁ」
「どうぞ」
「情報の出所は?」
「言えない。これだけは口が裂けても言えない」
情報は財産である。そして実力で劣る俺が持つ、唯一の優位性だ。
俺の強気な態度にジェリーは目を細める。
「いいこと坊やぁ? 私達がその気になれば、アナタの持ってる知識は根こそぎ奪えるのよぉ?」
「グールが来てるのか?」
俺の言葉にジェリーは「しまった」と表情を歪めた。衝撃的な──嘘か真か──事実を突きつけられたばかりだ。見た目ほど冷静さは取り戻せていないのかもしれない。
「……そう、そうね。こちらだけ一方的に得をするのも違うわよねぇ。えぇ、そうよ。ヴァニラには今、私と、グールが来ているわ」
意趣返しのつもりか、「その理由は言えないけどね」と言うジェリー。
【八怪童】が二人もいるという事実には驚きを隠せない。
そんな俺の姿に溜飲を下げたか、ジェリーはクスと笑った。
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