第35話 蜘蛛糸を渡る①

「それでぇ、話したいことって何かしらぁ?」


 イカサメを倒したあの後。

 俺は意を決してジェリーに「話がしたい」と声を掛けた。

 彼女は怪訝な顔をしたものの、俺の言葉に耳を貸す程度には興味を持ってくれたようで。

 時と場所を改めて、再会の約束した。尤も──。

「日にちと場所を決めるのは私。連絡も、私からするわぁ」

 ──この条件が呑めない限り、この話はだ。

 そう言わんばかりの態度であったが俺は了承した。

 そして今日。如何なる手段か、公爵家に間借りしている俺の部屋、その枕元に一通の手紙が置いてあった。

 恐ろしい話である。俺は何時、手紙を置かれたのか分からなかったのだ。何時でも、好きな時に、寝首を搔けるという事に他ならないからだ。

 肝心の手紙の内容はこうだった。

「教会の鐘が三つなった昼、ウエスカー通りの猫の手亭にて」

 実に簡潔な内容である。簡潔さに反し、手紙の最後に付いていたキスマークがやけに情熱的であった。

 黙って出掛けることも考えたが、後日俺とジェリーが話し合うことを、テレサだけは知っている。

 面倒になると分かっていても、俺は一言、テレサにだけジェリーと会ってくると伝えた。

 案の定テレサは「私も行く!」と言って聞かなかったが、俺はどうにかこうにか彼女を説得して公爵家を後にした。

 どんな風に説得したかって?

 ……「一日なんでも言うことを聞く件」を渡したんだよ。それを渡した時の彼女の、「なんでも? なんでもですの!?」と鬼気すら感じる念の聞かれ方からして。

 あーもー、何に使われるのだろうか。考えるだけでも憂鬱だなー……。

 

◇◇◇


 そうして教会の鐘が三つ、時間ぴったしに猫の手亭にやって来た。

 裏通りと言っても過言でない立地にある猫の手亭では、余程大きなトラブルでも起きないと騒ぎにすらならないだろう。

 今の俺は、突発的な戦闘が起こることを想定し、普段から持ち歩く短剣ばかりか愛用のクロスボウも腰に引っ提げている。

 そうして一呼吸後、念のため身体強化を施してからスイングドア──西部劇でよく見るアレである──を押した。蝶番がキイと軋みを上げて、客の視線が一斉にこちらを向いた。

(わぁお)

 案の定というか、ガラの悪い連中が多い。

 その内一部の連中の目の色が変わった。

 今のアーサーは公爵家預かりの身である。その身なりは、どう見積もっても貴族のソレであった。

 ビシビシと突き刺さる視線を無視し、真っ直ぐにカウンターの店主と思しき人物へ声を掛ける。

「あのー、すいません。ここで人と会う約束をしてるんですけどー……」

「……悪い事は言わねぇボウズ。さっさと帰ってママのミルクでも飲んでな」

 なんて、弩定番な返答をされて俺は一種の感動を覚えた。

 顔に大きな傷のある強面だが、子供に忠告をするぐらいには良心があるようだ。俺の中で名も知らぬ店主の好感度が人知れず上がった。

「すいません、そうもいかないんですよ。ジェ──ミドリって人と──」

「へへ、ボウズ。ここがどういうとこか分かってんのか? ん?」

 店主と俺の会話に、横から大男が割り込んできた。

 これまた強面の、頭髪の無い男であった。なんというテンプレ展開。

 鎧の下にはきっとご自慢の分厚い筋肉があるのだろうが、最近こういう手合いを見るとどうもムスタファ公爵と比べてしまう。

 学者と思えぬ筋骨隆々さ。まぁ貴族っていうのは例外なく平民を守る義務を──きちんと守っているのがどれだけ居るかは知らないが──負っているからなー。あの人も戦場だと見た目通りの活躍をするのかもしれない。

「無視するとはいい度胸じゃねぇか!」

 大男と想像の公爵を比べるなどして応じるのを忘れていると、大男は一瞬で激して俺の胸倉を掴んできた。

 下卑た笑い声が店内に響き、唯一店主だけが「面倒なことになった」と溜め息を吐いていた。

 あー、どうするかなー? ハッキリ言って目の前の、強面を更に凄ませて睨んでくる大男に脅威は感じない。どころかパッと見、店内の全員が襲い掛かって来ても返り討ちにする自信がある。

 しかし好んでトラブルを起こす気はないのだ。

 どうにか穏便に事を運べないかと考えている内に、男の忍耐の限界は迎えたようで。

 大男は拳を振り上げ、見るからに凶暴そうなソレを俺の顔面に叩き込んできた。

 ──グシャと、骨の砕ける嫌な音が猫の手亭に響く。

「おいおいバッソン、やり過ぎんなよ。折角の上物が傷が付いて価値が下がったらどうすん──」

「痛えええええええぇぇぇぇぇぇ‼」

 猫の手亭に悲鳴が響く。

 周囲の人間も、何が起きたか理解していないようだ。

 バッソンと呼ばれた大男の殴った拳が、血みどろに塗れている。

 見れば指先からは折れた骨が突き出していて、実に痛々しい。どれだけの力で殴るつもりだったんだコイツは……。

 俺? 俺はなんともないよ? 拳が当たる寸前に中級金魔法の『鉄皮ハードスキン』をそっと発動しといたからね。名前の通り、肉体に金属の硬さを得る魔法だ。火と土の複合属性魔法だから使い手の少ない魔法だ。

 まさか七歳そこらの子供が使えるなどと、誰が思おうか。

 そのおかげで砕けたのは男の拳の方だ。

 呆れが俺の心の大部分を占めたものの、大の男が恥も外聞もなく痛みに喚くその姿は、憐れさを感じさせるに十分であった。

「大丈夫か? 『治癒ヒール』」

 バッソンの傷ついた拳に回復魔法を唱えてやる。俺の掌が淡く緑色に輝き、光に触れた箇所はたちまち癒えていく。

 呆けたバッソンの視線と真正面からかち合い、気恥ずかしさを誤魔化すように俺は軽く咳払いをする。

「えーこれに懲りたらですね、暴力に訴える前にまず人の言葉に耳を貸そうと──ん?」

 そこで気付く。

 水を打ったような静けさと、俺に向けられた化け物を見るような視線。

 あ、回復魔法はあんま人前で使うもんじゃなかったか……?

 どうしたものか。酷く怯えられてしまった。んまぁ無駄に因縁つけられるよりかはマシかと考え、改めて店主と向き直った。

 その時、頭上から声が発せられた。

「何の騒ぎかしらぁ?」

「ミ、ミドリ……」

 階上から姿を見せたのは妖艶な美女。俺の探し人だった。

 畏れるようなゴロツキどもの声。彼女が猫の手亭で、何某か力を持っている立場であることが察せられた。

 軽く手を上げて見せると、彼女は困ったように肩を竦めた。

「マスタぁ、ちゃんと言っておいたでしょう? 今日私のが来るって」

「おい、まさかお前の言ってた客って──」

「ふふ、そうよぉ?」

 店主の顔が驚愕に大きく歪む。彼は俺とミドリ──ジェリーの顔を何度も往復させて見て、その強面を覆い天井を仰いだ。

 ……彼の奇妙な反応からようやく俺も察した。

 今一度店内を見回す。

 昼間から酒を煽る男連中。そんな男どもにシナを作り酌を注ぐ女。

 更に見れば、同席する男女の数は同数であった。

 ……そういうお店でしたか。

 未だ静寂に囚われた店内をそそくさと縫って、俺はジェリーの元へと

「さ。私達は二階でお話しましょう。とねぇ?」

 露骨に思わせぶりな態度を見せるジェリーに対して、俺はどう反応したものか困っていた。

 返答に窮したその姿は、他者が見れば初心な少年に見えたろう。実態は違うのだが。

 ジェリーは増々笑みを深めると俺の腕に自身のソレを絡める。非常に身長差のある俺達だ。腕を組む、ただそれだけの為にわざわざジェリーは深く腰を折っていた。

 そうして並んで階段を登ってゆくと、背中に店主から声が掛けられた。

「おいボウズ、……死ぬなよ」

 えぇ……、何なのぉ? 怖いんですけど。

「──ふ、ふふ。失礼な男よねぇアナタ。私が相手してあげた人らは皆天国へ逝ったのに、ねぇ?」

 え、ジェリーさんや? その天国ってマジの天国じゃないよね? ね?


◇◇◇


 個室に連れ込まれると、ジェリーは後ろ手に鍵を閉めた。

 部屋に入った瞬間、鼻をくすぐる甘ったるいこの匂いは媚薬の類だろうか? 脳が霞み掛かる感じがして、あまり長居をしたくはない。

「何か飲むかしらぁ? と言っても、お酒しかないけどぉ」

 クスクスと。ジェリーは赤い液体の入った水差しピッチャーを軽く振る。とぷんと、ガラスの中で暴れた。

 ここは敵地である。何を入れられるか分かったものではない。

 何も要らないと意思表示をすると、ジェリーは残念そうにしながら自分のグラスにだけワインを注いだ。

 ──そして丸テーブルを挟んで、ジェリーと向かい合う。

 俺は正しく死合いに挑む心持ちでジェリーと相対した。

 一方真向かいに座った彼女は気楽そのもので、頬杖を突いたまま足を組み直すと、その太ももの素肌を大胆に晒け出してきた。

 ジェリーは艶然と微笑むと、こう言った。。


「それでぇ、話したいことって何かしらぁ?」


 そして冒頭へと戻る。

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