第33話 尾行。そして再会

(ううむ、尾けてきますか)

 アーサーらが後を追うフードの男、ボーゼスは片目を瞑りながら低く唸った。

 不意のアーサーとの遭遇から。アーサーがボーゼスをマーキングしたのと同様に、ボーゼスもまたアーサーを監視していた。

 彼の視界の半分、眼を瞑った瞼の裏側にはアーサーらを上空から捉えた視界が広がっている。

 ボーゼスが使役する、キラーバットの視界であった。

 俯瞰した視界の中央にアーサーとテレジアの姿を捉えると、自然視界の端ぐらいに常に自分が映っているのが分かった。

(はて、手段は不明ですが、……かなり正確ですね)

 アーサーらは付かず離れずの距離を常に保っている。何らかの手段でこちらを把握しているのは間違いない。しかし自分らが見られている事には気付いていないようだ。

(ううむ……)

 ボーゼスは考える。一方的に状況を理解している利。何とか上手く利用出来ないものか。

 けられているのが解っている状態で、まさかアジトへ戻る訳にもいかない。ボーゼスはアーサーらを──期待は薄いが──撒くべく無意味な路を選んで歩いた。無論、不審な動きをしてアーサーらが疑いを持たぬように慎重に。

 しかし矢張りというか。少年たちを撒くことは出来なかった。

(……おや?)

 千日手に陥ったかと思われた状況に変化が見えた。

(……釣れれば儲けもの、ですかね)

 キラーバットの視界に映ったそれを見、ボーゼスはややあってその足をある場所へと向ける。


◇◇◇


「……ここに入って行きましたわね」

 テレジアは目の前の、下水溝を睨んだ。

 大人の男性が優に入れる大きな空洞である。絶えず汚れた水がチロチロと、水路にそのまま垂れ流しになっている。空洞の先の暗闇から生暖かく不快な臭いが吹き出し、それがまた巨大な生物の口内を連想させた。

 テレサの視線が訴えて来る。「どうしますの?」と。僅かな嫌悪感が見え隠れしていた。

 ……正直言うと、違和感はあった。フードの男の足取りには目的が見えず、あちらへフラフラこちらへフラフラ。尾行がバレていると考えたほうがいい。

 往々にして下水道内部は迷路の如き様相をしているのが常である。

探知サーチ』に映っていた光点は、既に範囲外へ消えてしまった。

 相手の足取りも絶え、こちらは守るべき対象まで抱えている。

 となれば取りうる行動は一択であった。


 ──戻ろう。


 アーサーがそう口にしようとして、出来なかった。

 肩口越しに背後から伸びてきた腕がアーサーの口を塞いだからだ。

(しまっ!? 男に気を取られ過ぎてたか‼)

「アーサー!」

 背後を取られるという致命的ミスを犯し、アーサーの身体が強張った。

 テレジアの必死の叫びを聞き、アーサーは高速で思考を回転させる。

 幸いと言うべきか、肩口から回された腕の力は弱く、アーサーを完全に拘束するほどではない。どちらかと言えば、しなだれ掛かるような──?

 相手の意図がまるで読めず困惑するも、とりあえず自由な右腕で魔法をぶっ放そうか。そう考えたアーサーの耳に、甘い吐息が吹きかけられた。

「駄目じゃなぁい? 子供がこんな人気のないところに来ちゃ。悪ぅい大人に攫われちゃうわよ?」

 甘く、蜜のような声。

 耳元で囁かれたソレを聞き、一瞬呆けてしまうアーサー。

 緊張感が解けたせいか、次いで彼が感じたの背中に押し当てられた重量感たっぷりの脂肪の塊の、ふにゃふにゃとした感触。

 ──おっぱいである。

「うふふアーサー鼻の下が伸びていますよ? どうしましょうこれでは手が滑って二人とも黒焦げにしてしまいそうですわ」

 テレジアの極寒を思わせる口調に、アーサーは慌てて腕を振りほどき飛び退く。

 そうして己を抱いていた者の正体に気付き、彼はぎょっとした。

「あんっ。もう、つれないわねぇ」

 果たしてそこにいたのは[ボッタクル商会]の女スパイ、ミドリであった。

(いや、違う。彼女は──)

「……ジェリー?」

 つい、その正体を呟いてしまう。

 瞬間ミドリ、いや【無貌のジェリー】の纏っていた甘い雰囲気が消え、代わりに全身から殺気が立ち上る。

 アーサーは無意識にテレジアを背に庇う。

「……あらぁ? よく知っているわねぇ坊や?」

 アーサーは無駄にジェリーの警戒心を煽ってしまった己の軽率さを呪う。

 ──下手なことを言えば即敵対行動に移る。ジェリーの殺気は雄弁に語っていた。

 焦燥感がアーサーの思考を鈍らせるも、背後に庇った少女が放った短い悲鳴が、彼に冷静さを取り戻させた。

 一度の判断ミスが命取りになる。そう己に言い聞かせつつも、アーサーは極力肩の力を抜いて口を開いた。

「いやー? 一度会った美しいお姉さまを忘れることなんてないですよ?」

 以前ジェリーと相対した時に交わした会話を思い出させるような言葉選びをする。

 敵対する意思が無いことを見せる、話の取っ掛かりに放った軽口であった。

 が、これがどうして思いの外ジェリーのツボに入ったようで。

 彼女は呆気に取られた表情をして、次に腹を抱えて笑い始めた。

「ふ──ふ、ふふ! な、何よそれ……! ふ、ふふふふ! ほんと坊やはおかしな子よねぇ……!」

 想定とは異なるが、少なくとも今から殺し合いをする、という空気は霧散した。したのだが──。

 アーサーの背中がヂリヂリと煙を上げた。

「熱ぅっ!?」

「うふふアーサー、アーサー? どうしてアナタはアーサーなの? どうしてアナタはすぐ目を離しすと綺麗な女性と知り合っているの? うふふふ困った婚約者様だことお父様に頼んで手錠と檻を用意してもらわないといけませんね」

「あつ、熱いってテレサ!? テレサさん!? その檻と手錠で何をしようって熱っ!?」

「安心してくださいね私も一緒ですから」

「何がさ!?」

「ふ、ふふ! や、やめてぇ! 私を笑い殺すつもりぃ!?」

 テレジアの美しい翠眼が濁り、絶え間ない呟きが彼女の唇から漏れる。

 アーサーが青い焔を吹き上げるテレジアの肩を揺するも、彼女はニコリと、虚ろな笑みを浮かべる。

 

 ──瞬間、脇の水路から巨大な柱が上がった。


 アーサーとジェリーの判断は早い。

「え?」

 唯一状況を理解していないテレジアのきょとんとした顔に影がさす。

 アーサーがテレジアを抱えてその場から飛び退くと直後、彼らが居た場所に巨大な質量が叩きつけられた!

「っ、何よぉ一体! 人の気分がいい時に!」

 アーサー同様飛び退いたジェリーからあからさまな不満があがる。

 ──ジェリーの仕業じゃないのか!?

 不満をありあり浮かべた彼女を見、次にアーサーは眼前を睨む。

 水飛沫が晴れたそこにいたモノの姿に、アーサーは呆れとも驚きともつかぬ声をあげた。


「なんだありゃ……」


 イカの胴体。サメの頭。そしてカニのハサミ。

 巨大にして異形の魔物がそこにいた。

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