第30話 現況と優先順位

 侯爵邸の庭の片隅、魔法の訓練に勤しむアーサーとテレジアの姿があった。

「今日はこれぐらいにしておこうか」

「はぁ……、はぁ……。ま、まだ出来ます」

「やる気があるのは良いことだけど、オーバーワークは却って逆効果になるからね。テレサは成長期なんだ。今無理して心身の成長を阻害してしまったら、折角の魔法の修行も本末転倒だからね」

「……分かりましたわ」

 不承不承、テレジアはアーサーの言葉に頷いた。

 ──うん。物分りの良い子供は扱いやすくて助かる。

 アーサーが彼女の汗を拭いてやろうとすると、テレジアはタオルを引ったくり距離を取ってから汗を拭い始めた。

「お疲れ様です、お嬢様。婿殿」

「イルルカ」

 修練の終わりを見計らって傍らに控えていた、騎士服サーコートに身を包んだ褐色の、黒目黒髪の美少年が声を掛けてきた。彼の名前はイルルカ。

 テレンス公爵家に戻った俺たち二人のお目付け役として付けられた青年だ。

 肌の色から分かるように、彼はユークリッド王国の出身ではない。南方の少数民族の出だ。

 肥沃なメナンシアの更に南は広大な密林ジャングルに覆われて、ユークリッド王国の権勢の届かない国外となっている。

 人の手を拒むかのように魔物の闊歩する密林ジャングルには、少数ながら複数の部族が暮らしている。

 彼らは時に安住の地を求め北上──つまり王国へと侵攻を仕掛けてくるのだが、一方で密林の魔物を狩る彼らは王国にとって重要な守り手でもあり、一概に外敵と言える関係ではない。

 しかし王国民の南部民族への感情は、決して良くない。良くて異民族、悪ければ侵略者扱いだ。

 そんな南部民族出身のイルルカの剣の腕を買い公職家に招き入れるとは、さすがは人材狂いのムスタファであると言っておこう。

「それじゃぁ私、着替えてきますね」

 上気した顔にタオルを当てながら、テレジアは屋敷へと姿を消した。

 ……この一ヶ月間、テレジアには魔法の基礎修練のみに焦点を当てて修行させた。

 それは彼女の中にある”呪い”を制御する為である。暴走したら目も当てられないし、もし御せるのならばこれ魔法以上に優秀な手段になるからだ。

(まー順風満帆とはいえないけどな……)

 適正があるのはイコール天才ではない。

 火魔法の才能はあるテレジアだが、かのじょは努力で成る秀才タイプである。その成長は牛歩の如くであるが、言い返せば彼女が努力を怠らない限り、少しずつではあるが確実に進歩はしてゆくのだ。

(しっかし、テレジアのあれは本当に”呪い”なのか? ジェリーは覚醒とか言っていたが……)

 ”剣バラ”本編の氷の”呪い”ではなく火の力を得たテレジアを見て思う。

 ギム村で彼女と出会って、それからの二十四時間は正に激動の一日であった。あれから一ヶ月も経てば、さすがに色々と考えを纏める時間はあった。

 まずこの世界の事である。アーサーが知る限り現在、”剣バラ”と【カオスローズ】と[金カフェ]という三つのギャルゲーが確認されている。それらがどの程度世界に組み込まれているか、それを知るに公爵家の蔵書は非常に役立った。

 ここユークリッド王国は”剣バラ”の舞台である。テレジアの父であるムスタファは、名前だけならゲーム内で確認出来ていたが立ち絵もスチルも無く、彼について謎の部分が多い。それは領都ヴァニラにも言える。

 ”剣とイバラと呪われた姫”本編で出てきた固有名詞と言えばユークリッド王国と、本編の舞台となる”聖ステラ学院”。そしてヒロインらの厨二病チックな”呪い”の名前ぐらいだろう。

 ギャルゲーとはその実、箱庭的な側面がある。物語の舞台装置となる周辺以外はまるで土地すら存在していないような錯覚──つまり物語を進めるのに不要な要因は極力排除されている。

 例えば”剣バラ”で、本編に全く関わらない情報として「王国南部には複数の少数民族が住む密林が広がり、北には遊牧騎馬民族が住んでいる。東には大陸の東西を分断する険しい竜骨山脈が連なり、唯一西にのみ友好国のリーマン神聖国が存在する」なんてお出しされても、物語の深みを出すどころか余分な情報にしかならないだろう。故にギャルゲーは、そういった本筋から外れたものは存在すらしない、一種の箱庭とも言えるだろう。

 ちなみに先程の例は、実際にあるユークリッド王国の周辺の地理情勢だ。この一点を以てしても、この世界が単純に”剣バラ”の世界ではないことが解る。

 次に【カオスローズ】──いや、【暗夜の狂】の動向だが、ほぼ不明である。

 何故【暗夜の狂】のみに言及したのかというと、【カオスローズ】の舞台である近未来都市【メガステート】がどれだけ書物を漁っても見当たらないからだ。それもそうだろう、この中世水準の文明に、現代日本すら優に超えるあんな科学技術の塊の都市が存在していたら、世界は征服されているかもう少し発展しているだろう。

 もしかすれば、海の向こうの大陸に【メガステート】はあるのかもしれないが、可能性の話にまで言及するとキリが無いので、いっそ無いものとして考える。というか無いでいてくれ頼むから!

 えーと、なんの話だっけ? あ、そうそう、【暗夜の狂】だったか。

 流石に大国たるユークリッドですら全容が掴めない、というのは誇張でもないようだ。俺一人、個人の力では何一つ調べられなかった。テレンス家の蔵書にも碌に記述が無かったが、歴史を振り返るとちょくちょく大事件をやらかしているみたいだ。

 村人全員の集団失踪だとか、実験と称し都市一つ疫病を流行らせるとか、まー碌なもんじゃないね。

 最後に[錬金カフェへようこそ!]だが、これはそもそもゲーム内で提示される情報自体少ない。

 ゲーム性に全ふりした[金カフェ]は舞台となる街の名前すらゲーム内で登場しないのだから、その思い切りの良さ足るや。

 代わりに錬金術の素材とレシピ、客の設定なんかは凝りに凝ってるのだから質が悪い。ヴァニラの市場で見た限り、薬草や魔物の素材なんかは[金カフェ]由来のもので満ちていた。逆に言えば[金カフェ]内で作成していた物はこちらの世界でも再現出来る可能性が高い。

 そしてこれからの方針だが──。

(……何はともあれ、【暗夜の狂】次第だな。この三つのギャルゲの中で、これが一番放置出来ない)

 旧人類の進化、人類救済を謳う【暗夜の狂】。そして首領ヴァミリオは不老不死であり、その実彼女は生き飽きて、死ぬ手段を模索していた。

 そしてヴァミリオが行き着いた結論が、邪神復活に依る世界の終焉である。

 これは【八怪童】の幹部連中も知らぬことで、ヴァミリオの作った【暗夜の狂】とはつまり彼女が自殺するために作っただけに作られた組織でしかないのだ。勿論末端の構成員もそんなことは知らない。

 この復活する邪神だが、明確に世界を滅ぼす力を有している。バッドエンドでは度々復活して簡単に世界を滅ぼしてくれる。一行二行の地の文で簡単に世界を滅ぼすんじゃない!

 それ故に、放置は出来ない。

 ”剣バラ”もヒロインらの”呪い”によって国が滅ぶ事があるが、言い返せば最悪国が滅ぶ程度だ。[金カフェ]に至って言えば、カンバラ姉妹が奴隷落ちするだけだ。

 その点を考慮すれば重要度は自然と、【カオスローズ】>”剣バラ”>[金カフェ]になる。

 しかし【暗夜の狂】の動向が分からない今、手の打ちようが無く目の前の問題に従事する他ない。

 テレサの"呪い"に打ち克つための精神修行と、コントロール出来るようにする魔力制御。

 そしてカンバラ商会にちょっかいを出す[ボッタクル商会]の排除。

 この二点だ。

 というか、だ。

(最悪の事態だけならもっと想像できるんだよなー。遭遇してないだけで他のギャルゲが存在する可能性とか……)

 その恐るべき可能性を一瞬でも考えてしまうと── あかん、美少女恐怖症になってしまう。

 俺は精神安定のためにイルルカを見ると、彼は不思議そうな表情を浮かべた。ヒロインの可能性を考慮しないで済む、美青年のなんと有り難いことか。

(ていうか、もー! 情報が圧倒的に足りん! やっぱ何とかしようとするなら、俺の手足となって動いてくれる諜報部隊みたいなもんが欲しいなー……)

 イルルカ共々テレサの背中を見送り、俺が思索に耽っていると、堪らず暇したイルルカがウキウキ具合を隠せぬ声音で語り掛けてきた。

「さ、婿殿。お嬢様も行ってしまいましたし、教えていただけでは身体が鈍ってしまうのではありませんか? ぜひ私めと模擬戦をしましょう!」

「えぇー……」

 このイルルカだが、困ったことに事ある毎に俺と剣を交えたがる。

 まぁ出会ったその日にどっちが俺がコテンパンにノしたのも悪いんだろうが。どちらが上か、上意下達はしっかりしないといかんという考えからの行動だった。

 甲斐あってか、彼は俺からの命令をよく聞いてくれる。その代償がコレだ。

 イルルカは部族内で負けなしで、密林の魔物にも一歩も引かないほどの強さであった。自分の強さがどれくらいなのか気になった彼は故郷を飛び出して武者修行の旅をしていたらしいのだが、そんな彼の腕を見出したのがムスタファ公爵だ。

 以来彼は公爵家に仕えており、無敗の記録を順調に伸ばしていた。

 そんな自分に初めて土付けたのが、まさか七歳のガキんちょだもんなー。執着するのは分らんでもないけど、される方は堪ったもんじゃない。

 イルルカは腰に佩いた三日月刀シミターの柄を撫で、今にも抜かんばかりだ。

「悪いなイルルカ。今日は先約があるんだ」

「そうですか……」

 目には見えない筈の、イルルカの犬耳としっぽが項垂れたような気がした。大型犬みたいな男だなチミは。

 さて。男の準備は時間が掛からないとはいえ、ぼちぼち動かないとな。

「イルルカもついてくるんだろう?」

「当然です。それが私の仕事ですから」

「ならテレジアのところへ向かってくれ。俺はあとで合流するから──って何で不満そうなんだよ」

「……いえ、分かりました」

 何故かイルルカは不満そうな顔をする。このバトルジャンキーめ。

 改めてイルルカに念を押して指示を与えてから、アーサーもまた屋敷へと戻る。

 果たして先約とは一体。

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