第29話 悪巧みはやっぱり暗いところで
「全く! どうなっているんだ!」
豪華な部屋だった。部屋全体に高価な調度品が溢れているものの、自身の財力を見せつけたいという欲の滲み出た、下品さに塗れた豪華さだった。
怒声の主もまた、部屋に似つかわしい成金の、多くの装飾品を纏ったヒキガエル。
──そう、ヒキガエルの如き醜男である。
ぶくぶくに太った身体は豪奢なローブでも隠せず、五指にはそれぞれ大きな宝石の付いた指輪が嵌め込まれているが、リング部分は肉に埋もれて見えず、指先から宝石が生えているようにも見えた。
そして強欲がイボとなって浮き出たその顔が、今は怒りに歪んでいた。
エロスキー・ボッタクル。[ボッタクル商会]のトップである。
「それもこれも貴様が! あの時きちんと始末出来ていないからだ!」
エロスキーは苛立ちをそのまま、目の前の男にぶつける。
「面目次第もございません」
「っ、ちぃ!」
フードの男が鷹揚に頭を下げた。フードの下から覗く男爬虫類じみた目に、若干の恐怖を覚えたエロスキーは顔を逸して誤魔化すように怒鳴り声を上げた。
「おいミドリ! カレーの秘密はまだ分からんのか!」
「ふ、ふふ。ごめんなさいねぇエロスキー様。あいつらどうやったかは知らないけど公爵家を味方に付けたみたいでねぇ。商会の周辺を兵士が巡回してるのよぉ」
「ちぃ! どいつもこいつも使えんやつらめ!」
ミドリと呼ばれた妙齢の女はさして気にした風もなく肩を竦めた。
ここは[ボッタクル商会]が多数所持する建物のうちの一つ。貴族街と平民街の丁度中間、どちらからもアクセスのし易い、しかし大通りからは少し離れた位置にある屋敷だった。
更に彼らがいるのは屋敷の、隠し扉の先にある地下室だ。
窓のない圧迫感のある暗い部屋を照らす、燭台が浮かび上がらせるのはまず[ボッタクル商会]の会長、エロスキー・ボッタクルである。
これまた高そうな事務机に向かい、灰皿には何本もの葉巻が、以下だ煙を燻らせていた。
向かいのソファーに腰を下ろしているのはフードの男、ボーゼスだ。彼は
何とも不健康そうな白い肌に、やたらギラつく爬虫類じみた目が特徴的な痩身の男だ。
そして軽装の鎧に身を包んだミドリという女性は壁を背に寄りかかっている。
彼女の豊満な肉体はレザープレートの上からでも分かるほどだ。むしろ革鎧の締め付けが一層彼女の肉々しさを強調させ、過剰なほどの色気を撒き散らしていた。
それもその筈。ミドリは暗殺者であり、時にその色香を使ってスパイも行う。己の肉体、その利用価値は十分に理解していた。
「ああ、くそ! イッシキめ、気に食わん! 新興の成り上がりの癖に儂のシマにまで手を伸ばしてきおって!」
エロスキーの言うシマとは、香辛料のことであった。
輸送手段の乏しいこの時代、内陸部での塩の価値は高い。多数の商会がその恩恵に与ろうと塩の売買に手を出してはいるものの、このヴァニラに限って言えば塩に限らず胡椒や砂糖などの調味料の流通を牛耳っているのが、この[ボッタクル商会]であった。ヴァニラで香辛料を取り扱っている複数の商会は全て[ボッタクル商会]の息が掛かっており、実質的に香辛料市場を独占し莫大な利益を上げている。
「道理を知らん若造が!」
そうと知ってか知らずか、カンバラ商会が香辛料市場に切り込んできた。
イッシキはあれでいて度重なる脅しにも屈さず金にもなびかず、故に魔物を使った襲撃という強引な手段に出たのだが。
その結果は失敗である。
数ある策の内の一つに過ぎないとはいえ、己の頭に描く計画通りに進まないことに苛立つエロスキー。
そんな彼の耳にコンコンとノックの音が届いた。
見れば部屋の入り口、開け放たれた扉を背に長身痩躯の男が立っていた。
「く。商会長は随分虫の居所が悪いようだな」
「お、おぉグール殿。これはこれは、お見苦しいところをお見せしましたな」
男は異容を誇っていた。
異様に長い手足に長い首。眼窩は落ち窪んで口は耳まで裂けている。
【暗夜の狂】が幹部、【八怪童】が一人。【
エロスキーが媚びるような笑みを浮かべるも、ヒキガエルの笑みなぞ、グールの心にさざ波一つ立てることはなかった。
(まさか【暗夜の狂】のグールとは! エロスキー様の人脈も存外あなどれませんな……)
ボーゼスは心の中で、金儲けにしか才能が無いと思っていた主人の評価を上げる。
「改めてやろうか? こっちの用件は別に急ぎじゃいないんでね」
「いやいやいや! グール殿に何度もご足労させるなど、そのような真似はさせられませぬ! こちらになんの問題がありましょうや!」
「く。そうかい」
まぁ、騒いでいたのはエロスキー一人だけなのだ。彼がその臭い口を閉じればたちまち静寂は訪れる。
「おいミドリ! 何をぼさっとしているか! 茶の一つでも出せんのか貴様は!」
怒鳴られたミドリは肩を竦め、言われた通りお茶の準備を始める。
「それでグール殿、今日は一体何用で来られたのです? 商品の納品日はまだ先だったかと思いますが、急ぎ、ということであれば直ぐにでも──」
「いや。今日の用向きは、コイツだ」
「……これは?」
「【ブルーブラッド】──新しい麻薬さ」
グールが懐から取り出した小瓶には【ブルーブラッド】と、紹介された名の通り青い粉が入っている。
[ボッタクル商会]が牛耳る香辛料市場とは表向きの話。裏では香辛料の流通に合わせて麻薬を売り捌いていた。
「興奮や幻覚、強い快楽、依存性。そして身体能力の一時的な向上は今までのよりも強い。そして何より違いは自意識の低下だ」
(ふむ?)
グールの説明にボーゼスは僅かに眉を動かしたが、気付かぬエロスキーは瓶を蝋燭にかざしてしげしげと見つめている。
「自意識の低下とは?」
「分かりやすく言えば催眠作用だな。服用者の潜在意識の深い部分に刷り込みを行わせることが出来る。問題は回数をこなさなければ強い命令を掛けられないことだろうか」
「ほほう」
エロスキーの顔が卑猥に歪んだ。全く、何を想像したのか分かりやすいにも程がある。
「当面、流通させるのは今までの麻薬で構わん。【ブルーブラッド】はまだ数が少ないからな。それは協力者であるお前さんへの先行投資だと思ってくれて構わん。く。商人なら扱う商品はよく知っておかなければ、だろう?」
「おお! そういうことでしたら、遠慮なく頂戴しましょう!」
エロスキーは大事そうに小瓶を抱える。そんなヒキガエルを見詰めるグールの目はひどく冷たい。
(どうやらそれだけでは無い様子。やれやれ、我が主人は嬉しさの余り気付いていないようだが)
ボーゼスは内心溜め息を吐いた。だが忠告したりはしない。所詮金だけで繋がった主従関係である。エロスキーが使えなくなるのなら切るだけだ。
(く。部下の方が優秀とはな。……担ぐ神輿は軽いに限るか)
「今日の用件はそれだけだ。──あぁ、そうそう。商品の方はいつも通りでかまわん」
この商品というものが、碌でもないものを指しているのは想像に難くなかろう。
ご想像の通り、人間である。【暗夜の狂】の人体実験用の。
馳走になったと、グールはミドリの淹れた茶を一気し席を立つ。
「……送るわ」
ミドリが申し出る。ボーゼスは彼女に目線で応じたものの、エロスキーは【ブルーブラッド】に──それが
部屋を出、二人は無言のまま歩を進める。
並んではいるものの間に会話は無く、地下回廊の硬質な床を蹴る音だけが響いた。
ややあって──誰の耳目も届かないような距離になって──ミドリが口を開いた。
「あ~あ、もうヤになっちゃうわぁ。あのカエル、私のことも厭らしい目で見てくるのよぉ?」
「ぼやくな。表の協力者は貴重だからな」
打って変わって二人は正面を向いたまま、親しげに話し始める。
「それで、そっちは何か進展があったぁ?」
「何も。そっちこそどうなんだ。く。面白いことがあったと顔に書いてあるぞ」
誰が見ても、二人の間には何某かの関係があることを察することが出来よう。
……あぁ、強欲にして無能なるエロスキーであれば、ミドリの色仕掛け一発で頭から抜け落ちそうなものだが。
「ふ、ふふ。そうねぇ、面白いと言えば面白いのかもねぇ」
ミドリはくつくつと笑い、自らの腹に腕を突き立てる。
気でも触れたかと思われるが、だが服が破れるでも肌が裂けるでも無く。腕は腹の中にトプンと沈み込みもぞもぞと動いたかと思えば、排出された手にはあるモノが握られていた。
「なんだそれは」
「ふ、ふふ。今ヴァニラで流行ってるカレーパンって言うのよ。お一つどうぞぉ?」
「アナタ食べるのが好きでしょぉ」と差し出されたカレーパンなるものを一口食べ、グールは思わず呟いた。
「美味い」
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