第28話 カレーは冒険者を救う

「アカネちゃん! カレーパン三つくれ」

「こっちはルーだ! 小銀貨三枚分コイツに注いでくれ!」

「おいそこ! 割り込むんじゃねぇよ!」

「あわわ! あ、慌てないでください! カレーはまだ沢山残ってますから!」


 カンバラ商会でカレーを販売し始めて早一ヶ月。店先に人だかりが出来ていた。

 その数や店に入り切らず通りにまで溢れるほどで、アオイは列整理に追われていた。

 客層のガラは一概に良いとは言えない。それもそのはず、彼らは皆魔物退治を生業とする冒険者なのだから。

 こんなに高くて売れるのだろうか? アーサー達の懸念はこの通り、押し合いへし合い我先にとカレーを頂戴せんとする彼らを見れば、全くの杞憂に終わったことが解るだろう。

 何がどうしてこうなったのか?

 少しだけ時を巻き戻そう。


◇◇◇


 カレー販売初日。

「売れるかな? 売れるといいね……」

「絶対に売れるよ! お姉ちゃんすっごい頑張ってたし、皆もあんなに協力してくれたんだから!」

 カレーの、幾つもの香辛料スパイスが交じった暴力的なまでの香りを活かすには店頭販売の方が生きると考え、当初は店先でカレーを作っていた。

 仕込みの終えた材料を寸胴鍋に入れて魔導コンロに火をくべて。なんだなんだと通りすがりが興味深そうに見るが、それだけだ。

 彼らは一瞥だけくれて、足を止めはしない。様子が変わったのは予め作っておいたルーを投下した時からだ。

 アカネが寸胴鍋のおタマをかき混ぜるとカレーの匂いが一帯に立ち込める。嗅いだことのない、されど何とも空腹を刺激してくる匂いではないか。

「アカネちゃん、そいつぁ何だい?」

 そのうち、店に入ろうとしていた客の一人が声を掛けてきた。

「え、えと。カレーっていう、異国の料理なんですけど……」

「すっごく美味しいんだよ! おじさん、一つどうかな!?」

「へぇ。確かに、見てくれは悪いがそいつがパンの中に入ってるのかい」

 かなりの好感触に姉妹の顔に自然と笑みが浮かぶ。

「それじゃぁ試しに一つ買ってみるかね」

「わぁい! カレーパン一つね! 本当は小銀貨一枚と大銅貨三枚(千三百円)なんだけど初日限りの特別価格! 小銀貨一枚ポッキリだよ!」

「小銀──っ!? ご、ごめんなアオイちゃん。今日のところはやっぱ止しとくわ」

 そういうと男はくるりと向きを変え、人混みに紛れてしまう。

 その後も似たような遣り取りが続き、未だ一つの販売も出来ていなかった。

(やっぱりワタシがお父さんを手伝うなんて、ムリだったのかな……)

「大丈夫、絶対大丈夫だよ! こんな美味しいんだから、一口食べれば絶対に──」

「や。調子はどうかな?」

 時が経つにつれ、アカネの中にあった自信は徐々に小さくなってゆく。

 俯き、まるで涙を堪えているかのような姉にアオイは明るく振る舞った。姉を励ましたい気持ちだけでなく、自分の中で膨らむ不安を払拭するような声音であった。

 そんな姉妹に声を掛ける人物がいた。

「カッスルさん!」

 カッスル以下『南十字サザンクロス』の面々だった。

「どうしたの、元気ないじゃない?」

 ネリの問いに、姉妹は現況を伝える。

 未だ一つも売れていないこと。皆興味はありそうにしてくるのだが、金額を聞くと怖気づいて逃げてしまうこと。

 ネリは苦笑を浮かべ頬を掻いた。

「食べたことのないものだから尻込みするのも分からないでもないわね」

「ああ、なんという……! カレーの良さを知らずにいるとは、なんと哀れな子羊なのでしょう……!」

「おめぇ悪魔の食い物とか言ってたじゃねぇか……」

「まぁルドマン、カレーは神の造り給うた食べ物ですよ? ああ、あの舌が痺れるの辛さ! 堪りません!」

「お、おう。おめぇがそれでいいんならいいけどよ」

 リーラは度重なる試食ですっかりカレージャンキーになっていた。

「ううん、すまないねアカネちゃん、アオイちゃん。俺たちも知り合いに声を掛けたんだけど、なにぶん領都に来て日が浅くて知り合い自体少なくてね」

「そんな! 『南十字サザンクロス』の皆さんにはお世話になりっぱなしで!」

「うん、今はこれくらいしか助けになれないけど」

 そう言ってカッスルは中銀貨(一万円)を一つ出した。

「え、こんなにですか!?」

「言ってなかったかな? 先日俺たち『南十字サザンクロス』は無事Bランクパーティーに昇格したんだ」

「えー!? 聞いてないです! おめでとうございます!」

「うん、ありがとう」

 冒険者のランクは一番上にSランクがあり、そこから順にAからEランクまでの全部で六段階に分かれている。一人前と認められるのはDランクからで、これはDランク冒険者の稼ぎがようやく一般的な労働者(中銀貨二枚)と並ぶからだ。

 Bランク冒険者ともなればその稼ぎは平均的な平民の月収を大きく上回り、冒険者の中でも成功者と認められる。

「えぇ、これで毎日カレーを食べられます」

「いやさすがに飽きるでしょ!」

「何を言うのですかネリ? カレーは万能です。スープにしても良し。麺と絡めても良し。少しのアレンジで無限の料理に変化するのです!」

「結局全部カレー味じゃないの……」

 そう、値段を抑えるにも限度があり、アカネはカレーパン以外の商品の販売にも踏み切った。

 それが具なしカレー──ルーのみの販売である。

 大銅貨五枚で五〇グラムからの販売であり、具を入れないこと、持ち帰りの容器は客側が用意することで、アカネは更なりコストカットを図ったのだ。

「カレーパンを五つと、あとの分はルーをくれるかな」

「は、はい! ありがとうございます!」

「応援してるわよ」

「えぇ、全ての人にカレーの祝福を」

「ヤな祝福だな……」

 そうして『南十字サザンクロス』は去ってゆき、その後カレーパンが少し売れただけで初日はお世辞にも良いとは言えぬ結果で終わってしまった。

 それがどうして爆発的に売れるに至ったか?

 この時代食料の保存といえば、基本塩漬けか干物の二択であった。中でも冒険者は保存食として干し肉を携行するのがもっぱらで、これがまた塩辛いこと。

 味気のない、代わり映えのない、もう散々飽きがきている冒険者らにここで新たな選択肢が生まれた。

 そう、カレーである。香辛料たっぷりのルーは日持ちがする上、少量で味付けが可能で、更には固形物で取り扱いも容易い。

南十字サザンクロス』が──いやリーラが依頼の度にあちこちで美味そうにカレーを食っている姿が目撃されていると、「あれは何だ?」と気になるのが人情である。

 彼らと同行するのは同業の冒険者が多く、Bランク『南十字サザンクロス』とも付き合うともなれば、必然ランクもそれなりに上の者らだった。

 彼らの懐には余裕があり、当然干し肉になんかうに飽きている。


 結果は──火を見るよりも明らかであった。

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