第25話 洋の東西が交わる時

 領都ヴァニラはメナンシア地方を大穀倉地帯足らしめている二つの大河、メナス河とシンシア河に東西に抱える城郭都市だ。

 双子女神の名を関した二つの大河から引かれた水路が網目のように張り巡らされたヴァニラは水の都としても名高い。農業と水運によって発展してきたヴァニラに入るには陸と川、二つの手段がある。

 陸路の税関には人と馬車とが長蛇の列を成し、水路には狭しと小舟がひしめき合っている。人の手によって作られた水路の流れは非常に緩やかで、船同士がガンガンと打つかっているが、その衝撃は小突く程度のものなのだろう。転覆するどころか僅かな小波さざなみが立つだけであった。

 そんな穏やかさだから、見れば待っている間にも船の上で商売をしている者らが散見されるではないか。なんとも商魂たくましいものだ。

 俺達の乗る公爵家の家紋が入った馬車はそんな彼らを尻目に、誰に咎められることもなく領都へ入場した。

「おぉ! 凄いな!」

 窓から見える大通りに溢れる人、人、人。人混みと呼ぶに相応しいそれは俺に在りし日の日本を思い出させた。

「えぇ、そうでしょうとも。ヴァニラは王都に次いで発展している都ですもの」

 テレサは鼻息荒く、むふーと小さな胸を張った。

 この世界に生まれ落ちてからは初めて見る人の量に、流石の俺も興奮を隠せない。

 先導する兵士らが人混みを掻き分けてくれた間を追従していくことしばらく。テレンス公爵家の屋敷に辿り着いた。

 ……いや、屋敷? これは城って言うんじゃ?

「でっか……」

「うん。そう、ね。いつも遠くから見るだけだったけど、近くで見ると想像以上に大きかったね……」

 アオイが正しく俺の心情を呟き、アカネもまた、テレンス家を呆然としている。

 本来なら領都ヴァニラに着いたところで、カンバラ一行とは解散する手筈だったのだが。カンバラ家の家庭内事情を知ってしまったテレサが、何とか彼らに手を貸してやれないものかと公爵に相談したところ、そのまま公爵家までやってくる流れとなったのだ。

 門扉をくぐってから屋敷に辿り着くまでも、また長い。まぁ一分も掛からず辿り着いた訳だが、馬の脚を以てしてソレなのだから短いとは言えないだろう。

 その短くはない玄関までの道のり、その両脇。テレンス家の使用人が揃って頭を下げて並んでいるのだから。この光景には若干引いた。

「おかえりなさいませ旦那様」

 馬車を降りた俺達を迎えてくれたのは燕尾服を着た初老の男性だ。

 白髪が目立ち始めた頭髪を全て後ろに撫で、切れ長の瞳に片眼鏡モノクルといった出で立ちは正に執事である。

 公爵の姿を確認した彼は腰を九〇度に折った。

「うむ、ご苦労であったセバス。私が留守の間何かあったか?」

「いいえ旦那様。何も問題はありません」

 セバスとは、これまた名前からして執事になる為に生まれてきたような人物である。いやまぁ、これで名前がハラペコリーニョとかだったら困るんだけど。

「そうか。ではセバス。私は一度自室に戻るが、彼らを客室に案内してくれ」

「畏まりました」

 ”剣バラ”本編では立ち絵どころか出番すら無かった人物に注視していると、あれよあれよと話が決まってしまう。

 そんな中小さく、テレジアがこちらに手を振った。

「アーサー、またね」

 可愛らしい微笑みに手を振り返そうとしたところで、視界を燕尾服の背中に遮られてしまう。

「さ。お客様がた、こちらへどうぞ」

 振り向いたセバスの顔には、文句のつけようのない完璧な笑顔が張り付いていた。


◇◇◇


 そうして案内された客室の広さよ。……金持ちって引くわー。

 部屋のあちこちに飾られた調度品の数々は、目の肥えていないガキの自分ですら解る。イッシキ氏などは興奮に目を輝かせおり、部屋のあちこちを見て回っている。いや、アンタ、空気に飲まれないのは凄いけどさぁ……。

 その間俺たちの相手をしてくれるという使用人らがずらりと壁に控えているんだから、金持ちって怖い。

「お飲み物はいかがですか?」

「あー、じゃぁ紅茶を」

「かしこまりました」

 そういう教育を受けているのだろう。手持ち無沙汰な俺たちに、使用人らが親切にも声を掛けてきてくれる。

「お嬢様がたは何になさいますか?」

「は、へ!? じ、じじじゃあワタシもアーサーくんと同じものを」

「お嬢──!? あ、あはは。それじゃぁボクもそれで」

 メイドさんはニコリと微笑むと、慣れた手付きで紅茶を淹れてくれた。

「……なぁ、俺ら場違いじゃねぇか?」

「っ、大丈夫でしょ。私らは招待された側なんだし」

 客室に通されたのは俺とカンバラ親娘だけではない。『南十字サザンクロス』の四人もだ。

 何でも魔物を率いていたオーガの話を聞きたいそうな。

 四人は四人ともガチガチで、壁を背にして部屋の隅っこで立っている。

 メイドさんが「どうぞ」と差し出してきた茶器の──細やかな金糸の意匠がされた茶器に、俺は口を付けるのを躊躇ってしまう。折角淹れてくれたお茶に全く手を付けないのも失礼だと思い、恐る恐る取っ手ハンドルを掴みカップを傾ける。

(……味が全然分からん。美味いんだろうなぁ、あぁ勿体ねぇ)

 とまぁそんなこんなで待っていると、ようやくして公爵とテレサが客室にやって来た。

「ふむ、待たせてしまったな。では、報告を受けようか」

 

◇◇◇


「──では、オーガが魔物を率いていたと?」

「はい、間違いありません公爵様」

 セバスを除いた使用人らが一礼してから部屋を去った後。

 ムスタファはまず『南十字サザンクロス』から魔物襲来時の出来事を聴取をしている。『南十字サザンクロス』のリーダー、カッスルが代表して行っていた。

「オーガは亜人種の中でも力のある魔物だが。セバス、過去にそのような事例はあったのか?」

「はい旦那様。オーガ以外にもリザードマンやアラクネなどの比較的知恵のある魔物らにそのような傾向が見られます。しかしそれらの全てが魔物を率いる知恵と力がある訳ではなく、変異種と呼ばれる特別力を持った個体のみが多種族の魔物を率いると聞きます」

「ふむ、では此度のオーガもその変異種の可能性が高いか……」

「お父様、よろしいですか?」

 そう、結論付けようとする公爵にテレサが待ったを掛ける。

 彼女は俺を見て一度だけ頷くと、言葉を続けた。

「アーサーが言っていましたの。魔物が襲ってきたのは人の手によるものじゃないかって」

「何?」

 寝耳に水な『南十字サザンクロス』の面々が驚いている。公爵から「どういうことだ?」という目が向けられた。

「あー、そのですね。カンバラ商会を目の敵にしている商会の手によるものじゃないかっていう想像がですねー」

 根拠の全く無い指摘に、セバスの目が細められた。あー、もしかして俺嫌われてる? ……んまぁそれはいいとして。

「誘絶香か『捕獲テイム』か。まー、やり方としては不可能じゃないと言いますか」

「……君の商会はそんな恨みを買うようなところなのかね?」

「い、いえ公爵様! そのようなことは決して! ただ、[ボッタクル商会]と少し揉めていまして……」

「ボッタクルか。二年前に代替わりした商会だな。……方方から資本を盾に無茶な要求を突き付けられると苦情も多いところだな」

 ムスタファに睨まれたイッシキが悲鳴にも似た否定の声をあげる。新たに出てきた単語に思うところがあるのか、彼は顎を撫でてしばし瞑目する。

「……婿殿は何故そのような結論に至ったのか、聞かせてくれるかね?」

 そりゃー[金カフェ]の知識があるからですよーハハハ! なんて言えないしどうすっぺ……。

 ムスタファが聞く姿勢を示してくれたのは有り難いが、アーサーには説得する材料、根拠は見せられなかった。

「うーん、そうですねー。魔物にしては引き際が鮮やかすぎたとか、違和感を覚えたとしか言えないんですけども……」

 子供の妄言とも取られかねない発現に、セバスの目が弓の如く引き絞られる。

 物言わぬ圧力に、口から出任せを言うしかないアーサーの言葉尻がどんどんと小さくなってゆく。

 しかして予想外の援護が飛んできた。

「……そうか。アーサーも感じていたのか」

「あん? どういうことだよカッスル」

「いや、俺も違和感を覚えていたんだ。オーガが魔物を率いる、これはいい。前例もある。しかしあんな、相手の疲労を待って擦り潰すような戦術をオーガが取るだろうか?」

「何よ、実際取っていたわけだし、何よりその方が効率がいいわ」

「そう、そこだよネリ。あのオーガが、脳筋で自らの力で敵を叩き潰すのを良しとするオーガが効率を重視した消極的な作戦を取るだろうか? そもそも亜人は力を尊ぶ種族だ。そんな奴らが力も見せず後方でふんぞり返っているだけのオーガに従うだろうか?」

「いえ、言われてみればその通りですね……」

 目から鱗といった風に勝手に納得してゆく『南十字サザンクロス』。

「ふむ、『南十字サザンクロス』も同意見ということかね?」

「は、公爵様! 証拠はありませんが、アーサーの意見は熟考に値するかと具申します」

 カッスルらの意見を聞き、ムスタファは一度大きく頷いた。

「……セバス」

「はっ」

「引き続きオーガの討伐隊の編成は進めろ。一方で[ボッタクル商会]の調査も並行して行う」

「畏まりました」

 セバスが一礼して部屋を出てゆく。

 鬼が出るか蛇が出るか。はたまたもっと別の恐ろしいものが出てくるかもしれないが、これでオーガの件は進展ないし解決が見られるだろう。

「いや、参考になった。この地域を治める領主として礼をさせてくれ」

 そう言って公爵手ずからカッスルにお金の詰まった袋を渡す。

 カッスルは冷や汗を流しながら、両手で受け取った。その重みについ緩みそうになる頬を引き締める。

 さて。話の区切りがつき、ここらがいい具合か。俺はもう一つの問題に取り掛かるべく口を開いた。

 ──カンバラ商会、その援助である。

「それで公爵様。実は一つお願い事がありまして──」

「婿殿、いい加減お父様と呼びなさい。──それで何かね?」

 いや呼ばんよ? テレサも期待してる風に見てくんの?

 俺はテレンス家親娘を無視して話す。

「いえ、ね。へへへ、うまくすれば[ボッタクル商会]への牽制にもなるんですけどね?」

「ほう」

 俺の言葉に公爵の眉は興味深げに跳ねた。


◇◇


「──全く。薬材を見たいなどと。婿殿はおかしなことを言う」


 俺はテレサの願い──カンバラ商会を手助けするべく、俺の野望を叶えるべく、公爵にをした。

 それは薬学者の家系でもあるテレンス家が持つ、薬材の確認であった。

 医者から貴族になったテレンス公爵家にとって、薬の原料は重要な財産だ。ダメ元で頼んで見たのだが、意外なことにすんなりと承諾を貰えた。その際に聞こえた「遅かれ早かれ」という言葉の意味を今は考えないことにする。

 屋敷の一角、調剤室へ連れてきてもらう。何故かテレジアもついてきた。

 そうして扉を開けてもらうと目に飛び込んできたのは、フラスコやビーカー、天秤はかりなどの器具。壁一面に備え付けられた薬棚。印象としては、錬金術師の部屋だ。

 俺は公爵の許可を得て、細かく仕切られた薬棚の中を一つ一つ確かめる。 

 その中身を見て、俺の頬は自然と緩んでしまう。

(うっほおおおぉぉぉぉ! 思った通りじゃん! 香辛料の──いやいや漢方の山やんけ‼)

 馬芹クミン桂皮シナモン肉荳ナツメグ鬱金ウコン丁子クローブ小荳蔲しょうずく

 他にも料理に転用出来る素材が大量にあった。すげぇ。

 兎にも角にも、目的のモノがあった事でアーサーは有頂天となり、ガッツポーズをしながら天に吠えた。


「うおっしゃおらああああぁぁぁぁあ‼ これでカレーが作れるぞおおぉぉぉぉぉっ‼」


 歓喜に咽ぶアーサーと対照的に、ムスタファとテレジアが彼を白い目で見ていた。

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