第22話 馬車内の空気が最悪です
現在俺はテレンス家の馬車ではなく、カンバラ家の方の馬車にお邪魔している。
理由は公爵から【暗夜の狂】について追求された場合の言い訳を考えついていないからだ。
しかし、だ。
馬車内の空気が──重い。領都ヴァニラまであと少しだと云うのに、俺の胃が耐えられるのか心配になるくらいには重い。
俺の隣にはテレサが肩がくっつくほどの近くに座っており、アカネ・アオイ姉妹は丁度向かい側に座っている。公爵家の立派な馬車と違い、荷台に直接腰を下ろしている為、尻から伝わる振動が凄い。
「いやぁ、まさか領主様が直々においでになって、こんな風に守ってもらえるなんてね! 気分は正に公爵といったところかな? ははは!」
「「「──」」」
「そうっすね、はは……」
御者台からイッシキ氏の呑気な声が届いた。女性陣は誰一人同意も否定すらもせず、俺はというと空笑いをするしかない。
街道を征く二台の馬車の歩みは、実にゆったりしたものだ。歩兵らの歩幅に合わせているのもあるが、また万一という事が無いとも限らない。馬車を中心に同心円状に広がる公爵家の兵士らには警戒を厳に進んでいた。いわゆる輪形陣という奴だ。『
今は彼の空気の読め無さがありがたい。尊敬の念を抱くほどだ。
しかしこのアーサー。残念ながら彼ほど鈍い訳ではない。
この胃痛すら覚える沈黙、その根本的な原因が俺への好意からであることは承知していた。
──不意に腕に絡んでいたテレサの力が、更に増した。ぎゅうっ。
姉妹の纏う空気が、増々剣呑なものになる。アカネの目元には
テレサの急な行為が「これは私のものよ」と主張しているようで。ははっ、子供の可愛らしい独占欲ぅと笑い飛ばしたいのに、出来ねぇ!
一刻も早く領都に着いて欲しいのに、残念ながら馬車の歩みは普段より遅かった。ひぇ。
「その、お二人はどのようなご関係なのですか?」
沈黙を破ったのは、意外にもアカネであった。
「えぇと、俺とテレサは──」
「私達、婚約者ですの」
何と説明したらよいのだろう?
雇用主の娘と護衛? 家庭教師と生徒? はたまた命の恩人か?
関係を表す適切な表現が思い浮かばず、ともかく軟着陸を目指し口を開いたのだが、俺の言葉を遮りテレサが強く言い切った。腕の絡みが更に強くなり、最早蛇を連想させた。
「違うよぉ!? 俺は全く同意してませんですけどぉ!?」
「へえぇ。彼はこう言ってるけど、そこのところどうなんですテレサさん?」
俺が泣きそうになりながら叫ぶと、アオイが話に加わってきた。
平素からは愛嬌たっぷりの笑顔を浮かべているアオイだが、今の彼女にその気配は微塵も見られない。
テレサと呼ばれた事が思いの外不快だった模様で、テレジアは眉を吊り上げた。
「テレジアです。二度とそのように呼ばないでください」
「ああごめんなさいテレジアさん」
嬉しそうに、圧のある笑顔を浮かべるアオイ。
遣り取りが一々真剣で
「あ、いや。そんな話も上がったんだけど、俺もテレサも昨日初めて会ったばかりだからさっ! ちょっと早いかなーなんて……」
目に見えないボルテージが上がっていくのを感じ、俺はすかさず会話に割り込む。
「あら。そう、なんですね? テレジアさんの言葉ぶりから、ワタシてっきり昔から付き合いがあるものかと思ってしまいました」
「うんうんそうだよねー。ボクも今日、アーサーに出会えたんだし。たった一日しか差がないんだね、ボクたちって!」
「うふふふふ、そうかもしれませんわね。でもアーサーも言っていましたよね? 早過ぎるだけだと。時間の問題だけで気持ちの方に問題は無いと言っても過言ではないのでは?」
「「……」」
ピシリと、空間にヒビが入った音を確かに聞いた。
いよいよ以て限界を感じ始めた俺の脳味噌が頭痛を訴えてきた、そんな時である。盛大な溜め息が起きたのは。
「はぁー……。やめやめ! こんな空気、ちっとも楽しくないよ! せっかく王子様に出会えたと思ったんだけどさー。既にお姫様もついてたかー、ちぇー」
「アオイちゃん?」
妹を不思議そうに見るアカネ。
パンパンと、手のひらの汚れを払うようにズボンを叩くと、アオイは眩い笑顔を浮かべる。
「改めてはじめまして! ボクはアオイ・カンバラです! よろしくね、テレジアさん」
「えぇと……」
急に態度を変えたアオイに戸惑うテレジア。
差し出された手と俺の顔を交互に見てくる。頷きを返してやると、彼女はおずおずと手を握り返した。
「テレジア・フォン・テレンスですわ。よ、よろしくしてあげますわ」
テレジアらしい不器用な上から目線の応答に、アオイは吹き出した。
彼女の笑顔に毒気を抜かれたか、テレジアもまたぎこちないながらも笑みを浮かべた。
やれやれと胸を撫で下ろしたのも束の間。
「テレジアさん、ボク二番さんでもいいよ?」
「二番……?」
ブフゥ──! な、なんっちゅーことを言い出すんじゃこの娘はっ!
そういう教育はまだされていないテレジアは、言葉の意味が分からず小首を傾げている。
対して耳年増な姉は顔を茹でダコにして妹にあわあわと食って掛かった。
「ア、アオイちゃん! はははしたないわよ!?」
「えー? はしたないって何を想像したのお姉ちゃん? むっつりなんだから、もー」
「な、なななななな!」
「アーサー? 二番って何ですの? 何で私の耳を塞ぎますのアーサー? アーサー?」
アオイは意地の悪い笑みを浮かべて姉をからかうと、アカネはうーうー唸りながら涙目にポカポカとアオイを叩いていた。
いや、うん。はしたないとこまで妄想するのは、さすがにムッツリだと思うよ?
聞けばアカネは俺達より五つ上の十二歳。アオイの方は九歳だそうな。平民の子はやっぱそういう方面は進んでるなーと思いつつ、教育に悪いとテレサの耳を塞いだ。
「ははは、モテモテだねぇアーサーくぅん。後で男同士、二人きりで話をしないかい? じっくりとねぇ」
話を聞いていたイッシキが声を掛けてきた。何故に俺は昨日からの一日で二人ものお父上と二人きりで話をせねばならないのか。解せん。
話が不穏な方向に流れてゆくのを感じた俺は、慌てて口を開く。
「と、ところでイッシキさん。不躾なことを聞きますけど、イッシキさんは誰かに恨みを買うような覚えはありませんか?」
「何だい藪から棒に。……うぅん、そうだねぇ。私も随分と商売を手広くしたからねぇ。或いはどこかで恨みを買っているということも、うん、無いとは言い切れないなぁ」
「そんな! お父さんはイイモノを安く、皆に売ろうとしているだけじゃない!」
「そうだよ! アーサー! まさかお父さんを疑ってるの!?」
肯定も、しかしハッキリとした否定もしない父に娘たちが猛然と抗議の声をあげる。
アオイに至ってはこちらを睨んでくる始末だ。俺はどぅどぅと、姉妹を諌める。
「あーすいません。別にイッシキさんがアコギな商売をしてるとかじゃなくてですね。イッシキさん、逆恨みに覚えはありませんか?」
「……アーサー君。君は何か、心当たりがあるんだね?」
「推測ですけどねー。教えて貰えませんか? イッシキさんを──カンバラ商会を逆恨んでいるかもしれない相手を」
聞き方を変えるとイッシキ氏の雰囲気が変わった。思い当たる節があるのだろう。
多分だけど。[金カフェ]のストーリーを思い返せば──。
「ウチと最近揉めているところというと、あそこかな。……[ボッタクル商会]」
──やはり。
アーサーは今度こそ確信を持った。
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