第16話 家に帰るまでがイベント

(ま、まじで死ぬかと思った……)

 首を締めている事に気付いたテレジアは慌てた様子で謝罪をした。アーサーはというと、締め付けられた喉の調子を確かめるようにコンコンと咳払いをした。

 第二の人生、生き死にを賭けた勝負で命を落とすのではなく、こんなしょーもない事で死ぬのかもしれないと思ったら。アーサーは今日一番の恐怖を覚えた。

 ここがギャルゲの世界で、あながち的外れとも言えぬ事実に更に恐怖した。

 そんな阿保らしくも切実な危機をアーサーが抱いているとは露とも知れず、テレジアは小さく呟く。

「そっか。口にしなければ伝わらないのね……」

 アーサーの言葉は殊の外テレジアの心に染み入った。それが真理だからか、はたまた彼が言ったからなのかは、テレジアには分からない。ただ口の中で反芻していると、一つの決心を彼女に抱かせる。

「っ」

 テレジアはこれから云う自分の発言を思うと恥ずかしくて、顔から火が出る思いであった。それでも言葉にしなければ伝わらない、と。そう言うのならば、私の思い──願いは叶うことは決してないのだ。

 遠慮がちながら、テレジアにとっては大きな一歩を踏み出した。

「……じゃぁテレサ」

「ん?」

「テレサって呼んで」

 心臓が痛いほど早鐘を打つ。

 きっと自分の顔は熟れた林檎のようになっているのだろう。万一にそんな顔を彼に見られないよう、テレジアは彼の背中に顔を埋めた。だから、アーサーがどんなに驚愕の表情を浮かたか、彼女は知る由もない。

(こ、これは、テレジアルートの確定イベントじゃねーか!)

 気付いてアーサーの額に脂汗が浮かぶ。

 ”氷の令嬢”テレジアの、凍てつく心を主人公の鈍感と紙一重の献身が溶かし、そんな彼が自分にとってどれだけ大切か気付いたテレジアは、誰にも呼ばせたことのない愛称を主人公にだけ許すのだ。

 そうして主人公とテレジアは一際強い絆で結ばれ、テレジアルートに突入する。

 まさか己の調子の良い励ましが、こんな結末をもたらすなんて。

 戦いの思い切りの良さは鳴りを潜め、アーサーの返事はパッとしない。

「い、いやぁ畏れ多いと言いますか」

「テレジアって呼び捨てにしてたわ。……テレサって呼んだわ」

 テレジアは拗ねるように言う。

「呼んで欲しいんです。……言わなきゃ伝わらないのでしょう? それとも、やっぱり私のことが、嫌いです……?」

(違ぇええんだよおぉぉおぉテレジアちゃんっ!)

 アーサーは心で慟哭した。

 何も知らず、何も考えず。心の命じるまま行動するのなら、アーサーも「テレサ」と呼びたいのだ。”剣バラ”のヒロインだとか公爵令嬢だとか、そんな事は二の次で、美少女とお近づきになりたいのは男の本能であった。

 だが、彼は知っている。これがゲーム内で重要なイベントだと。一生を左右するほどの。齢七つにしてその決断は重かった。

 アーサーが二の足を踏む理由はそれだけではない。これが重要なイベントだと、知っている事自体に大きな後ろめたさを感じるのだ。

 テレジアが何を求めているのか、何をすれば喜ぶのか。知りようのない知識を予め知っている、裏ワザめいた事実にアーサーは罪悪感を覚えた。

 しかし、待てよ……? ゲームの本編はまだまだ先の、テレジアが十五歳の時である。そして今の彼女はゲーム内と違い”呪い”にも目覚めていない。

 ……そもそも現況は”剣バラ”本編のイベントと何の関係もないのでは?

 となると、ただ似ているシチュエーションという事になる訳で。うん、そうだ。そうに違いない。

 重く圧し掛かる、見えない何かが取り除かれる。

 意を決して、アーサーは遂に口を開いた。

「テレサ」

「っ」

 緊張を隠すようよう、若干早口で。

 背中の気配がぴくりと動く。

 気配からも明確にテレジアの照れを感じて、アーサーの胸中にむくりと悪戯心が沸き上がった

「テレサ。テレサテレサ」

「も、もう! からかって! そう何度も呼ばないでください!」

「く、はははは! 悪い悪い。ならさ」

 夜の森に哄笑が響いた。

「不公平だろ? 俺のこともアーサーって呼んでくれよ」

「えっ、それは……!」

「呼んでくれないのかー悲しいなー」

「だ、だって。男性を呼び捨てにするなんて、はしたない……。うぅ……」

 露骨に落ち込んでますアピールをすると、テレジアは照れながらもおずおずと口を開いた。

「あ、………アーサー」

「おう」

「アーサー」

「おう」

「アーサーアーサーアーサーアーサー」

「お、おう。そう呼ばれると照れますなぁ」

「そうでしょう? もうっ」

「はははっ」

「ふふ」

 ふと、会話が途切れる。沈黙の天使が舞い降りた。

 だが先程の気まずい沈黙とは違い、二人の間に流れる空気はどこか温かで、心地よかった。

 風が吹き、葉がさざめいた。

「ねぇアーサー。私に魔法を教えて欲しいの」

「……えぇっと」

 アーサーは即答し兼ねる。

 公爵は言った。貴族たる者、平民を守り導く存在である。その点であれば貴族が力を持とうとするのは間違いではない

 一方で封建制度が根強いこの国では男尊女卑の考えが当然のようにある

 特に社会的地位の高い者ほど、その傾向が強い。

 公爵家の嫡女である。テレジアに求められるのは分かりやすい武力ではなく、家を纏める力である。そんな立場にある彼女が力を求めるというのは、外聞が悪い。

「お願いです。ウチにご奉公に来るのでしょう? 何をしに来るかは、まだ決められていないハズです。お父様には私からもお願いしますから」

「……テレサ。俺の剣も魔法も独学で得たものだ。可能ならきちんと剣術や魔法を修めた人物に教えを乞うのがいい」

「独学だろうとあなたはそこまで強くなったではありませんか。私は方法には拘りません。私に才能があると言ったのは、あなたじゃないですか……。あれは嘘だったのです……?」

 縋るような声でテレジアは言う。またも自分の台詞で首を締めるアーサーであった。

 降参とばかりにアーサーは肩を竦める。

「分かったよ」

「言いましたね? 聞きましたよ? 言質は取りましたからねっ」

 一転テレジアは弾んだ声をあげた。

 あの親にして、である。うへぇ。



 テレジアが村から消えてから、どれくらい経っていたのだろうか?

 ギム村は騒然としていた。公爵家の兵と村人が入り乱れ、一部の者ら──公爵家の手の者である──は殺気を隠しもしなかった。

 捜索は芳しく無く公爵は足を揺すりながら辛抱強く待っていた。彼の苛立ちがいつ爆発するか、村長は生きた心地がしなかった。

 そんな中である。森の方からアーサーとテレジアが見つかったという報を受けたのは。

 誰よりも早く現場に駆けつけたのは、誰あろうムスタファ公爵その人だった。

「テレジア!」

「アーサー⁉」

「お父様⁉ きゃっ──!」

「父さん! 母さん!」

 ムスタファは娘の姿を見つけると、その勢いのままテレジアに抱き着いた。

 テレジアは一瞬何が起きたか理解していないようだったが、父に抱かれているのだと分かるとその大きな胸に顔を埋めた。

 俺も俺で父と母には大変心配を掛けたご様子。父と母、二人分の力で抱き着かれてちょっと息苦しい。

 両親の腕の隙間からテレンス家親娘の様子を見る。

 いやー、良かった良かった。

 テレジアちゃんはさー、これで愛されている自信が無いなんて──。いや、これも相手の感情までも視えてしまう”診眼”の弊害か。

「いや、アーサー君。今回は何と礼を言ってよいか」

「ああ、いえ。いいんですよー。まー自分が好きでやったことですし」

 元を辿ると自分の不注意な一言が原因かもしれないし。そのことは黙っていよう、うん。

 公爵は静かにかぶりを振る。

「信賞必罰こそ世の習いよ。これを疎かにしては社会は成り立たなくなってしまう。後日改めて君には礼をさせてもらおう」

「はぁ」

 何を言っても聞き入れてくれなさそうなので、つい気の抜けた返事をしてしまう。

 公爵家のお礼かー。何だろか? お金を貰ってもなー? ギム村だと使い道が無いんよ。何でもいいとか、そこまで太っ腹なことは言わんだろうし。こっちの要望を聞いてくれるってなら奉公の話を無しにするとかは、無理かー。テレサにも魔法を教えるって約束したし。そうだ約束か。

「あのー公爵様。よろしいでしょうか?」

「ふむ、何か?」

 既にムスタファは平素の姿を取り戻していた。

 取り乱した姿が夢幻だったのではないか? そう思わせるほどの落ち着きぶりだった。

「そのー、お礼なんですけど。希望がありまして……」

「ふむ。出来る限り聞こう」

「テレジア様には魔法の才能があります。もしよろしければ私に彼女の魔法の手ほどきをさせて頂けませんか?」

「君がか? ……仮に君の言葉が事実だとして、娘が魔法を学ぶ姿勢を見せていたとしても、それを教えるのは君でなくてはならない理由はあるまい」

 ムスタファが僅かに顔を顰める。

 まーそりゃそうだ。俺も同じ立場ならそうするし。でもなー約束しちゃったしなー。やっぱ約束を叶える為にここはお礼の使い所と見た。

 テレジアが何か言いたそうにしていたが、俺は彼女に視線を向けて「任せろ」と首を振った。

「公爵様。自慢じゃありませんが俺は基本四属性、複合四属性の全全属性を中級まででしたら使えます」

 俺は基本四属性──地水火風の属性を纏った球状の魔力を、虚空に同時発動した。公爵家の者がどよめく。

 今度は複合四属性──氷雷金木を形どったボールが生成される。

 テレジアもひどく驚いているが、俺が中級氷魔法を使うのを見ていただろうに。あ、いや、意識が朦朧としてたから忘れちゃったのか?

「……アーサー君。娘の適正は何かね?」

「火でしたねー。さっきも言いましたが、今の自分は中級魔法までしか使えません。テレジア様の才能が俺を超すものであれば、その時は改めて火魔法に特化した家庭教師を雇うなりすると、よろしいんじゃないかなーと、愚考いたしますが……。……どうですかね?」

 相変わらずこのオジサマの迫力は凄い。

 巌の如き筋肉の腕を組み、泰然自若とした様は仁王像を彷彿させる。

 おそらく、この人に威圧する意思は無いんだろうが。もうそうね、いるだけで圧が凄いのよ圧が。

 ムスタファはたっぷりと間を取ってから、口を開いた。

「君の奉公だが、まだ何をしてもらうか決めていなかったね?」

「は、はい」

「さて。アーサー君の仕事だが、……君の柔軟な発想を活かすには生産職や研究職が最適だと考えて居たのだが。ふむ、私の見る目もまだまだだったようだ。君にはテレジアの護衛兼家庭教師をやってもらおう。無論、良いアイデアが浮かんだというのなら、提案して貰って構わんがね」

「っ! 謹んで拝命させていただきます!」

 お、おぉ? 何か前フリが長くて公爵が何を言いたいのかイマイチ測りかねるが、オーケーって事でいいんだよな?

 そうかー七歳児のお守りかー。子供のお守りとか普通なら大変そうだけど、テレサなら手もかからなそうだし、考えうる限り最高の結果なのでは?

 事を見守っていたテレサが嬉しそうにやって来てピョンと跳ねた。

「やりましたね、アーサー!」

「おーよかったよかった。これでテレサとの約束も守れそうだよ」

 ひとまずは最難関とも思えた公爵からの許可を貰えた。

 その安堵からテレジアに微笑み掛けると、彼女は俯いてしまった。おや?

「──テレサと言ったか?」

 俺とテレジアの会話はしっかりと父親ムスタファの耳にも届いていたようで。……おや?

 何故なにゆえ公爵の背後に鬼のオーラを幻視するのか?  俺は自分の言動を省みて、「やべ」と小さく漏らした。

「あ、いえテレジア様が──」

 慌てて言い直すも、手遅れだったようだ。

 ムスタファ公爵の表情は変わらない。いつもの──何が気に入らないのか、眉根に皺を寄せながら口をへの字にしている。しかしながら、だ。その筋骨隆々からはどんな鈍感ニブチンでも解る怒気をが発せられていた。

「アーサー君」

「はひ」

 両肩を掴まれる。逃げ場は、ない。

 筋骨隆々の大男である公爵の、その指が万力のように肩の肉へと食い込んでゆく。

 しかし公爵の圧が強くて、痛みに悲鳴をあげる余裕もない。

「これは何があったか、よく聞かねばなるまい? そう、一から十全てを、だな」

 公爵が口元を吊り上げた。

 ひいぃっ!? こ、怖い!

 普段笑わない人間だからこそ、笑顔の破壊力よ。

 しかし女神様はまだ俺を見捨ててはいなかった。

「お父様! アーサーをお離しになって! アーサーは私を救出するのに怪我をしていますの。ご報告の方は、私がしますから」

「む」

 凛然としたテレジアに感じ入る点があったか、公爵の手から力が抜ける。

 確かに、今のアーサーは酷い有様だ。服はボロボロで、血と泥とでひどく汚れていた。

「いや、すまなかったなアーサー君。娘を攫われて、私も冷静さを失していたようだ」

「いえ、子を持つ親ならば当然のことかと」

 俺は愛想笑いを浮かべるしかなかった。

 何せ公爵ったら、言葉と理性では納得しているようだが、感情の方はそうではないと。俺に不格好な笑みを向けてくるのだから。

 そんな公爵から逃げるように、俺はそそくさと自宅に戻った。

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