第15話 夜明け

 ──悪夢を見ていた。私じゃない私が、人を傷付けるような、そんな悪夢。

 そんな事をしたくないのに、私の身体の癖に、私の言う事を効かなくて。

 ──本当に? ただの一度も? 傷付けたいと、願ったことは無いの?

 内側から声がする。私の声で、私とは別の意志で。

 父に、家臣に、見下されている──。そう感じてしまうのは、劣等感からくる被害妄想に過ぎないのだろう。

 真実は別として私は、正直出来れば、見返してやりたかった! 父を! 家臣を! テレジア・フォン・テレンスは無能ではないのだと声高に叫んでやりたかった。

 内なる声はそんな、私自身がずっと目を背けていた心の闇を突き付けるように語りかけて来る。

 ──じゃぁ見せつけてやればいいじゃない。滅茶苦茶に。

 私は答えず、応じず。ただその闇に身を任せた。

 すると身体の芯から熱が発せられた。

 苦しくはない。むしろどこか心地よささえ感じるそれを、夢見心地のまま私は思う存分に発揮する。

 人生の鬱屈がどれだけ溜まってたのだろう? 解放されたソレは最早私の意思から離れ周囲に害を広げてゆく。

 何に配慮するなく思うままあるがまま、力を振るうことの快感よ。心地よい、……心地よい筈だが。何故だろう、胸がすく思いを抱く一方で虚しさと罪悪感が、私を押し潰そうとしてくる。

(どうでもいいや……)

 そう、どうでもいいのだ。

 私のような才能の無い、公爵令嬢の立場に相応しくない娘なぞ、何がどうなったって、心配する人間なんか居ないんだから。

 ……だと云うのに。

「テレサ! テレサっ‼」

 一体誰だ、馴れ馴れしい。私の名前を呼ぶ声。……少年の声。

 彼の声を聞く度、苛立ちがの感情が湧き起こる。……それ以上の、何故だろうか、申し訳無さが私の感情を占めた。

(もういいから、放っておいて……!)

 声ならぬ声は届かず。彼は必死に私の名前を呼ぶ。

 そうして、ふわりと? 夢とも現とも解さぬ私の──。



 ──唇に柔らかいものが被さった。



 瞬間私の意識は一気に目覚めた。

 驚きに目を見開いた視界いっぱいに、少年の顔が映った。

 片田舎の少年とは思えぬ整った顔立ち。長い睫毛がよく見えた。心配に染まった彼の視線が真っ直ぐに私を射貫く。何だか今にも泣きだしそうな彼の顔を見て、私は。……息が詰まりそうになった。

 それはただ単に、口を塞がれているからではなくて──。

(なぁんだ。夢か……)

 朦朧とする意識の中、そう判断した私は、心地よさに呑まれるように瞼を閉じた。


◇◇◇


「ん、んうぅぅ……?」

「おー、目が覚めましたかお姫様」

「え──」


 心地よい揺れの中、テレジアはゆっくりと瞼を開いた。

 そうして直ぐ近くから少年に声を掛けられて、次第、状況が飲み込めるにつれ悲鳴を上げた。

「え、え? えぇぇぇぇっ⁉」

「うわっ! 耳元で怒鳴るな! ちょ、暴れるな!」

「だ、だってあなた⁉ な、何をしてくれてますの⁉」

「何って……、分かるだろ? おんぶだよ、おんぶ」

「ひゃっ──!」

 ──降ろして。言葉が喉まで出掛かったが、テレジアは言葉を飲み込む。

 代わりに口からは疑問が吐いて出た。

「どうして──」 

「ん?」

「どうして、あんなになってまで助けてくれたんですの? 私があなたのことを嫌っていたの、知っていましたでしょ?」

「いんや知らないなー」

 アーサーの返答は実に軽く、テレジアはショックを受けた。

 彼の言葉をそのまま受け取るほど、テレジアは純粋でもないし鈍くもない。

 背後からありありと不満の気配をぶつけられたアーサーは少女を担いだまま器用に肩を竦めた。

「いや、正直言えば薄々は感づいていたよ? だけどさ、思いなんてもんは口にしなけりゃ明確な形にはならないんだよ」

「でも──」

 でもでもだって、と。今一つ納得のいかなさそうなテレジアの言葉を遮り強く言葉を被せる。

「口にしなきゃ無いも同然なんだよ。だから君が、俺を嫌っていた事実なんてのは無いの」

「……うん」

 尚も納得のいっていない様子であったが、テレジアはとりあえず口を噤んだ。

 ……気まずい沈黙が流れる。

 気まずさを誤魔化すように、アーサーは黙りこくってしまったご令嬢を意識の外に追いやり、先の出来事に思考を飛ばす。

(しっかし、さっきの少女は何者なんだ?)

 テレジアの誘拐犯。”呪い”のことを知っていたかのような口ぶり。

 そして何より、アーサーの脳に引っかかるのは──。 

「ねぇ?」

「……」

「ねぇ⁉ 無視、しないで欲しいですわ……」

「あー、ごめんごめん」

 思考が中断させられる。そのことに文句を言うにはあまりに、少女の声が震えていた。

「……私、お父様に合わせる顔がありません」

 心が弱っている状態で弱音が出るのは当然かもしれないが、テレジアの言葉にアーサーはびっくりした。テレジア自身、今日出会ったばかりの相手にこんな事を聞くなんてどうかしていると思った。

 だが、自分のために命を顧みずに戦ってくれた彼にしか打ち明けられないとも思った。

「そう、ですか? だって私、護衛も付けずに一人で駆け出してしまったのですよ? こんな、公爵家の令嬢に相応しくない行いをして、攫われて、きっと呆れられてしまいますわ……」

「そんなことはないだろー。まず一番悪いのは間違いなく攫ったヤツだし、子を心配しない親はいないよ」

「……そうでしょうか」

 テレジアはすっかり弱気の虫に支配されてしまったらしい。

 こういう空気は苦手だ。アーサーは頭を搔こうとして、両手が塞がっていることを思い出し、代わりに盛大な溜め息を吐いた。

 なんと応えたものか。アーサーは首を捻り言葉を選び、口を開く。

「それはお父上が直接言ったのか? 君は直接聞いたのか?」

 アーサーは敢えて強い口調を使う。

「俺からすれば君も君のお父上も似た者同士だよ。相手が大切な癖に相手の気持ち一方的に決めつけて、一番大切な自分の気持ちを伝えていない」

「……お父様も?」

「ん? お、おぉ、そうともさ。君はお父上に嫌われていると思っているようだがね。お父上は君に直接言ったのか? 君はきちんと聞いたのか?」

「それは──」

 テレジアは言葉に詰まった。

 部外者が好き勝手言ってくれる! 聞けていたら、こんなに苦しい思いなんてしていない! ……そういう怒りは確かにあった。

 さすがにそれを口に出すのはみっともなくて、テレジアはただ口を次ぐんだ。

「……」

 すっかり塞ぎ込んでしまったテレジアを前に、アーサーは息を吐いた。

 ──テレジアは自分に自信が無さすぎる。

 だから穿った考え方をし過ぎるし、他人の言葉を素直に受け取れないのだと、アーサーは考えた。

 別に見て見ぬフリは、しようと思えば出来る。出来るが、自分の手の届く範囲で見てぬフリは、出来ぬ性分であった。

 アーサーは少女の心に巣くう病巣に手を出した。

 それが自分の──モブに過ぎぬ自分の領分を超えている事を理解しながら。

「あいつらも君の才能が目当てに攫ったっていうのに」

「……私に才能なんて、ありませんわ」

 ……こりゃー重症だわー。

 テレジアの自信の無さは、結局は彼女の言葉に収束する。才能が無い、と。

 しかしそれは間違いだ。彼女には、無いと思い込んでいるだけで才能はある。”剣バラ”をコンプリートした俺が言うんだから間違いない。

 でもなー。それを言うのは躊躇する。テレンス家の内情に突っ込み過ぎるからだ。「どうして知っているのか?」と聞かれれば窮するし──ええい、ままよ! 目の前で落ち込んでいる、今にも泣き出しそうな少女を頬っておく以上の罪があるだろうか、いやない!

 まるで己を鼓舞するかのような自己弁護を終えると、アーサーは一息に言葉を紡ぐ。

「いやー、あるある。才能あるよー。君の眼なんかは才能の塊だし」

「?」

 何を言っているのだろう? そんな気配が背中からアリアリ感じ取れた。

 だが、何某か口を挟まれるより早く、アーサーは言葉を続ける。

「テレンス家にさ、代々伝わる能力があるだろう?」

「っ!」

 テレジアの身体が強張った。何を言うのかを察したのだろう。

 如何にしてテレンス家が貴族として財と権力を築いてきたのか?

 その一端を担うのがテレンス家にのみ発現する能力。

 対象の状態を見抜く特殊な眼。──”診眼”である。

 それによって偉大なりし開祖テレンスは病症の診断と調薬を行い、薬学者としての地位を確かなものとしたのだ。

「君の眼は美しいって言ったろう?」

「な、何を……?」

「何度だって言うさ。君の──お父様譲りのお父様と同じ色した翠の、眼は美しい。綺麗だ」

 アーサーからは見えないが、テレジアの顔が真っ赤に染まった。

「君は自分に才能が無いと思ってるみたいだけど、それは勘違いだ。君の眼はきちんと、テレンスの”診眼”を受け継いでいる」

「っ‼」

 テレジアは息を呑む。才に溢れた少年が、私には才能があると、そう言うのだ。

 信じられなかった。安い慰めにしか聞こえない。

「う、嘘よ。出任せだわ……。わ、私が子供だと思って」

「嘘じゃないんだけどなー」

 ずっと自分に才能なんて無いと信じ込んでいたテレジアには、アーサーの言葉はまだ響かない。

「多分だけど、君は少女の鞭を見切れていたんじゃないか? でなきゃあんな、荒しのような鞭の合間を縫って、矢を射通すことなんて、常人には無理だ」

「!」

 アーサーの指摘通り、テレジアには思い当たる節があった。

 そう、なのだろうか? 喜びが心の隅で芽吹く。しかしそれは、テレジアの闇を拭うには余りに小さい。

「で、でもでも! だ、だってそうだとしてもっ、テレンス家の血が為せるだけです。私の才能じゃないもの……」

 これでも駄目かー。アーサーはテレジアの頑固さに若干呆れた。

 ならばと、別方面から切り口を入れた。

「あー、そのー。……テレジア様はさっきまでの出来事、覚えてますよね?」

「……覚えてますわ」

 ビクッとテレジアの身体が跳ねる。

 責められると思ったのだろうか、彼女は先んじて謝罪をしてきた。

「っ、ごめんなさい……」

「あー、別に気にしてないですよ。謝って欲しいとかじゃなくて、そのですねー」

 背で縮こまった少女を、あやすようにアーサーは言った。

「テレジア様には魔法の才能があります」

「え?」

 なんてことの無いような少年の言葉。しかしそれがテレジアに与えた衝撃は、彼が思っていたよりも大きかった。テレジアは呆け、喘ぐように口をパクパクしている。

 聞こえていないのかな? アーサーは重ねて紡ぐ。

「えぇ、魔法の才能がありますよ。火の魔法の才能が。あれはテレジア様の、テレジア様だけが持つ才能ですよ?」

「私、の才能……?」

 信じられないと喜びの入り混じった呟きであった。

 風向きが変わったのを感じたアーサーはダメ押しをした。

「だから、そんなに落ち込まないで。笑顔笑顔!」

 これが見本とばかりの見本の微笑みを、テレジアに向ける。

 瞬間テレジアの顔は沸騰した。

「あっあっ、ああうぅぅぅ……っ!」

「テレジア様? いでっ、いででっ⁉」

「だ、だめ! こっち見ないで!」

 急に呻き始めた彼女を心配して振り向こうとすると、首をゴキリと反対側に回された。マジ痛ぇ。

 だがテレジアに相手を気遣う余裕など、ない。

(あ、あうぅぅぅ……! あ、うぅ、な──! なん、何よ! 何よ何よ! 何が笑顔ですか! そんな、そんな顔してっ! 卑怯──そう! 卑怯だわっ!)

「ぐえぇぇ! て、テレジア様ぁ? く、首締まってるって!」

 ひどい責任転嫁である。

 すぐにでも顔を覆いたいのだが、おぶさっている為手が塞がってそれも出来ない。

 代わりにテレジアはアーサーの背に顔を埋める。すると女の自分とは違う体臭が鼻をくすぐり、それがまた彼女の精神を揺さぶるので、テレジアは無意識に腕にあらん限りの力を込めた。

 ヒキガエルの如き悲鳴が響く。

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