幕間 親子仲は円満な方が当然いい
アーサーがステータスの意味を知って自宅で悶々としている同時刻、村長の屋敷。
「では、話を聞こうか」
屋敷の一室を借り場所を移すと、ムスタファは単刀直入に切り出した。
テレジアは父の圧力に晒されながらも、自らを奮い立たせ事の起こりから順に話し始めた。
自分の不明が原因による誘拐。アーサーの奮闘による解決。
……帰り道での出来事は、話さなかった。本筋から外れる上に、二人だけの秘密にしておきたかった。
ムスタファは黙ったまま、それら全てを聞き終えるとただ一言。
「そうか」
とだけ呟いた。
眉一つ動かぬ表情からは何の感情も読み取れない。
アーサーは父が私を愛していると言った。私の眼は特別な──父と同じく相手の状態を読み取れる”診眼”だと言ってくれた。
だけど──。
(分からないよ、アーサー……)
彼が嘘を言うとは思えない。
彼を信じられなければ、私はきっと、もう誰も信じられなくなってしまう。
何か、何か言葉を発しようとして唇は、震えるだけで音を紡げない。
身体の震えがバレないように抑え込むのがやっとだった。
一向に部屋から去らないテレジアに、ムスタファは眉を顰める。
「どうした? 怪我がないとはいえお前も疲れているだろう。早く寝なさい」
「!」
──視えた。
父の感情が。僅かな揺らぎから。それが何を意味するのかは、未熟な私ではまだ分からりません。以前の私なら「遠ざけようとしている」捻た受け取り方をしていたでしょう。
でもアーサーが言ったのだ。お父様は私を愛していると。もし──もし、彼の言葉を信じるなら。父の言葉が額面通りなら。
「……心配、してくださったのですね?」
「親が子を心配するのは当然だ。ましてお前はナタリアとの娘だ。どうして心配しないことがあろうか」
「!」
勇気を振り絞り父に尋ねます。
そうして父から母の──二人してずっと避けていた母の名前が出てきた事が、とても衝撃的でした。
だからでしょうか? 無意識に私の唇は言葉を紡いでいました。
「お話がしたいのです。……ダメ、でしょうか?」
「ふむ」
寝間着の裾をきゅっと握る。
これを口にするだけでも、とてつもない勇気を消耗しています。
父の視線が私を射抜きました。
「話とは何だ」
明瞭にして簡潔な言葉に、奮い立たせた勇気が萎びていきます。
(アーサー……! 私に勇気を!)
私を助け出す為に命を賭けてくれた少年の背中を思い出します。
彼の千分の一、万分の一の勇気を私は願います。
そうして一度深呼吸をし──覚悟を決めました。
「お父様は私をお嫌いですか?」
「何を」
「私はお父様を敬愛しております。ですが私は、お父様にずっと嫌われているものと思っていました」
一度口にしてしまえば、もう後戻りは出来ない。
私は父の反応も見ずに言葉を紡ぎます。
「私、私は! お母様を殺したのは私です! そんな私はお父様に嫌われているも当然だと──」
「馬鹿を申すな‼」
聞いたことのないムスタファの怒声が落ちる。
あのムスタファの──。
木の股の間から生まれたとまで言われたムスタファの鉄面皮が大きく歪んだ。
「妻は元より、出産に耐えうる身体ではなかった! たが妻も──ナタリアも私もお前を産むと決めたのだ! それをテレジア! お前だけは後悔などしないでくれ……」
「──」
私は言葉を失いました。そして視ました。聞きました。
父の深い慚愧を。魂すら散々になってしまうような慟哭を。
瞬間ムスタファはハッとして、次に何かを諦めたような表情になると、深く椅子に背を預けた。
「いや、すまない……。私の……私のせいか。お前にそのような事を言わせてしまったのは、お前と向き合って来なかった私の罪だな」
私は父を見ました。
父は──お父様とは、このようなお顔をしていらしたのだろうか?
母に早く旅立たれ、育児の経験がない男手一つで娘を育てる気苦労を思えば。まだ三十を過ぎたばかりだというのに、白髪が目立つ髪に、深く刻まれた眉根の皺。
お父様のお顔からは生きてきた歴史が感じられました。
「……テレジア。お前も知っていよう、我がテレンス家の”診眼”を」
そしてお父様は語り始めました。
「”診眼”は相手の健康状態を視る眼だ。のみならず素材の薬効や毒も視れる眼だ。……そして中には、相手の感情まで視れることもある」
お父様の懺悔は続きます。
「私は、物心がついたお前が私に恐怖を抱いているのを視たのだ。怖がられているのなら、必要以上の接触は保たぬ方が為だと。そうやってお前を避けていたのだ。許してくれテレジア」
「そんな! そんなこと!」
父がこのような感情を抱いていたなんて、思ってもいませんでした。
私は瞳から溢れる涙を、止める術を知りません。
嗚呼! アーサーの言う通りだった! 父も私も! 相手の感情を決めつけて! こうすることが相手の為だと決めつけて! 自分の想いを伝えないから
なんて馬鹿な! ……似た者親娘なんでしょう私達は。
悲しみがあった。後悔もあった。だがそれ以上の喜びがあった。
父と似ているという事実に。父に愛されているという事実に。
「お父様は悪くありません! わた、私が馬鹿だったんです! 期待されてないと思って! 勝手に怖がって! わ、私、私が──」
「テレジア。お前に非など、何一つない。これは私だけの罪だ。”診眼”などに頼るばかりで娘の本当の願いすら見えなかった、至らぬ父ですまない」
それ以上言う必要は無いとばかりに、ムスタファは娘を強く抱いた。
痛いほどであったがテレジアはされるがままである。
「わ、私、嫌われていなかったのですね……?」
「そうだ」
「愛されていたんのですね……!?」
「そうだ」
瞬間テレジアは堰を切ったように泣いた。わんわんと泣き喚いた。
「すまない。すまなかったテレジア。これからはちゃんと、ナタリアの分までちゃんとお前に愛を伝えよう。テレジア、ありがとう。生まれてきてくれてありがとう」
ムスタファはただ、愛娘が泣き止んでくれるよう願いながら不器用に頭を撫で続けた。
◇◇◇
「はふぅ……」
あてがわれた部屋のベッドに身体を預けると、自然と口から吐息が溢れました。
「夢じゃない、んですよね……」
頬をつねるなどしなくても、胸の煩いぐらいの高鳴りが現実なのだと教えてくれる。
父と間に合ったわだかまりが無くなった。
さすがに全てが今日一日で消えさった訳ではないが、それも多分、これからの生活で徐々に無くなってゆくのだろう。
その未来を馳せると、自然と頬が緩む。
そうして気の緩んだスキに思い浮かべるのは、アーサーの姿だった。
「うぅ……」
自分のために命を張ってまで助け出そうとしてくれた少年。
長年の悩みを、いとも簡単に解決してくれた少年。
彼の微笑みが、未だ脳裏に焼き付いている。思い返すだけで顔から火が出そうで、私は布団に顔を埋めました。
「こんなの、好きになるなっていう方が無理じゃないですかぁ……」
泣きそうな、でもどこか甘い声。
試しに小さな想い人名前を呟く。
「アーサー……」
そしてテレジアはびっくりした。
自分でも聞いたことのない媚びた声で。
はしたなくて恥ずかしくて。顔が熱くなる。
そんな顔を──誰に見られているでもないのに──隠すようにテレジアは頭まで毛布を被った。
こんな茹だった頭では眠れやしないと。テレジアはベッドの中、一人悶々とした思いを抱いていた。しかし初めての戦闘、父との語り合いと、少女の体力を奪うには十分であった。
(アーサー……)
想い人の少年を思い浮かべながら、気付けばテレジアの意識は、深い深い闇に落ちていった。内なる声が聞こえた、私を飲み込んで消してしまうような闇とは、全く似て非なる物だ。
この闇はこんなにも温かく、安心する。
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