第12話 若葉色の少女③

「ふ、ふふ。痛ぁい、痛いわぁ。ヒドイことしてくれるわねぇ?」


 口ほどに少女は痛みを感じている様子は無い。

 手足があった場所が緑色したゲル状にけ落ちている。にも関わらず、少女はニヤニヤとした笑みを浮かべ、くつくつとした笑い声に合わせてゲル状の身体が震えた。

 少女の手足は一体、どうしてしまったのだろう? 命に別状は無いのだろうか?

 答えは実に雄弁であった。

 若葉の少女は苦労した様子もなく、左手だったゲル状を振るう。

 ……いや。事実としてソレは少女の手足なのだろう。

 空気を切り裂く音が聞こえ、アーサーは反射的にその場を離れた。

「ちぃ!」

 その切っ先の速さ足るや、アーサーの目では捉え切れぬほどだ。考えて動いた訳ではない。危険を察知した身体が反射的に反応しただけだ。

 一拍置いて、アーサーの立っていた地面が弾け跳ぶ。

「鞭みたいなもんかよ! 厄介な‼」

「ははは! どこまで避けられるかしらねぇボクぅ!?」

 左手ばかりか右手までゲル状にした少女は二本の、かつて腕だった鞭を振るう。その動きは実に巧みで、空中で軌道を変えるそれは少女の意思を反映していた。

 木々に身を隠そうにも容易くへし折るほどの威力を有しており、多少の目眩まし以上の効果は得られそうにもない。

 悪態を吐きながらもアーサーの頭脳は冷静であった。

「『光刃ブライトセイバー』ッ!」

 アーサーが吠えると同時に皮剥ぎ用ナイフを光が包んだ。

 文字通り光の刃となったナイフを片手で振るい、襲いくる触腕を斬り捨てる。

「うふふ! まだそんな手を持っていたなんてねぇ⁉」

 喜悦を深めて少女が叫ぶ。

 そうして若葉の少女は無茶苦茶に、腕だったものを振るった。

 嵐の如き乱撃である。目に映る残像を必死に目で追い、アーサーは時にいなし、時に躱し。全力で守勢に回って尚ジリジリと追い詰められていった。

(クッソ! ジリ貧ッ!)

 時間は果たして敵か味方か。

 時間に比して公爵の増援が来る可能性は高まる一方、彼のなけなし体力精神力は容赦なく削られてゆく。触腕に捕まるのも時間の問題であろう。

 何より、先の無理した身体強化の代償が大きかった。左腕は感覚すらも怪しい。身体は魔力不足を訴えて頭痛までする。底を突きかけた残りの魔力では、精々初級魔法一度二度使えるのが関の山だった。

「頑張るわねぇ。──……ふ、ふふっ! いい事を思いついたわぁ!」

 少女の呟きを捉えた訳ではない。ただ彼女が、三日月の様に笑みを深めた事に嫌な予感を覚えたのだ。

 突如一本の鞭の軌道が変わった。

 その振るう先をアーサーではなく──。

「えっ?」

 突然のことに反応の出来ないテレジア。眼前に迫りくる緑色したゲル状の鞭を茫然と眺めるしか術が無かった。

 それよりも早く、横合いから出てきた何かに突き飛ばされる。

「きゃあ!」

 受け身など取ることも出来ずテレジアはしこたま地面に身体を打ち付けた。

 何が起きたか理解するよりも早く、彼女のすぐ頭上をゲル状の鞭が通り抜け、何か、激しく肉を打つ音が響いた。

「あらぁ、凄ぉい!」

「えっ?」

 少女の邪気の無い賞賛が響く。

 テレジアは痛みに瞑っていた目を開くと、少し離れた所で地面に転がるアーサーの姿を見つけた。

 


 思考とは──頭だけでするものではないと、身をもってアーサーは理解した。

 少女の邪悪な笑みを見た瞬間に彼は動いていた。

 鞭の圧力が弱まった事でアーサーは思いのほか速く、そして思い通りに動けた。

 それが意味することを理解して、アーサーは鞭の合間を縫って駆ける。

(クソったれめッ‼)

 何についての悪罵なのか、アーサーにも分からない。

 ぐんぐんとテレジアの姿が大きくなる。そのまま格好良く掻っ攫うなんて時間なんて無い。アーサーはテレジアを突き飛ばして、遂に鞭の餌食となった。

 大木を薙ぎ倒す程の威力だ。奥歯を噛みしめ、アーサーは死すらも覚悟した。

「っ、ぐぁ⁉ っっ⁉」

 あまりの痛みに叫び声すらまともにあげられない。幸いにも彼の命は痛みを呻く余裕があり、手足もきちんとくっついている。

 端から殺す気など無く、ただ痛めつけることにあったのだろう。

 でなければ、直撃を喰らったアーサーの胴などあっさりと両断されていたに違いない。

「あらぁ、凄ぉい!」

 少女の無邪気な賞賛が耳に届き、アーサーはかつてない程の怒りを覚えた。

(マジクソ! っざけんなよ⁉)

 怒り──怒り、怒りで痛みを塗り潰し立ち上がる。

 足元は覚束いていないし、焦点も合ってやいない。

 一目で重症と解る彼の様子にテレジアは痛みも忘れて思わず駆け寄る。

「あ……。だ、だめよ! じっとしてなきゃ──」

「バカっ! 来るな! 逃げろッ‼ ──ぐうぅっ⁉」

 そんな彼女を再び突き飛ばしてアーサーは、少女の鞭からテレジアを庇う。彼の腕に少女の一撃が容赦なく振るわれた。

 ……自分の内側から鈍い音が響く。

(っぅ! 完全にイッたかよクソ!)

 幸い──と云うべきか、喰らったのは右腕ではなくほとんど動かなくなっていた左腕の方だ。しかし幸いと云うには裂けた皮膚からは折れた骨が垣間見えて実に痛々しい。

 目の前で夥しい流血をする少年を前に、テレジアは口を覆い目を見開く。

「あ、あぁ……⁉」

「逃げろテレサ‼」

 どうしようもないほどの状況の不利を悟り、アーサーは吠えた。

 ──思えばアーサーは増長していたのかもしれない。

 この異世界に生まれ落ちて、前世の知識でやりたい放題して、鍛えれば鍛えるだけ応えてくれる己の才能に。

 神に成ったつもりはなく、出来ぬことなど何もないとも、そこまで身の程知らずではない。だが現に彼は前世の恩恵があれど実績と結果を積み重ねてきた。やってきた事を考えれば有って当然の、増長ともとれぬ増長が、アーサーの心奥に無かったとは言い切れなかった。

「あ、あなたも一緒に──」

「俺は時間を稼ぐ! いいから逃げろ‼」

 テレジアは動かない。修羅場を経験したことのない七つの子供だ、無理もない。

 その点で言えばアーサーは年齢通りの子供ではない。前世と合わせれば疾うに成人を迎えている。

 だからだろうか? 自分がこうも必死にテレジアを守ろうとするのは。

「目の前の悪事を見逃せない」「大人が子供を守るのは当然」「既に二度目の人生」

 良心と良識と経験と。それらがい交ぜになった彼だけが持つ、彼だけが理解する価値観を、アーサー自身、今ようやく解った。

(だから何だって話だが、な……)

 少女は追撃を仕掛けない。強者の余裕とでも言おうか。

 これが御伽話おとぎばなしの類であれば少女は傲慢によって敗れるのだろうが、しかしアーサーは打開策を思いつかない。

 さて。アーサーが主人公足り得るか、果たしてモブとして終わるのか。

 ──剣ヶ峰である。 

 打開できるような策は、無い。無いが、全くの無策という訳でもない。

 彼にはまだ切り札ジョーカーがあった。尤も、少女に通用するかという最大の懸念は残っているが。

 兎も角、今の状況はテレジアはアキレス腱に他ならない。せめてテレジアだけでも安全圏に逃さなければ。

「ふ、ふふ。格好いいわねボク? ほんと、違う場所で出会っていたらお姉さん、惚れちゃってたわよ?」

 そう言って少女は、先端が五つ又に分かれた触腕で己が頬を撫でる。ぬらりと、ゲルの這った軌跡が怪しく光る。その吐息は妙に熱っぽい。

 サディスティックな癖でもあるのか、はたまた本心からの言動なのか。アーサーは突破口を見出すべく、どんな些細なことからでも情報を得ようと少女をつぶさに観察する。

 最初に比べると──粘つくような甘ったるさは変わらないが──大分少女の口調が変じている。いや、口調ばかりではない。髪の色は変わらず、目の覚めるような若葉色をしているが、肢体が──手指は半透明のゲル化していて分かりにくいが──成長しているに思える。

(っ! そうだ、違和感、違和感だ! 彼女を見た時に感じた違和感! それさえ分かればっ!)

 唐突に、アーサーは思い出す。

 それが分かれば現状を打破出来ると、何故かアーサーは確信を持っていた。

 何故か、と問われるとハッキリ返すことは出来ない。いや、今そこは重要ではないのだ。若葉の少女に感じる違和感、その正体をことが何よりも重要であった。

 どうにか。どうにかして違和感を見破ろうとアーサーは思考を回転させようとして──はたと気付く。

「へーきへーき。気にするなよ。だから早く──……?」

「あ、ご、ごめんなさい。わ、私、私──」

「テレジア?」

「んふふ。……無視はお姉さん、悲しいわぁ?」

 若葉の少女が何事か語り掛けてくるが耳に入らない。



 ──テレジアの様子がおかしい。

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