第11話 若葉色の少女②

 鈍い、金属同士が打つかる耳障りな音で目が覚める。

 何が起こっているのか。自分が今どのような状況なのか。

 起き抜けの脳では一つとして分からず、テレジアは混乱の只中にあった。

「ど、どうなっているんですの?」

 意識して漏れた言葉ではない。故に小さい、それこそ剣同士が打つかる音に掻き消されてしまうような、か細い呟きであった。

「あらぁ?」

「ひっ……!」

 にも関わらず、若葉の少女の瞳がテレジアを捉える。くりくりとした愛嬌のある瞳がニンマリと、いやらしく三日月を描いた。テレジアの意識が落ちる前に見た、愛らしさは微塵も無い笑顔だった。

 テレジアの背筋に冷ややかなものが奔る。喉奥から短くも引き攣った悲鳴が漏れる。本能的に恐怖を覚えた身体は自然と後ずさり、豪奢なドレスが泥で汚れる。

「あっ」

 テレジアの視界を塞ぐものがあった。

 アーサーだ。テレジアから少女が見えないように彼が立ち塞がったことで、テレジアはようやく事態を飲み込んだ。

 自分とそう変わらない大きさの背中なれど、不思議ともっと年上を相手にしたような安堵を覚えた。

「ふ、ふふ。つれない子よねぇ」

「……」

「私としてはお喋りなあなたの方が好みだったけど──ねぇ!」

(早いっ!?)

 少女は一息にアーサーとの間合いを詰めて剣を振るった。残像すら見えるその速度を、テレジアは目で追うのがやっとであった。

 アーサーは真正面からではなく、少しだけ短剣を逸して受け止める。勢いを逃しつつ、まるで相手の剣をカタパルトに見立てかの様に短剣を這わせる。

 そのまま少女の腕を断たんばかりの剣速であったが、対して少女は短剣ごと剣を跳ね上げる。

「あはっ!」

 喜悦の笑みを浮かべながら、少女は大上段から剣を振り下ろした。対するアーサーの体勢は悪い。彼は地面を転がり距離を取ることで凶刃から逃れた。

 テレジアの目が、二人に奪われるのも仕方のないことだった。

(凄い……)

 そんな陳腐な感想しか、テレジアには思い浮かばなかった。

 そして、先程の一太刀が掠めていたのだろう、アーサーの頬が僅かに流血していた。

 その赤い、生命の色を見てテレジアが目の前の、剣舞めいた遣り取りが試合ではなく殺し合いなのだと思い出し顔を青くした。

 ──だからって、私に何が出来るの?

 自分にはどうしようもない現実が目の前に転がっているだけ。一方で私と同い年の彼、父に才能を認められた彼は、役立たずの私を庇いながらでも戦えているではないか。

 その事実がテレジアの心に暗い影を落とした。

 ──しかし彼女はただ守られるだけの女ではない。

 何せマイナーとはいえギャルゲのヒロイン様だぞ。テレジアは悔しさに俯いてしまいそうになる己を叱咤し「なにくそ」と反骨精神を奮い立たせる。

(何か──何か無いの!?)

 幸か不幸か、戦闘は激しさを増し最早少女の眼中にテレジアは無い。

 蟻の一噛みでも構わない。ただ、このまま何も出来ずに手をこまねいているだけは、貴族としての矜持が許さなかった。

 そんな切なる思いを抱きながらテレジアが周囲を見ると、あるモノが目に入った。

「……クロスボウ」

 茂みに隠されるように置かれていたのは、アーサーのクロスボウだった。

 テレジアは二人を刺激しないように、半ば匍匐前進の格好でクロスボウの元まで辿り着く。

「ここを、引けば良いのよね?」

 幸いにも矢は装填されたままだ。

 テレジアは昼間の記憶、アーサーの見事としか言いようのない腕前を思い出す。

 試しに構えてみて──うん、自分でも使えそうだ。

 そうしてテレジアは迷うことなくクロスボウの先端を少女へと向けた。

 テレジアに武道の心得は無い。兵らが弓を射っているのを見たことはあるが、クロスボウなんてものは今日始めて見たと言っても過言ではない。

 己の心臓がこんなに煩い音を放っている事を、テレジアは初めて知った。

(落ち着け、落ち着け……!)

 二人が演じる剣劇は一見均衡を保っているように見えるが、テレジアは視た。アーサーの目の色に浮かぶ僅かに焦りを。

「落ち着け私……!」

 声に出しテレジアは自分に言い聞かる。

 しかしと言うか。激しく脈打つ鼓動は些かも衰えを見せず、テレジアは一度構えを解いて大きく深呼吸をした。すると僅かながらの冷静さが取り戻される。

 するとどうだろうか? テレジアは二人の動きが手に取るように視えた。

 ──次にどう動くかさえも。

「……」

 絶え間ない剣劇の合間、ふと、アーサーと視線が交わった気がした。彼は一瞬だけ驚いた顔をして、一転して攻勢に出た。

 ──無意識に引き金を引いていた。

 勝負の駆け引きなどまるで分からぬテレジアの、白魚の如き指が。殺意の塊を射出した。武芸の心得なぞないテレジアだが、どうしてだろう、この矢は当たる。そう、確信を持っていた。

 矢が放たれて届くその僅かな合間の事、火が点いたかの様に攻めるアーサーに若葉の少女は訝し気な表情を浮かべて──。



 ──テレジアの、一度きりの牙が、少女の脇腹に突き立てられた。



「あぐっ!」

 少女が呻き声をあげる。

 全く意識の外からやってきた攻撃に、少女の精神はダメージ以上に揺さぶられた。

 剣筋に動揺が、如実現れる。

(ここだ──ッ!)

 勝機を嗅ぎ取ったアーサーは切り札を切る。

「はあああぁぁぁッ‼ 『身体強化・三倍トライ・ブースト』ッ‼」

 自身の限界を超えた強化に身体が悲鳴を上げる。叫んだん瞬間、全身のあちこちが異常を訴える。

 ガリガリと、頭蓋の奥からは魔力の削れる音がするし。

 ブチブチと、全身の至るところから筋の切れる音がする。

 その上は脳から絶え間ない痛みの信号が送られてくるが、その全てを無視してアーサーは裂帛の咆哮と共に短剣を振り下ろした!

「つうあありゃああぁぁぁぁぁッ‼」

「なっ!?」

 少女の顔が驚愕に染まる。

 頭上へと振り下ろされる短剣の鋭さは今までと比にならぬものだった。しかし反応出来ぬほどではない。少年の実力は目を見張るものがあるものの、少女の予想の域は出ない。

 ──少女の剣が、断ち切られるまでは、だが。

 いや、と云うのが正確だろう。

 既にアーサーの短剣は、剣を断ち切った勢いそのまま、少女の肩口から胸の半ばまで深々と潜り込んでいたのだから。

 握り込んだ柄から伝わる肉を裂いた感触を、アーサーは唾棄する。

 無理が祟り、左手に感覚が無い。最早剣を握れているのかすら定かでは──いや、既に握れておらずだらりと力無く垂れ下がっていた

 しかし、やった。……やってしまったのだ。

 後悔か、はたまた達成感か。悲喜がい交ぜになった吐息が、アーサーの口から溢れた。



「まだですっ!」

「ッ!?」



 テレジアの叫びにアーサーは緩みかけた気を再び張り詰める。

 おかげで異常に気付けた。

 少女の、心の臓にまで達した筈の剣先に、何事か肉が纏わり付いてゆくではないか。いや、肉と思しきモノはよく見れば半透明の緑色ナニかだった。

 理解した瞬間アーサーは反射的に短剣から手を離して飛び退く。

 直後、先ほどまでアーサーの立っていた場所を、半透明の緑色ナニかが木々をへし折りながら薙いでいった。

「あーあー。外しちゃったぁ」

 転がりながら慌てて距離を取るアーサー。懐から皮剥用の小さいナイフを取り出し、油断なく正面を見据える。そしてアーサーは見た。

 少女の身体のその一部。アーサーが斬り込んだ左上半身がゲル状にけているのを。そしてそのゲル状を、少女が手足の如く操っているのを。

(なんだありゃ!? スライムか!?)

 アーサーは全身から嫌な汗が噴き出るのを感じた。

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