第10話 若葉色の少女①

 ゆっくりと──。

 犯人との距離が迫るにつれアーサーは気配を殺し、息を顰め、足音を消し。亀の如き歩みでゆっくりと進む。

 気取られぬよう距離を詰めるのは、ケモノ相手に慣れている。だが──人間相手には初めてであった。

 ──剣を向けるのも。

 相手は自分と同じ形をした、意志疎通が可能な相手である。

「……ふー」

 アーサーは迷いを払うように長く、大きく、息を吐いた。

 そうして木々に身を隠しながら、目標へと近づいてゆく。

 それから一分も経たず、目標を発見した。

「……いた」

 追跡を開始してから大分時間を掛けてしまった。村とも随分離れてしまい、応援が来るにしても更に時間を有するだろう。

 アーサーはようやくテレジアを視界に捉えた。そのテレジアだが、ぐったりとした様子で地面に横たえられている。胸が薄く上下に動いているのを見るに、どうやら命はあるようだ。

 そうしてもう一人、彼女を攫ったと思しき犯人を見て、アーサーは反射的に手で口を覆った。

(子供⁉ まさか! あんな小さな子がテレジアを攫ったのか⁉)

 信じられぬという思いと、信じたくないという気持ちが同時に沸き起こる。

 もう一度、木から僅かに顔だけを覗かせる。

 ……小さな女の子だ。見た目だけなら四、五歳の、普通の村娘に見える。だからこそ、テレジアは気を許して付いて行ってしまったのだろうか?

 その、若葉色の髪をした少女の立ち位置は、まるでテレジアを庇うようであった。それだけならまだしも、少女の手には武骨な剣が握られていて、辺りを警戒しているようだ。……状況が少女をただの村娘ではないと高らかに言っていた。

 アーサーは僅かに逡巡した。

 ──どうする?

 手元には肌身離さず持ち歩いている愛用のクロスボウがあった。子供の自分でも取り回し易いようにと、小型化した特別性のクロスボウだ。その分射程と威力は通常のものよりは落ちる。

 相手との距離はおおよそ二〇。この距離ならば確実に当てる自信があった。

「……」

 ゆっくりと。

 少女に悟られぬよう。弦を引く音にすら気を遣いながらアーサーは矢を番え、……そして構えた。

「ふー……」

 集中し、集中し──。

 何も殺すことは無いだろう。

 逃げられるのは厄介だ。狙いは少女の足。

「……」

 そうしていざ引き金を絞ろうという正にその瞬間! 最早獲物しか映らぬアーサーの目が、少女の唇が動くのを捉える。

 ──いつまで隠れているの?

「っ⁉」

 心臓が止まるかと思った。

 聞こえた訳ではない。ただ、唇の動きがそう言っているように見えた。

 ……たまたまだ。言い切って捨てるには、少女の目はあまりにこちらを捉え過ぎている。

 ハッタリかもしれない。バレていないかもしれない。そう考えるには楽観に過ぎた。

 迷いは一瞬、アーサーは頭を切り替えた。

 ゆっくりとクロスボウを置き、少女の前へと姿を見せる。

「いやーごめんごめん。ケモノと間違えちゃってさー」

 兎も角、アーサーはすっ呆けることにした。

 無害さをアピールするため両手を上げ、いかにも失敗したとばかりに後頭部を掻く。軽口を叩きながらも、何気なく歩み寄る。心臓が、早鐘を打つ。

「ふ、ふふふ。怖い子ねぇ。いきなり撃とうとするなんて」

 ──やはりバレていたか。アーサーは内心吐き捨てた。

 そしてアーサーは少女の口調に違和感を覚える。

 容姿の幼さに反して随分と、甘ったるく粘ついた、蜜の様な喋り方をする。

 また少女の顔に浮かぶ笑みよ。その妖艶なことよ。

(見た目通りの年じゃ無さそうだな、これは。いやー参ったなー)

 ──一歩。

 近づくにつれ少女の輪郭をはっきりと認識してゆく。

 目鼻立ちがくっきりとした、可愛らしい少女だ。どこからどう見ても子供にしか見えない。見えないが──。

(魔法がある世界だもんなー。容姿をイジるのも楽勝、か?)

 常人であれば、まず考えに浮かばないだろう突飛な思考。

 だが前世を知るアーサーからすれば、魔法なんて存在するこの世界そのものが非常識なのだ。なればこそ、アーサーはいの一番に非常識な答えへと辿り着いた。

 何故だろうか、アーサーはその答えに確信を持っていた。

 ──一歩。

「あの……」

「ん、何かしらぁ?」

 違和感が。小骨が喉に引っ掛かっているような違和感があった。

 いや、既視感だろうか。

「前に何処かで会ったことありません?」

「ふ、……ふふふ。なぁに坊や? 口説いてるのかしらぁ?」

 それが何なのか気になって。気付けばアーサーは声を掛けていた。

 最早二人は正対した、といっても過言で無いほどに近い。ほんの後数歩、踏み込めば頬に手を伸ばせるほどだ。

 近づくにつれ違和感は──既視感は──強まっていった。

(どこだ? どこで見た?)

 若葉色の髪。リスの様な愛嬌のある顔立ち。見た目にそぐわぬ、艶然とした所作に言動。少女の正体が分かりそうで、分からない。

 それさえ分かれば値千金の情報だと言うのに、焦りから考えがまるで纏まらない。

「それでぇ? 坊やはこんな所に何をしに来たのかしらぁ?」

 ……タイムオーバーだ。

 正体が分かるまで出来れば会話を引き伸ばしたかったが。

 ここに至りアーサーは出たとこ勝負を迫られることになった。

「あーお美しいお姉さま? そこで寝てるのは俺の知り合いなんですよー。連れて帰ってもいいですか?」

「あら、礼儀知らずな坊やかと思ったら、可愛らしいことも言えるのねぇ」

「まー、男は美人には弱いもんで」

「まあ、お上手」

「あははははー」

「うふふふふ」



 アーサーは流れるような動作で自身に身体強化魔法を施すと、短剣を抜き放ち少女の懐へ飛び込んだ!



「っ!?」

「あらぁ、熱烈ねぇ」

 ガキンと、金属同士が打つかる音が響く。

 脇腹を目掛けて振るった短剣は、少女が逆手に持つ剣によってあえなく防がれた。

 そして二撃三撃、短剣を振るう。

「ふ、ふふふ。ほんと、せっかちな子は嫌われるわよぉ?」

 若葉の少女は余裕の笑みを浮かべたまま、アーサーの短剣を防ぐ。その度に火花が散り、少女の顔を一瞬だけ赤く染め上げる。

「ふっ‼」

 アーサーは手を緩めない。どころかその剣閃は振るわれる度に速度を増してゆく。

 対して若葉の少女は遊んでいるのだろう。反撃の素振りすら見せない。ただニマニマとした笑みを浮かべて、アーサーの猛攻をやり過ごしている。

 ──単調な剣撃の合間、アーサーは蹴りを放った。

「あらぁ?」

 少女は躱さない。そんな確信を以て放たれた回し蹴りは見事に少女の脇腹に突き刺さる。

 少女の軽い身体が吹き飛ばされたにも関わらず、その表情に効いた様子は見えない。

「もう、足癖の悪い子ねぇ?」

「ふー」

 間合いが開いたことで戦いに一瞬の空白が生まれる。アーサーは息を吐いた。

 そうして今一度短剣を握り直し、構える。

「……ふぅん? そういうことねぇ」

 少女の声音に初めて素の感情が現れた。つまらなそうな声音だ。

 アーサーは剣を打ち合っている最中、巧みに少女と体の位置を入れ替えていた。

 丁度アーサーの背後には未だ目を覚まさぬテレジア。奇しくも少女が先程していたかのように、アーサーは正にテレジアを庇うよう位置取った。

「……」

 アーサーは無言で身体強化の深度を上げた。

 すると若葉の少女が驚きに染まり、再びニヤけた笑みを貼り付ける。

「ふ、ふふ。まさか、こんなクソ田舎にこんな子がいるなんてぇ、ね?」

 ようやく、彼女もその気になったのだろう。少女の身体に魔力が纏わり付いてゆく。

「お喋りはしてくれないのぉ? 残念。ああ、残念だわぁほんと」

 逆手に持っていた剣を順手に持ち替え、少女は剣を振るう。

 ヒュンと空気を裂く音がここまで聞こえた。

「ふ、ふふ。かわいそかわいそ。運の悪い坊や。こんなに可愛らしいのに、こんなに才能があるのに。あぁ、きっと輝かしい未来があったでしょうに、こんなところで死んじゃうなんて。可哀想な坊や、ねぇ?」

 まるで悪戯っこをあやす様に。

 優しく、しかして妖艶に。

 若葉の少女は剣に頬ずりして微笑んだ。

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