第5話 血と才と
「な、何を仰っておられるのですお父様……?」
何を言っているのか解らない、と云うよりも言葉を訂正して欲しい。テレジアは
「貴族は生まれながらにして貴族ではない。テレジア、お前は貴族か?」
「そ、それは当然です。わ、私はテレンス家の嫡女、テレジア・フォン・テレンスですっ」
「ふむ。聞き方が悪かったか。テレンス家とは貴族なのか?」
「え──?」
今度こそ空気が凍った。
「そもそも貴族は誰もが皆、元平民だ。王家とてそれは変わらん。それが何故貴族だ王だと持て
貴族どころか王族にまで言及するムスタファ。
一介の農村で論ずるには過ぎたる内容だ。一介の農村以外では確実に捕縛されるだろう過激な内容だ。ともすれば公爵とて首が飛ぶような──そんな内容だ。
最早口を挟む者はおらず、公爵の独壇場と化した。
そしてムスタファは遠回しにこうも言っているのだ。
アーサーの才能は貴族にこそ相応しい、と。
気の毒なほどに顔を青くしたテレジアは、口元を抑えながら震える声を発する。
「それほど……。それほどの才能なのですか……?」
「そうだ」
見ればテレジアは、父親から厳しい視線に晒されていた。その視線から逃れんためか俯き、肩を震わせている。
娘の感情を一顧だにもしないムスタファ公爵。言うことは一々正論かもしれないが、俺の中で公爵様の好感度は下がりましたよ?
──”剣バラ”を知っている俺は、ヒロインであるテレンス家の事情も知っている。ムスタファ公爵の頑なな態度には彼なりの理由があるのだが……。
それはそれとして、大事な一人娘の感情を蔑ろにしていい理由にはならないと、俺は思う訳よ。
……まぁ優秀な人材を得るためなら身分を問わない姿勢は素晴らしいと思うけどさぁ。
いや。さも自分が優秀であることが前提みたいに話しているが。取り敢えずそれが事実かどうかは棚上げしておいて。
さすがに開明的すぎるぜ公爵様。
これだけの大勢がいるというのに、水を打ったような村の広場。
「それで、どうだろうかアーサー君。君にとって悪い話では無いと思うが」
ようやく俺の手番が回ってきた。
「えー前向きに善処するとしましてー──」
「おぉそうか。では早速日取りを決めようではないか」
「ほら、公爵様? さすがに結婚は、まだ早いんじゃないですかね? 僕はまだ七歳ですしー」
「ふむ。気が急いていたな。七歳であれば結婚ではなく婚約という形になるか」
「いやー。公爵家の婿とか荷が重いっす!」
「私が相手では不服ですの!?」
「ここで君が反応すんの!?」
先程まで沈んでいたテレジア嬢が物凄い早さで反論してきた。
えぇい! このままでは埒が明かない!
波風を立てずにやり過ごすには無理だと、不可能を悟った俺は覚悟を決めて大きく深呼吸をした。
「公爵様。自分には勿体ないお話ですが、やはりお受け出来ません」
「……何故だ?」
かぁー! 何故と来たかいこのトントンチキ!
平民の言葉に耳を傾ける出来た貴族様かと思ったが、このナチュラル上から目線! やっぱりお貴族様だわー。
すっかり冷めた俺はムスタファ公爵から正面からぶつかる。
筋立って話をすれば、全く耳を傾けない頑固親父という訳でもない
「自分に利があるのは分かります。」
「それで?」
「情の話です。損得ではなく好悪です。娘さんの感情を無視するやり方は、俺は好きになれません」
それが貴族という生き物でも、と。付け加えて言い放った。
……っしゃあ! 言ってやった! 言ってやったぞ!
父と母が青褪める。俺の不遜な物言いに、今更ながら相手が誰だったか思い出したのだろう。てかママンに限って言えば俺より激しかったよ?
「好悪だけで貴族は務まらん」
「俺は平民ですよ公爵様」
「君に平民という身分は相応しくないな」
睨めつけてくる公爵に対し俺は真正面から見据え返す。
情に訴える手段では、やはり駄目か。んまぁ、ママンの言葉に眉一つ動かさない御人だ。
ならば情でも利でもなく、理で以て説かなければこの男には響かないのだ。
「公爵様は先ほどテレジア様に仰いました。貴族は生まれながらに貴族ではないと。しかし母にはこう言いました。貴族の義務故に優秀な才能を埋もれさせる訳にはいかないと。これはおかしい」
「何がおかしいか。確かにテレジアには言った。しかし現実として我々は貴族だ。積み重ねてきた歴史が我らを貴族足らしめている」
「そこですよ。テレジア様には貴族でないことを理由に説き伏せたのに、父と母には貴族であることを盾にして説いている。これは矛盾では?」
「む」
ムスタファの表情が大きく歪んだ。
アーサーの指摘は、正しく合理的であろうとする彼の信条を上手く突いていた。
……しばし重苦しい沈黙が流れる。
「テレンス卿、よろしいでしょうか?」
ことの推移を──火種が飛び移らないよう──見守っていた神父が口を開く。
いや、彼なりに今が分水嶺と感じたのだろう。
「聞けばテレンス卿はアーサー君の才能を買っているようで。えぇ、確かに。彼はこの村で異才を放っています。その才が小さな村一つに収まらないと言うのも、えぇ、同意しますとも」
神父の弁は公爵の言い分を肯定するものであった。堪らず飛び出そうとした母を、父が羽交い締める。
そんな父を母は憎悪すら伺わせる瞳で睨むも、対して父はどこか諦めたような表情で力なく首を振るだけで。長年連れあった母は何かを察したのだろう、大粒の涙を零した。
我が意を得たりと頷くムスタファだったが、神父が「ですが──」と続けた事によって雲行きが変わる。
「それでテレジア様のお相手と決めてしまうのは、性急というものでは? 彼らはまだ若く、まして本人たちもそれを望んでいません。たとえ良かれと、未来を決めてしまうのは大人のエゴというものではありませんか?」
「しかしだな神父殿」
「──そこでです。奉公、というのはどうでしょう?」
「ふむ……?」
味方と思えた神父の、こんこんとした説教。ムスタファは反射的に口を開いたが、次なる神父の提案に動きを止めた。
──奉公。国家に身を捧げ尽くすこと。転じて、特定の家に尽くすこと。
要はアーサーをテレンス家に行儀見習いとして入れれば良いのでは、と神父は提案しているのだ。
いやぁ、さすがに宗教家は弁が立つ。宗教──中でも宣教師なんてのは時に詐欺師紛いの論説をするからなぁ。最初に「あなたの味方です」と親身さをアピールし、次に現況の再確認。それから本命の話題に入る。
今回の場合に限って言えば妥協点の模索と云ったところか。
ムスタファは顎を撫で、僅かの間思考に
「……いや、そうだな。すまなかったなアーサー君。君という才に出会えて私としたことが少々浮かれていたようだ」
「げ──。い、いやっ。頭を上げてください公爵様!」
腰を折るようなものではないが、僅かに頭を下げたムスタファのその姿は間違いなく謝罪の姿勢であった。
たかが平民の子供に公爵という立場の人間が頭を下げるなど、それこそ外聞が悪い。家臣団が慌てるのが視界に入る。
生きた心地のせぬ俺は、兎に角公爵の頭を上げさせることで頭が一杯だった。
「……では奉公の件は受けてくれるのだね」
「受けます! 受けますから頭を──ハッ!?」
「ふむ。言質は確かに。よろしく頼むよ、アーサー君」
瞬間ニヤリと、公爵は笑った。ダンディな笑みだった。
……や、やられた。神父様のやり口を詐欺紛いだと思ったが、さすがに公爵は一枚も二枚も上手であった。自分の頭がどういった価値を持っているのか良く解ってらっしゃる。とほほ。
あーもー。これ今から断れないかなー断れないよなー。
両親に目を向ける。泣き腫らした痕を色濃く残す母を見て、またも嫌な気分がぶり返す。
「ん?」
そんな中視線を感じる。
視線の先に向き直ると、目をまんまるにして驚くテレジアの姿があった。彼女は俺と視線が合うと分かると、慌てて顔を背ける。うーん、あれはどんな感情なのだろうか?
……さっきの俺の理屈は「好き嫌いを指標にしているテレジアは貴族に向いてないですよー」も言ったも同然である。そんなんで俺を好意的に思う謂われはないかー。
でもなー、”剣バラ”でもそうなんだよなー。テレジアは公爵家という大貴族の生まれながら、感性が実に普通というか庶民的というか。んまぁ、とことん貴族に向いていないんだよ。それが後の悲劇──家族のすれ違いを起こすんだけど。
さて。思考を現実に戻そう。
いまだ微妙な空気を残しつつも、公爵と村長は当初の話し合いへと戻った。
手持ち無沙汰になった俺はようやくお役目御免かと、凝った肩をほぐしつつ両親の元へと戻る。
(あー疲れた。マジなんなんよあのオジサマはさー)
愚痴は内心に留めつつ、一体父母に何と声を掛けようか。アーサーは疲労を引き摺る脳細胞をまたも回転させる。
しかし──一難去って、という奴らしい。
背後から話し合いを終えたムスタファ公爵に声を掛けられる。
「ではアーサー君。村の案内を頼む」
「はい?」
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