第2話 テレジア

「視察、ですか?」

「うむ」

 父ムスタファの言葉に、私は疑問を抱きました。

 我がテレンス家はユークリッド王国建国時からの由緒ある血筋です。故に王家とも密接な関係にあり、王配を輩出したことも手指の数だけでは足りません。

 そんな名家中の名家であるテレンス家の公爵が直々に視察に行くなどと、裏を疑うなと云うほうが無理なことです。

「どちらへ向かいますの?」

「ギム村だ」

「ギム村……」

 告げられた単語から正解を導き出そうと、私は口の中で反芻しながら知識を総動員します。……しかしギム村という名は聞いた覚えがなく、私は早々に思考を打ち切り悔しさに下唇を噛みました。

「申し訳ございません……。過分にして存じ上げませんわ」

「ふむ、そうか。小さな村だ。知らずとも仕方ない」

 お父様は慰めを口にしてくれましたが、一瞬。ほんの一瞬表情を歪めたのを、私は見逃しませんでした……。

「ギム村は我が領都から南に五〇キロほどの、国境にほど近い村だ。近年税収が爆発的に伸びている村でもある」

「……」

「これを見なさい」

 私は口を挟まず、真剣に耳を傾けます。お父様は横目に私を一瞥してから、テーブルに一本の弓を置きました。

 ……いえ、弓? しかし、この形状は──。

「ギム村へ赴いた行商人から買い取った弓だ。手放すのを渋っていたため随分足元を見られたがね」

 それは所謂クロスボウと呼ばれる弩であった。その存在を知らぬテレジアには、奇妙な形をした弓にしか見えない。

「兵隊に打たせたところ──専用の矢がいる。矢を打つまでに手間取るなど難点はあるが、一度矢をつがえてしまえば持ち手のこの部分を引くだけで矢が放たれる。女子供でも画一的な威力を出せるなど、利点も多い。威力も素晴らしい。安物の鎧なら容易く撃ち抜くほどだ」

 ムスタファは指折り欠点と利点とをあげつらう。テレジアもまた、想像だけでも脅威を感じるに十分であった。

 狩猟の簡易化は兵力の強化もイコールである。テレジアの脳裏に、嫌な考えが鎌首をもたげた。

「まさか──!? 他国の間者が入り込んでいると!?」

「うむ。私も一度はそう考えたのだがな。手の者に探らせて見たらなんと、その弓の発案者はギム村生まれの、お前と同い年の少年だと云うじゃないか。──実に興味深いと思わんか?」

「っ!」

 一拍。間を置いて、ムスタファは笑顔を浮かべた。笑顔、と言っても身近な者にしか分からぬほどの変化で、精々が口角が僅かに吊り上がった──ようにも見えなくもないというか何というか。

 ……見る人が見れば「怖い」と云われる表情だ。

「故に私が直々に見定めようと思ってな。今度の安息日、ギム村へ視察に征くことにした」

 ──鬼が出るか蛇が出るか。

 表情にほとんど変化は見られないが、父が内心楽しげに思っていることを、テレジアは見抜いていた。

 人材狂い。父ムスタファの、悪癖とも云うべき性癖である。

「それでだ。お前も今年で七つ。見聞を広めるにいい機会だろう。ついてきなさい」

「……はい」

 有無を言わせぬその口調に、私は曖昧な笑みを浮かべて承諾しました。。

 私はお父様が興味深いと言った未だ見ぬ少年に、少なからず嫉妬の念を覚えましたわ。

 だってお父様は、一度も私の名を呼んでくれませんでしたから……。


 ◇◇◇


 結論から云えば最悪だった。

(お尻痛い……)

 ギム村までの道のりは未舗装の、精々が土を踏み固めたもの。

 公爵家特製の馬車でもひどく揺れるし、同乗するお父様はお父様でずっと無言だしで、内心後悔していました。

「早く着かないかしら」と、一心に願えども速度は変わらず。

 そんな乗り心地最悪、居心地最悪な馬車に揺られて半日。ようやく目的の地へと辿り着いたのは日ももう傾き始めた時分でした。


「ここがその村ですの?」


 御者に手伝って貰い馬車を降りた私は言葉を漏らします。

 その際、同い年くらいの少年がすごくビックリした顔をしていましたけど……。なんだったのかしら?

「ようこそいらっしゃいました。ワシがギム村の代表、ミストですじゃ」

「公爵様に置きましては、ご機嫌麗しう」

 皺くちゃな、でもかくしゃくとしたご老人と、神父様が緊張した様子で挨拶に出てきました。

 お父様は鷹揚に頷きを返します。

「して、ご領主様。この度はどのようなご用件でいらっしゃったのでしょう?」

「うむ。近年ギム村は豊作が続いているな。納めている税も他の村と比べて抜きんでている。その功に報いて直々に労いに来たのだ」

「さ、左様でございましたか」

 ──嘘だ。本来の目的を知っている私は、内心お父様の言葉を否定します。

 しかし、建前と云うものが貴族として非常に重要なものだと子供の頃から教えられている私は、その迂遠なやり取りが必要なことだと理解しています。

「時にミスト。一つ聞きたい」

 ずいとお父様が距離を詰めます。

 学者とは思えぬ、鍛えられた体躯を持つ父ムスタファ。更に王家の次に強い権勢を持つ公爵家ともなれば、その威圧感たるや。もし──もし私が娘でなく村長さんの立場だとしたら、想像するだけで震えが止まりません。

「は、はい。ワシに答えられることならば、何なりと」

 額の脂汗を拭いながら村長さんが答えます。頑張れ。

「この弓を見た事はあるか?」

「それはアーサーの弓……?」

 お父様が顎をしゃくると侍従の一人が奇怪な弓を取り出しました。

 それを見た村長さんは「はて?」と不思議そうに頭を捻ります。お父様の目が僅かに射貫くように細められました。村長さんの反応に不自然さは見られません。

 その仕草から、彼らに後ろめたい部分が無いことが分かります。

 最悪の──間者による離間工作という点は薄くなりました。

「ふむ。そのアーサーとは?」

「は、はい! アーサー! アーサーや!」

 呼ばれて出てきたのは、先ほど不思議な表情を見せていた少年でした。

 事前にお父様に聞かされていた情報だと、私と同い年らしいですね。それを思い出し、少年の顔を認識した瞬間、私の中で燻っていた嫉妬の炎が再び灯ったのを感じました。

「ええっと、何の用でしょう?」

 呼ばれた一瞬、少年は僅かに「うへぇ」と嫌ぁな顔をしましたのを、私は見逃しません。見逃しませんでした。

 そうして彼は困ったような笑みを貼り付けて歩み出てきました。

「君がアーサー君か」

「はい。そうです」

 彼は神経が通っていないのでしょうか? 村長さんや神父様すら緊張に身を固くしているのに、彼はごく自然体で、只々気まずげにお父様と相対しました。きっと無知なのでしょう。

「君がこの弓を考案したというのは、本当かね?」

「考案なんて、そんな大したことはしていません。そういうものが在ると、ただ知っていただけですから。本当にすごいのは俺みたいな子供の戯言に耳を傾けて作ってくれた大人たちです」

 ……実に堂々とした佇まいでした。

 その様子にお父様は顎髭を撫でて目を細めます。

 この感情が良くないものだと──八つ当たりなのだと、分かって、分かっていますわ! でも──。

 父が! 嗚呼、父が! 身内にしか分からぬ口角を僅かに吊り上げる、愉悦の感情を見せたのを、私は気付いてしまいました……。

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