第5話


 「このような会を開いて貰って、本当に嬉しく思う。私は教育者としてまだまだ未熟者であり、志半ばではあるが…」


 壇上で学園長が得意満面につらつらと話をしているのをプリシラは右から左に聞き流していた。どうせ大して中身のない話だ。学生も大半は聞いていないだろう。


 プリシラが熱心に見ているのは学園長からやや離れた位置に立っているウィルフレッドだ。彼のスピーチならばプリシラはいくらでも聞く事が出来る。もっとも、内容を覚えていないと言う点においては学園長のスピーチと同等だが。


 それでもプリシラは穴が空く程ウィルフレッドの横顔を眺める。そして、隣にリヴィアがいない事を内心でニンマリほくそ笑んだ。


 (あんな事したら、嫌われるわよね。)


 いじめなんて、プリシラがでっち上げた真っ赤な嘘だった。この学園の生徒はどの子もいい子ちゃんばっかりでぬるま湯に頭から浸かっていそうなお嬢ちゃん、お坊ちゃんばかり。


 お嬢ちゃん達は本当はウィルフレッドの婚約者であるリヴィアの事が気に入らないクセに、笑顔でリヴィアに擦り寄り中途半端に仲良しごっこをやっているから見ているプリシラは背中に虫唾が走りそうだった。お坊ちゃん達だってそう。有力貴族の娘であるリヴィアが欲しいのにウィルフレッドの不興を買わないように己の野心は胸の奥に隠していた。


 欲しいものは手に入れる。他人のものならば奪ってでもだ。


 プリシラはそうやって生きてきた。そうしなければ、今生きていなかった。


 伯爵令嬢と言っても伯爵である父が戯れに手をつけた侍女の娘だ。妊娠を知った伯爵夫人に屋敷を追い出され、一人でプリシラ生んだ。未婚の母子家庭に対して世間は冷たい。ロクな仕事も紹介して貰えず、お金がないから生活は困窮していくだけ。そんな生活の苦しさを紛らわす為に母はお酒に逃げるようになった。


 プリシラはそんな母が大嫌いだった。我が身の不幸を嘆くばかりでプリシラの事は省みなかった。母は起きている間はお酒を飲んでいるか、プリシラを罵倒するしかしないので、酔って寝ていてくれたほうがプリシラとしても楽だ。家に食べ物がなかったから、店から盗んだ。上手くいく時もあったけど、失敗して殴られる時もあった。


 数年前に母が死んだ。一度にお酒をたくさん飲み過ぎた事による中毒死。涙は出なかった。むしろやっといなくなったと安堵感すらあった。プリシラしかいない葬式に父だと名乗る伯爵がやって来た。母を埋葬すると、父はプリシラを屋敷に連れて帰ってくれた。伯爵夫人には反対されたが、父はプリシラを引き取ると頑として譲らなかった。そして、プリシラは正式にアリアドナ伯爵の娘となった。


 伯爵令嬢になっても、プリシラの心はどこか満たされないまま。物量的にはあの頃とは比べものにならないくらい恵まれているのに、心が満たされない。そんな時、貴族の令嬢はみんな通うのだからと父に勧められて入学した学園。そこでウィルフレッドを見かけたのだ。この国の王太子殿下。いずれ国王になる男。


 白銀の髪に翡翠のような瞳。顔立ちは中性的だが鍛え上げられた逞しい体。


 どれを取っても美しく、すべてが極上な男。この男を自分のものにする事が出来たら、自分の心は満たされるだろうか?いや、きっと満たされるに決まっている。ならば、手に入れよう。婚約者?そんなのどうでもいい。いつも通り、奪えばいいだけ。そしてそれは、もう目の前。やっと、やっと手に入る。


 プリシラは気分が高揚していくのを止められない。学園長のスピーチが終わったらフリータイムだ。そうしたら、ウィルフレッドの隣を独占するつもりだ。王太子妃になるのはリヴィア・シャンペールじゃない。プリシラ・アリアドナだと見せ付ける為に。


 学園長のただ長いだけのスピーチが終わり、学生達が壇上の学園長に向けて拍手を贈る。プリシラもおざなりに拍手を贈った。


 拍手が響く中、舞台袖から色とりどりの花束を持った人物が壇上に現れた。


 「学園長先生、これからも私達学生をお導き下さい。」


 そう言って、笑顔で花束を学園長に渡すのはウィルフレッドの瞳と同じ色のドレスを身に纏ったリヴィアだった。


 「リヴィア君、来てくれたのかね。」


 「もちろんです。学園長先生のお祝いとあらば、馳せ参じない訳には参りませんわ。」


 学園長と和やかに会話をするリヴィア。それを隣で優しく見守るウィルフレッド。その様子はまるでウィルフレッドがリヴィアを心から愛しているように見える。


 そんな様子を見せ付けられたプリシラは近くにいるハルバートを見た。彼もリヴィアが出席するのは予想外だったらしく、呆然と壇上を見上げていた。


 あり得ない。あり得ない筈だった。


 リヴィアは確かに「婚約を解消しましょう」とウィルフレッドに持ちかけていた。あまつさえ不敬を働いた。そんなリヴィアを疎んだウィルフレッドが修道院に送ったのだとプリシラは思っていた。


 しかし、現実には二人は互いの瞳の色のドレスや夜会服を着て、出席している。仲良く寄り添い、ウィルフレッドに至ってはリヴィアの腰に手を回して、その腰を抱き寄せているではないか。リヴィアもごく自然にウィルフレッドに身を任せている。お互いを信じていなければこんなに近い距離にはならない。


 この会場にいる誰もが悟った。


 あの噂は嘘であり、王太子殿下の婚約者は今もリヴィア・シャンペールなのだと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る