第2話


 リヴィアが優雅に廊下を歩いていられたのは角を曲がるまでだった。角を曲がった瞬間に、リヴィアはそれまでの優雅さをかなぐり捨てて、制服のスカートの裾を跳ね上げる程の全力疾走をする。


 もし、教師に見られたら「はしたない」と眉を顰められるだろうが、今のリヴィアにその事に構う余裕はなかったし、幸い咎める教師もいなかった。


 昇降口にたどり着くと、そこにはすでに用意してあるシャンペール家の馬車。その馬車の傍にはリヴィアの侍女のデイジー。


 「デイジーっ!」


 走りながら、叫ぶ主人を目にしたデイジーはぎょっとした顔をする。


 「お、お嬢様!?」


 常ならぬリヴィアの様子に驚きに目を見開くデイジーをよそに、リヴィアは馬車までやって来ると御者に急いで出すように指示した。


 「お嬢様、どうしたんですか?」


 「話は馬車の中でするわ。いいから乗って。」


 リヴィアはデイジーの背中を押して、馬車に乗せると自分も素早く乗り込んだ。


      ◇    ◇


 「えぇっ!?蹴っちゃったんですかぁ!」


 「デイジー、声が大きい。」


 リヴィアはプリシラに呼び出されて非常識なお願いをされた事からウィルフレッドに膝蹴りをした顛末まで余さず、すべて話を聞かせた。


 「仕方がなかったのよ。つい、体が動いてしまったの。」


 「でも、蹴るのはダメですよぅ~」


 「今更、何を言っても遅いわ。明日の朝には王宮から使者か騎士団が来て、私は不敬罪か暴行罪に問われるわね。」


 「ど、どうするんですかぁ~」


 泣きそうな声でオロオロするデイジーを見ていると、リヴィアは自分が冷静になっていくのを自覚した。


 「先手を打つわ。」


 「先手、ですか?」


 「その為にはお父様とお兄様の協力がいるの。帰ったらすぐに話をしないと…」


 馬車が屋敷に着くや否や、飛び降りたリヴィアは出迎えてくれた執事に父と兄の所在を尋ねると、二人共書斎にいると教えくれた。


 「デイジー、貴女は私がお父様達と話をしている間に旅支度をしてちょうだい。」


 「まさか、夜逃げ…」


 「そのまさかよ。急ぐから最小限でね。」


 「うえぇぇん~」と半泣きになりながらもデイジーはリヴィアの指示通りにしてくれた。


 一方、書斎に直行したリヴィアは書斎のドアをノックはしたものの、返事を待たずにドアを開けた。


 「リヴィア、返事をするまで…」


 「ごめんなさい、お父様。緊急事態です。」


 娘の頑として譲らない態度と声色に父は何かを感じ取ったのか、お説教をすぐに引っ込めた。その父の横で兄も珍しく表情を引き締める。


 「実は…」


 リヴィアは先程の出来事をすべて語った。


 プリシラに非常識な頼みをされた事。そこへやって来たウィルフレッドにリヴィアがプリシラをいじめていると誤解をされた事。愛想を尽かしたリヴィアがウィルフレッドに婚約解消を申し出た事。その際、弾みでウィルフレッドの鳩尾に膝蹴りをお見舞いしてしまった事。


 最初は真面目くさった顔をしていた兄だが、最後の膝蹴りを聞く頃には後ろを向いて、肩を震わせていた。どうやら爆笑を堪えているらしい。父は顔の角度がどんどん下を向いていた。


 「ですので、私はこれからすぐにカトリン様の修道院に夜逃げします。王宮から使者の方が来ましたら、「娘は殿下に不敬を働いた事を悔いて、修道院に入りました」とお伝え下さい。」


 処分を下される前にすでに自主的に罰を受けていると示す事で、これ以上の厳しい処分を回避するのがリヴィアの狙いだ。


 「その上で「娘は殿下の婚約者には相応しくない」と婚約を解消するように願い出て下さい。」


 言うだけ言うと、リヴィアはさっと書斎を後にした。そのまま玄関ホールに行くとデイジーが旅行鞄を用意していた。しかし、それはリヴィアの分だけではなかった。


 「デイジーはここに残って。」


 もとより、リヴィアは一人で行くつもりである。休憩は最低限の強行軍だ。リヴィアは自分のワガママでそうするのだから、最初から意義などない。けど、デイジーは違う。リヴィアのワガママに巻き込まれただけ。だから、リヴィアはデイジーは屋敷に残って貰うつもりだった。


 「何を言うんですか。私はお嬢様の侍女ですよ。私以外の誰がお嬢様の御髪を整えられるって言うんですか。」


 腰に手を当てて、胸を張るデイジー。彼女の言う事は誇張でもなんでもない。リヴィアの髪は黒くてまっすぐな髪だが、クセがつきづらく結い上げてもすぐにスルリと解けてしまうのに絡みやすくて気を付けて梳かなければいけない厄介な髪質をしている。そんなリヴィアの髪をデイジーだけが上手に扱う事が出来る。


 絶対に引かないと言うデイジーの気迫を感じたリヴィアはため息を吐き出した。


 「わかったわ。デイジー、一緒に来て。」


 「もちろんですっ!」


 デイジーを説得している時間が惜しい。こうしている間にももしかしたら、ウィルフレッドが国王陛下に使者か騎士団をシャンペール家に向かわせるように要請しているかもしれないのだから。


 「あら?リヴィアちゃん、お出かけ?」


 いざ、馬車に乗り込もうとした時、背後から声をかけられた。


 「お出かけするなら、ママも行きたいわ。」


 「お母様、ごめんなさい。詳しい話はお父様に聞いて下さい。」


 母はデイジー以上に別の意味で厄介だ。リヴィアは説明をすべて父に丸投げするとこれ以上声をかけられる前に素早く馬車に乗る。


 「お夕飯までには帰って来るんですよ~」


 遠ざかる馬車にいささか見当外れな声をかける母にリヴィアは心の中で謝る。


 (ごめんなさい、お母様。その言い付けは守れそうにありません。)

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