2_女上司とデートとラーメン

「長沼(おさぬま)さん、図面を早く上げるコツってありますか?」


「なんですか?それ。そんなのあったらこっちが知りたいです」


「ですよねぇ……」





***

3畳ほどの広さの会社の休憩室。

挽きたてドリップコーヒーが社員なら無料で飲めると好評だ。


たまたま設計の長沼さんと一緒になったので、日ごろ高塚くんが悩んでいることを相談してみた。

長沼さんは、女性で56歳のベテラン社員。

図面を書くのが早く、高塚くんの2倍くらいの速度で仕上げるのだそうだ。


この福岡支店にきてまだ数カ月の私だけど、女性同士ということで長沼さんは話しやすい。



「神楽坂(かぐらざか)課長、どうしたんですか?」


「高塚くんが、図面をもっと早く上げられるようになりたいって、いつも言っているから……」


「ああ、高塚くん。そうですね…あと、1~2年くらいしたら早くなると思いますけど」


「それは慣れるという意味で?」


「ああ、違いますよ。彼は図面を書くのは既に十分早いと思います」


「そうなんですか?」



意外な答えが返ってきた。

本人が『図面を書くのが遅い』と聞いていたので、てっきり『手が遅い』と思っていた。



「ただ、私たちは過去にやった図面の記憶があるから、必要なところをコピーして持ってきてます。だから手数が半分くらいで、完成するって訳です」


「そんな秘密が…でも、過去の仕事を全部覚えているってすごいことじゃ…」


「そうですね。だから、ちょっとしたメモを作ってます。製品の仕様ごとに一覧を作って」


「堺さんもそうなんですか?」



堺さんは、3人の設計のうちのもう一人。

63歳男性で、現在雇用延長中。

あと2年で定年予定だ。


その巻替えで、高塚くんは設計に入っている。

福岡のメンバーが10人に対して、設計が3人もいるのはそのためだ。



「堺さんも同じだと思います。堺さん独自のリストがあって」


「そのリストって共有していただくことってできないでしょうか?」


「あ、そうですね。私のでよければ」



聞けば、意地悪しているとかではなく、非公式に作ったリストなので、それぞれ個人で管理していて共有という発想自体がなかっただけらしい。


『業務効率化』とは、意外と休憩室とか、タバコ室にヒントが隠れているのかもしれない。






***

いつもの様に仕事をしていると、休憩から戻ってきた長沼さんから1枚の紙をもらった。



「高塚くん、これ」


「何ですか?」



それは、製品ごとに過去の物件名がリストになった物だった。



「え?これ……ああ、そう言う事か。過去のデータをコピーして使うってこと!」


「そそ。高塚くんが入社する前のもあるし、物件名から図面を探し出せないでしょ?」


「あ、はい。徐々に覚えられるかなと思っていたんですが…」


「記憶もあるけど、記録もあるのよ」


「へー、これで少し図面が早くなりそうです。ありがとうございます」



長沼さんが声ではなく、サムズアップで返事した後、また作図作業に戻っていった。


確かに、過去の成果がコピーできれば失敗も減るし、作業も早くなる。

その事は知っていたけれど、まさかリストまであったとは。


これで過去の仕事をやってない俺でも、過去の図面を引っ張り出してこれる!


でも、どうしたんだろ?

急に。



「あ、高塚くん」



また長沼さんに話しかけられた。



「なんですか?」


「神楽坂課長にお礼言っといたほうがいいよ?」


「なんでです?」


「このリストの件、提案してくれたの課長だから」


「そうなんですか」


「愛されてるねぇ」


「?」



今度は鼻歌まじりに仕事に戻っていった。






***

確かに仕事は格段に早くなった。


まあ、スーパーマリオブラザーズに例えるなら俺はいつも、1-1から1-2、1-3と順番に進んでいき、最終的に8-4をクリアするみたいな仕事をしていた。


いま長沼さんからもらったのは、『土管の場所』みたいな情報。


これがあれば、途中飛ばせるステージは飛ばせるので、8-4に着くのが早くなる。

そんな感じ。

最近、ファミコンのレトロゲームにハマっているから例えが古いけど大丈夫だろうか……


長沼さんと堺さんは、過去に色んな物件の仕事をしているので、『土管の位置』をよく知っているのだ。

俺は、どこに何があるのか知らなかったので、その恩恵に与れないでいた。


神楽坂課長が気にかけてくれていたのか……なんかちょっと嬉しいな。


課長は、確か31歳。

俺と3つしか変わらないのに課長になっている女性だ。


2か月前に退職した元課長の代わりに東京から転属になった。

福岡支店にきてたった3か月で売り上げは伸ばすし、福岡メンバーと仲良くなるし、とにかく仕事ができる上司だ。


一方俺は、陰キャかな。

平社員の設計。

今回の件も、他の二人ともっと仲良くなっていたら教えてもらえていたかもしれない。






「……で、なんで高塚くん、今日も残業してるの!?」


「そんな、急に残業減りませんよ!?」



俺は今日も残業していた。

まあ、教えてもらった情報で作業は早くなったので、今後少しずつ早く帰れると思うけど……

結局、捌けていないだけかもしれない。

一人残業している俺の席に、神楽坂課長がきた。



「あ、そうだ。今日、長沼さんにリスト言ってくれたんですよね?ありがとうございます」


「まっ、まあ、部下が?早く帰れたら嬉しいし?これも仕事だし?」



なぜチョイチョイ疑問形なのか?


この間、課長とはちょっとしたことで週末デート的なことをしてしまった。

その時知ったのは、キリっとした印象の眼鏡も伊達メガネなこととか、福岡に来て緊張で寝不足気味という事とか……


完璧超人だと思っていた課長が、意外にかわいいところがあるのを知ってしまった。


そうだ!お礼!



「課長、何かお礼をしたいのですが……」


「え?いいわよ。お礼なんて…いや、ラーメン!」


「はい?」


「美味しいラーメン屋さんを教えて!高塚くん福岡出身だから詳しいでしょ!?」


「はい……いいですけど……」


「あれ?あんまり乗り気じゃない感じ?」


「あ、いえ。良いところを紹介しますね」


「じゃあ、今度の休みの日はどう?」


「いいですよ」



なぜか、週末に上司とラーメンを食べに行くことになった。

あんまり女の人がラーメンを食べに行くイメージがなかったのだけれど……まあ、いいか。





***

「待ち合わせは、うちの近くでよかったの?」


「あ、はい」



神楽坂課長は、『大濠公園』という福岡でも割と人気のスポットに住んでいる。

地名でもある『大濠公園』は文字通り公園の名前で、1周2kmの大きな池がある公園だ。


確か、東京の井の頭公園の池が1周1.6kmだって聞いたから、もう少し大きいと思ったらイメージがつきやすいかもしれない。


その広い公園に併設して福岡城跡や舞鶴公園など桜の名所もあるので全体的にはかなり大きな公園なのだ。

福岡市内の中央にドカンと構えていて、多分市内で二番目か三番目に大きい公園じゃないだろうか。


『街中の公園』という感じで、人気があり、福岡でも比較的家賃の高いエリアだ。

それでも駅まで徒歩10分のマンションの1DKで家賃6万円くらいなので、東京からきた課長にしたら安い方かもしれない。


ちなみに、俺の住んでいるアパートは、1Kで3万円だからとてもそんなところには住めないと思っている。



「『福岡のラーメン』って言われたら、実は最低2杯食べないといけないんです」


「なにそれ!?作法的な!?」


「いえ、2種類あるんです。『博多ラーメン』と『長浜ラーメン』です」


「『博多ラーメン』は聞いたことあるけど、『長浜ラーメン』は聞いたことないわね……」


ここなのだ。

他県から来た人に『美味しいとんこつラーメンを紹介してくれ』と言われて困るのは『博多ラーメン』も『長浜ラーメン』もどちらも豚骨ラーメンで、同じようで違うものなのだ。


例えるならば、一口に『カレー』と言っても、『インドカレー』と『欧風カレー』があるとして、『うまいカレー』と言われて、どちらを紹介したらいいのか分からないようなもの。


そこで、それぞれ1杯ずつ食べてもらって、何となく理解してもらおうと思ったわけだ。

突き詰めて言ってしまえば、お店ごとに味も違うので、『本当に美味しい店』なんてたくさん店を周らないと分からない。





***

その週末。

それにしても、今日の課長は服装がかわいい。

普段、会社ではスーツでビシッと決まっている。

それに対して、今日はなんかニットっぽい上と、スカートっぽいズボンでふわっとした感じ。


髪の毛は栗色でふわふわウェーブ。


上はさらにカーディガンっぽいのを着ていて、袖が長いので掌が半分くらい隠れる感じで何ともかわいい。


普段かっこいいのに、週末かわいいとか反則だろ……



「どうしたの?あ!私のカッコ、なんか変!?」


「あ、いえ、めちゃくちゃかわいいと思って……」


「え?嘘!?ホント!?ラーメン食べいに行くからプチプラ・ファッションなの。恥ずかしい」



『プチプラ・ファッション』とは何なのか。

女の人の言う事は分からない言葉が多い。



移動は俺が準備した車にした。



「福岡ってなにげに駅が少ないわよね」


「それは東京が多いだけです。福岡はあんまり電車が発達しなかったので、バスがその分めちゃくちゃ多いです」


「そう言えば、そこかしこにバスが走ってるわ!」


「福岡は『西鉄バス』ってバス会社がトップで、約3000台バスを持ってます。これは多分、世界一大きいバス会社だと思います」


「日本超えた!」


「路線が多すぎて、福岡県民もアプリがないとどこで乗ってどこで降りればいいのか分かりません」


「東京の電車と同じことが福岡ではバスで起きてるのね……」



ほんの10分ほどで目的の場所に着いた。

場所は『長浜』。


海のすぐ近くて、福岡市中央卸売市場鮮魚市場のすぐ近くにあるラーメン屋さんだ。

福岡は、海がすぐ近くなので、街中から車で5分も走れば海に出る。


駐車場がないお店なので、近くのコインパーキングに駐車して店まで歩いてきた。



「さあ、着きました。1件目はここで悩んでもらいます」


「悩む?ここが1件目のお店なのね」


「そうです。『元祖長浜屋』です」


「特に並んでないのね」


「うーん、福岡の人間は並んでいるお店ではラーメンを食べないですね。多分。待つくらいなら他のお店に行きます」


「ホントに待てないのね」



神楽坂さんには言ったけど、福岡の人間は待つことが嫌いだと思う。

もちろん、並ぶときは並ぶけど、並んでいないお店に行くと思う。



「博多駅に『ラーメン街道』ってラーメン屋さんが集まった場所があるんですけど、ほとんど観光客用って思ってます」


「そうなんだ」



店の前の券売機で食券を買って神楽坂さんに渡した。



「はい、食券です」


「え?あ、ありがとう」



神楽坂さんが一瞬慌てたのは多分、俺が好みを聞かずに勝手に食券を買ったからだろう。



「ここ、メニューがラーメンしかないんで、聞かずに券買いました」


「あ!そういうこと!」


「ちなみに、1杯550円です」


「……ご馳走してもらっていてなんだけど、安いわね」


「実は、高くなって550円です」


「え?そうなの!?」


「俺の記憶では1杯500円なんですけど、いつの間にか50円高くなってました」


「それでも500円…」


「実は、ここは移転した店で、その昔はすぐ近くの違う場所にあったんです」


「へー」


「じゃあ、中に入りましょうか」


「うん」



安っぽいアルミのスライド扉を開けて入店すると、これまた安っぽい4人掛けくらいのテーブルがあり、テーブルの上には大きなやかん、割りばしの束、ごま、紅ショウガなどが置かれていた。



食券を渡すと麺の固さ、油の量、ネギの量を聞かれる。



「なんだっけ、二郎ラーメンみたいに呪文みたいなのがあるの!?」


「いや、とりあえず『普通』で十分ですよ。麺の固さにこだわる場合は『固メン』でいいと思いますけど」


「じゃあ、私『普通』にするわ」


「はい」



ちょうど店員さんが来たので、『1杯は固メン、1杯は普通で』と普通の日本語で注文した。



「なんか知らないお店で突然だと、ドキドキするわね」


「スタバや二郎ラーメンみたいなのはないですよ」



まあ、本当は、麺だけで『バリカタ』、『カタメン』『フツウ』『ヤワメン』があり、油の量が、『ベタ(多め)』『フツウ』『ナシ』、ネギは『フツウ』『オオメ』を選べる。


ただ、麺でも『ハリガネ』とか『粉落とし』とか『湯気通し』とか頼んでいる人を見たことがない。

誰かが半分冗談で言ったのを面白半分に乗っかったものだろう。

油の量とか気にしたことないし。



ほんの数分でラーメンが出てきた。



「え!?もう!?」


「…そうですね。これが福岡の『普通』です」


「ちなみに、替え玉を頼むときは、食べ終わってから頼むとスープが冷めるので、福岡の人間は麺を半分くらい食べた時点で注文して、食べ終わるかどうか位で麺が届きます」


「どれだけせっかちで、どんだけ早いのよ」


「移転前の店では、券売機もなかったので、3人で店に入ったら『3ばーい』ってオーダーが通ってました」


「注文してないのに!?」


「ラーメンしかないので、来店したら人数分作ってたみたいです」


「面白い!」


「だから、『固メン』にしたいときは、入店後すぐに『固メン!』って言わないと『普通』が出てたんです」


「面白いわ!」



出てきたラーメンは白濁スープに細いストレート麺。

青ネギの輪切りが多めに乗っていて、薄切りの肉がちょこんと乗っているシンプルなラーメンだ。



「わあ!おいしそう!記念すべき福岡のラーメン一杯目だわ!」



神楽坂さんは、鞄からシュシュを取り出して、髪を後ろに束ねた。

その仕草がちょっとエロくて、つい見とれてしまっていた。



神楽坂さんは、手を合わせて誰にも聞こえないくらいちっちゃい声で『いただきます』と言ってから食べ始めた。

かわいいなぁ。

きっと育ちがいいんだろう。


ちょっとしたところにこういうの現れるようなぁ。



「あ、スープはあっさりしてる!」


「そうですね。豚骨ラーメンというとドロドロしたものを想像する人が多いみたいですが、福岡のラーメンはどこもあっさりしていますよ」


「そうなんだ」



魚市場の卸売市場近くのラーメン屋でも、こうして気軽に話ができる感じの普通の店だ。

昔は割と殺伐としていたけれど、今となっては観光地的要素が多くて、『普通の店』って感じ。



「替え玉もしてみたいけど、お腹いっぱいになったら、次が食べられないかも…」


「じゃあ、1玉だけ頼んで、俺と半分こしますか?気分だけ替え玉で」


「そんなのもアリなの!?」


「親子で来ている人とか取り皿に分けて子供と分けて食べてる人もいますよ」


「へー、なんかもっと怖いイメージがあったけど、意外と気軽にこれるのね」


「そうですね。俺の知ってる限り怖い店はありませんね」


「なんか思ったより、気軽に食べられて嬉しいわ」


「じゃあ、替え玉頼みますね」


「はい」




1分もせずに、替え玉が届いた。



「え!?もう!?」


「ラーメンよりも早いですよね。麺だけだし」



替え玉は銀色の小さい鍋に1玉分茹でられた状態で届いた。

先に神楽坂さんが好きなだけ取ってもらったけど、1/3も取らなかった。

女の人は小食だなぁ…



「あれ?高塚くんが入れたそれ何?」


「ああ、これですか。これはスープのたれです。替え玉するとスープが少し薄くなるんで追加できるようになってます」



小さいやかんみたいなのを見せる。



「私も入れてみよう♪」



すぐやってみるところ、かわいい。

いや、いかんいかん。

上司だ、上司。



---

なんかずーっと続編が書きたくて……ふと書いてしまいました。

1時間後に3話目を公開します。

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