第733話 オーダースーツ
普段スーツは、福岡に住む30代の採寸師の兄ちゃんにオーダーする
彼は昔、東京のテーラーで修行しており、その頃からの知り合いだ
数年前に地元福岡に戻ったため、俺も何かと相談しやすくなった
ある年の1月初め
春物の新作柄が入ったと連絡を貰ったので、早速お邪魔した
彼はマンションの1室を丸々、仕事場にしている
「なんかいつも、色とか柄とか偏ってしまうよなぁ〜」
そんな話をしていた流れで
「ちょっと今回は、普段着なさそうなのを選んでみようかな・・・でも後で嫌になるかなぁ?」
「良いんじゃないですか?スーツなんて遊び心の塊りですから。それに、バランス奇怪しければ僕がちゃんと言いますよ」
ということになった
早速、今まで選んだことのない色目で、表生地と裏生地を選ぶ作業に入る
・・・2カ月後。
スーツが出来上がりました、と連絡が入ったので福岡に向かう
マンションを訪れると、兄ちゃんがニコニコしながら迎えてくれる
「いやもう、最高に格好良いのが仕上がってきましたよ!」
「マジで?すぐ見せてや!」ろくに靴も揃えずリビングに上がる
兄ちゃんは奥の衣装棚から、スーツカバーに入った今回の完成品を持ってくる
俺は普段、黒がベースなのだが、今回は
表地にマルゾットのチャコールグレー
裏生地に、うねり模様のブルーラグーン
で依頼していた
カバーからスーツが取り出され、衣装スタンドに掛けられる
「さあ、どうぞご確認ください」
おお〜!!
シブい、シブいやないか・・・
各所に施されたワインレッドの隠しステッチが、何とも言えない遊び心を醸し出している
スーツの内側を見る
総裏に拡がる、鮮やかなオーシャンビュー
「これは凄いな」
「でしょ!私もこの組み合わせ、今までになく斬新でめっちゃ良いと思います!想像を越えてきましたね!!」
いや、これはマジでシブい・・・早く着たい!
しかし空の時間までに余裕がなく、試着している暇がない
お楽しみは後にして、再度スーツカバーに戻してもらい、マンションを後にした
それから2週間が経った
新作スーツは数回着ている
そして2週間、モヤモヤし続けていた
あのマンションで初めて完成品を見たとき「うっわクソ格好いい!」と思ったはずなのだが
ふとした拍子に「う〜ん・・・」と違和感を感じるようになったのだ
一度それを感じるともう、頭から離れなくなってしまった
何でだろう・・・
いや、格好は良いのだ・・・
1番違和感を感じるのは、上着を脱いだ時だ
造りが、という訳ではない
素晴らしくフィットして、かつ動きやすい
そこは文句の付けようが無い
しかし上着を脱ぎ、小脇に抱えて立ち鏡を眺めていると、う〜ん・・・
何なのだろう、この違和感は?
どこから来るものなのか・・・
そのスーツを着た、ある夜
接待で新装オープンのラウンジへと向かった
オーナーは旧知の仲だが、スタッフは初めての子ばかりだ
客と共に席へと促されながら、上着お預かりしましょうかと訊かれたので、脱いでその女性に渡す
「わっ!このスーツすご〜いチョコミントみた〜い」
あっ?!
「それ!まさにそれ!!」
俺は一気に霧が晴れた
「えっ?えっ??何がですか?!」
俺が急に立ちどまり大声を出したので、女性は驚いている
俺はチョコミントが大の苦手なのだ
違和感はそれだ
「君、凄いな!有難う!」
それ以降、店では彼女を指名するようになった
ところで彼女は
チョコミントの件とは関係なく、俺のスーツを見るたびに「例えて」くる
黒にローズレッドの裏地のスーツを見て
「わ〜、イカスミのヒレカツみたいですね」
ウルトラマリン(群青色)にサンセット色の花柄の裏地のスーツを見て
「あっ、サーモンのカルパッチョ!ここが皮目で・・・」
といった具合だ
どうやら彼女、いつもお腹が空いているようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます