ある傭兵の話
はじまりは土、そう、黒い土だった。
風を受け、雨を吸い、糞尿を浴び、血反吐を溜めて、濁りに濁った荒土の中。
・・・・・・目覚めた時、私は土の中で、蠢く虫に、眼球を食われていた。
虫、といっても種別は様々だった。
所謂昆虫種とでも言うのだろうか。六本足に節足した肉体を持つ、小柄な虫には指を食われた。
大きな百足には身体中を這いずりまわれ、終いには鼻腔の内側へと侵入された。鼻の奥から喉奥へと百足は飛び降り、最終的には胃腸すら通っていっただろう。そんな感触があった。
前述した眼球を食ったのは蚓やヒルだった。長細い麺状の身体が、眼球の裏を通い、摘んで蝕みながら球体を抉った。
内蔵を食い荒らしたのは蟻だった。知識にはあったが、脆弱な小蟻のコロニーに、私自身の内蔵がそうなるとは考えも及ばなかった。腎臓、肝臓、膵臓・・・・・・虫の牙で切開された腹の中には、うじゃうじゃと細かな蟻共が卵を植え付けていた。
そんな様子を、土の中の私は観測していた。
自分の肉体で起こっている、残酷でグロテスクな現象を、私は興味深く観察していた。
私の描写とは正反対に––––––聞こえるかは分からないが––––––事実としては明白に、痛みは感じなかった。
––––––それもその筈。
何せその時の私は、とっくのとうに、はるか昔に。
土に埋もれるよりも前に、確かに死んでいたのだから。
:::
その朝、お父さんがお爺ちゃんたちと話していた。朝ごはんを食べながらの、いつものような取り留めのない雑談。
––––––数年前の、なんだったか。
具体的な契機は覚えていないが、「預言」とかいう宣言が教会の方で出されて以来、北の治安は急転直下だ。
去年なんかは東の隣国のパルタミロで皇太子が暗殺されかけた事件があったし、三ヶ月前には南西のエトランドとオトローが遂に戦争を始めた。我が国イスミアだって、いつどこと戦争状態になるか分からない–––––––––。
詳しい内容は覚えてないけれど、大まかにそんな感じの内容だったことを覚えている。
お爺ちゃんが読む新聞の記事にも、色々な地域で様々な国の人たちが喧嘩をしている、とも聞くし……ここ数年何の事件も起きていないこの田舎の村でも、世界の向こう側で何かが起こっている気配というのは感じられるものだった。
「シオンちゃーーーん、こっちこっち!」
「あぁごめん、すぐ行くーーー!」
あっといけない、友達のユノちゃんを待たせてたんだった。
西の空に夕日はすっかりと沈んで、東の空からは丸い月がひょっこり頭を覗かせている。まだまだ肌寒い春の夕暮れは、遥か遠くまで広がるイスミア国有の田園風景を彼方に映し出し、新緑の草木が夜風に吹かれてなびいている。
午後から始まったユノちゃんとのピクニックはもうお開きに、村はずれの原っぱから村の中心部へと戻る時間となった。
丘の向こうで手を振って待つユノちゃんの元へと、私、シオンは藁編みのバスケットを掲げながら小走りに向かう。
「ごめんなさいユノちゃん、少しぼーっとしちゃってて……」
「別に良いのよ、春の夕暮れは綺麗だしねぇ。私もここからの景色好きだから分かるわ」
––––––安息にして恒久に思える、紫色に輝く山あいの黄昏。
村の背後にそびえる山脈から飛来した二匹の大鷲が私たちの頭上を飛び交うのに合わせて、甲高い鳴き声が聞こえてくる。
そうして春の優雅な景色を楽しんでいた頃、ユノちゃんが突然慌て出し始めた。
「あ、いっけない。私夕ご飯の買い出し頼まれてたのすっかり忘れてた。もうすっかり夕暮れだし、確実に遅刻よね……まいったなぁ……」
「ごめんねユノちゃん、私が当初の予定より長めにピクニック続けてたから……」
「シオンはいいのよ。……それにここから大急ぎでダッシュすれば、まだ間に合うかもだし?」
にへへ、と、いつものように快活な様子で、ユノちゃんは私に笑いかけた。
「これ、私のカバン持っててくれる?ルカスおじさんの牧場に寄って……野菜はスージーおばさんのお店に駆け込めばなんとかなりそうね……」
ユノちゃんは私に藁編みの籠を預けると、いっちに、と伸脚のストレッチを始める。
「も、もしかして本気で走っていくの?」
「森の中抜けると近道になるのよ––––––シオンちゃんはいつもの道から帰ってて。鞄だけ私の家に届けてに来てくれる?」
「い、良いけど……気をつけてね?」
「余裕余裕!田舎の牧場一家育ちの脚力、舐めんじゃないわよ」
そう言うが否や、ユノちゃんは走り出してしまった。
ユノちゃんのお母さん……エマおばさんが見てたら、「はしたない!」と激怒していただろう。
私は母に怒られる親友の姿を少しだけ想像して、クスリと笑う。
山脈を色鮮やかに映し出す春の黄昏––––––一日の「終わり」を告げる、神々の喇叭に、私の眼は吸い寄せられて………
……その景色が持つ美しさ以上に、何か脳裏に響く違和感というものを感じつつ、そのまま、帰路についた。
:
いつも通りの道をゆっくりと徒歩で通って、村の入り口についた頃には、もうすっかりとあたりは暗くなっていた。
シオンは村の東側にあるユノの家の前に行くと、コンコン、と扉を叩いて、中にいる人に来訪を告げる。
しばらくして、「はーい」という声と共に、扉が開かれた。
扉の奥から出てきたのは、少しぽっちゃりとした、陽気なおばさん……ユノの母親であった。
「あらーシオンちゃんじゃないの!」
「おばさん、こんばんは。これ、ユノちゃんの鞄で……預かってたんです。ユノ、夕飯の買い出しがまだだーって走って行ってしまって」
「あらぁ。ありがとう!助かるわあ。あの子ったらいっつもシオンちゃんに色々任せて……いつもごめんねえ」
「いえいえ、大丈夫ですよ。––––––ユノちゃん、もう帰ってきてますよね?是非よろしく言っといてください」
そんな、いつも通りの、取り止めのない会話の応酬。
お互いにいつも通りを再確認するだけの、至って普通の会話情景。
そう、普段通りなら何も問題はないはずの会話のはずだった。
「?––––––ユノはまだ帰ってきてないわよ?」
あれ?––––––と。
シオンの背筋に、嫌な汗が垂れた。
紫に輝く黄昏に感じた、一抹の不安。
どうしても拭いきれなかった、夕日に隠された違和感。
『––––––「預言」とかいう宣言が教会の方で出されて以来、北の治安は急転直下だ––––––。』
頭の中に、今朝の雑談がこだまする。
嫌な想像、ありえない想像、普段なら失笑にふすような想像。だけど、数刻前に脳裏に焼きついた黄昏の紫が、嫌なリアリティを帯びて、胸中の想像を実像にしようとしている。
「–––––––––っ!!」
「あらちょっと、シオンちゃーん?」
シオンは駆け出した。
嫌な想像に端を発する嫌な汗が、額、首元、背中をくぐり抜ける。
村の入り口の門をくぐり抜けて、ユノと別れた場所の近くを目指して全力で走る。息を切らしながら、希望を見据えながら––––––、ありえない最悪の想像なんて、起こり得ないと自分を自分で説得しながら。
:
「ぜあ、ぜあ、は、はぁ………っ」
十五分ほど走っただろうか。村のある丘陵地帯を抜けて、道は細く、雑草の生い茂る雑木林の近くにおどり出た。
春先の太陽は長い間世界にその姿を見せてくれることはなく、気づけば空はすっかり黒に染まって、夜のとばりの中をシオンは人知れず彷徨っていた。
煌々と輝く月が道をほんのりと照らす中、シオンは道の脇に広がる林に目を向ける。
(ピクニックをした原っぱの脇から走って行ったし……もし迷うなら森が濃くなるこの辺りのはず––––––)
「ユ、ユノちゃーーーん?」
黒く闇が広がる森に向かって叫ぶシオン。しかし返答は無く、腹を空かせたカラスが木々の間を飛び交う音が反響するだけだった。
合わせ鏡の向こう側のように、見つめれば見つめ返されるような、どこか人心を惑わせる森の闇と、木々の合間に見えるカラスの眼光は、か弱い少女を付け狙う肉食獣のような雰囲気さえ纏っていた。
春の強い夜風が吹く。
ヒュゥ、と森の樹木や低木を吹いて揺らしつつ、名状し難い不安感をシオンの胸に焼き付ける。
暗闇と焦燥に心を支配され、シオンは足早にその場を立ち去ろうとする。
カサカサ、と揺れる低木と茂みが鳴らす雑音が、一層不気味さを増していて。シオンの指先はわなわなと震え、今にもその場から逃げ出したくなる。
ゴクリ、と息を飲む。
「––––––オン。…シ––––––オンっ………」
シオンの耳に入ったのは、これまでの人生で何度でも聞いたことのある聞き慣れた声。つい半日前に隣でにこやかに微笑んでいた少女の、その面影を感じさせる声だった。
「っ–––––––––ユノちゃん!ユノちゃん、そこにいるの!?」
「–––––––––げて、し、オン–––」
その声にいつもの活発な様子は感じられない。しかしシオンは周囲数寸先が闇の状況にあっても、微細に揺れ動く茂みの奥に気を払い、親友の姿を確認しようと努める。
いまだに涼しさを収めぬ、春の夜風がシオンの肌を撫でるように吹き抜けた。
その風の方向をふと、シオンが振り向くと–––––––––
「あぇ、ユノ、ちゃん・・・・・・?」
「–––––––––シ……オン………、逃げてッ–––––––––!!」
そこに、居た。そこにそう、友の姿はあった。
しかしその友の顔に張り付いた表情は先刻の笑顔のそれとは似てもにつかぬ–––––––––悲痛と恐怖に歪んだ顔が、そこには映っていた。
「あぁ––––––––––––」
シオンの足腰も震え、その場にヘタリ、と倒れ込んでしまった。
身体中に、そして見える限りに露出した肌全てに生々しい擦り傷・流血を見せる友の姿…。茂みの奥から、這うようにして出てきた親友の姿……。
地べたを傷まみれで這うユノの影の上方にそびえ立つ、複数の男の姿を見て、シオンは何が起きたかを察し、それに恐怖しきってしまっていた–––––––––。
「おうおう豚がよォ、一体どこまで逃げてくんだっ……よッ!!」
「んきゃあああああああああああああっ」
男の一人が目前のユノを蹴り飛ばす。
一体いつ頃にユノは捉えられてしまったのか?一体どこで?そして何のためにこの男たちはここにいるのか?
「ひっ––––––––––––」
シオンの思考はまとまらない。
嫌な予感が的中した。その事実と目前の事象への恐怖だけが、彼女の胸中を支配する。
蹴り飛ばされたユノは茂みの脇で気を失ったように動かない。
のっそりと大股で歩み寄ってくる男の陰で、視界が曇る。
「ん?雌豚の割には上出来じゃあねえか……こんな上物を誘き寄せてくれるたァ………おいテメェら、こっち来な!!!」
男が声を張り上げるや否や、後方からさらに数人が寄ってきた。
小柄な男、嫌に上機嫌にはしゃぐ男、下衆びた笑みを浮かべる男––––––。
男、男、男、男。
「ほほう、これは……」
「兄者、今日は宴でがすなあ、こいつは稀に見る上物だ!」
「新鮮な年頃の女が二体追加––––––こんだけありゃあ、兄者、今日くらい羽目外しても、ねぇ?」
「ひぃっ–––––––––」
大柄な男の腕が眼前に伸ばされ、シオンはその胸ぐらを掴まれる。
すでに抵抗する気力も削がれて、なすがままに引っ張られるまま––––––男たちの戻る先であろう巣へと、向かわされるのを待つばかり。
碌な思考もできないシオンの脳で、ただ一つだけ思い出していたことがある。
–––––––––そうだ、昔村を訪れた、遠い街の教会の神父様に聞いたことがある。
黄昏というのは、その時の終わりを告げる––––––黙示録の喇叭なのだと。
:::
「あ、あ、ああ゛ぁんっ」
「う、う゛、うぉ、おお、おおおおっ」
「んあ、んぁああああああん゛っ」
「ゲハ、ゲハハハハハ!」
「行くぞ、お、おう、おううううううっ!!」
「中にぶち込むぞぉらァっ」
一言で形容するとしたら、酒池肉林––––––。
シオンの村に来るまでに、既にいくつかの村を回っていたのだろう。
どこからか持ち出された大量の酒樽と獣の燻製肉。それらを楽しむ男どもの酒のツマミは、これまたどこからかかき集めた––––––若い女の肉体だった。
森の奥深く、岩場に広がった洞窟の奥が、この男たちのアジトと化していた。
奪ってきた食糧を積む部屋や、男たちの武装品が置かれた場所など、区画は様々に細分化され彼らの拠点となっていた。
そして男たちの生活区画のその脇、粗い作りの鉄格子が嵌められた独房––––––そこが、シオンら少女たちが置かれた区画であった。
「んひ、ん、んふうううっ、あ、あああああぁああ」
「ング、ひぐ、ひぐ、ひぃっ、ひぐぅうううううっ!」
深い森の奥に形成された悪党共のアジトの中に、数えきれないほどの嬌声がこだまする。独房に入れられた少女たちは、こうして日々、時間を問わず––––––男たちが求めるままに、慰みものとなっていた。
シオンとユノは二人とも同じ独房に入れられていた。あの夜、森で捕らわれてから果たして何日が経過したのか。まだ数刻か、それとも数日なのか。––––––はたまた、数週間か、数ヶ月か。
日も差さない、カビまみれの独房の中で、ボロ切れと化した服と汚れを纏った少女二人の表情に、もはや生気は見られない。
朝に一杯だけ放り込まれた水桶には、埃や泥が付着しているのが見て取れる。独房の隅を周遊している蚊が、産卵したそうに桶を眺めている様を、シオンはその虚ろな眼差しの奥で見ていた。
食事についてはもはや、最後に摂ったのがいつかさえ覚えていない。心労から寝込んでいた時に放り込まれたパン屑のカケラが、カビと蟲の苗床になって鉄格子の隙間に転がっているのを少女たちは知っている。
––––––ギィ、と鉄格子の扉に手がかけられた。
解放の時か?そんな訳はない。
今日も今日とて、地獄を味わう時が来ただけのこと。
「おら出番だオメェら、早く出てこい」
「今日の兄貴はすげぇぞ〜ッ!!ぶち込まれて即気ぃ失わねえようにな、ギャハハハハハハ」
すでに何度か、何十回か、繰り返されたこの儀式。この地獄。
格子の外へ連れ出されるユノとシオンの瞳孔に未来への灯火は無い––––––。
:::
アジトの最奥。男たちの呼ぶ兄貴、この悪党どもの頭が使っている部屋の中。
他の面々の部屋と比較しても大きく、物品も多く散見されるその部屋の中心に置かれたベッドの上に、嬲り捨てられたユノとシオンが横たわっていた。
情事を終えたその直後である。服を纏わず煙草をふかす男のところへ、駆け足気味に走り込んでくる男がいた。
「あ、兄貴ぃ!本部の方から伝達が!しかも早馬で来たらしいですぜ」
「ったく急にかよ?ほら伝書よこせ––––––まぁ、内容は何となくわかるがな……」
手下である小柄な男から、男は書類を受け取った。軽く巻かれたその伝書の中身を軽く確認するや否や、男はそれを放り捨て、使った逸物を拭きながら身支度を整える。部屋の隅で少し塵埃を被りかけていた防具にも手をかけながら、アジトの洞窟中に広がるような声を張り上げる。
「おい野郎ども、久々の
–––––––––おぉおおおおおおッ!!
洞窟に煽声が反響したかと思えば、そこからワンテンポ遅れて手下の男たちの答える声が轟く。
「へいお頭、了解でさあ。––––––ほんで、この隠れ家はどうするんで?」
棟梁の部屋の中、伝書を持ってきた小柄な男が尋ねる。
隠れ家兼拠点として使ってきたこの洞窟はどうするのか?––––––と。
「んぁ?ああ、そうだな……ここは燃やす」
「へ?」
小柄な男は思わず聞き返した。しかし棟梁の顔は依然として不敵な笑みを浮かべたまま––––––それどころか、さらに口角を上げるように……ニタリ、と笑って返す。
「重要な書類とかは持ち帰るが––––––物的証拠は丸ごと抹消するに限る、ああ、そうだろう?」
「––––––!!へ、へえ!その通りでさあ兄貴!!」
物品、食料、その他もろもろ–––。もちろん独房に詰められた
手下の男たちも背中に嫌な汗を浮かべながらも、棟梁の笑みに押されるようにして身支度を始める。なるべく急ぎ、この地獄から目を背けるようにして、自身の装備を調達しにいく。
配下に号令をかけ、自身も準備に取り掛かる必要が出てきたところで。
必要な装備、道具、衣類を自室から持ち出すために歩き回る棟梁の足元を一つ––––––弱々しく掴む腕があった。
嬲り捨てられた後のシオン。
彼女の目にはとうに生気は満ちていなかったが、それでも男たちがこの拠点を去ろうとしていることは意識の枠外にも理解ができた。
一縷の望みをかけて。いや、望みなどなくとも、ただ心が求める救いの言葉を吐き出したくて。神ではなく悪魔のような目前の男に、吐露するかのように、呟く–––。
「ど、どうが、どうか家に、帰らせて、ください……」
ポタリ、ポタリ。
朝から、いや何日も前から碌な水分を摂っていないはずの肉体から、涙が溢れ出る。
聞き及ばれないとわかっていても、そう願わずにはいられない。
「ッたくよォ–––––––––」
そして無論、それらは悪漢の前には。知る由のない望みなのである。
既に乱暴され、ぐしゃぐしゃになったシオンの白髪を掴んだかと思いきや、悪漢の棟梁はシオンの裸体をぐいと引き上げ、無防備になった腹に強烈に膝蹴りを加えた。
「–––っっっ!」
鈍い衝撃と共に、内臓が潰される感覚。思わず血反吐がシオンの口から吐き出る。
蹴りの衝撃で思いっきり壁際に打ち込まれ、その反動でさらに意識が遠のいていく。
「雌豚共が喋ってんじゃねえぞオイ!––––––そうだな、最後に良いことでも教えてやるか」
壁際に横たわり、意識が朦朧としたシオンの側に近寄ると、棟梁は再度白髪を乱暴に掴み上げ耳元で囁く。
「俺たちの先鋒隊がこの村の近辺に来たのは一ヶ月前。そんでさっきの連絡が意味するのは、イスミアの侵攻作戦の本格的な始動の合図さ」
「イスミアの端の端のお前らの村なんざ!とっくのとうにぶっ潰されてるって次第なのよ」
––––––––––––––––––無慈悲だった。
ユノ、そしてシオンが囚われて何日が経過したか。
もはやその感覚すら揺らぐほどに彼女らが監禁され、強姦され、陵辱され、嬲られたこの地獄のような日々––––––しかしその一縷の望みとして期待した家族や村の仲間たちの「平穏」さえも。
知らぬ間に、無慈悲に、崩れ落ちていた。
「どうせ村に戻ったところで帰る家も会う家族も全員居なくなってんのさ」
「精々今ここで死ねて幸せと思うんだな」
捨て台詞のように、棟梁は絶望だけを告げ去っていく。
希望などないことを知りながら、シオンは静かにその瞼を閉じて–––運命を受け入れていく。
「野郎共、鎧は着たな?–––なら火を放て、行くぞ!」
抵抗虚しく、いや––––––抵抗するだけの気力が彼女に残っていたのかさえ、それさえも、もはやわからない。
––––––燃え広がる火炎の中で、他に囚われた少女たちの悲痛な叫びを聞きながら。シオンは自身の身を、皮膚を、眼球を爛れさせながら身を巻いていく煉獄に包まれながら、運命を悟っていった。
嬲られていく、弱者としての運命の結末を––––––。
::
要するに、その点で意見は一致したわけだ。
強ければ生き残り、弱者は強者の糧となる。
強さこそが世界における万物普遍の真理であり、正義なのである、と。
この肉体は弱者であるが故に嬲られ、犯され、そのまま吐き捨てられ、同じく弱者である村民もろとも強者の苗床となって死んだわけだ。
それが普遍的な弱者の結末。––––––そして今はどうだ?
死んだ生物、用済みの亡骸。要するに生物的な弱者であり敗北者であるこの
死者も敗者も弱者も皆等しく、結末は強者の栄養素となるしかないわけだ。ならば、それならば–––––––––。
––––––目指すべきところは、強者一択なのであろうな。
とっくの昔に蟲に食い荒らされた眼球の奥で、鈍い光が地中に輝く。
経た日数を数えることすら止めた、腐り果てた肉体の中で––––––紛れもない生命の耀きが、確かに意識を帯びて
古びた血脈の回線、その一つ一つに……今一度、新たな息吹となる魔力を流し込む。
それは例えるなら、太古の時代の水道路に水を引くのと同じような様子で。
かつて肉体を脈動させていた身体器官が、唐突な目醒めに悲鳴をあげつつも、確かにその動きを確固たるものへと変貌させていく。
ドクン。心臓が、弾む。
ピクリ。指先が、動く。
ミシリ。脛骨が、唸る。
「く、ゥううううぅぅおおおおおおおおっっっ!!!」
舌はとうの昔に腐り落ちた。故に声にならない叫び声が、言語に至らぬ、ただの亡霊の駆動音が、暗がりの中に–––虚ろな肉体の中に、反響する。
指先、手のひら、手首、そして腕。
足先、
途切れていた回線は次第に接続先を増やし、耐久力を使い果たした骸の骨組みに……過剰を超越した負荷をかけながら、動きをつける。
どう足掻いても動かない部位は、魔力を動力源に無理矢理動かす。
脆い人間の肉体がひしゃげ折れるのも意に介さず、自分を埋没させる北方の黒土の中をなんとか突き進み、地上を目指す。
穴が広がり、天井に亀裂が入る。
外界の光と思わしき明光が、土壌を透過して、崩れ落ちた眼球に突き刺さる。
腕を、伸ばす。
光めがけて……外界めがけて、地上めがけて、––––––そして未来めがけて。皮膚は爛れ、骨もぐしゃぐしゃに壊れきっている骸の腕が、強者たらん未来めがけて、光の導く方向へと突きあがる。
肉体に住み着き、貪っていた
「お、おい、なんだ!?」
「ひ、つ、土の中から何かが––––––っ、って、え?女の子?」
––––––蟲に喰われた穴はあらかた塞いだ。
内側は少し空いているが、表面上は問題なかろう。
ついに目にした地上は、まさしく銀世界と呼ぶべき容貌を周囲に曝け出していた。
空は雲に覆われ日光の差し込む隙間などなく、暗雲から降り注ぐ雪は吹雪となって
「な、なんだこの娘……土の中から出てきたよな?」
「ああ、ん、でも、よく見ろ––––––紅い眼に銀白の直髪……この娘、イスミア人じゃねえか?」
「てめえら、何事だ?」
「お前さんは、『
「ガキか……孤児かなんかか?」
「いやそれが『
「……お前、言葉はわかるか?」
「––––––。」
生憎、まだ喉奥や口内がボロボロに崩れているせいで発声はできない。
しかし意識下に認識できる、目前の男の発する言葉は理解できる–––私は黙ったまま、首をコクリ、と縦に振る。
「良いだろう、俺が連れて行く」
「待てよ『
「こんな痩せ細った素っ裸のガキが、そんな高尚なお役目についてるわけねえだろう」
そう述べると、「
乱暴に投げ渡す。
まだまだ立つことさえ
「それ、羽織っとけ。野風に晒しとくよりぁマシだ」
「–––––––––。」
「ついてきな。寝床と飯を用意してやる」
少女が外套をその体に巻きつけるのを確認した後、男は雪の降る純白の丘を歩き始める。
少女はぎこちない様子で、男が遺す雪の上の足跡をなぞるようにして、道筋を連いていく。
こうして、荒れた戦線の冬の日が進む。狼のような男が、雪結晶よりも儚い身体の、銀白の少女を率いて……。
後に分かったこの時の正確な日付は神聖歴995年冬––––––十二月の七日。
実に二百年以上も前に北の大地で勃発した民族間・国家間抗争、「ノルディアの冬」が……五度目の「預言」を以って更に激化した時期のことであった。
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