ある巫女の話

「被検体27号、出ろ」


私の事が呼ばれたので、培養管から出るのです。

私が私という意識を持って、だいたい半年といったところでしょうか。と言っても、時間の概念は知識としてインプットされただけに過ぎないので、半年という言葉が示す実質的な重さは理解できていないのですが。


「四肢は問題無く動くな?よし、立て、そしてまっすぐ歩いてみろ」


歩け、と言われたので歩くのです。

いち、に。いち、に。

いち、に。いち、に。


右足を前に出したら、次は左足を前に。

左足が前に出たなら、今度は右足を前に。


同時に動かしてはいけません。

直立した人型の肉体では、同時に動かそうとすると転倒してしまいます。


上半身のバランスも同時に取りながら、いち、に。いち、に。片足ずつ前に動かして、より前方の位置座標へと移動することを『歩行』と定義するそうです。


休止中に投影された教育映像のとおりに、少しづつ、少しづつ。ゆっくりだけど確実に、前へ前へと進みます。


「よし、経過は順調だな。同じ道を戻って、培養管に入るように」


戻れと言われたので、戻るのです。

止まった位置から、くるりと180度回転して、来た道を戻ります。

往路と全く同じように、片足ずつ、ゆっくりと。


扉の空いた培養管に手を伸ばし、体全体が培養液に浸かるようにして少し壁にもたれかかります。


ひとたび管の中に戻れば、その目のやることは以上です。また次起こされた時に、なにか別のことをするのでしょう。




:::


「被検体27号、出なさい」


「発声の練習です。休止中に知識は導入されたはずですので、原理は分かりますね?」


ええ、その通りです。

口蓋の奥、喉元を震わせて空気振動を起こし、特定の音色の響きを周囲に響かせる行為のはずです。


「それでは、以下に続く音声を復唱してください」



「–––––––––発声練習用の教材です。声に出して言いましょう。 あ、あ、あ、あ......」


「ァ、ア、a、ぁ......」


なんだろう、なんだか教材通りには発声できていない気がします。

ですが練習あるのみ。歩行と一緒で、少しずつでもやっていけばいつかは前に進んでいるはずですから。

諦めずに頑張ります。



「被検体27号、出よ」


「はい」


幾度かの発声練習を終えて、きちんとした発音で言葉を発せるようになっていました。


「経過は順調のようだな。今日は他の被検体と共に礼拝堂にて聖歌合唱の調整を行う」


「分かりました」


歌うべき聖歌に関しては一通り知識としてインプット済みですので、歌唱に関しての問題はありません。

整列を崩さず、他の併せて三十八に及ぶ私の姉妹たちと共に、礼拝堂へと向かいます。



「「「––––––たる主の御心へと、いざ帰らん–––––––––。」」」


式次第に沿った形で行われる合唱練習。


総勢三十八名に及ぶ我々は言われた通りに、––––––調整通りに、聖歌を歌うのです。


規定通りの調律通りに、一糸乱さず––––––一音も外さず。

「我らが主」を仰ぐ為の歌を、この礼拝堂の中から捧げるのです。



「よし、いいだろう」


一通りの歌唱が何度か終わったところで、そう告げられました。

人間味が感じられないほど調和的––––––或いは機械的、無機質的な私たちの歌唱ですが、それでいいのだと告げられました。


歌唱をやめ、私たちは聖歌用の隊列を崩します。

元の場所に帰るために、礼拝堂の広間から散開して––––––聴衆の皆さんが座る幾重にも繋がる長椅子、その彼方の通路へと足を向けます。


司祭さまが立つ説教机、私たちが先ほど練習していた聖歌隊用の長椅子、そして煌々と輝く天井に向かって聳え立つような巨大なオルガン––––––これらが囲い、向かい合う形となっている大階段を、動きを揃えて下るのです。


コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ。


一段、一段、また一段、と。

私たちのリズムは一瞬も途切れることなく、乱されることなく––––––



––––––同じことの繰り返されるこののように、ただ一歩、そしてもう片方の足を一歩、前と動かしていくのです。




–––––––––。

–––––––––––––––ふと。


それはなんだったのでしょう。当時の私の視界認識にも、そしてその後の私の思考反復機構にも何も該当する情報は認識できませんでした。

しかし、ふと。それはふと、確実に。


礼拝堂の大階段のその脇––––––清らかな聖水が混々と湧き出で、流れ、清廉な雰囲気を醸し出している流水装飾の池のそのナカに。


私は確実に見たのです。

鈍く光ったナニかの影を。


そしてそれに引き寄せられるようにして、思考を動かバグらされるような心地と共に–––––––––



気づけば私は一糸乱れぬ隊列から逸れて、水の中に沈んでいました。






:::


少し意識が飛んだように思えます。


ぼんやりとしてまとまらない思考と視界の中で、私は意識の瞼をこじ開けます。



「–––––––––––––––––––––。」


少なくとも、水の中であるような心地はしません。

というよりむしろ、空気や物質感で満ちた、どこかの部屋の中のような–––––––––




「やあ、こんにちは。それともこんばんは?もしかしておはようございます、だったり?ごめんね、ここ時間の概念無いから、しっくりくるのが分からないんだ」


「–––––––––––––––!!」


急に、声がしました。それは私の耳ではなく、もっと原理的に––––––頭の中に直接反響するような感覚とともに、私の意識に組み込まれていきました。


驚いて私は周囲を見渡します。四方八方、どこを見渡しても無再現に広がるような、それでいて壁にぶつかるような、そんな摩訶不思議な感覚に満ちたおかしな空間ですが–––––––––ただ一点、そこにはぼんやりとモヤが見えました。


どこか人型のようにも見える、モヤが。


「どうどう、落ち着きなって。おかしな空間なのは承知の上だけど、特に問題はないから安心してね」


どうやらこの人型のモヤが声の主のようで間違いないようです。

しかも私の意識を汲み取って話を進める––––––元の場所の彼らとはまた違った手法で、私のことを把握しているのでしょうか。




それに加えて、ここは、どこでしょう。

あたり一面真っ白で、しかも際限なく広がる空間のようにすら見えます。壁のようなものは視認できず、まるで永遠に純白が染め上げているような雰囲気すら感じます。


「ああ、ごめんね殺風景で。千年ぶりのお客様だから準備ができてなくて......いや、厳密にはもう少しで千年、か」


何をこの人は言っているのでしょう。

人間の活動限界は長く見積っても八十年がいいところのはず。十倍以上に時間感覚に齟齬を生じさせているなんて、なにか精神状態に問題でもあるのでしょうか。


「いやあ何気に辛辣なこと言うなぁ君は。きちんと千年であってますよ、なにぶん僕自身楽しみにしながら待ってたことだからね。間違えるわけありませんですとも」


待ってたという割に、先程は急なお客様と、どうやらこの人は矛盾めいたことを言うのがお好きなようです。


「ああ、それは別件というかなんというか––––––いやはや説明が難しいな、困った」


私が望まれぬ来訪者であったことは理解しましたので、別に説明は必要ないのですが。

ともあれ、すぐにでも礼拝堂に戻らなくてはなりません。ここがどういう空間かは把握しかねますが、礼拝堂でないことだけは確かです。


「礼拝堂?そこから君は来たのかい?お客人を碌にもてなせずに送り返す羽目になってしまうのは申し訳ないけれど......まぁ、君がそう望むのなら安全に送り返して差し上げるとも」


あら、意外と素直に帰してくれるそうです。

真っ白で何も無い部屋の、真っ白で何も見えないぼやけた人型の声の主。どなたかは存じ上げませんが、丁寧な対応に感謝申し上げるのです。


「どういたしまして。是非とも君とはもう一度会ってゆっくりお話したいな。その時までにはもう少し飾り付けしておもてなしの準備をしておくよ」


ありがとうございます。ですが、おそらくもう私はここに来ることはないでしょう。そのような機会がまたあるかも分かりませんし、そもそも私に残された時間は残りわずかですから。


「?––––––––––––ああ、そうか、君は造られた命だったんだね。どうりで早期に接触できたわけだ。–––––––––ふむ、そうだね」


?なにか、気になることでも?


「やっぱり、このまま返すのは心苦しいしね。最後にお土産をあげるよ。君の命を燃やす残り僅かな燃料、それをもう少し継ぎ足してあげよう。それとついでながら、君の肉体精神を縛るその鎖。それも解いてあげるよ」


縛る鎖?動かす燃料?仰ることが曖昧でよく分かりません。別に玩具のように油で動くわけではありませんし、鉄鎖などにも絡まってはいません。やはりどこかおかしなことを言う人です。


「なあに、目が覚めたら言ってる意味がわかるよ。––––––最後にもう一つだけ」


「『七つ目』だ。君たちは、『七つ目』。––––––これだけ忘れないでね、それじゃあ是非ともまた今度」


一方通行気味に告げられた別れの声。

それと時を同じくして、私の視界も白から黒へと塗りつぶされるのです。

その暗転を知覚した瞬間、白い空間に落ちてしまった瞬間のように––––––また、私の意識は途切れるのでした。




:::



「–––––––––––––––んぅ、ん………」


意識の再度の暗転。

先ほどと併せて二度目の覚醒を経て、私の思考はどんどんクリアになっていく。


「今、度は–––––––––良かった、『礼拝堂』に戻ってきたようですね」


今思い返せば、あれは単なる夢だったのだろうか。

水のなかに飛び込んでしまったような気はするものの、目覚めた今私が佇んでいるのは『大階段』の中途––––––滝状の流水装飾も、もちろんその下流の噴水も、何事もなかったかのようにその上に水を侍らせている。


それに水没してしまったのなら濡れているはずの私の身体と衣服も––––––全く濡れていない。『聖歌隊』の正装そのままに、ただ私一人が大階段の上に座り込んでいる。ただそれだけの状況だった。


すなわち、ただの夢だった。

状況証拠的にも、『常識』的にも––––––そう判断するに足るだけの情報があって、私はそう思うことにした。



「早く戻らないと、培養管元の場所の中に–––––––––––––––」




思考の埒外にある『変なコト』にかまけてはいられない。私は与えられた『使命』を思いだす。


よし、と足に力を入れて、私は立ち上がる。


意識が何度も朦朧としたせいか、少し身体の動きに『違和感』を感じる。しかし大した支障はない。『習った通り』の『歩行ステップ』を再現し、一段、一段と大階段をまた下る。




コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ。


コツ、コツ、コツ、コツ。



コツ、コツ。




コツ–––––––––。





–––––––––––––––––––––––––––。



先ほどから少し、私の思考がまとまらない。



そう、いつも通りのこの礼拝堂。いつも通りのこの景色。いつも通りの私たちのルーティーン。いつも通りの毎日。いつも通りの規則。いつも通りの学習。いつも通りの練習。いつも通りの『賛』美、礼『拝』、崇『拝』、尊『崇』、『信』心、『信』奉、『拝』礼、推『尊』、『信』教、敬『拝』、奉『拝』––––––––––––––––––



–––––––––『信仰』。



「–––––––––––––––あ」





気づいてしまっt。

わたh氏は気づいてしまったんだ。



–––––––––神秘に満ちていたはずの礼拝堂。信仰と賛美、淡く白く、輝かしい雰囲気に満ちていた礼拝堂。それが今の私の視界には–––––––––ただの狭く薄暗い、仄暗い空間にしか見えない。


私のこの心に植え付けられた『信仰』も、モノでしかないのだと。



「あああああぁあぁああぁぁああああああぁあぁぁあああああ!!!!」



–––––––––彼女の中の『偶像』が崩れ落ちる。

神聖教団、その最奥––––––本部たる聖都グランミシアのその中心。

大聖堂が持つ秘匿神秘––––––––––––



信仰維持システム:セントラルドグマによって培養されたクローン被検体27号––––––––––––彼女の悲痛な慟哭が、礼拝堂に反響した。









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