第16話 氷の心に口づけを

 ついこの間も部屋へ行ったはずなのに、なぜか花鈴の部屋へ進む足が重く感じ、自分でも分かるくらい口数が減っていた。

そんな状態で花鈴の部屋に入る。


 「あれっ? 翔斗もしかして、緊張してる?」


 部屋に到着して固くなりながら座っていると、さすがに長年一緒にいるだけあり、花鈴は翔斗の緊張をあっさりと見抜く。


 「ちがっ……ああその通りだ。緊張してる。正直、こんなにも緊張してることに俺が一番驚いてる」


 思わず否定しそうになるが、花鈴相手に今更見えを張る必要もないので正直に話すと、なぜか嬉しそうに花鈴は笑う。


 「何で笑ってるんだ?」

 「ごめんごめん、馬鹿にしたわけじゃないんだ。ただ、嬉しかったから」

 「嬉しい?」


 翔斗が緊張していると花鈴は嬉しいというが、その意味を理解できなかった。

 

 「えっとね、今まで何度も私の部屋に来たことがあるでしょ?」

 「そうだな。子供の頃も何度も遊んだから、数えられないほど来たな」


 小さい時はほぼ毎日遊んでおり、互いの家を行き来していた。


 「これまでは、私の部屋に来ても緊張してなかったでしょ」

 「そうだな。する理由がないからな」

 「二人きりの時でも緊張してなかったよね」


 稀に二人で遊ぶ時もあったが、緊張した覚えはないので頷く。


 「ああ、緊張した記憶はないな」


 なぜ緊張なかったかと問われれば、幼馴染だったからと答えるだろう。

 仲のいい女友達なので、いちいち緊張などしない。


 「そうか」

 「分かった?」

 「ああ、やっとわかった」


 ようやく花鈴の言いたい意味を理解した。


 「恋人になったから緊張してるんだな」

 「そういうこと。今までは幼馴染として見られてたけど、ようやく一人の女性として見られてることが嬉しいんだ」


 幼なじみは距離が近く、仲も良いゆえに恋人とは遠い存在だ。

 幼なじみは勝てないと漫画や小説などで言われることも多い。

 だから、今まで幼なじみだったのに翔斗にドキドキしてもらえるのか不安なのだろう。

 翔斗はその不安を取り除かなければならない。


 「安心しろ。今はちゃんと花鈴のことが大好きだぞ」


 なので、しっかりと愛を言葉にする。


 「うん、ありがと。でもね、不安なんだ。翔斗はかっこいいからさ、他の女の子に言い寄られたらとか考えるとさ」


 そんなことはありえないし、花鈴だけを愛しているのだが、言葉にしても安心してもらえないようだ。

 心とは難しいものだ、ありえないことも僅かでも可能性があったのなら不安に感じてしまう。

 一度、不安に思ってしまえば、それを取り除くのは困難だ。


 「花鈴ちょっとこっち来て」

 「どうしたの?」


 どうすればいいかまだ分からないが、翔斗に出来ることを実行する。

 花鈴を真横に座らせてそのまま抱きしめる。


 「ふふっあったかい」

 「だろ」


 そのまましばらく無言で過ごす。

 互いの体温を共有し、相手の鼓動が感じられた。


 「デートっていうけど、何すればいいか分からないな」

 「そうだね。でも、うん、私翔斗の彼女で幸せだよ」


 少しは不安を軽減させることができたのなら喜ばしいことだが、翔斗は少し欲が出てきた。


 「花鈴はハグだけで満足なのか?」

 「えっ?」


 恋人になって期間は短いが、もっと先に進みたいと翔斗は考えていた。

 それが花鈴の不安を取り除けるとも考えている。

 だから、もう一度はっきりと花鈴へ問う。


 「もっと先に進みたくないか?」

 「それって……」


 翔斗の言葉の意味を理解したのか、急速に花鈴の顔が赤く染まっていく。

 翔斗としては、花鈴さえよければ今すぐにでもしたかった。


 「もっと、ロマンチックな状況を作れればよかったんだが、あいにくと俺は付き合ったことがないからよくわからないんだ。だからその分、言葉で伝えようと思う」

 「うん。私は嬉しいけどいいの?」


 期待するように上目遣いで翔斗を見つめてくる。

 その期待に応えるのが男だ。


 「もちろん。俺は花鈴とキスがしたい」


 キスは恋人以外にはしない行為。

 ハグまでは友達同士でも中にはする人はいるかもしれないが、キスはいない。


 「花鈴はどうだ?」


 あくまで自分がしたいということで、翔斗は花鈴のことが好きだということをアピールしつつ、仲も深まる最高のアイデア。

 などと色々理由を考えているが、結局のところ翔斗がキスをしたいだけだ。


 「翔斗なんか変わったね」

 「そうか? 俺はいつも通りにしているつもりなんだけど」

 「こんなにも気持ちを言葉にすることは今までなかったよ」

 「そうかな……そうだな」


 今までの自分を振り返れば花鈴の言う通り、翔斗は人に相談せずに内にため込め安い性格だ。

 相談したのは、玲奈に恋をしたときだけだ。

 今思えば、振られたことで成長したのかもしれない。

 初恋は言葉にするのが遅かったせいで、チャンスを逃した。

 いつから付き合っていたのかは知らないが、翔斗はもっと早く告白をしていればと後悔した。

 それからだろう、自分の気持ちを素直に言葉にするようになったのは。


 「言葉にしないと相手に気持ちは伝わらない。だから、花鈴には俺の気持ちを百パーセント伝えたいんだ。花鈴もしたいこと、してほしいこと、遠慮せずにどんどん言って欲しい。言ってくれないと俺は分からないからさ」


 互いに遠慮をするような関係はいつか破綻する。

 だから破綻する前に、本音でぶつかり合うことが大切だ。

 それで互いに支え合い、思いあえたら一番だと翔斗は考えている。


 「ありがとう。そうだね、そうだった。私は遠慮しないって決めたんだ。ねぇ翔斗」

 

 先ほどまでの不安そうな表情は消え去り、すっきりとした顔で翔斗を呼ぶ。


 「なんだ?」

 「私もキスがしたい!」


 そして、自分の気持ちを翔斗にぶつける。

 今思えば、付き合ってから花鈴はどこか遠慮しているような気がした。

 ハグや手をつなぐことも全て花鈴からではなく、翔斗から行っていた。

 そんな花鈴が、ようやく自分の気持ちを素直に吐き出してくれた。


 「分かった」


 それならばもう迷う必要はない。

 お互いにしたいことは一致しているのであとは、行動するのみ。


 「じゃあ、するぞ」

 「お願いします」


 抱きしめ合っていたのですでに距離は十分近い。

 だがいざキスをするとなると、唇までの距離がとてつもなく長く感じた。

 徐々に近づいていき、互いの吐息が口に当たるほど近づいた時、花鈴は目を閉じた。

 翔斗の目には花鈴の赤く、健康的な唇しか映らない。

 ついに永遠に続くと思えた距離がゼロになった。


 「んっ」


 互いの唇が重なり合うだけの簡単なキス。

 それだけで今までにないほどの幸せを感じることができた。

 重なっていたのは数秒で、無意識に止めていた呼吸をするために離れる。


 「翔斗……もっと」


 目を開き潤んだ瞳で翔斗を見つめ、もう一度とねだるように名前を呟く花鈴の姿はとても愛おしく思えた。

 その愛おしい彼女の願いを叶えるべく、もう一度顔を近づける。

 今度は数秒ではなく、息が続く限り重ね合う。

 飽きることはなく、今まで空いていた心の距離を縮めるように、花鈴の不安な心を解きほぐすように、何度も、何度も、キスをした。


 「これがキスか……話には聞いていたが、すごいな」


 思わず夢中になり、時間を忘れてキスをしていた。

 正直ここまですごいものとは思ってもいなかった。


 「うん……すごいね。息するの忘れちゃってたよ」


 翔斗だけでなく花鈴も息を止めていたようで、荒く呼吸をしていた。

 花鈴は先ほどと何も変わっていないはずなのに、数分前よりも愛おしく見えた。


 「すごい、幸せだったよ。ありがとう」


 お礼を言う花鈴の表情は、不安など微塵も感じない幸せそうに見えた。

 翔斗のやったことは無駄ではなく、花鈴の不安を取り除けたようだった。

 不安を取り除く方法を色々と考えていたが、今はなぜこんな簡単なことが分からなかったのか不思議に思う。

 ただ花鈴が、不安に思う暇がないほど幸せを与え続ければいいだけだったのだ。

 事実キスをしたことで、悩みなどすっかり忘れてしまっている。


 「俺もすごい幸せだった。キスってデートの最後にするもんだと思ってたけど、最初にしちゃったな」

 「いいんじゃない? 他の人の常識なんて。私たちは私たちの思うようにしていけばいいと思うよ」

 「確かにそうだな。俺から一つお願いをしてもいいか?」

 「いいよ」


 翔斗のお願いは簡単なことだ。


 「今日はゆっくりしてるだけでいいかな?」


 時間が許す限り、この状態を続けたいことだ。


 「いいよ。私も、もっとゆっくりしたい気分」


 デートと言えば、何か行動をしないといけないと思っていたが、別に二人が幸せならばそれでいいと思うようになっていた。

 無理に遊ばなくても、話さなくても、二人が近くにいて、幸せを感じることができたのなら、それで十分と思えた。


 「じゃあ、今日は愛華が帰ってくるまでこうしているか」

 「そうしよっか。でも、もう一回キスしたいな」


 翔斗は返事を言葉ではなく、行動で示す。

 二人は愛華が帰ってくるまで、幸せな時間を満喫したのだった。

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