第2話


「挨拶は『ごきげんよう』同級生を呼ぶときは、名前に<さん>をつける……助けて〜! トメさん〜! 此処は日本でしょう⁉︎」


「ごきげんよう。あかりさん」


「ご、ご、ごきげんよう」


 放課後。周囲には誰もいないことを確認してから、入学案内と共に義姉から渡されたメモをぶつぶつと読みあげていた筈だったのに、気配もなく自分の前に現れた分厚い眼鏡をかけたおさげ髪の少女に、悲鳴をあげなかった自分をあかりは褒めてあげたい。

 少女がニンマリと唇を上げると同時に眼鏡が光った気がするが気のせいだろうか。彼女の黒いまんまるの瞳は、あかりのことが気になると、訴えかけてくる。


「時期はずれの転入生。しかも、いつもは朗らかな表情を絶やさない樹さまのお顔を珍しく真顔にさせた貴女に皆さま、興味津々よ。あかりさん」


「えっと、ごめんなさい。貴女は?」


「あら。私を知らないの」


「え。ええ」


 それは重畳とケラケラ笑われてしまうが、あかりはこんな妖怪がいなかったかと、ついつい、遠い目をしてしまう。


「私は新聞部の柏木清子 きよこ。噂の転入生にお話を聞きにきたの」


「あっ――一度、興味を持ったら対象が嫌がっても、決して、離そうとはしない。スッポンの人だ!」


「誰よ! そんな当たり前のこと! まぁ、桂子 けいこさんあたりでしょうけど」


 ご明察ですとは口にせず、あかりは彼女が樹さまと呼ばれた人物に首を傾げる。


「……樹さま?」


「副生徒会長よ。貴女が転入生だって言うから、わざわざ、教室まで様子を見に来てくれたでしょう? 樹さまが気にかけるのも珍しいんだから」


「ああ。あのキラキラした人かぁ」


『……姫?』と幻でもみるように、自分のことを驚愕した目でみつめた男装の麗人のような少女のことをあかりは思い出す。

 クォーターだという2学年上の先輩は、思わず、自身が口にしてしまった言葉に、困ったように眉根を寄せると、あかりに『何かあればいつでも声をかけて』と優しく告げた。

 彼女のあとに続いて来た何人かの女生徒たちに睨まれて背筋に悪寒が走ったことを思えば、あかりは積極的に声を掛ける勇気は持てない。

 この女の園で青年のような薄茶色の髪を短く切り揃え、ペリドット色の瞳を持つ中性的な容貌をした彼女は、王子様のような扱いを受けているのだろう。


「家同士の付き合いがあるから。気を遣ってくれたんじゃないかな。親から何か言われたとか」


「ふぅん。私は気にしないけど、ファンの子達は怖いから、気をつけた方がいいわよ?」


「ありがとう……あっ、柏木さんの用って」


 彼女はあかりが呟いていた入学案内に視線を落とす。


「清子さん、でしょう?」


「あっ、そうだった。なかなか、覚えられないなぁ」


「まぁ、この学園は特殊だし。紙でみていても、頭に入らないでしょう? 学園を案内してあげるわ。転入生さん」


 席を立ち上がると窓際から、学園の創立者が彼らを敬愛するあまりに建設したというグリム兄弟の像が見える。


「ねぇ、この学園って色々とおかしいよね……?」


 あかりのうねるような声に、清子は否定はしないわと戯けたように告げた。








 環林あかりが桜の時期でもないのに、この学園に転入してきた理由は、義姉の心の安寧の為の一言につきる。

 あかりは自分の両親だという人達を、写真でしかみたことがない。

 自分にとっての家族はトメだけであったが、トメはあかりのことを『お嬢さま』若しくは『あかりさま』と呼び、あかりが彼女を祖母のように扱うことを厭った。

 何故、トメがあかりの召使いのような立場に重んじたかといえば、あかりは桐敷という学園経営や飲食業界など、様々な分野に手を伸ばしている資産家の家の娘らしいのだが、桐敷の祖母が自身の元に占い師を置くほど、縁起というものを気にしていたことに起因する。

 桐敷の家に双子が生まれたとき。屋敷中に母を罵倒する祖母の声が響いたらしい。既に過去の悪習となった双子は縁起が悪い、そんな思いこみから祖母は双子が共に桐敷の家で育つことを赦しはしなかった。

 女学校時代から祖母の専属であった女中のトメにあかりを預け、今後、桐敷の家とこの子どもが一切、関わりあいにならないようにと厳命を下した。

 しかし、歳であるトメが介護施設に入ることになったことから、自分のことをどうするか悩み、未だ桐敷の家で力を持っているだろう大奥様の祖母に、折檻されても、余命いくばくもない身だからと、同僚であった家令宛に手紙を出す。家令なら昔のよしみで、あかりを桐敷の家に戻せなくても、何かしら、いい案を考えてくれると思ったからだ。

 祖母は既に鬼籍に入っていたが、あかりの存在を知らされていなかった兄と義姉が家令の話に驚き、すぐにあかりを桐敷家に引き取る手筈をした。

 両親は祖母が鬼籍に入ったら、あかりを自分達の手元に戻そうと画策していたらしいのだが、祖母が亡くなる前に飛行機事故で亡くなってしまい、情報が途絶えてしまった。

 兄は自分にはもうひとり妹はいたが、既に亡くなったという祖母の話を信じていたらしい。祖母の言葉におかしさを感じたとしても、桐敷家の長男として、祖母から圧力をかけられながら生活してきたようなので、自分のことに精一杯で、傍にはいない妹のことまで気にする余裕なんてなかったのだろう。

 海外を拠点として仕事をする多忙な兄に代わって、兄の結婚相手である義姉の司が環林家まで迎えにきてくれた。


「私の呼び方は、お姉ちゃんね」


 会ったばかりなのに親しげに抱きしめられ、あかりは行き場を失った両手をどうすればいいのか分からない。垂れ目がちの彼女の柔らかな胸に顔を押しつけられたあかりは彼女に会うまで、自分が緊張をしていたことが分かった。女同士とはいえ、胸に顔を埋めているのは恥ずかしい。真っ赤になってしまったあかりに彼女は小首を傾げると、あかりの熟れた顔に気づいたようで、弟と同じ対応をしてしまってごめんなさいとゆっくりと謝ってくれた。

 腕から離され彼女の顔をようやく見ることができると、左目の下の黒子が印象的だった。

 司はずっと妹が欲しかったようで、あかりが来る前に義妹とやりたいことリストを作っていたらしい。

 彼女にデートをしようと買い物に連れて行かれれば着せ替え人形にさせられたり、菓子を作ろうと司が張り切ったのはいいものの、あかりが目を離した隙にオーブンレンジに入れた卵を爆発させ、料理人に叱られそうになったことが、何故か屋敷全員との鬼ごっこに発展したりと、年上の女性とは思えない可愛らしさを感じて、出会ってから時間も経っていないのに、あかりは彼女のことが大好きになった。

 家族なのに『初めまして』になる兄との対面は、パソコンのビデオ通話を使うことになったのだが、会うことを渋って日にちを伸ばそうとしていたあかりの隣に司が肩を並べてくれた。顔をあわせても兄妹という実感がまるで湧かなかったのは、あちらも同じだろう。兄も仏頂面を隠そうとはしない。

 司に兄と似ていると微笑まれても、自分達のどこが似ているのかと、互いに顰め面をしてしまい、『そういうところよ』とさらに笑われてしまった。


「そういえば、彰人 あきひと……さん?」


 なんと呼べばいいかが分からず、兄の名前をおぼつかないまま口にしたあかりに、銀のフレームの眼鏡を上げつつ、彼は憮然とした口調で言い放つ。


『……お兄ちゃん……でいい』


「……兄さん。私の双子のお姉さんってどうしてるの? 家の人みんなに聞いても教えてくれないの」


『俺は高校から海外で過ごしていたんだが、夏季休暇で家に帰ってきたら、祖母から妹は<神隠し>にあったから忘れろと。両親も祖母の顔色を窺うばかりで、何も聞き出せなかった』


「えっ?」


『ごめん。これ以上、俺の口からは言えない』


 兄がそのまま、倒れてしまうのではないか。

 そう思うくらい、顔を蒼白に変えて言い淀んでしまったことで、自分も含めた双子のことは、この家の禁忌になっていることが聞かなくても分かった。気まずくなって通話を切り終えると、空気を変えるように司が胸元で手をあわせる。


「あかりちゃんのね、学校はどうする? こう見えてもお姉ちゃん、お兄さんの代理で理事長をしてるから、あかりちゃんの行きたいところがないなら、候補にいれて欲しいなぁ」


 新しい家で暮らすあかりを気遣いつつ、仕事のことも楽しく話していた彼女に悩みがあるなんて、あかりはちっとも気づけなかった。

 久しぶりにトメに会いたくなったあかりは、忙しい時期なのか昼夜問わず、仕事をしている彼女の携帯に連絡をすると、介護施設へ向かう。


「トメさん〜! 久しぶり!」


「お嬢さま? 何かあったんですか? お家で嫌なことでも」


「ううん。トメさんのお陰で、司さんや桐敷の家の人たちと楽しく暮らしているよ。ただ、久しぶりにトメさんに会いたくなって」


「それはようございました。これで私も心置きなく、お迎えが来ても、安心できます」


「……そんな寂しいこと、言わないでよ」


「もちろん、あかりさまの花嫁姿をみるまでは、お迎えが来ても追い返すつもりでいますが。トメはこう見えても、薙刀の初段の腕前なんですよ?」


 えいやっ! と空振りをするトメに、確かに慣れた気迫を感じる。これなら、長生きをしてくれるかもしれないと嬉しくなりつつも、あかりは花嫁姿という言葉が喉に絡みついた。


「うーん。着るのは、難しいかも」


「あら、どうしてですか?」


 そんな風にトメと楽しく話しをしていると、職員から呼ばれたあかりは自分宛にかかってきた電話を受け取る。


『もしもし、あかりお嬢さまですか?』


「はい、あかりです。何か、あったんですか?」


『落ち着いて聞いてください。司さまがお倒れになりました』


 世界から音が消えたように、家令に何を言われても耳に入ってこない。あかりの後をつけてきたトメが異変に気がついたのか、代わって電話を受けた。


「お久しぶりです、トメです。……、司さまがですか。それで病院は」


 いくつか、家令とトメが問答を繰り返したあと、彼女は力強く、あかりの背を叩いた。


「桐敷の家の者なら、しゃんとなさいませ! あかりさま」


「……私、もう環林じゃいられないの?」


 弱々しく呟いたあかりの頭を、幼子にするように、トメは撫でる。


「畏れ多くも、あかりさまからお婆さまのように扱われることは大奥様の手前、難しいことでしたが、トメはあかりさまを孫のように感じて、日々を過ごしてまいりました」


「うん」


「だからこそ、大切なご家族がお倒れになったと知れば、あかりさまの動揺も分かります。貴方のお兄様は海外から戻るのには時間が掛かるでしょう。今、お義姉さまの傍にいられるのは誰ですか?」


「……わたし」


「はい。なら、あかりさまのすることは?」


「慌てて、事故に遭わないように、司さんの病院に行く」


「それでこそ、トメがお育てしたお嬢さまです。今、職員さんに車を呼んでもらいますから、もう少しだけ、トメに付き合ってくださいな」


「私のおばあちゃんは、トメさんだけだよ」


 あかりの言葉に返事をしないで、トメは皺を深くした。

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毒の苹果で眠りたい @remiremirya

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