毒の苹果で眠りたい
@remiremirya
第1話
誰も使っていない筈の立ち入り禁止の旧校舎。
階段前に置かれている錆びたバリケードを、体を横向きにして跨ぎ廊下を歩いていくと、奥には生徒会室と書かれた腐りかけの木札が掲げられていた。
憧れの先輩の跡をつけてきた由貴 ゆきは、自分たち以外の誰かがいる気配にごくりと喉を鳴らす。
旧校舎には白雪姫がいる。
そんな噂話が学園では囁かれていたが、よくある怪談話のひとつだと由貴は思っていた。引き返すのなら今だ、と頭の中で警報音が鳴るが、どうしても、先輩がこんな場所に来たのかが気になってしまう。
本当はこんなことをしてはいけないと分かっているのに、普段は近づくことが難しい先輩の秘密を、自分だけが知ることが出来るかもしれないという甘美な誘惑が、僅かな罪悪感さえ覆った。
明治初期に創立された学び舎の制服は、紺色のセーラ服に臙脂 えんじ色のネクタイを結ぶ形だ。先輩は普段はセーラ服の下に何かを隠しているのか、ネクタイを外し、首元から長いキーチェーンを取り出すと、慣れた手つきで鍵の掛かった扉を開く。
扉の建て付けが悪いのか、ギィギィと扉は先輩が来た合図のように音を鳴らした。
先輩が部屋に入ったあと、由貴が僅かな隙間から部屋の様子を窺えば、教室というよりも、そこは貴賓室のような場所であった。
海外から輸入されたと想像がつくようなブランド物の家具に、天井にはシャンデリアが吊るされ、輝きを放っている。
アンティークチェアに座っている包帯で顔を覆った少女に、先輩は迷わずに駆け寄っていった。
家で飼っているゴールデン・レトリバーのようだと思わず、由貴は思ったが、少女も同じことを感じたのだろう。不気味な外見にはそぐわない、いつまでも聞いていたくなるような可愛らしい声音で、先輩に吐き捨てた。
「待て、も出来ないのかしら。この駄犬は」
容赦なく、足払いをした少女は足元に転がった先輩の背中を素足で踏みつけてゆく。それでも先輩が恍惚な瞳で少女を眺めることに、気持ち悪そうに舌打ちをした。
「だって、7時間も離れていたんだよ? 本当はずっとずっとずっ〜と一緒にいたいのに。君は私と同じ気持ちじゃないの?」
先輩に足元に縋られた少女は溜息を吐くと、扉に目をやった。由貴は少女と目が合った気がして、口許を思わず、両手で覆うと、その場にしゃがみこんでしまう。
まさか、少女に気づかれていたなんて、由貴は思いもしなかった。
「ねぇ。どうして、私が貴女を駄犬と罵ったのか、分かる?」
「君がそういうプレイが大好きだから……っ、痛い、痛いよ。んっ? 誰か見てる?」
「招かれざるお客さまを連れてきたからよ。あとはそのカラカラと素敵な音が鳴りそうな頭でも分かるわね? 可哀想なアリス。うさぎさんを追いかけてきただけなのに、怖い目に遭わなくちゃいけないなんて。可愛い子なのに」
少女が由貴に視線を向けると、先輩の瞳は険しくなっていく。先輩のそんな凍てつくような瞳をみたのは初めてだ。普段、あまり自己主張をしない由貴が、先輩を取り囲む輪にいても、彼女は平等に由貴達を扱ってくれていた。
先輩は由貴の方へ向かってくると、扉を開いて見下ろすが、そこにいるのは普段の彼女とは別人のようだった。
「わ、私、あ、あの……」
「君は黙ってて。ねぇ、こういう子が好きなの?」
「小動物みたいに貴女と私にビクビクして可愛いじゃない。大型犬を躾けるのにも飽きたから、可愛いネズミさんを飼うのも楽しいかもしれないわ」
「……ふぅん」
自分のことを歯牙にも掛けない先輩に、由貴の瞳が濡れていく。先輩の秘密を知れば、少しでも近づけるかもしれない。そんなささやかな好奇心から跡をつけたことを、今になって由貴は後悔していた。
ふたりの姿に毒を飲み込まされたように動けない。
腰が抜けてしまった由貴に、何を考えたのか、先輩は蠱惑的に唇を上げると、同じ目線の高さに屈み込んだ。恋人にするように柔らかく抱きしめられたことに、由貴は許して貰えたのかと、その背に手を回そうとするが、耳元で囁かれた声に行き場を失くした。
「ごめんね? あの子の綺麗な瞳に写すのは私だけでいいんだ」
叫び声をあげる由貴に、つまらなそうな顔をして少女は窓辺に目をやる。
こんな時期に転入生が来たようだ。出来たての制服なのだろう、まだ服に着られている新たな仔羊の姿に少女は微かに唇を上げた。
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