第14話 夜の帳

もう陽は見えなくなってしまった。


海の向こうに溶け込んで飛沫しぶきも飛ばさず沈んでいった。


もう暫くすれば本格的な冷気が浜辺全体を包み込むだろう。

その寒さの中で眠りにつく訳にも行かない。

俺はインフィニティの中で夜を明かすことに決めた。

ハッチに再び乗り込む刹那、俺は少し頬を赤らめて言った。幸いこの暗さではユリカには悟られなかっただろう。


「あのさ、お前もこっち来る?」


「え?」


「いや、こっちはヒーターが無限に稼働出来るし、そこらで拾ったゼロの有限のエネルギーは貴重に使った方がいいんじゃないかと思って。」


「ええええ!?遂に私にガチ恋!?両想っちゃった!?」


「う、うるせえ!ふざけてんなら1人で寝るかんな!」


「あ、待ってよぉ!!」


ユリカはゼロのコクピットからブルーシートを取り出すとこちらに砂を散らして駆け寄ってきた。

最初にゼロを発見した時に被さっていたものをいつの間にかくすねていたのだろうか。


インフィニティの銀の脚を踏み、付着した砂に足を滑らせたがユリカは寸での所で俺の伸ばした腕に掴まった。

そのままコクピットに力強く引き込むと勢いそのままユリカは俺の上に覆い被さった。

ガタンと頭を背もたれに打ち、シートに着座した俺の腕に、姫を抱えるような形でユリカは抱かれていた。


「あ、あんまくっつくなって。」


「無理言わないでよ〜!」


軍服同士が触れ合っているものの、女性の重さや柔らかさや熱は、それを越して俺の身体に触れていた。

互いに触れる肌の隙間からパラパラと細かい砂粒が降り、インフィニティのシートに薄くまばらな層を作った。

自分のプライベートスペースに年頃の女性や砂や潮が侵入し、俺はこのシートが汚れたと嘆いているのか甘酸っぱい記憶で染められたと紅潮しているのか自分でもその感情が定かではなかった。


俺は腕に抱える姫を取り敢えず自分の横に座らせた。

1人用のシートなのでもちろん2人に充分なスペースはとれず、椅子取りゲームで勝利を互いに主張しあっているかのように俺たちはシートにギチギチと詰められていた。


俺の右半身とユリカの左半身が嫌という程触れる。


ユリカのベタついた黒髪から潮の香りがした。嫌な香りだと感じなかったのは俺もそれほど潮に揉まれてしまっていたからだろうか。


俺は視線に困って何も映っていない側面ディスプレイを見つめたり開かれたハッチの奥の夜空を見上げたが、この熱を感じる右隣だけは決して見ることは出来なかった。


先程は見えなかったが、陽が沈むとあの紺碧の夜空に砂粒の様に星が散らばっているのがわかる。


「見てみろよ」


俺は顎をしゃくった。

視界の端でユリカがこちらを覗いているように感じていたからだ。

その視線が俺の頬や耳をなぞってくすぐっている。


その頬が冷えた。

ユリカも同じくハッチ越しの上空を覗いた様だ。

外された視線から頬は熱とこそばゆさを失っていく。

その時、この頬の熱は俺の紅潮だったと知った。

視線の外れた安堵やそこから二次的に生じる得体の知れぬ悔しさや恥ずかしさは俺をさらに混乱させ、動機を早めた。


この心拍が、触れている腕や腰から伝わらないように願ったが、無理だろうと同時に感じた。


「綺麗だね。」


ユリカは俺の手を握った。

手の甲にそっと添えられる程度だったが、砂のザラつきや潮のベタつきを伴う肌の暖かさが俺の手を包む。


もう先程の頬の紅潮は戻っていた。

毛布替わりにかけられたブルーシートの中で、俺たちの首から下は甘くて熱い空気で満たされていた。


「女の子とこうしたことないんだ。」


「うるせぇ。」


「やったぁ」


「うるせぇ。」


振りほどく事など簡単なはずの手を、振りほどく事が出来ずに手は密着し続けていた。


「ユリカ眠くなってきちゃった。」


心地よい潮風が狭いハッチを通して勢いを増し、二人の髪を撫でている。

それでもこの熱は奪うことは出来ないし、この汗も乾かすことは出来なかった。


「ハッチ閉めて。」


「、、、ああ。」


ボタンを押すとコクピットは徐々にその入口を狭めていき、風は最後のひと吹きとばかりに突風を放って、完全な密室となった。






無音。






先程までの風もさざなみも全て無音ではなかったのだと今になって痛感した。


甘くて熱い空気はブルーシートに留まらず、もうコクピット全体に充満していた。

もうあの風が払ってはくれないのだ。

もうこの心臓のもかき消してはくれないのだ。


頬は相変わらず、こそばゆく紅潮していた。

先程から俺をくすぐるユリカの視線は変わらない。


俺の鎖骨に張った肌にユリカの顎先が触れた。

俺の口元から「あ」と情けなく小さな息が漏れた。


汗で湿った両者の皮膚は音もなく粘膜のように密着し、境が曖昧になっていく。

ユリカはそのまま顎を俺の首筋までねちっこく滑らせ、俺の肩で頬杖をついた。

ユリカの重心は完全に俺にのしかかっていた。


俺はもう何も言えず、完全にされるがままになっていた。


俺の腕に押し付けられた胸骨の奥に彼女の鼓動を感じ、そこには溶炉ほどの高熱が発していて、そこからどろどろに溶かされた愛の紅い蝋が溢れ落ち、垂れた俺の身体をも溶かし貫いて俺の心臓とぐちゃぐちゃに混ざり合う錯覚を覚えた。

留めなく溢れるその紅い蝋は俺の全身を包み、彼女の心拍も速まっているというのに全くフェアに感じることの無い余裕を彼女に感じた。

俺を完全に手玉に取っており、蛇に睨まれた蛙の様に俺は意識が途切れるまでただただ黙っていることしか出来なかった。

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