第7話
エイミーはその日、着慣れない群青色のドレスを着て、ひっつめた髪を解き、眼鏡を外して化粧をした。
理由は、隣国ハンナのルイス王子がイギルの視察に来るから。
その案内をエイミーが任されたのだ。
ルイス王子は今年21歳。
戦の国と呼ばれたハンナでは勇者の王と呼ばれていて、彼は21歳にしてもう5回の戦争経験もあり、指揮官として騎士として優れた才能を持つ美青年だと聞いている。
没交渉の続いていた国との今後の友好関係を築くための、大事な役目だと言われたエイミー。
自分に割り当てられた役割に緊張しながら、今回の事情を知らないエイミーはぶつぶつと自分で考えたこの城の案内プランを反芻しつつ、侍女にされるがままにされていた。
「まあまあ! なんて美しいこと!!」
「本当に! 亡き王妃様そっくりで!!」
侍女達の声に、自分の世界から現実に戻ったエイミー。
侍女は支度の終えたエイミーを褒め称えた。エイミーは鏡の前に立っているが、眼鏡を外しているため、自分の顔がぼんやりとしか見えない。
ただ、綺麗な群青色のドレスだな、くらいにしか。
「あの、眼鏡を掛けても良いですか?」
エイミーがぼんやりシルエットが見える侍女に尋ねるが、金髪の侍女の首がフルフルと横に振れた。
「駄目です。我慢なさってください。歩きなれた城内ですから、大丈夫でしょう」
「えっ……」
たださえ、慣れない仕事を任された上に、視界まで奪われたエイミー。
胸に不安が過ぎる。
エイミーは眼鏡が無いままフラフラと謁見の間まで歩いて行く――。
確かに慣れた王宮内。
何となく分かるけれど、それでもいつもと違ったぼやけた世界は不鮮明で不確かで。
今から出会う見知らぬルイス王子を判別出来るかどうかも怪しい。
とにかく、粗相が無い様にしなければ……!
その時、ドン、と何かとぶつかった。
「あっ! ごめんなさい……!!」
エイミーは即座に謝った。
しかし、それは柱だった。
一人、恥ずかしさが込み上げて、何事も無かった様に再び歩き出すと、また何かにぶつかった。
「あっ! ごめんなさい……!!」
それは、天使の石像だった。
ああ、駄目だわ、こんなんじゃ絶対に案内は失敗だわ。
じわり、と涙が零れた時、
「……一人で何をやっているのですか」
良く知っている声が降って来た。
声に導かれて見上げると、ぼんやりと赤みを帯びた黒髪とすらっとした輪郭が見えた。
「…………リンゼ、ですか?」
リンゼはエイミーを見つめたまま、しばらく黙り込んでいた。
「……は、はい。そうです」
数秒遅れで答えるリンゼ。
今や18歳になったリンゼは、宰相である父親の補佐官として王宮に勤めていた。
落ちこぼれていくエイミーと反して、リンゼは学院では法学科を卒業し、若干17歳にして司法試験も合格した。
同時に政治経済も勉強し、着々とイギルの宰相になるためのステップを上り詰めていた。
二人とも大人に向けて忙しくなっても、週末の夕暮れ時だけ図書館に赴き、語り合う時間を設けていた。
エイミーにとって、リンゼと話す時間は悲しい現実の、唯一の優しい時間だった。
「すみません、今は眼鏡が無くて、リンゼの事も分かりませんでした」
「いえ、そんな事はどうでも良いんですけど……どうしたんですか、その恰好は?」
「あ、はい。ハンナ国のルイス王子がイギル国に視察に来られたので、城内の案内を任されたのです。……変ですか?」
「……貴女は変では無いですけど」
「無いけれど?」
「僕が変になりそうです」
「??」
相変わらず不思議な回答をするリンゼ。
その時、遠くから侍女がエイミーを探す声がした。
「早く行かなくては! では、失礼します!」
と、歩き出したエイミーは三歩歩いた先で、がんっと花瓶の乗ったサイドボードにぶつかった。
ドレスの裾が冷たい。どうやら花瓶が倒れた様だ。
「ああ! どうしましょう! 花瓶はどこに……??」
慌てるエイミーの背後で、はあ、と溜息が聞こえた。
そして、手探りで花瓶を探すエイミーの手を大きな手が包み込んだ。
「花瓶はどうでも良いですよ。今は急いだ方良いと思うので、僕が連れて行ってあげますよ」
と、エイミーの手を自分の肘に乗せてエスコートするリンゼ。
エイミーが転ばない様に、ゆっくりと歩き出す。
そしてリンゼに導かれて、エイミーの名を呼ぶ侍女の所まで連れて行ってくれた。
「エイミー様! どこに行かれていたのですか!! 一本道なのに!!」
待っていた侍女は少しきつい口調でエイミーを叱る。
「侍女殿、姫様に眼鏡を与えてください。これは一人で歩けないレベルですよ」
「え?」
「王子の視察の案内を任された人間がこんなんじゃ、国交に支障が出ますよ? 良いんですか? この姫様のミスが、貴女のミスにも繋がりかねないと思いますが……?」
それを聞いた金髪の侍女は慌てて眼鏡を取りに来た道を駆けて行く。
そして戻って来た眼鏡を掛けて、安堵するエイミー。
「ああ、良かった。ありがとうございます!」
エイミーはリンゼに深々とお辞儀をした。
頭一つ大きくなったリンゼは無表情のまま、
「頑張って」
と言うと颯爽と去って行った。
エイミーは心強い幼馴染みに感謝をし、急いで謁見の間へと入って行った。
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