第一話   倭国

 ザァーザァーという波の音とピカァーと照り突く太陽に五感を刺激され、俺は目を醒ました。寝ぼけ眼で辺りを見渡すと、広大な海と緑豊かな山々が目の前に広がっていた。


「ここはどこだ?」


 見た事のない景色、誰もいない状況。さらに一緒に来たはずのスケサクもいない。今いる場所が異国の地だと、俺はすぐに理解した。


「どうすれば良いんだ……」


 今まで父上と母上、家臣に領民。皆に囲まれてきたから、一人なんて耐えられない。俺は心細さと不安から小舟の上で途方に暮れ、不安から涙が溢れてきた。


「誰もいないのか!」


 感情のままに叫んだが、それはこだまとなって響くだけだった。クソォーと俺は空を見上げた。しかしその時、誰かが倒れているのを見つけた。良かった。人がいる。そう思いながら、希望を抱いて走り出した。


「ス、スケサク。良かった。生きてたんだな!」


 あぁ、これで少しは安心できる。俺はホッと一息ついて何度か肩を叩いて呼びかけた。


「……あっ、ウゥ、ク、クリフ様ですか? ご、ご無事で何よりです」


 しかしスケサクの顔は真っ赤に染まっていた。額に手をやると熱を帯びていた。まさか病気になったのか……。


「ご、ご心配なく……。少し風邪をひいたようです……。クリフ様、ワタクシに構わず行って下され……」


 俺の予感は的中した。どうやら嵐に打たれて風邪を引いたようだ。でもこんな状況でもスケサクは、家臣の立場を貫いていた。


「バカを言うな。そんな事できる訳ないだろ!」


 俺は思わず言ってしまった。自分が辛い時に何で気丈に振る舞うんだよ。お前がいなくなったら一人ぼっちだ。


「誰かいないか?」


 その忠節に報いるべく、俺は何とか平静を保ちながら辺りを見渡した。ジーと何度も目を凝らして人影を見つけようと躍起になった。


「あっ、何だ、あそこは!」


 その時、草木の間に山道を発見した。あそこを通れば、町へ行けるかも……。俺の心に淡い希望が生まれた。気付けばスケサクを背負って山道へ歩いていった。


 たまたま見つけた山道は、足場が整備されていた。明らかに人の手が行き届いていた。俺はスケサクを背負いながら、これなら助けられると確信を持てた。


「キィ、キィ」


 その時、突然、木の上から声が聞こえた。もしかして誰かが仕事をしているのかも……。俺は首を上に向けた。


「何だ、猿か……」


 しかしそこにいたのは数匹のサルだった。期待させやがって……。俺は舌打ちしながら、再び先を急ぐ事にした。ところがサル達は木から降りてきて、キィィと鋭い牙を向け、行く手を阻むように敵意を見せてきた。


「ク、クリフ様。ワタクシを置いて逃げなさい!」


 またしてもスケサクが犠牲になろうとしていた。なに言ってんだ。命懸けで助けてくれた家臣を見殺しになんてできないよ。


「一緒に行くぞ。ちょっと待ってろ!」


 そんな事するぐらいなら死んだ方がマシだ。俺はスケサクを地面に下ろし、サルを撃退すべく戦闘態勢に入った。その直後、最も体格の良いサルが襲いかかってきた。おそらくボスザルだろう。自分の二倍ぐらいの体躯で動きも早い。普通なら不利な戦いだ。


火炎弾レッドバレッド


 でも残念ながら俺はじゃないんだよ。生まれつき『炎』を操れるんだよ。


「ギィィィィ」


 俺はボスザルの腹部に炎の左ストレートをお見舞いした。数メートルは飛んだだろうか。


「すまんな。少し加減を忘れた……」


 でも良かった。子分のサル達は『格の違い』が分かったみたいだ。ボスザルには悪い事をしたけど、これはしょうがないよな。俺は再びスケサクを背負って山道を歩いた。


 山道を越えて数時間後。すでに日も沈み始めようとしている中、ようやくふもとの集落に着いた。すでに足は棒のようになっていたけど、スケサクを助けられるなら安いもんだ。早速、農作業から帰る領民に声をかけよう。


「おい、お前。この辺では見ない顔だな?」


 そこへ都合よく声をかけてくれた人がいた。その人は俺の格好をいぶかしげに見ていた。でも悪い人ではなさそうだ。


「俺はクリフと言います。スケサクが病気なんです。助けて下さい!」


 やっと人に出会えたし、これでスケサクも助かるはず。俺は安堵し、涙が出そうだった。


「まさか山を越えて医者を探しに来たのか?」


 くわを持った男は両手を広げて驚いていた。そんな事を言ってる場合じゃないだよ。スケサクは朝方に比べて顔色も悪くなってる。早く医者を呼んでくれよ。


「少年よ。実に言いにくい事なんだが、この村には医者がおらんのだ。おるとしたら、海を渡った先の都にある神帝しんてい陛下へいか御所ごしょか、薩摩城くらいだ……」


 しかし返事を聞いて俺は耳を疑った。ここに来て医者がいない。どうすれば良いんだ。海を渡って都まで行くって、どれだけかかるんだよ……。いや、待てよ。今、城があるって言ったよな。


「すみません。薩摩城っていうのは、この近くにあるんですか?」


 俺は薩摩城の所在を聞いてみた。もう残す希望は、そこしかない。頼む、近くにあってくれ。


「薩摩城か? それならあそこにあるぞ。ただ……」


 男が指差す方を向くと、西日に照らされる中に黒いシルエットが見えた。


「あの城に医者はいるんですね。分かりました!」


「お、おい。待て。話を最後まで聞かんか!」


 俺は一目散に走り出した。これでスケサクを救える。僅かな希望に賭けて正解だった。何か呼び止める声が聞こえたけど、今は城に行って医者に会う事が優先だ。


「行ってしまったか……。どうなっても知らんぞ……」


 しかし俺は男から大事な話を聞き忘れていた。そしてこれが『倭国』で起こる最初の事件になるとは知る由もないのであった。

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