第27話 物資的な準備が念入りであるほど、心の準備も整う。

「で?」

「……ぐすっ」

「いつまで泣いてんの……」


 とりあえず、改めて次の日に相談することにしなり、その翌日となった。

 緋奈と樹貴は、二人でカフェに座って話をする。


「だから……その、昨日……小野ちゃんがテツを好きだとかいう話で、その……揉めちゃって……」

「なんで?」

「それは……」


 と、そこまで言って口が止まる。困ったことに……言うわけにはいかない。何せ、樹貴より哲二のが頼りになるとか言われて、ついムキになってしまったから。

 つまり、自分が樹貴のことが好きであることがバレてしまうかもしれない。本人に。


「……や、なんか色々あって……」

「いや、それ隠されると何も言えないんだけど」


 だよね、と緋奈は目を逸らすが……でも、言い難いことなのだ。察して欲しい。


「……ま、俺に話すのが無理なら、本人と話したら良いんじゃね」

「そ、それはもっと無理!」

「じゃあ何、本当のことを話したくないし、本人とも会話したくないけどなんとかしてほしい……って事?」

「うぐっ……そ、そう言われるとワガママかもだけど……」

「かもって言うかそうだよ」


 ほ、本当にグサグサと物を言ってくる人だ。事情も知らない癖に……なんて少し不満げに思っている間に、すぐ樹貴は言った。


「事情は知らんけど、本当のことを話したくないのも本人と会話したくないのも自己防衛でしょ。怖い、恥ずかしい、どうせもっと揉める、怒られる、でも何でも、それは自分を守る為に過ぎないから。何とかしたいモンが先にあるなら、それ超えないと何も手に入らないよ」

「っ……ほ、ホントこんな時ばっかりまともな事……!」


 ていうか、平然と考えていることを見透かされるのも困る。この男は本当に何処から何処までも油断ならない奴だ。

 とにかく、道は二つ。会うか、それとも樹貴に話すか……そうなると、会うしかない。


「会うって……どうやって会えば良いの?」

「小野の家は分かってんだから、会おうと思えばいつでも会えるでしょ」

「いや、夏期講習で忙しくしてるのに、邪魔は出来ないじゃん……」

「お前は刑事ドラマを見たことないんか?」

「え……ま、まさか……」

「幸い、労う準備も出来るってもんでしょ」


 つまり……朝から尾行、という事だろう。家からつけて、予備校の場所を把握した上で、夜になったら再び予備校前で待機……そして、すぐに捕まえる。


「……大沢」

「何?」

「あんたも付き合って」

「……え?」


 ちょっと一人で実行する勇気はない。せっかくなので、樹貴に力を借りることにした。


 ×××


 一方、その頃。


『は? 上野と?』

「喧嘩、してしまいました……」


 朱莉は哲二に電話していた。なんていうか、本当に自分はダメな人間だ。


『なンで喧嘩になったンだよ』

「なんでって……」


 言えない。哲二の事が好き、なんて嘘ついた割に哲二を悪く言われてむっと来たなんて口が裂けても言えない。


「ま、まぁその……色々あって……」

『まぁ、あいつ結構、気ィ強ェからな……』


 流石、朱莉よりよっぽど緋奈のことを分かっている。だからこそ哲二に相談しようと思ったわけだが。


『伝えて欲しい事があンなら、俺があいつに言っといてやってもイイが……』


 流石、優しいし頼りになる。確か、家が近いんだとかなんとか。

 今は顔を合わせるのが気まずいし……それにそもそも会う時間がないし……お願いしてしまおう。


「じ、じゃあ……謝っておいてもらえると……」

『や、それはテメェでしとけや。喧嘩の謝罪を俺がしても意味ねェだろ』

「えっ……だ、ダメ?」

『ダメ……つーか意味も無ェだろそりゃ』


 それはそうかもしれない……と、少し肩を落とす。

 でも……それならどうしたら良いのだろうか?


「……じゃあ、どうしよう……」

『謝りたきゃ、謝りゃ良いだろ。その場を用意するくらいしてやる』

「え……ほ、ほんとに?」

『アア。テメェが空いてる日、教えろ』

「う、うん。じゃあ……」


 よし、と慌てて手帳を取り出す。えーっと、夏期講習は今週の日曜日まで。その上で、従兄弟や祖父母に顔を見せに行く機会もあって……。

 後は……と、チェックした結果、出た。


「……9日後かな」

『遠過ぎンだろ……ンなに忙しいのか?』

「うん……まぁね……」


 その後も色々あって、ようやくなのだ。弟の美術の課題とかも手伝わないといけないし、割と忙しくはある。


『……そォかよ。ま、それならこっちからテメェに上野を届けてやる』

「ごめんね、手間かけさせて」

『アア。……けど、会わせるからには、チャンと仲直りしろ。あいつがどうなろォが知ったこっちゃねェが、テメェだけ孤立するような結果にはすンな』

「……うん。ありがとう……」


 ……やはり、優しい。多分、その当日も一緒にいてくれるんだろうな、なんて少し頬が赤くなる。

 何故、喧嘩をするようになったのかは知らないけど、基本的には良い人だ。

 そうだ……頑張らないと。そう決めて、朱莉は握り拳を作った。


 ×××


 そして……金曜日。


「俺、小野に9日後からお前のとこに向かわせるって言っちゃったンだけど!?」

「知るかし。良いから手伝って」

「ふわあぁぁ……ねふい……」

「タツキ、テメェ起きろ!」


 急に呼び出されたと思った哲二は、朝からストーキングの手伝いをさせられることになった。

 現在、小野家の近く。まさか、こんな形で家を知ることになるとは……ていうか、なんでこいつら朱莉の家を知っているのか?


「お前ら、小野の家に行ったりしてたのかよ」

「あー……まぁ、色々あって」

「Zzz……」

「タツキ! テメェマジ起きろ!」

「っさいなもう……なんだよ、母ちゃん……ゴミの日は火曜でしょうが……」

「金曜だしゴミの日でもねェから! てかよく眠れるなお前!」

「てか、後藤。あんた声大きいから。バレるって。特に前、ストーキングしてた時、怒られたんだから勘弁してって……!」

「前もやってたのかよ! なンだお前ら、恋愛に不器用で臆病で執念深ェのか!?」

「ストーカーの解説を詳しくするなし!」

「ごめん、二人とも。コーヒー買ってくるわ。眠過ぎる」

「「お前は平常運転か!」」


 ていうか……三人でいて改めて思うのは、やはりツッコミ役の不在感である。朱莉がいないから、仲裁してくれる人もいないし、その役割を果たすべき樹貴は我が道以外見えていないし。


「……チッ。で、いつまで待つンだよ、ココで」

「出て来るまで」

「具体的な時間は調べてねェのか!?」

「そんなの分かんないし。どこの予備校に行くのかも分かってないんだから」


 マジかよ、果てしねェな、と思わないでもないが、まぁ朝のうちに出てくるのだろうし、今は待機する。

 さて、そんな中、玄関から朱莉が出て来た。


「! き、来た……!」

「後、追うぞ……って、タツキは?」

「あっ……で、電話!」

「アンニャロ……!」


 慌ててスマホに電話をかける。


『ふぁい……』

「おいタツキ! 小野が動いた、早く戻って来い!」

『すみませーん、このファミチキとスパイシーチキンて何が違うんですか?』

「何朝飯買ってンだコラ! イイから戻って来い!」

『あー……スパイシーチキンは少し辛いと……確かにスパイシーって言ってますしね』

「聞いてンのか!?」

『ちょうど良かった、お前らはどっちが良い? 朝飯』

「気持ちだけもらっとくわ! 早く戻って来やがれボケ!」

『分かった。……すみません、じゃあスパイシーチキン三つ』

「しっかり買ってンじゃねェよ! てかなンでそっちだ!?」

『さっきから辛口だから』

「上手くねェンだよ!」


 ていうか、眠気に負けているからだろうか? 憎たらしさが普段の倍である。


「とにかくさっさと戻って来い! 良いな!?」

『了解。あ、コーヒー買うの忘れた』

「了解してねェだろうがそれは!」


 ダメだ、とにかく自分達だけで後を追うしかない。……というか、こいつ使えなさすぎ……と、いや自分達の分のチキンを買ってくれているし、置いていくわけにもいかないが……。


「おい、上野。どうす……」


 もういなかった。後から「場所はメッセージ送る」とだけ来ていた。どいつもこいつもやっぱムカつく……と、ため息が漏れた。


 ×××


 西進衛生予備校という、少し前までたくさんCMで流されていた予備校。そこの前で、三人は待機していた。

 予備校の向かい側にあるマックロナルドにて、予備校が見える席を取って、ひとまず飲み物だけ注文し、宿題を終わらせにきた体で机の上に宿題を置いたまま眺める。

 あくまでそういう体で来た……つもりの話だったのに。


「そこの動詞、進行形にして。これ前にも注意したよ」

「うぐっ……あ、そ、そっか……」

「なんで進行形になるの?」

「え? えっと……あ、あれ! 不定詞じゃなくて……動名詞? だっけ?」

「そうそれ。分かってるなら良いよ。続けて」

「は、はい!」


 どの道、夏期講習が終わるのは夜。昼までの可能性も考慮して予備校前を見える席を陣取っているが、やはり基本的には勉強させられていた。


「まだ夏休み始まって一週間ちょいなのに、なんでそんなに忘れちゃうの?」

「わ、忘れちゃうものは仕方ないじゃん……!」

「じゃあ忘れない努力をしようよ。毎日コツコツ少しずつ宿題するだけで忘れなくなるよ。宿題なんて学力をつけるためじゃなくて忘れないためにやるものだから」

「は、はい……」


 そんな説教を聞きながら、隣の哲二が口を挟んだ。


「……お前ら、見た目はタツキの方が二つくらい下に見えるけど、会話の中身は上野が四つくらい下に聞こえンな……」

「ど、どういう意味だし!?」

「いや自覚しろよ……同い年に説教されてる時点で」

「ね。正論かまされて『自分はなんて子供だったんだ……』って思わないのかな」

「るっさいっつーの!」


 緋奈に怒鳴られても、二人はどこ吹く風。ふと哲二が時計を見ると、時刻は12時半。お腹が空いてきた。


「飯にしねェ?」

「良いね!」

「いや、このページまで終わらせる。上野、気合い入れて」

「えー!? お腹すいたー!」

「俺もだよ。だから早くして」

「うー……し、仕方ない……」


 スゲェな、と少し哲二は感心する。自分も巻き込むことで誠意を見せると共に、作業の手を急かす手法……緋奈には効果抜群だ。

 二人がそのまましばらく宿題の手を進め始めたので、哲二は窓の外から監視を続ける。

 ……さて、その10分後くらい、ようやく緋奈が両手と大声を上げた。


「終わっっったあああああああ!!」

「開放感と達成感たっぷりな所、申し訳ありませんが、ここがお昼時の店内であることをお知らせします」

「ーっ、は、腹立つ言い方!」


 樹貴にお知らせされ、思わず顔が赤くなる。本当に良い性格をした男である。

 その男は、少し愉快そうにさえ見える表情のまま立ち上がり、財布をポケットから取り出す。


「じゃあ、昼にしよっか」

「俺も腹減ったわ」

「あ、ま、まって!」


 二人で立ち上がられてしまったので、慌てて緋奈は止めた。


「アタシが払うよ、二人の分」

「え、なんで?」

「俺の分もかよ。何企ンでやがる」

「企んでないし! ……ただ、その……アタシの都合で付き合わせちゃってるから……昼代くらい出させて」


 良くも悪くも男女平等主義者の樹貴には筋を通したいし、哲二には借りを作りたくない。

 言われた男子二人は顔を見合わせると、平然とした顔で返してきた。


「いや、そんな気ィ使うな、気持ち悪ィ」

「じゃ、よろしく」


 なんで同じ顔して真逆の返事が来るのかわからなかった。

 遠慮しようとした樹貴が、意外そうな顔で哲二を見る。


「よろしくすンのかよ」

「いやするよ。俺今お金ないし」

「男が女に?」

「あんま関係なくない? 俺女よりフィジカル弱いけど頭良いし」

「なんでアタシに憎まれ口叩かないと気が済まないの!」


 樹貴に両手を伸ばし、グリグリとコメカミを締め上げる。


「痛いってば。良いの? 泣くよ俺。マジで痛いの苦手なんだから」

「知るかー! 良いから奢られろー!」

「ごねてんの俺じゃないし」

「後藤ー! 良いのか? 大沢泣かしちゃうぞー!」

「いや好きにしろよ。じゃあ俺、先に買って来ンぞ」

「ダメー!」


 この男ども、本当にムカつく。そもそも、少なくとも緋奈は奢る奢らないに男女はあまり意識しない。いや、少し前はしていたかもしれないが、最近はそういうのも考えなくなった。

 すると、樹貴も奢られる説得側に回ってくれたのか、哲二に問い掛ける。


「まぁ、ここは奢ってもらってやる事で貸しを作れると思ってさ」

「なるほど」

「なるほどじゃねーし! なんで奢った上で貸しまで作ってんの!?」


 ダメだ、説得に特化してさっさと済まそうとしている。こういうとこ、ほんとに素直過ぎて性格が悪い。


「ていうか、今の現状が貸しを作っちゃってるんだから、黙って奢られてれば良いの、あんたらは!」

「スゲェ言い方」

「ね。何、黙って奢られてれば良いって」

「悪かったです!」


 と、結局、こっちがごねることになりながらも、とりあえず緋奈の奢りになった。

 さて、でも一人で三人分の注文を運ぶのは大変なので、樹貴が手伝うことになって、一階のレジに降りる。

 もうお昼時だからというのと、店の席は二〜三階のみで一階はレジしかないこともあり、列は外にはみ出ていた。


「何食べる?」

「ポテトだけで良いよ」

「不健康! もしかして遠慮してんの?」

「いや、俺あんま食べないから」

「だからそんなひ弱な体になるんでしょ!? ちゃんとご飯くらい食べろし!」

「じゃあナゲット追加で」

「大差ないから! ハンバーガーくらい食べろし!」

「別にあれ健康に良いわけじゃないよ。3色、申し訳程度に揃ってるだけだし」


 開いた方が塞がらない……と、奥歯を噛み締めたくなるのは、もう何度目か。


「アタシが決めるから! どうせアタシのお金だし……良いね!?」

「いや、まぁ良いけど……」


 なんて話している直後だった。何かに気がついたように、樹貴が「あっ」と声を漏らす。

 何? と視線で問いたが、返事はない。代わりに「あー、あー……」と、喉を押さえて何かを調節した直後、樹貴は……自分の腕にしがみついた。


「姉ちゃーん、侍マック食べたい!」

「ひゃうっ!?」


 な、なななっ……何が起こった……!? と、秒でパニックになった。いや、可愛いけども……キャラとの差で、ギャップ萌えの大嵐……!


「っ! にゃっ……にゃにして……!」

「……小野が出て来た。飯、ここで済ますらしい」

「え……あ、そ、そうなの……?」

「俺とお前はストーキング二回目だし、喧嘩中のお前はまずい。しばらく、このままやり過ごそう」

「は、はひ……!」


 いや……なんにしてもお前……人の心とかないんか? と聞きたくなる。女の子の腕だけとはいえ抱きつくなんて……この子に男の子としての羞恥心はないのか。ていうか、なんか柔らかくて良い匂いする。

 ……これは、チャンスだ。いつも精神的に歳上をやられているからこそ、今日ばっかりはその逆をいける。


「も〜、しょーがないなーたっちゃんはー」

「姉ちゃんは何食べるの?」


 ナチュラルな姉ちゃん呼び……妹の真似をしているのだろうか? しかし……弟も妹もいたことがない自分には、どう接したら良いのか……。

 と、とりあえず……こんな感じだろうか?


「よちよち〜、じゃあたっちゃんが選んだやつにしちゃおっかな〜?」

「……じゃあバニラシェイク1200杯」

「ふざけんなし! このクソ愚弟!?」

「いやそっちが愚姉でしょ。なんで赤ちゃん言葉になってんの? なめてんの?」

「だ、だって……分かんないし、弟への接し方とか……!」


 すると、樹貴は顎に手を当てて悩む。


「いつも通りで良いよ、そっちは。呼び方だけ気を付けてくれれば」

「えっ……た、たっちゃん呼びダメ?」

「いやいや、逆逆。そこは良いよ。背中はとっても痒くなるけど。苗字で呼ぶ方がおかしいでしょ」

「あ……そ、そっか……」


 話しながら、自分達の三つくらい後ろに並んでいる朱莉を見る。外に出ている時間帯でも、英単語帳を持って出てきていた。

 当たり前だけど……その表情は全然、楽しそうじゃない。


「……」


 というか……憂鬱そうだ。寂しそうだし、つまらなさそうだし、悪い方の義務感でやっているように見える。


「……気になんの?」

「まぁ……あんまり楽しくなさそう……」

「そりゃつまらんでしょ。小野、別に勉強好きじゃなだろうし。しかも、最近は姉ちゃんと喧嘩したし、もう夏休みの楽しみなんて無いに等しいから」

「うっ……」


 そっか……と、少し反省。友達はこういう時、もしかしたら相手にとって心強いものなのかもしれない。今まで友達がいなかったことがない緋奈には気付かなかった。


「……絶対、仲直りしないと……」

「そうね。親は選べないんだから、友達が助けてあげないと」

「なんで友達いないあんたがそこまで達観してるの」

「そりゃ、友達が出来る前より出来た後の方が楽しいって思ってるから」

「ひょっ……」


 この子……やはり素直だ。そういう素直さと生意気のギャップから出て来てきる可愛さが困る。

 ……そして、そういう言葉にする大切さを教えてくれるあたりが、本当に好きだ。

 さて、とりあえずお昼ご飯を購入した。


 ×××


 はぁ、と朱莉はため息を漏らす。予備校の窓の外では、やたらと明るい光。近くでやっているお祭りの灯りだ。

 羨ましいな、と強く思う。自分は正直、勉強が出来ない。運動も苦手ではないが得意ではない。

 早い話が、どちらも中途半端なのだが、母親はそれを許さない。勉強はやれば誰でも出来るようになる、と言うのが母親の持論だ。

 しかし、朱莉は思う。やれば誰でも出来るようになるのなら、文理選択なんてものはない。勉強に向き不向きがないことになるのだから。


「……良いなぁ」


 今頃、緋奈達は三人でお祭りだろうか? いつか遊べる日は必ず来るから、その日に約束したかった。楽しみがあれば頑張れるから。

 でも……出来なくなってしまったものは仕方ない。去年のように、まだぼんやりとここでペンを動かせば良いのだから。

 自分以外はみんな三年生の予備校内で、何となくペンを動かす……あ、授業終わった。

 これが今日最後のだし、帰ることにした。


「……ふぅ」


 この予備校は衛星予備校というだけあって、塾講師の授業の動画を見て学ぶ。その間、スマホは先生に預けなければならない。

 パソコン室を出て、それを受け取りに行った。


「すみません、講義終わりました」

「お疲れ様でした」

「いえ……では、失礼します……」

「……大丈夫?」

「大丈夫ですよ。良い大学に行くためですから」

「……そっか。無理しないでね」

「はい……ありがとうございます」


 軽く会釈しながら、靴を履き替えた。

 心配されているが、予備校の先生は教師ではない。お金をもらっておきながら「無理して頑張ることないよ」なんて言えるはずがない。勉強に関してなら尚更だ。

 まぁ、でもあと二日だ。とりあえず、我慢して頑張ろう……と、思って予備校を出た時だった。


「ヨークシャーテリア」

「アトモスフィア」

「ま、また『あ』!? あ、あー……アトランティス!」

「それさっき言った」

「はい、上野負け〜」

「ず、狡いからあんたら!」


 ……マックの前で、相変わらず気が抜けるようなやりとりが聞こえた。顔を向けると、そこにいたのは緋奈、樹貴、そして哲二の三人。……何しているのだろう、こんな所で?

 少し見過ぎていたのか、バレてしまった。


「上野、来たぞ」

「え? ……あ」


 緋奈がこちらに顔を向けた……と、思ったら、樹貴の背中に隠れてしまう。そんな小さい背中によく隠れられるな、と思っても口にしなかった。


「何してんの? なんでライオンが猫の背中に隠れてんの?」

「誰がライオンだし!」

「いや、ホント何してンだオマエ。いいからさっさと謝れや」

「るっさいから! ……いや、いざその時が来ると緊張が……」

「嘘つかないでよ」

「な。カタカナ縛りのしりとりやっててな」

「あんたらが提案したんでしょうが!」


 これ……自分はどうしたら良いのだろうか? 帰って良いのかな? と、半眼になる。

 それを察してが、哲二が口を挟んだ。


「あー、小野。ちょっとイイか?」

「……なんでいるの?」

「コイツが、オマエに話あンだとよ。ぶっちゃけ、朝から待ってた」

「えっ」

「っ……ち、ちょっと後藤……!」

「タツキ、そいつ抑えろ」

「了解」


 その直後、樹貴は緋奈の首筋を爪の先端で突っつき、ヘッドロックされた。身を張った時間稼ぎである。


「だから、疲れてるとこ悪ィが、話聞いてやってくれや」

「……うん」


 仲直りできる機会が来るなら助かる。確かに、この後予定はない。……というか、冷静に考えてみれば、この時間からでよかったら、会おうと思えば会えたのかもしれない。

 哲二に「9日後」と言ったのだって、なるべくなら会いたくない、という逃げの表れだったのかもしれない。

 そういう意味では、会わせてくれた哲二と樹貴には感謝だ。


「……タツキ、行くぞ」

「え?」

「なンで喧嘩になったのか知らねェけど、俺らはいない方がイイだろ」

「あー……そうかもね。じゃあ上野、頑張ってね」

「ヘッドロックされながら普通に会話すんなし!」

「いや離してやれや、オマエが」


 なんて話してから、男子組はひとまず離れる。残されてのは、緋奈と朱莉の二人。

 いつもの強気な態度とは裏腹に、モジモジした様子の緋奈が自分の方に歩み寄ってくる。

 なんの件だか分かっている……だからこそ、自分から謝らなければ。そう思って、勇気を決した。


「お……小野ちゃん……ちょっと、良い?」

「ごめんなさい、緋奈さん!」

「え……だ、ダメ?」

「っ……だ、ダメ、ですか……?」

「え? いや、今時間取れない?」

「? あ、いや話す時間は取れるけど……」

「じゃあ何でごめんって言ったん?」

「え? いや元々、謝らないとって前から思ってたから……え? そっちのダメこそ何?」

「いや、時間取るのダメなのかなって……ごめんっていうから」

「あ、いやそのごめんはそっちのごめんじゃ……」

「……」

「……」


 なんか……とってもグダグダしてきてしまった。どうしよう、男子達にいて欲しかったかも……なんて思っていると、緋奈が改まった様子で声をかけてくる。


「とりあえず……落ち着こっか。お互いに」

「そ、そうだね……」

「どこか座れる場所……公園かなんか、行かない?」

「う、うん……」


 揃って公園に移動することにした。


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