第9話 宗教用語は割と参考になる。

 朱莉の嫌な予感は的中し、翌日もやはり緋奈が勉強会に来ることはない。図書室に着いた直後、連絡があった。

 その場にいるのは朱莉だけ。樹貴も来なくなったのだろうか? なんて思ったのも一瞬で、すぐに遅れて入ってきた。


「あ、大沢。上野さん、今日も来れないって」

「あっそ」

「……それだけ?」

「分かってたからね」

「……え、じゃあなんで来たの?」

「やることやってくから」

「はぁ?」


 なんだろう、やることって……と、少し小首を傾げるが……自分も勉強したい。今日も帰ってしまおうかな……と思ったのだが……。


「……」


 樹貴が席に座って何かし始めたのが気になった。……勉強だとは思うけれど、なんとなく見てみたくなった。


「何書いてんのー?」

「教科書」

「は?」


 そう言う通り、樹貴はノートにスラスラと教科書内の今回の試験範囲であるページと、自分のノートを開き、それをどう使うかを丁寧にイラストまでつけて解説していた。


「いやほんとに教科書なの!?」

「え、何を疑ってたの?」

「いや普通教科書作れると思わないから!」

「いや俺も最初から作ってるわけじゃないよ。昨日のうちに中野先生に色々聞いて作った」

「本気過ぎて怖いってば! ……え、昨日残って勉強してたんじゃないの?」

「そうだよ?」

「え、ドユコト?」


 教科書作ってたのに……勉強? と、少しよく分からなくて眉間にシワが寄る。


「お前さ、俺がただあいつのためだけに勉強を教えるために時間使ってたと思ってんの?」

「え?」

「物を教えるってのは、自分にとっては復習になるの。勿論、授業をちゃんと聞いてたことが前提での話だけど。そうじゃないと他人に物を教えることなんて出来ないでしょ?」

「そ……それはまぁ?」

「その教えることを文字に起こして形にするんだから、これが復習にならないはずがないでしょ」


 要するに、ここまで一生懸命教えていたのは緋奈のためだけでなく、自分のためでもあったわけだ。

 緋奈が来なくなれば、別の方法で自分と緋奈、両方の成績が上がるように工夫する……その行動力、見習いたいまであるが……。


「でも、間に合うの?」

「今日の放課後使い切れば多分、終わる」

「いやそうじゃなくて。あんた自身の勉強」

「……俺に気を回すより、自分に気を回したら? ……あ、言い忘れてたけど、多分もう上野は来ないから、小野が担当してた分はもう忘れて良いよ」


 そ、それはまぁ諦めるしかないかもだけど……でも、確か責任が取る取らないで変な賭けのようなことをしていたはずだ。


「え、どうすんの? だって50点超えなかったら……」

「教科書作るだけ。土日までには間に合わせるし、あいつ次第だけど理系科目は今回、後半に回されて1番早いのが水曜の数Bだからなんとかなるでしょ」

「……」


 それはそうかもだけど……でも経験上、数学は質より量の方が身を結ぶ科目だ。早いに越したことないのは分かるが、一人でやるのは大変なような気がする。

 そう思った直後、自分の身体は自然と樹貴の隣の席に腰を下ろしていた。


「何してんの?」

「アタシも、あの子の成績のために責任を取るだけ」

「何か折んの? 腕とか?」

「なんで私にだけバイオレンスな真似をさせるのよ! ていうか2科目で終わっちゃうしそれ!?」

「じゃあ指」

「10科目ぴったりで良かったね……なんて言うとでも思ったわけ?」


 そっちの責任ではない。正直、他人のために物を犠牲にするのはバカらしいので嫌だが、そんな事ではなくて。


「アタシも上野さんに勉強教えてたし、教える所は最後まで付き合う」

「……上野を誘拐してきてくれんの?」

「なんでそっち!? あんたの発想、なんでさっきからそんな猟奇的……!」


 と、そこでハッとする。なんか普段よりも毒が多い……もしかして。


「2日もバックれられてイライラしてる?」

「……いいから、手伝ってくれるなら手を動かして。英語は今からじゃ俺一人でやったほうが早いから、お前は別の科目。先生に情報収集するのも忘れないでよ。……てか、せっかくなら試験問題とか盗んできてくれても良いから」

「良くないでしょ! 退学になるわ!」

「俺はならないから」

「なっ……き、貴様!?」


 話しながら、朱莉は折角座ったのに立ち上がり、情報を集めに行った。


 ×××


 翌朝、緋奈の目覚めはあまり良いものではなかった。昨日も一昨日も楽しかったし、久しぶりに遊ぶと疲れは取れる。

 ……だが、その反面で、どうしてもすっきりしない感覚が、実は薄い胸の中に残っていた。

 一日目のドタキャンは「久々に遊んだし楽しかった」と思えてまだ良かったが、二日目はどうもそんな感じがしない。スッキリしなかった。


「……はぁ」


 いつもの朝のルーティンをしている時も、なんかあまりスッキリしない。

 勉強をサボる、なんて去年は平気でやってきた事なのに、やたらと罪悪感が芽生えてしまっていた。


「面倒臭いな……」


 一々、悩んでしまうのは本当に面倒極まりない。元々、友達同士だけでも楽しかったのに、欲をかいて成績まで欲しようとした自分が悪……いや、サマーフェスのためだし、別に良い成績欲しいとかは考えていなかったが。

 支度を終えてから家を出た。モヤモヤしたままのんびりと外を歩き、登校。

 電車に乗って揺られつつ、生物の問題集を取り出す。答えの所を赤字で書いてあるから、朱莉にもらった赤いシートをかざして眺める。


「……」


 変な癖ついちゃったな……なんて鼻息を漏らしつつも、勉強をやめることはなかった。

 学校の最寄駅に到着した。それに伴い、問題集を鞄に入れる。

 電車から降りて改札口を降りたところで、もはや暗黙の了解となりつつある待ち合わせ場所で待機。その時間も有効に使おうと思い、ポケットの中の英単語帳を手に取って眺める。


「ヒナ〜、おいっす〜」


 しばらくしていると、声を掛けられた。手に持っていた英単語帳を左ポケットにしまい、挨拶する。


「あ、裕子。はよーっす」

「待った〜?」

「いや、7分前くらい」

「じゃ、行こう〜」

「? 皐月とスズは?」

「日直と寝坊だって〜」

「りょかい」


 いつもいるもう二人はいないようだ。

 さて、改めて登校し始める。駅から出て学校に向かっていると、裕子が聞いてきた。


「そういえばヒナ〜、さっき何見てたの〜?」

「英単語帳。試験近いしー」

「え、まだ勉強してたんだ〜?」

「るっさいなー。今年こそ補習になりたくねーししょうがないっしょ」

「どうせ無理でしょそんなの〜」


 その一言に、思わず一瞬、足が止まりそうになった。

 どうせ無理、という言葉に、何故かやたらと引っ掛かってしまった。


「……なんで?」

「去年、夏休みも冬休みも春休みもコンプリートで補習だった人が何しても無駄だって〜」


 過去の事実が、やたらと胸に刺さる。聞きたくなくて耳を塞ぎたくなるが、友達の話を聞かなかったら友達でいられなくなるかも、というセーブが働いた。


「ま、それはウチらも同じだけどさ〜。やっぱ、人には向き不向きってもんがあるじゃん〜? ウチらみたいな人種は、勉強とか向いてないんだって〜。才能がないからさ〜」


 向き不向き……人種……才能……そんな都合の良い言葉が耳に残り、いよいよ足を止めてしまった。

 すると、先週から頑張って放課後の図書室に残ってしていた勉強も、土日を潰して洋服代を払ってまでした勉強も……全部無駄だったのかも……。

 肩の荷が、やたらと降りたような感覚と胸に鋭利な槍が突き刺さる感じが同時に襲い掛かってきた。

 グラグラグラ、と足下が揺れる。地面が左右に割れ、今にも崩れそうな足元分の地上だけが残る……が、どちらかに飛び移らないと、このまま取り残されるような感覚に陥った。

 右で手を振っているのは、裕子達いつものメンツ。そして左で手も振らずに椅子に座って待機しているのは、樹貴と朱莉。

 どちらかに移らないといけない、そんな、気がした。


「? ヒナ〜?」


 声を掛けられ、ハッとして意識が戻った。足を止めていたからか、右斜め前に進んでいた裕子が声を掛けてくる。


「どうかした?」

「な、なんでもない……」

「もしかして、何か気に触ること言っちゃった〜?」


 そう言う割に、全く悪びれる様子がない顔だった……が、彼女を不愉快にさせると面倒かもしれない。

 そう思ったので、自分もにへらっと笑みを浮かべた。


「そんなことないし。……てか、だよねー? アタシらみたいなのが勉強したって無駄だよねー?」


 右の崖に飛び乗った。その答えは正しかったようで、裕子は嬉しそうな笑みを浮かべた。


「そうそう〜。だから、試験期間とか関係ないからさ〜。遊びに行こ〜?」

「どこいく? カラオケとか?」

「良いかも〜。ヒナとカラオケとか超久しぶりかも〜」


 楽な道を選んでしまった。

 いつもの気が抜けるような話をしつつ、学校に到着した。

 もう勉強しなくて良くなったのかも……なんて、扉を開けるとそこには何もなくただただ、だだっ広い空間でした、のような解放感と一緒に伸びをしながら下駄箱を開けた時だ。


「は?」

「どうしたの……えっ?」


 白の便箋と……ハートのシール……如何にもベタなラブレターが入っていた。

 中を開けて読むと、そこにはこう記されていた。


『2-D 上野緋奈さんへ。

 本日放課後、16時30分に校舎裏にてお伝えしたい事があります。時間が空いていたらで構いません。来て下さい。』


 え……ら、ラブレター……? と、思わず半眼になる。こいつ、自分が男嫌いなの知らないのだろうか? と不愉快にさえなった……のだが、この手紙の字、どこかで見たような……。

 ……だが、隣の少女はそうもいかない。


「きゃ〜!? ら、ラブレター!?」

「声大きいから……」

「行って来なよ〜! いよいよ緋奈にも春が来たのかもよ〜?」

「ええ……いらないし……」

「いらないならフレば良くない〜? 勇気出してくれたのに行かないのは可哀想だよ〜」

「……カラオケは?」

「そんなの後で良いから〜」


 ……わかりやすい奴である。ネタにする気満々の癖に……。

 まぁでも、こういうのはありがたい。ここでやって来た男に、ビシッと「男嫌いだから」と言い放つ事が出来れば、自分に今後、色目を使ってくる男子も減るかもしれない。


「分かった……行くから」


 それだけ話して、とりあえずラブレターは筆跡鑑定をするために、ポケットにしまっておいた。


 ×××


 放課後、16時35分。野次馬根性は通常の人間の三倍の友達三人が後ろに控えている。来るなって言ったのにバレバレだ。

 ……さて、5分遅刻の現在、待機している場所に現れたその男を見て、思わず大声が出た。


「あんたかよ!」

「俺だよ?」


 大沢樹貴がそこに立っていて、大きな声が漏れた。道理で見たことある字だと思った。


「なんでラブレター!? あんたの場合、絶対ラブレターじゃない奴っしょあれ!」

「馬鹿野郎、どこにもラブレターなんて書いてないでしょ」

「ラブレターにラブレターなんて書いてあるかああああ! てか、便箋のハートのシールは何!?」

「あれハートじゃないよ。桃のシールの草の部分を切り取ってひっくり返して貼った」

「加工してる時点で悪意の塊じゃん!」

「悪意なんてとんでもない。ラブレター風にしただけだから」

「それを悪意と言わずしてなんと言うつもりだし!?」

「偽装」

「それこそ悪意の代名詞!」


 ノンストップで怒鳴り続け、思わず肩で息をする。後ろで見ている三人も堪えているような笑い声が耳まで届く。コントじゃないから笑わないで欲しい。ムカつくから。


「ままま、そう怒らんといてよ。話があるのは本当だから」

「何。勉強の件? 悪いけどもう行かないから。グッズ、折りたきゃ折れば? そしたら先生に言うけど」


 万が一、文句を言われた時のために考えておいた殺し文句だ。実際、教師でもなければ友達でもない奴が、いくら教えるから、とか時間を使っているから、と言っても、物を壊して良い理由にはならない。

 つまり、先生に密告すれば怒られ、最悪退学になるのは樹貴の方である。

 言われた樹貴は、真顔のまま返事をした。


「ごめん、嘘だった。言いたい事じゃなくて、渡したいものがあるだけだった」

「人の話を聞いてなんでそのレスポンスが返ってくるわけ!?」

「いや、まぁ来なくても良いように用意したものだし」

「……は?」


 何言ってんの? と、眉間に皺を寄せたのも束の間、樹貴が鞄から取り出したのは、一冊のノートだった。表紙に「英語」と書かれていて、それを手渡してくる。


「ほれ」

「……な、何?」

「英語の勉強用ノート」


 ちょっと何言ってるかわからない。勉強用って……樹貴が授業中に使っているノートだろうか?

 ひとまず気になったので受け取る。ページの摘みに「be動詞」だの「助動詞」だのと付箋が貼ってある。

 開いてみると、そこに書かれていたのは……ほとんど英語の教科書だった。基礎の文法から始まり、代名詞とbe動詞、助動詞、形容詞などがあり、教科書の内容との関連性と繋げて解説されている。

 それが、丸々ノート一冊分……いや、最後一枚分余っているが、ほぼ一冊分と言えるだろう。

 わざわざページ番号まで振られてあったり「覚えたと思ったら問題集の何ページを解いて確認」とか書いてあったり、ある意味教科書より使えそうなものだ。


「え……」

「それ完璧にすれば……まぁ70点は固いと思うけど、友達と遊びながらじゃ完璧なんて難しいから。あとは頑張って」


 そう言いながら、くあっと欠伸を浮かべる。……よく見たら、あの可愛い顔の目の下にクマが出来ていた。

 自分がこの二日間、遊んではしゃいでいた間……これを作っていたのだろうか? ずっと……。


「……あ、小野も自分の担当科目の教科書作ってるから、受け取ってちゃんと勉強してあげてね」


 その一言が限界だった。面倒を見てもらっている立場で、遊んでいた……それも予定外のドタキャンをかまして、という罪悪感が胸を締め付けると同時に、他二人は二日も来なかった自分をまだ教えるつもりでいてくれた、という事実に、思わず八つ当たりに近い発達を起こした。


「こんなの誰も頼んでないし!」


 怒鳴りながら、ノートを地面に叩きつけてしまった。


「あーあ……土ついちゃったよ……読めなくなってないよね中身?」


 その呑気な感想を漏らしながらノートを拾って土を払う樹貴が、また頭に来た。


「何なの!? 熱血教師気取りなワケ!? 責任だかなんだか知らないけど、ちょっと勉強を教えるだけで上から目線で言いたい放題ぶちかまして! ほんとに何なのあんた!?」

「何なのって……なぞなぞ? 生物か人間か日本人かとかそういう問題?」

「ちっげええええええし! 話なんで通じないのほんとに!? 問題じゃなくて、抗議してんの! はっきり言ってありがた迷惑だって!」

「ありがたって言っちゃってるじゃん」

「っ……!」


 頭に来た。ぶっ飛ばしてやろうと思い、思わず男の癖に自分より背が低い男の胸ぐらを掴んでしまった時だ。


「それが答えでしょ。上野にとって俺が作ったこいつはありがたいんでしょ?」

「は!?」

「国語が得意なお前から出た言葉だから分かるよ。このノートはお前にとって役に立つ。で、俺はそれを作っただけの存在。それで十分でしょ」


 それは何なの、に対する答えだろうか? 今はそうかもしれないが、そもそもの話をしているのだ。


「そうじゃなくて……!」

「俺だって聞きたいよ。お前が何なのか」

「っ……な、何って?」

「お前、何がしたいの?」

「……えっ」


 何がしたい、とはなんだろうか?


「勉強教えてっつーから教えたけどサボるし、サボった割にポケットに英単語帳入れて駅で復習してるし、何なの?」

「っ……み、見てたワケ!? ストーカー!」

「いや学校の最寄駅で見かけたらストーカーになったら、学校の生徒のほとんどストーカーになっちゃうでしょ……」


 顔が赤くなったのを自覚し、掴んだ胸ぐらを離してしまう。


「まぁでも、コソコソ勉強する気概があんなら大丈夫でしょ。あとはこのノート通りやれば……まぁ、50点はいけるんじゃない?」

「っ、べ、勉強なんかもうしないっての!」

「え、しないの? じゃあこれどうすんの?」

「知らねーし! アタシらみたいな人種に、勉強なんて向いてないんだから、やっても無駄なんだっつーの!」

「……」


 言われた樹貴は少し黙り込んだあと、小さくため息をつく。

 そして、真っ直ぐと自分を見据えて言った。


「Iのbe動詞は?」

「は?」

「be動詞。答えろ」

「……am」

「過去形」

「was」

「Youは?」

「areとwere」

「We」

「一緒」

「SheとHe」

「isとwas! 一体何!?」

「伸びてんじゃん。わずゆーに比べりゃ」

「ーっ……!」


 そ、それはそうかもしれないけど……と、今度はこっちが黙らされる。


「確かに、勉強には向き不向きがある。だから理系文系に分かれる。……でも、目の前に関門としてある以上、やるしかないんだよ。それでやってグリズリーのサマーフェス初日に参加できたなら、その勉強は決して無駄じゃないでしょ」

「っ……!」


 それは、その通りかもしれない……。自分にも少しずつとは言え、学力が身に付いているし、こんな事でもしかしたらサマーフェスにいけるかもしれない……。


「……ま、やるにしてもやらないにしても、このノートは渡しとく。この後も図書室で他の科目の教科書作らんとだし」

「……と、図書室で……?」

「小野と一緒になー。……あーあ、肩重っ-…」


 伸びをしながら、ノートを自分に押し付けて横を通り過ぎる樹貴。

 明らかに無理をしている。クマなんて初めて見たし、またなんか欠伸をしてるし。

 正直……勉強はしたいのが本音だ。せっかく鎮火させたやる気が、またフツフツと燃えて来た。

 そのためには、教科書なんて作ってもらわずとも、一緒に今から図書室に行くのがベストだろう。

 だが……そうすると。


「あ、話終わった〜?」


 この人達との関係が終わる。樹貴が歩いて行く方と真逆の方から、三人が姿を表した。

 ふと樹貴を見ると、思わず足を止めて振り返っていた。


「あ、う、うん……」

「じゃあカラオケ行こ〜?」

「てか、なんか緋奈超キレてなかった?」

「なんだったんあいつ」


 また、足元が崩れ始める。同じように崖の淵に立たされているような感覚だ。

 友達か、成績か……このノートは、自分が来なくても良いように作られたもの。その上、また他の科目のノートも作ってもらえる。

 だから、正直カラオケに行ったって問題はないかもしれない。

 ……だが、言われた話が本当なら、このノートだって完璧ではないらしい。つまり、やはり直接教わった方が確実に点は取れるだろう。

 それに……やはり自分だけ楽をして教えてくれる人達に苦労ばかり押し付けるのは……気がひける。


「ごめん、みんな……アタシ、大沢達と今日はやっぱり勉強しようかな……」


 思い切って、樹貴と朱莉の方にある崖を飛んでみた。


「え、来ないの〜?」

「緋奈がカラオケ行くって言い出したんしょ?」

「てか、勉強とか昨日と一昨日、二日もサボっておいて今からやっても無駄じゃね?」


 やはり、言われてしまった。飛ばなかった方の崖が迫ってきて、意地でも自分の落下点をキャッチしようとされているような感覚になった。

 なんて答えれば友達でいられるか……ていうか、面倒臭こいつら……なんて一瞬、心の中で毒が漏れた時だ。


「勉強、しに来んの?」


 足を止めていた樹貴から声を掛けられる。反対側の崖から、橋が伸びてきたような感覚だ。

 それに伴い、足元まで近づいていた崖は離れて行く。再び、選択の時だ。橋か、崖か……どちらを取るか……そんなの、決まっている。


「っ……う、うん! 今までサボってたし、今日は……!」

「あそう。言っとくけど、サボってたからって甘くしないよ」

「うごっ……お、お手柔らかにしてくんね……?」


 なんて話しながら、振り返って友達グループに頭を下げた。


「さ、誘っといて悪いけど……やっぱアタシ、勉強したいから……」

「あーあ、せっかくウチ予定空けといたのに〜」

「ね。アタシらだって試験期間に時間つくってんのにねー」

「それで点取れなかったらマジウケるわー」


 ……こ、この立場で聞いてみると、こいつら一般論を盾にして逃げているようにしか聞こえない。まるで鎖を首にかけ、自分達の利に使えるような言葉で引き寄せているようだ。

 予定なんて遊びに誘ってきたの自体は向こうからだし、試験期間に時間作るって勉強する気は元々、なかった癖に。

 どうしよう、と迷っているときだった。


「上野抜きでカラオケ行けば良いじゃん。お前ら上野がいないと予定通りの行動出来ないの?」


 後ろから声が掛けられた。あれ、これもしかしてマズいのでは? と、変な冷や汗が流れる。

 女子三人は、ギロリと樹貴に鋭い視線を向ける。


「は? 別にあんたに話しかけてないんだけど」

「てか今のそういう話じゃないし。予定崩されたって話なんだけど」

「そういうとこ分かんないからあんた友達いないんじゃないの?」


 一斉掃射。ギャルの遠慮がないその射撃に対しても樹貴は、睨み返したまま答えた。


「とてもその友達の勉強の予定を崩した奴らの台詞とは思えないね。二日間も友達の時間を取っておいて、自分達の予定が崩されたら文句を言っちゃう棚上げがお前らにとっての『友達』って関係か」

「っ……べ、別に二日とも強制したわけじゃないし……!」

「だったら、上野も強制される謂れもグチグチと予定がどうのって攻められる理由もないでしょ。それとも、上野の成績が上がってお前らに不都合でもあんの? 例えば……補習仲間がいなくなるとか」

「ーっ!?」


 三人ともギョッとしたように肩を震わせ、目を見開いた。

 え、まさか……そんな理由で邪魔しようとしてたの? 緋奈がグリズリー好きなことを知っておいて?

 少し怒りが芽生える中、慌てた様子で裕子が反論した。


「そ、そんなこと誰も言ってないし〜!」

「ならよかった。上野も、まさか友達同士の関係で『みんなバカならバカはいなくなる』とかいうバカ理論で足元の梯子を外すような奴はいるなんて考えたくもないだろうし」

「ーっ……!」

「じゃあ、上野。小野を待たせてるから、さっさと図書室行こう」

「う、うん……」


 黙らせた……完膚なきまでに……。

 おかしいな、と緋奈は自分の胸に手を置く。友達があれだけボロカスに言われたのに……思ったよりスッキリしてしまった。

 今まで勉強の邪魔をされた時に言ってやりたかったこと、全部言ってくれたような感覚。

 この男の正論力、味方に回るとここまで清々しいものなんだ……なんてすっきりした。

 三人と別れて樹貴の横を歩きながら、ふと横を見る。

 本当に言いたいことを言える人だ。思えば、自分は友達にはあまり言いたいことは言えていなかった。空気が壊れるかも、とか関係が崩れるかも、とかばかり気にして、あまり言うことはしなかった。

 なんか……そういうところってある意味男らしいんじゃ……なんて関わって初めて思った時、声を掛けてきた。


「何、お前の友達ってあんなのしかいないの?」

「どういう意味?」

「いや、自分を伸ばすより他人を落として同位置に行こうとする奴」

「え……あー、うんまぁ……去年からの付き合いだし」


 こうなってから思うことではないかもしれないけど、100%悪い人達ってわけでもなかった。一緒にバカやってて楽しかったこともあるし。

 その自分に、樹貴は言った。


「仏教によると、付き合っちゃいけない人四選みたいのがあって『なんでも取って行く人』『言葉だけの人』『甘言を語る人』『遊蕩の人』だとよ。意味わかる?」

「あーなんか聞いたことある。自分が与える時は少ない癖にもらう時は多い人と、口先だけ良いこと言う人と、上っ面だけ良い人で裏では悪口言う人と、ギャンブルに溺れる人だっけ?」

「なんでそれ知ってて関わるんだよ、ああいうのと」

「う、うるさいし……この高校にアタシの同中いなかったから、友達作りに必死だっただけだし」

「友達なんて作ろうとするからでしょ。孤独こそ自分を強くするもんだよ」


 ……説得力があるのが困る。樹貴は、それはもう強い。少なくとも口と頭は強い。

 昇降口に到着し、校舎内に入りながら樹貴は説明を続けた。


「一応、付き合うべき人間も四つあるんだけどね。『助けてくれる人』『苦しい時も楽しい時も一様な人』『自分のためを思って話してくれる人』『同情してくれる人』だったっけ」

「あーそれも聞いたことあるわ」

「実際、そんな人間いないから。だから、友達はいない方が良いんだよ」

「どんだけ捻くれてんだし……素直なのかどっちなの、あんたの性格」

「事実でしょ」


 ……まぁ、確かにそんな人間がいるかと聞かれると……と、腕を組んだ時だ。

 ん? と、小首を傾げて隣を見る。隣の人……変な責任感があったとは言え勉強で助けてくれたし、グリズリーでも勉強中も何一つ顔色を変えずに付き合ってくれたし、さっきは自分のためを話してくれたし、同情してくれたからこそ友達三人に責められた時は助けてくれたのかもしれない……。


「ま、とにかくこれからは変な奴とは付き合わないことだね。世の中、本当に良い人なんていないんだから」

「……じゃあ、あんたが付き合ってよ」

「は?」

「アタシと、友達になって」


 思わず声に出ていて、少し頬が赤くなった。自分でも驚いた。嫌いな男子にこんなことを言うなんて……。

 でも、今回のことでよくわかった。上っ面だけ良い人もいれば、上っ面だけ嫌な奴で実は良い奴もいるんだ、と。

 だったら……せっかくならこの男と……と、思った……のだが。


「え、やだ」

「……えっ」

「俺友達いらないし……てか、まだドタキャンの件も胸ぐら掴まれた件も謝られてないし」

「そ、それは……ごめんなさい」


 素直に謝ったが……前言撤回。こいつ、やっぱりただの嫌な奴では? と、眉間に皺がより、顔が真っ赤に染まってしまう。


「っ、ほ、本気で言ってるわけねーし! こっちから願い下げだっつーの!?」

「なんだよ急に声大きくして……情緒不安定なの?」

「そういうとこ、やっぱあんたまじムカつくわ!」

「あそう」


 全く響いていない……ダメだ、やはりこの男には勝てる未来が見えない。口じゃない方面で攻める他なさそうだ。

 この男はいつか必ずぶっ飛ばす……そう強く決めながら、とりあえず図書室の扉を開いた。

 中では、朱莉がこちらに顔を向けていた。


「あ、大沢遅いし! ……と、あれ? 上野さん?」

「あ、お、小野ちゃん……」

「今日から復帰するってよ」

「ほ、ほんと!? 良かった〜……教科書作り難しくてさ〜……」


 本当に作ってくれていたみたいで、机の上に悪戦苦闘の跡が見える。

 ……そうだ、この子もいた。友達なら、この子にお願いしよう。

 そのためにも、まずは謝罪だ。


「あー……ごめんね、小野ちゃん」

「何が?」

「昨日とその前、サボっちゃって……」

「あ、あー……そんなの良いよ。他の子達との付き合いもあるもんね?」


 理解してくれている……いや、ホントなんでこの子ともっと早く友達にならなかったのか分からない。

 こんなこと……改まって言うのは恥ずかしいが……この際だ。お願いしよう。


「それでさ、小野ちゃん……」

「何?」

「アタシと、友達にならん?」

「喜んで! え、良いの!?」


 色々早いし色々遅い。この子もちょっと変だけど……まぁ、絶対に悪い子ではない。


「勿論。こっちからお願いしてるし」

「あ、ありがとう……ございます……!」

「いやだからこっちから……え、てか泣くほど!?」


 ちょっとじゃない! だいぶ変だ、と思いながら、とりあえずハンカチを貸してあげる。


「ほ、ほら落ち着いて……なんで泣くの?」

「高校で……ぐずっ、初めての友達……!」

「う、うん……?」


 この子……樹貴と違って友達欲してたんだな……と、思うと少し不憫だ……。

 まぁ、これはその第一歩だ。そう思いながら、提案してみた。


「そ、それでさ……上野さん、って少し他人行儀だから、そろそろ下の名前で呼んでくれん?」

「え……そ、それはつまり……」

「緋奈って」

「ほ、ホントに!?」

「なんならあだ名でもオッケーだし」

「あだにゃ!?」


 すごく感激している。まぁ、緋奈って呼びやすいと思うから、あだ名なんてないと思うけど……と思っていると、樹貴が口を挟んだ。


「あだ名なら、春日大社とかどう? 奈良県の緋色の建築物ってことで」

「緋奈って呼ばせてもらうね」

「うん」


 たった一言で落ち着かされた朱莉の提案を快く受け入れた。


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